第3話

 何かつまんねぇってことでつるむのはいいんだけど、取りあえず思いつく遊びをとにかくやろうとして、でも小学生じゃないし皆で集まって缶ケリって訳にもいかないから、少しでも微々たる変化が欲しいってことで、学校内ではジャンケンやって負けた奴を磔にして思いっきりゴムボール投げつけたり、交互にお互いの肩をひたすら殴り合ったり、この間結婚した英語の教師が、旦那も英語教師だからって夜もやっぱり英語でハメあってんのか想像して、男役女役振り分けてヤッスンと「OH~YES!」だとか語彙が貧弱だからそれしか台詞がねぇけど、給食時間の配膳台の上でまな板ショーやってげらげら笑って、皆で回し貸してるAVの解釈、何であのシーンで飯島愛は必要以上にでかい声になったのか、ほんとに女のアソコにバナナを突っ込んでも大丈夫なのかを神学者なんかが聖典の解釈するみたいに本気で話し合って、そん中で神秘主義者みたいな奴らが3Dみたいに目を凝らせばモザイクが消えるだのガムを噛みながらAVを観ると今までにない快楽を味わえるだの盛り上がってたんだけど、そいうことを生徒がやっているってことがセンコーの方に知れわたっちまって性教育を特別授業とかでやりはじめて、体育教師兼保健体育教師の角澄子(スミ・スミコ)、冗談みたいな名前だからあだ名がスミスだったんだけど、そいつがわざわざ男子集めて保険体育の授業を始めて、そのとき初めてのゴムのつけ方に加えて色々教えてくれたんで、エロ漫画って結構いい加減なこと教えてんなってムカついたんだけど、よく考えたらドラゴンボールとかもかなり嘘ついてるわけであって、「鳥山明」が良くて「りえちゃん14歳」は駄目って話はないんで、それじゃあしょうがないってことなんだけど、結局スミスの言いたいことはいい加減なセックスなんてしてはいけませんってことらしくて、その一例として自分が以前流産したことをぶっちゃけて、それはとても辛いことでそんな思いを女性にさせてはいけないとか、どう考えても趣旨からずれてること言ってんだけど、半泣きでスミスが話すもんだから皆気の毒でもう突っ込めなくて、まぁ取りあえずその日分かったことはスミスが間違った自己犠牲の精神を示したということとゴムの先っぽが精液入れということくらいかな。スミスの涙の話の後、ヤッスンが「ヒロポンさぁ、あんな話でも、スミスがするとエロイよな」って囁いてきたんだけど、もうお前ほんとデッカイ葛篭つづらとか開けろよ、そして世のため人のため教訓残して死じゃえ。


 ――ヤッスン、

 久しぶりに会う牧野は、相いも変わらず鋭い目つきの、言ってて恥ずかしいがクールという言葉が似合うような男だった。今はこの待ち合わせをした駅近くの繁華街でホストをやっているらしく、会社員ではない牧野は社会人ではできないようなタラコ色の髪をオレに見せ付けてくれた。服装もピシッとした黒のシャツに紫色のネクタイ、おおよそ堅気の人間とは思えないような出で立ちだった。

「よう、久しぶり」

 大人から「ヤッスン」と呼ばれるのが少し気恥ずかしかったが、それを顔には一応出さず応えた。

 タバコを吸っていた牧野は、それを軽く持ち上げ「よう、」と返事をする。

オレも牧野もこんな再会でなければ、オレが太った、何だその髪は、なんて会話でじゃれあったりもしたのだろうけど、状況が状況なのでお互い何といっていいか分からないようだった。

「どっか入る?」

 オレ達は待ち合わせた駅に隣接する小さな居酒屋に入ることにした。レトロな木製の引戸を開けると、そこはカウンター以外は奥に小さな座敷席があるだけの、実にシンプルな作りの店だった。店内にはオレたちが生まれる前の歌謡曲が流れている。

「いらっしゃい……」

 含蓄系というよりも、闘病明けといった感じで険しい顔をしたおっさんがオレたちを出迎えてくれた。

「何名さまで?」

 オレと牧野が各々「二人」を意味するピースサインをする。

「四名さまですね」

「……いえ、二名です」

 しばらく二人は何も言わなかった。二人の着いた木製のカウンター席は、少し料理の油でぬめっていて、気にする訳でもないが、オレはほんの少し指の腹でその汚れをなぞる。おっさんから渡されたおしぼりで顔を拭いていると、「今何やってんの?ヤッスン」と、牧野が聞いてきたので、「あん?お絞りで顔拭いてるよ」と適当に答えた。

「ちげぇよ、仕事」

「分かってるよ。……カード会社で働いてる」

 これは正直言いたくはなかった。中学校の頃、絵を書くのが得意だったオレは卒業前には「高校では美術部に入る」と宣言し、将来は絵を描く仕事に付くようなことを言っていたからだ。とはいえ、それは牧野も一緒だったかもしれない。こいつは確か、高校の頃バンドを組んでたはずだ。それが今はホストということは、まぁ……。

「カード会社?」

「ああ、クレジットカード。要る?」

「もう持ってる」

オレは「そりゃ残念」と口だけを動かした。

「実家の弁当屋のほうはどうよ?」

「そこそこ儲かってる」

「いいじゃん」

「そこそこってのは、赤字じゃないってことだよ。マジで余裕ないんで、電子レンジなんて買い換えられないからね。地デジなんて来ないことを祈ってるくらいだよ」

「いいんじゃない?ウチも実家のほうはまだテレビ分厚いし。熊の置物が乗るくらい。」

 牧野は絵のことに関しては何も言わなかった。それとも、中学校の頃のオレの将来の夢なんて忘れてるんだろうか。

「ホストの方はどうよ?」

「どうって?」

「金」

「そこそこいいぜ」

「そりゃ何より。でもあれでしょ、ホストってすげぇ儲かるんじゃないの?」

「ナンバーワンはな、そうじゃなけりゃきちぃよ」

ナンバーワンじゃないのか。昔のモテ男だったダチが、そりゃあホストも大変なんだろうけど、ナンバーワンですらないのに少し肩を落とした。

 しかし、二人ともそれがあの頃やりたかった仕事なのかどうかじゃなくて、金はどうかという心配から入ってしまう、まぁ当然といえば当然か。

「何か頼もうぜ」

 自分から切り出したのは良いが、何かを食べる気には少しならない。酒を飲もうにもやはり同じように気分じゃない。取りあえずビールと枝豆、ホッケを注文した。

「何時以来だっけ?」

「さぁ、高校入ってからもちょくちょく会ってたよな、俺らは」

 そう、オレと牧野は高校になってからも何回か顔を合わせていた。でも、梅原は何つーか進学校に進んで、そのままオレと牧野の知らない「大学」とかいう世界に行っちまった。行った大学もテレビとかでしか聞いたことのないようなすげぇ大学だった。面白いのは、オレ達は梅原のことで集まったのに、ぜんぜん梅原の話をさっきからしないことだ。いや、梅原の話をしないのはなんとなく分かる。オレ達は本当に終わっちまったことを自分達の口で切り出すことが、なんとなく怖いんだ。終わった?何が?いやいや終わるさ、ビートたけしなんかが「俺達はまだ終わっちゃいねぇ」何てことを映画で若いやつに言わせるけど、本当は誰でも分かってんだよ、終わるときは終わるんだ。それを今、オレ達は梅原の死で理解しようとしている。

「タバコ何吸ってんの?」

 やはりオレは梅原とは関係ないことを訊く。

「マルメン。お前は?」

「赤マル」

「きつくね?」

「『アカギ』が吸ってたんだよ。だから真似して」

「……、そこらへん相変わらずミーハーだよな、お前」

「ほっとけ」

 ようやくオレ達は笑った。あの頃の笑顔じゃあないし、笑いになる種もあの頃とは違う。ソースどっぷりのあの頃から、ほんの少し昆布の旨味が利いていますという感じの笑い。大人になったというよりも、ソースが胃にもたれてもう食えねぇってのが適切だ。つぅか牧野、お前のそのタラコ色の頭だってX―JAPANのhideの影響じゃねぇか。

 店の親父がジョッキを二つ運んできて、いよいよオレ達はあのことを口にしなければならなくなった。なのにジョッキを握ったのは良いが、二人ともどちらが先に言い出すか、変なお見合い状態になってしまっている。まぁ、こういうときはオレからか、いい加減取っ手が温くなってきそうだし。

「梅原に」

「梅原に」

「献杯」

「献杯」

 やけくそになって有り得ないくらいの一気飲みをやってみたら、喉が痛すぎて涙が出た。おい牧野、違うからコレ。泣いてんじゃないから、マジで。悲しい顔するなよ。

 笑ったオレ達の背中は、あの頃のオレ達からはどう見えるんだろうか。酒飲んで揺れて、タバコの煙で霞むオレ達の背中は広くもないし、頼りがいがあるわけでもない。

 明日の明日のまた明日

 僕はどんなになるんだろう

 宇宙旅行のパイロット

 それともお船の船長さん

 歌っていたのはいつ頃だ。今はどれでもないけど、まぁせいぜい恨まないでくれよ、昔のオレ。


***


「ねぇ、明日死んでしまおうかしら」

 素で言ったのかと思って驚いたが、どうも歌を口ずさんでいるらしい。

「洋人この歌結構好きでしょ?」

「ああ、うん。そこそこね」

 そういうと、子供みたいな満面の笑みで加代子は俺を見る。たまに彼女が口ずさむ鼻歌、嫌いではない。お世辞にも上手とはいえない歌を、少し喉を掠らせながら何とはなしに歌うのだが、何故か俺がきちんと聞いていると分かると、彼女は照れて途中で歌うのをやめてしまう。じゃあ最初から歌わなければいいのにとからかっても良いのだけれど、静まり返った夜中の俺の部屋に、加代子の掠れた歌声が響くのが心地よいのでわざと俺は気づかないふりをする。

「ねぇ、明日死んでもらおうかしら」

 本を読んでいる俺の横で、吐息で軽くリズムを刻む彼女。俺も合わせて軽く指でリズムをとった。彼女の吐息と俺の吐息が歌を通して、体以上の二人の精神のようなものが重なり合っていく。それを意識してやっていると妙に卑猥なことをやっている気分になってしまう。

「死んでくれないかしら……」

 どうもこれは鼻歌じゃないらしい。本を持つ俺の手がじっとり湿った。

「洋人はさ、死んで欲しい人とかいる?」

「取り立てて」

 本を読む顔を上げずに答えた。

「善人」

 軽く歯を剥き出しにして嫌味ったらしく笑う彼女が視界の隅に入る。間違いなく褒められてはいないな。

「私、初めては十二歳のときでね、相手は自分の父親だったの……」

 加代子が何の前振りもなく俺にそう打ち明けたせいで、いやそもそもこういうトピックに前振りなんて存在するのだろうか、俺はその瞬間、その短い言葉で事の重大さを理解し、体を中世の拷問器具に入れられた囚人みたいに、びっちりと身動きが取れなくなってしまった。しかし、そんな俺にお構いなしといわんばかりに加代子は話を続ける。

「寝てるときにね、何かが自分の体をまさぐってる感じがしたんだ。……何だろうって目をあけるとさ、暗闇の中にぼんやりと浮かんだあの人の顔があったの。今までに見たことの無い顔でさ。そんな状況なのに、あのときの私ったら『この人こんな顔するんだ』って変に冷静だったんだよね」

 遮るべきだろうか、しかしそうしたくても俺の視界は本から離れてくれなかった。

「夢だと思ってた、夢だと信じてた。だからひたすらじっと耐えたの。悪い夢と同じで、待っていれば覚めて消えてしまうものだと。ひどく生々しいあの人の肌の感覚も、近くで感じる吐息も。……あの痛みもね」

 俺はどこにも力を入れることも出来ず、かといって力を抜くことも出来ず、ただ本を読みながら、話し続ける彼女の横で唯一稼働が許される顎を食いしばっていた。

「可笑しくってね。夢だと思いたいもんだから、私、次の日は何事も無かったみたいに過ごそうとしたの。そうしていれば本当に夢になるんじゃないかなって……」

 加代子は躊躇しながらだが、妙にハキハキと俺に話す。

「ねぇ、どんな気分だと思う?私は神様に犯されたんだよ?クラスの他の子達は、少女マンガ読んで、自分が彼氏作ったときの妄想してるってのに、保健体育では正しい性行為なんて教えてるのに。……大人になったとかじゃなくて、私は世界から放り出されちゃったわけ。……私ね、その頃までクラスの女子の中では一番背が高かったんだ。でもね、あの時から私の成長は止まったの。成長期が終わったとか、そんな理科チックなもんじゃなくて、色々と自分が成長しようとしているのを拒否してるのが分かるの」

 まだ続くのかと、暫く加代子の言葉を待ったが、彼女はそれ以上は何も言わない。出し切ったのだろうか。

「……どうしてそれを俺に?」

 内心かなり恐怖しながら、彼女に問いかけた。

「あなたなら、少しは受け止めてくれるんじゃないかと思ってさ……」

 ようやく俺は彼女の方に首を向けたが、露骨に「?」という表情は見せてしまった。

「あなたもどこかで止まってるじゃない?だから」

 止まっている。何がどこでどう止まっている?そんな質問を飛ばすまでも無く、彼女は自分の一番脆いところを見透かしている、いや知覚しているのだということを理解できた。自分では見ようとしたくなかった恥部のようなもの、それを彼女を通して改めて知った時、俺は何かを隠そうと体を少し竦めてしまった。

「子供っぽいってこと?」

 自分でも「これは違うだろう」というようなことを言ってしまった。それもまた見透かされたのだろう。彼女は急に諭すような微笑を浮かべて囁いた。

「成長を止めてるってこと」

 そして少し思案して、真剣な顔で「それとね、こうやってあなたに打ち付けときたかったの、杭とかね。」と、目で俺を射すくめた。

「杭って?」

 正直、言葉では捉えられていなかったが、感覚では十二分に分かっていた。俺の急所は彼女に何かを突き立てられている。

「そうしないと、貴方どこかへ消えるでしょ?私からとかじゃなくて、もっと大事なところから」


***

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