第9話

 とりあえず一四年とチョイ生きて学んだことは、少年ジャンプが嘘をついててついでに親も嘘ついてて最終的に実は嘘がホントだったってことで、バッカな奴らが「尾崎~俺、尾崎の嫌いな汚れた大人になっちまったよ~」とか言ってんだけど、その前からお前らは汚れたガキだったんだよってのがホントのところのオチで、要するに手を洗っても元から水が汚れてるし俺たちは本当はきれいな水なんて見たことがなくて、それどころか手だって綺麗だったことなんてないのに、なんでかナニを覚えたてのサルみたいに熱心に手を洗い続けてて、その光景を思い浮かべるだけでも滑稽なんだけど、じゃあ一体俺たちは何を目指して洗ってりゃいいんだっつったら、見たこともない綺麗な手を想像しながら洗えといわれるわ、酷いときゃ俺よりも汚れてる手の奴にもっと手を洗えといわれるわ、もうどうしようもないから、俺たちはゲラゲラ笑いながらそのベタついた手で殴りあうって始末なんだけど、ある程度年を食っちまったらそんなこともできなくなって、仕方がないから俺たちはそんなクソ汚い手でシェイクハンド、しかも全然顔は笑ってないクセして、とかを決めちまうわけで、それだったら生きてこの世を出られりゃあそれが一番なんだが。つか、さっきヤッスンに殴られて左肩が挙がらないんだけど。



 梅原の彼女が加わった後も、オレと牧野はひたすら梅原の部屋を物色していた。一方の梅原の彼女は、何かを探しているのだが、どうもオレにはそれが物じゃない様に見えてしまう。彼女さんはオレがさっき開けた机の引き出しからアルバムを取り出して眺め始めて、アルバムの中に写っている梅原を軽く指でなぞりながら、何事かを確認するとオレと牧野を振り返った。多分オレ達が写っているところを見たのだろう。

「洋人って昔から洋人だと思ってたけれど……、こんな笑い方してたんだ」

 「昔から洋人」それは一体いつからいつまでの話をしているのだろうか。オレと牧野にとっての梅原と、彼女にとっての梅原。もしかしてぜんぜん違う人間の葬式に参加してたわけじゃないだろうな。彼女さんはアルバムを見ると、一人で何かを納得したように部屋を見渡した。

「どんな人でした?彼、中学生の頃」

「馬鹿でした」

「馬鹿だな」

 オレ達の即答に少し彼女さんは面食らったようだが、それでもすぐに「しょうがないな」という顔で、「そうですね、馬鹿でしたよね」と、力なく笑っていた。でも、多分その「馬鹿」はオレと牧野の言う「馬鹿」じゃないんだろうな。オレらが言ってんのは、純粋な意味での「馬鹿」なんだけど。

 そうか「馬鹿」か。オレはさっきまで分からなかった、梅原にかけるべき言葉を見つけた気がした。

「バーカ」

 多分これだ。今かかって来たら間違いなくこう言ってやる。だから早くコールしやがれ梅原。オレはポケットに入ってる、鳴るはずのない携帯電話を服の上から握っていた。

「……三島さん、これなんて書いてあるか分かります?」

「え?」

 牧野が写真のことを思い出したらしく、彼女さんに写真を手渡した。牧野、この子もそんなに学がありそうじゃないぞ?

「この字ですか?」

「はい」

「ええと、オマン……」

「すいません、そっちじゃなくて英語のほうです」

「ああはい。こっちですね。……『WE WERE HERE』」

 彼女さんは少し顔を赤くして教えてくれた。

「……意味は?」

 オレが真顔で聞くと、彼女さんは変な顔をした。

「『私達はここにいた』って意味ですよ」

 確かに簡単な英語だな。こんなのをわざわざ人に聞くなんて馬鹿丸出しというわけか。

――俺達はここにいた

 オレは頭ん中でそれを呟いて、部屋を見渡した。オレ達はここにいた、お前はここにいたのか梅原?それともう随分と前からどこにもいなかったのか?

 オレは写真の牧野と目の前にいる牧野を見比べ、そして写真のオレとタンス上の鏡に映るオレを見比べ、最後に見比べるもののない梅原をただじっと見つめた。牧野は「何?」と表情で聞いてきたが、オレはなにも答えずに黙って写真を梅原のアルバムに綴った。梅原のお袋さんは部屋のものを持ってってくれと頼んだが、まあ別に少し増えたところで構いやしないだろう。

 俺達はここにいた。うん、俺達はここにいるな。


 オレと牧野は一応の関係者ということで、翌日の日曜の告別式では親族と一緒に火葬場まで行く事になった。というよりも、牧野は夜まで暇でオレはもっと暇だったので、自分から志願して付いて行ったわけだが。しかし、取り立てて普段アイツの親族とお付き合いがあるわけでもなく、その他はアイツの大学の友人+(多分)彼女という面子で、契約社員の俺と見た目も中身もホストの牧野は、完全にその場で浮いてしまったし、特に髪が中途半端なタラコ色の牧野には、よりいっそう周囲は話しかけづらそうだった。それにしても、ここまで来たあいつの大学の関係者とやらは本当に数えるほど、それこそ2・3人しかいない。火葬の最中、牧野を連れてきたことで責任を感じていたオレは「ヤニ入れない?」と、人気のない場所に移動した。

 中学の不良がするように、建物の陰の日の当たらない場所でウンコ座りをしながら、施設から伸びている一際長い煙突を眺める。火葬場だというのに周囲の山々には桜が咲いてて、その花びらが昨日まで降ってた雨の雫を反射させて妙にキラキラ光ってやがる。ホント、世界ってオレらにはお構いなし何だよな。

「あれはアイツの煙かな」

「多分な」

 相変わらず牧野の口数は少ない。

「綺麗だな、人焼いてんのに」

「ああ」

「……ああいう絵を描きたかった」

 牧野のタバコが、少し強めに吸い込んだせいで、「ジッ」と音を立てた。

「でも何度描いても、ああいう風にはならなかったんだよ。そん時な、オレの神様がここら辺……」

 そういってオレは右頭頂部辺りを指でクルクル回した。

「ここらへんで、『お前にゃ無理だ』って言うわけよ」

「神様が?それじゃ無理だな」

「だろ?」

 牧野がタバコの煙を吐き出しながら笑うと、その爽やかさのせいか、風が少し吹いて、オレがクルクル指差したところの髪を少し撫でた。二人で少し煙を眺めてから俺が言う。

「……野球の選手ってさ、どういう気持ちで試合やってんだろうな。特に消化試合なんかをやってる選手、もうBクラス入りが確定しててさ……」

 次にオレがなにかいうのだろうと思っていた牧野はしばらく黙っていたが、オレがもう何も言わないと分かると呟いた。

「……さあな。でもヤッスン、俺たちは生き残らないと」

 そしてその一言はオレと牧野の間の点線を一本の線に繋げた。

 そうだ、オレ達はすれ違いながら繋がっていて、今でもあの頃の残り火の中に生きてるんだ。いや本当は誰もがあの頃の残り火の中にいるんじゃないかな。多分そこにいる火葬場の職員でも坊さんでも、襟首掴んで「本当のこと言えよ」って迫ればそこらへんのことを認めるような気がしないでもない。

 映画と洋楽が好きだったアイツ。洋楽のイギーなんたらやラジオヘッド、映画もコー……兄弟だとか色々教えてもらったけど、面白くて印象に残っていたかったのが香港か韓国の映画だったんだけど、特に台詞が秀逸だったのでよく覚えている。

――笑うときには世界と一緒

 アイツはこの台詞を気に入っていて、ことあるごとに口にしていた。そういえばアイツの笑い声はいつもわざとらしくてうるさかったっけ。

 でも確かこの台詞には続きがあったんだ。ああそうだ、思い出した。

――笑うときには世界と一緒、泣くときにはお前一人

 ……そうか梅原、お前は一人で泣いたのか。

「なぁ、」

 牧野が答えた気がしたので続けた。

「肩パンやんない?」

「はぁい?」

 十分なイントネーションをつけて牧野が聞き返す。

「肩パン、覚えてるだろ?」

「なんで」

「……梅原の手向けにだよ」

 もうこの時点で牧野の顔はもうにやけていた。

 牧野がゆっくりと、もったいぶった形で立ち上がる。こいつはヤンキー漫画が好きだったから、こういったシュチュエーションが大好物なのだ。訂正、たぶんオレもコイツと同じ顔をしている。

「お前からやれよ」

 牧野がそれっぽいストレッチをやりながら外人みたいな挑発をする。オレは精一杯体を捻り右フックを打つ準備をした。

「いきなり本気で打つのかよ」

「久しぶりだから大したことないだろ」

 実に7年ぶりに近いオレの本気の拳が牧野の左肩に鈍い音を立てて突き刺ささり、同時にオレの拳も「パキュン」と何かが弾けたような音がした。多分突き指(後で骨折していたと知った)だ。

「やっべ、もう(手が)いかれた」

「はや、じゃあ次ぎ行くぜ」

 牧野は間をおかず俺の左肩に右ストレートを入れた、牧野は昔から右が上手い。綺麗な音がする。

「い、って」

 ろくすっぽ運動をしていなかったからだろう、昔よりもオレの肩の肉は薄くなっていたようだ。今のでもう肩が挙がり辛くなった。

「もうやめる?」

 牧野が勝ち誇ったように聞いてきやがった。

「蹴りもいい?」

 もう右手が使えないので、無茶な要求をしてみた。

「それだと肩パンじゃなくね?」

「で、いいの?」

「俺も蹴るぞ」

「じゃ、」

 オレは思いっきり牧野の左肩に蹴りを入れ、肩を始点に牧野の首がの字に曲がった。今度は股関節が嫌な音を立てた。

「……ちょっとずれるかも」

 後手の牧野はそう言うと後ろ回し蹴りを入れてきた。蹴りは思いっきり肩をずれて胸元に当たった。

「おま、靴の跡が付いたじゃねぇか」

「別に、クリーニング出しゃいいだろ」

 ふと気付くと、後ろで別の火葬で来ていた親族の子供たちが、物珍しそうにオレ達を見ていた。

 あれから何年もたっていて、いい加減酒もタバコもやる体だ。オレと牧野は肩パン、途中から蹴りが入ったが、を数ターンやり合ったらもう完全に息切れしていた。もうウンコ座りをやる体力も残ってないので、二人とも直接に施設裏の用水路の近くに座り込んだ。

 牧野がヘラヘラ笑いながらタバコを胸ポケットから取り出す。

「一本くれ」

 オレも牧野のように笑いながら一本ねだる。

「ほら、」

「さんきゅう……マルメンか、口の中が気持ち悪くなんだよね。」

「もらって文句?」

 オレは「気にすんなよ」と顔で伝えて、使えなくなった右手の代わりに左手でマルボロのメンソールに火をつけた。

「……うめぇ、メンソールのクセに。」

「メンソールに謝れや」

 大して面白くもない牧野の冗談、いや冗談ですらないのかもしれない、なのにオレは体を精一杯よじらせて大笑いする。そんなオレの笑いっぷりを見た牧野がそれを見て吹き出して、お互いがお互いの顔を見合って指差合って笑って、何でオレ達こんなに笑ってんだろうかって分かんなくなって、それがまた可笑しくなって爆笑して、もうこの笑い声が桜の花びらに響いてそれが宙に舞うように、その花びらがそこらじゅうに飛んでって、いっそのことこの笑い声で世界が平和になってくんねぇかなってぐらいの気持ちで大笑いしてやった。オレらの喪服は俺らの顔面と同じようにクシャクシャになって、しかも靴跡が所々に張り付いている。もうクリーニング出してもだめだなこりゃあ。

「あ~、面白ぇ」

「わけわかんねぇよ、何で笑ってんだよ」

 雲で光がうっすらと遮られた空に、オレと牧野から吐き出された煙が笑い声と一緒に昇ってく。アイツから吐き出される煙に比べればなんとも心許ない。大丈夫だって、心配すんなよ梅原、オレの煙も牧野の煙もゆっくりだが、いずれはお前と合流するんだから。

 俺は思いっきりタバコを吸い込んで、とびきり濃いいやつを金を降らせたばかりの空に打ち上げた。


***


 あいつは言う。

 大丈夫、心配すんなって

 いつかそうなることがあるのだろうか。いやきっとそうなるんだ。

 そしてその時、戻れるはずのないあの場所で、あいつらと一緒にそう言って笑い合おう。俺達がかつていた、あの時のあの場所で。俺達の昨日と明日、それが全部一度に在るような今日の中で。

 ゆっくりと自宅の階段を下りるように、何の躊躇も無く俺は一歩踏み出した。その先の無重力は俺をあらゆる重さから解き放ち、その足の裏の空虚感は久しぶりの生の実感を与えてくれるに違いないのだから。



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