第8話

 俺のダチのヤッスンってやつが、中二のクラス編成で一緒のクラスになった時には「何かこいつ俺のことを次からウメとか勝手にあだ名をつけて呼んできそうだな」って思ってたんだけど、こいつは俺のその想像の斜め上を行ってて、なんか次の休み時間の時には俺の下の名前の洋人をもじって「ヒロポン」って呼んできやがって、お前それ戦時中に流行った覚せい剤じゃねぇかって突っ込みたかったんだけど、何かそのヒロポンてのも俺に意外と似合ってるかもって気に入っちまってスルーして、半年位経った頃に「ヒロポンって覚せい剤のことだぞ」って教えてやったら、ヤッスンのやつホッペに微妙にエクボを浮かび上がらせて「知ってるよ、気にすんな」って俺の脇腹を肘で突くもんだから、何の含み笑いか分かんない所がまた可笑しくて、なんか存在そのものが俺の想像の斜め上を行ってくれてんだけど、そんなヤッスンが俺の親父の葬式のとき、わざわざ授業を早退して来てくれたんだけど、俺とお袋が焼香の列のやつらに挨拶をしてたら、遠目からふと参列中のあいつと目が合っちゃって、しばらく俺とあいつで見つめってるような状態になったんだけど、気まずい顔しているあいつが「よう」って挨拶でもするのかと思ったら、相変わらずヤッスンは俺の想像の斜め上を行っていて、次の瞬間いきなり笑顔になって、手で大きく輪っかを作って「OK!」ってジェスチャーでやるもんだから周りの参列者がびびっちまって、いつもなら真っ先にこういうときにはヤッスンの真ん中分けのサラサラヘアーをはたいているだろう牧野も何てしていいか分かんなくって、ただヤッスンを唖然として見てて、隣の母親を見たらやっぱり目ぇ見開いててさ、てか誰だってそう思うだろ、どこがどう「OK」なんだよ、これって世界で一番「OK」な状況じゃないわけなんだけど、でもそん時俺ときたら不覚にも笑っちまって、そのとき初めて親父が死んでから笑ったなって思って、何かにらめっこで負けたが気みたいな気がして、ついでに「ああ俺って一生親父の葬式思い出すときにはヤッスンの『OK』を思い出さなきゃいけないんだなぁ」ってすっげぇ悔しい気持ちになっちまったんだよな。そうだよな、ヤッスン。俺は散々一人でメソメソ泣いたんだ、喪が明けたら学校に笑いに行くよ。親父の死なんてたいしたこっちゃないよな、そんな訳ないけど。



 ある日、珍しく梅原が一人で職員室に呼び出されていた。オレが次の授業のプリントを取るふりをして職員室に忍び込むと、そこには担任のキタロウ(♀)の目の前に立たされている梅原がいた。うつむいているが、間違いなく目線は胸の谷間を見ていた。

「なんで誰も信じねんだろうな」

 あの頃、梅原はノストラダムスの予言を心待ちにしていた。職員室に呼び出されたのも、現代社会の授業で教師が「環境問題を解決するにはどうしたらいいか」という課題を出したところ、梅原のやつが「地球が無くなれば万事解決です。」と答えたからだという。それで説教とはわざわざ熱心なこった、真剣に天下国家について悩んでるやつのほうが、まだ将来が心配じゃねぇか。そんな奴絶対怪しい性癖とか持ってるぞ。

「……もし終わるとしたら、その日に何をする?」

 教室に戻ると、妙に二人静になったんでとりあえずで聞いてみた。

「俺は絶対人殺すな」

 そこにちょうど割り込んできた牧野が、「俺、原付の免許を取るよ」ぐらいのノリでそれに答えた。

「お前に聞いてねぇよ、梅原は?」

「俺は……、いつもと変わんない」

「もったいねぇな。折角やりたい放題なのに」

 牧野が「あと1分待てば、そのワゴンセール半額になるのに」ぐらいのノリで突っ込む。

「終わってくれるだけ万々歳なのに、なんでメンドクサイことしなきゃいけないわけ?多分、その日には何でもない俺がいるだけだよ」

「……そうか。でもさぁ梅原、そんなら何でお前は世界が終わってほしいわけ?」

「別に……、でもなんかここが無くなったらすっきりしそうじゃない?」

 そういうと梅原は、声も出さず笑い出した。その笑い顔はなんだか泣いてるようにも見えた。

「……なぁ」

「なに?」

「肩パンやろうぜ」

「はぁい?」

 つまんなくなったら取りあえず肩パンで、取りあえず格好がついたのだ。あの頃は。 


「何か梅原ってさ、俺らと違ってたじゃん?」

 オレの中の梅原の思い出、牧野も共有しているのだろうか。聞いてても聞いてくれてなくても良いくらいの、独り言口調でオレは話していた。

「何が違うってさ、こう……、あいつは世界の終わりを知ってんだよね」

 変な事を言ってしまっているなと思い牧野を見たが、牧野は意外と真面目な顔をして俺を見てくれていた。

「……もちろんオレ達も知ってんだけど、本当は。でもそこは何つーか上手くブレーキを踏むみたいな感じでさ。でも梅原は構わずにアクセル全開で、ガードレールにぶち当たっちまうみたいな。何か常に突っ切ってたんだよな……。」

「ダメな意味でピュアだったんだよアイツ」と、牧野がめんどくさそうに割り込んできた。「たまに辛気臭そうな顔してたじゃん」

 何でか牧野の口調は少し怒っているようだった。

 ――宇宙何てのはいずれさ、放っておいたお茶が冷めるみたいに冷めてなくなるもんなんだよ。

 時々梅原は、俺たちにわけの分からないレクチャーをする時があった。

――でも、実際どうなんだろうな。宇宙が急に冷めて無くなったところで、誰か困るのかな?

 そんなことを皮肉混じりに言う梅原、オレ達が知らない世界を知ってるみたいな口調だったけれどそうでもないだろ。本当はな、オレ達も知ってんだよ。本当はここには本気で怒るほどのことも、泣くほどのことも無いし、困ることなんてありゃしないんだ。でも、それを口に出してもいけなくってさ、風呂場のタイルにこびり付いたカビみたいなしつこい何かを拠り所に、オレ達は生きていかなきゃならないんだ。

「なぁ……」

「ん?」

「おとついさ、梅原から電話があったって言ったじゃん。……もしさ、あの時着信に間に合ってたらどうなってたんだろうな。」

 牧野は何も言わない。牧野を見たが、相変わらずただ梅原の遺影を眺めていた。

「もしあの時間に合ってさ、何か話したとして……、一体どういうこと言えば良かったんだろ……」

 一体何を言えば?それ以上に今何を言えばいいのか、この先すら分からなくなってきた。胸元のポケットをまさぐってタバコを取り出そうとしたが、よくよく考えなくてもここは禁煙だった。

 式がある程度落ち着いたので、改めて梅原のお袋さんに挨拶に行くと、牧野の成りを見てもすぐに分かってくれたらしく、梅原のお袋さんは思い出す素振りもなく

「安河内君に牧野君、久しぶりね。今日はわざわざありがとう」と、挨拶をしてくれた。

「この度はどうも……、ご愁傷様です」

 一応、昨日インターネットでググって葬式の時の挨拶とやらを調べといたので、ある程度の挨拶はできる。対して牧野は何も言わずにただ黙って頭を下げていた。

「……申し訳ないんだけど、ウチの洋人の部屋まで来ていただけないかしら?」

 突然の申し出だったけれど、俺と牧野は何の考えもなく「はい」と答えていた。

 久しぶりに行く梅原の家は相変わらず、中上流という、最近消えかかってるといわれている家の王道というような作りで、何だか漫画の主人公だとかが住んでそうだった。だけれども、以前行った時よりも少し周囲の植木が伸びているせいだろうか、妙に周りの人間を弾いているような雰囲気を醸し出している。

 何気に構造を理解している家にお邪魔して、迷うことなく二階部屋に向かった。梅原は都内で一人暮らしをしていたらしいのだけれども、その後使う人間がいなかったのだろうか、部屋にはほとんどアイツのものがまだ残っている状態だった。

「いっぱいありますねぇ」

 特に本棚をみるとやっぱりここが梅原が梅原たる所以か、オレは一生手に取らないような本がずらっと並んでいる。中学の時、数回こいつの部屋に来たことがあったが、その時とはまた部屋の様相が変わっていて、何冊かの受験用の参考書が本棚にはあった。

 しばらくそれらを眺めていたのだが、一体梅原のお袋さんはオレ達をここに連れてきて何をしたいのだろうか。「で、何でしょうか?」とも、喪服を着た女性には何か聞きづらいものがあって、ただ黙ってオバサンが何か言ってくれるのを待っていた。長いこと動いてなかったこの部屋の空気は、オレ達が入ってきたことでようやく動いたらしく、独特の匂いの重い気体がオレの頬を撫でてくる。牧野も何をしていいのか分からないんだろう、部屋に張られたポスターやらを興味も無いくせにじろじろ見ていた。

「あの子、……ほとんど都内の方の部屋のものを処分しちゃってたらしくてね。……もう、ここにあるのは高校と浪人のときの一年間のものばかりでね。あまり形見ともいえないものだから……、いくつか持って帰っていただけませんかしら?処分させるようで悪いんだけど、何かあの子との思い出にしたいものがあれば……」

「な……るほど」

 急にそんな事をいわれても、何も考えていなかったもんで、仕方なしにオレと牧野はダラダラとやる気の無い泥棒みたいに部屋を物色することになった。

「机とか開けても大丈夫ですか?」

「どうぞ」

 別にエロ本を期待したわけではないが、机の中には文房具などのどうでもいい小物で溢れていて、特に持ち帰りたいものがあるわけではなかった。机の一番下の引き出しを開けると、アルバムなんかの大きめの本が詰め込んであって、その中の一つに俺たちの中学校時代のものがあった。

「アルバムはさすがに駄目ですよね?」

 そういうとおばさんは何も言わずに微笑んでくれた、駄目らしい。

 いよいよ、何も形見に持ち帰るべきものが無いことに気づいたオレは、牧野を見て「何かある?」という合図を送ると、牧野は「さぁ」といういつもの合図で返した。梅原のおふくろさんが部屋を物色するオレ達の後方で様子を眺めていて、そうされるとオレ達がやましいことをしているようで非常にやりにくいのだが、どうも彼女はオレ達を見てはいたが頭ん中がここには無かったらしい。


 自殺というのは遺伝するものなのかしら


 部屋の空気をほんの少し震わせながらおばさんは呟いて、オレは心の中で「ぎゃあ」と呻いた。

 オレは首をコルセットで固定されたみたいに、ぎこちなく体ごとを牧野に向けてわざとらしく改めて「何かあった?」と、牧野に聞きなおしたが、牧野は牧野で窓の外、電信柱に止まっているスズメを見ている。

 こんな時、オレ達はどんな言葉を掛ければいいのだろうか。というより、彼女は何を望んでいるのだろうか。

「……何か持ってきますね、喉渇いたでしょう?」

「そう……ですね、お願いします」

 オレは大して喉も渇いてなかったけれど、一旦おばさんに部屋を出て行って欲しかったので心にもない返事をした。おばさんが部屋を出て行って階段を降りきったのを確認してから、

「えと……形見っていうかさ、逆に持ってきちゃったんだよね」

 胸のポケットから修学旅行の写真を取り出した。

「ほら、これ」

 写真を見せると牧野は「ああ」という表情だけをしてそれを手に取った。ややダルそうな顔で牧野は写真を眺めるが、これはこいつの物思いに耽ってる顔で、こいつの面倒くさいと考えているは区別し辛いのだ。一体こいつはどれほどの人間の誤解をこれまでの人生で招いてきたんだろうか。

「ん?何か写真の裏に書いてあるな。気づかなかった」

 オレがそういうと牧野は写真を裏返した。

「『全国制覇』……これは俺だな」

「恥ずかしいよな、何だよ全国制覇って。日本の何を制覇すんだよ」

「うるせえ」

 ヤンキーものが好きだった牧野はたまにこういった恥ずかしいことをやる。

「で、他には?」

「……お前の字で『オマ○コ!』って書いてある」

「嘘つけっ……、ホントだ」

 牧野から写真を取り上げたら本当に赤の油性マジックでそう書いてあった。牧野以上に恥ずかしいじゃねぇか。

「なに考えてたんだよ、お前」

「いろいろ」

 もしくはなんにも。

「横のその英語は?」

「たぶん梅原だろ」

「何て読むんだろ?……ウィーワーヘレ?」

 高校を卒業してからまったく英語というものに触れていなかったもんで、WEとWAREしか読めない。そうこう話していると、誰かが階段を上がってくる音がした。梅原のお袋さんだろう、と思ってたら、部屋に入ってきたのは葬儀場で見たパンクな女だった。一際大声で泣いていた上に、髪の毛が真っ赤なもんだからやたら印象に残っていたのだ。

 オレも彼女も、そして牧野も「どうも」というように体をやや傾かせ、そのまま固まってしまっている。

「……え~と、どうも初めまして。僕は梅原の中学時代の同級生で、安河内という者です。で、彼は同じく中学の同級生で……」

「牧野です」

 阿吽の呼吸で挨拶を済まし、微妙な表情で「で、貴方は?」ということを彼女に尋ねる。

「三島加代子……洋人のトモダチです」

この微妙な『友達』という言い方からするに、多分梅原の彼女だったんだろう。

「お友達ですか、そうですか……。実は僕たち、梅原のお母様に頼まれて簡単な遺品の整理をしていたところなんですよ」

「はい、聞きました。私もそうなんですよ、洋人の何かを貰おうと思って。彼ホントに何も自分の周りのもの残さなかったから……」


***


 何でもない自分がただいるだけ。世界の片隅に咲く花を愛でようと、この世の終わりが予言者が言ったように実現しようと「ああ、そうか」と、ただそう思う俺がそこにいるだけなんだろう。

 いつからだろうか、世界が他人事に思え始めたのは。テレビで見るようなドキュメンタリーの延長でしか物事が起こっているようにしか見えなくなって、気付いたら俺自身の体が他人の所有物にしか感じられなくなってしまった。いつからそうなのかは覚えていないが、昨日を計算して明日をはじき出す、今日がその為のメモ用紙でしかないと理解したときだ。その時から、俺はゆっくりとここから降り始めたのだ。ただ沈んでいく感覚だけをリアルに感じながら。


***

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