第6話

 翌日の朝五時、クラウ・ソラは枕元に置いた携帯電話のアラームで目を覚ました。昨日はトラブルが発生したが、この時間ならいつもスムーズに飛行車通勤ができる。


 そして起床を引き金に始まる通勤プロセスは、顔を洗う、歯を磨く、化粧水、乳液を付けると続き、そのほぼスッピンの状態で愛車のミニバンに乗り込んだ。


 賃貸している西区港近くの1Kマンションから自社ビルまで、約三十分。三稜鏡の勤務開始が七時(仲間内で決めたルール)なので、一時間ほど残して到着する――その空いた時間を活用し、最寄りにある自動人形ドール・カフェに立ち寄った。


「ご注文はお決まりでしょうか。お嬢様」


「トーストとゆで卵を。ヨーグルトを付けて。あとドリンクはブレンドね」


 クラウは、店員の様子を眺めながら定番メニューを注文した。店内に一人しかいない自動人形の店員は、抑揚のない声で一礼する。「かしこまりました」頬の人工筋肉は動かず、にこりともしない。しかし、その店員らしからぬ愛想のない行為のどこにも反抗的な態度は見当たらない。ただ無感情に、何も思わずに行動している。それは明らかにあらかじめプログラムされた接客定型動作ルーチンを繰り返しているだけのものだ。


 でもこれが通常の自動人形よね、とクラウは考えた。昨日の子は、準適格者でもないのに会話をしていると感情の浮き沈みが感じられたけど――


 店員が店の後ろにさがると同時に、ドアベルがちりんと鳴った。


「邪魔するぜ」


「ススム。君がドアを開閉した際にベルが鳴り、誰かがきたことは伝わっているはずだから、それは言う必要のなかった言葉と断言する」


 入ってきたのは、身長一八〇センチほどの軍服を着た大男と、それとは対照的に男の胸辺りまでしか背がない、ガスマスクを着けたおかしな子供だった。


「うっせえシン。ぶっ殺すぞ」


「それも言う必要がないね、ススム。君とぼくは同じグループに属しているランカーだよ。争うことに何一つメリットが存在しないんだ」


 男は顔を歪めて舌打ちし、「お前をのせば、俺の気は晴れるがな」


「なら徹底的にやり合うとしようか。構わないよ」


「言ったな。表出ろ――」


 そんな空気を悪くする言い争いを横目に、クラウは注文の品をトレイに乗せて戻ってきた店員へ「ありがとう」と言った。その声で、二人組がぴくりと反応する。


「なんだ客がいたのか」


「この時間帯にかい? 朝一に不適格者が淹れた珈琲を飲むだなんて、趣味が悪いとしか言いようがないね」


 その物言いに眉が引きつるクラウだが、黙々と食事に専念する。


「少しうるさくするかもしれん。勘弁してくれ」


 低く唸る男が、クラウのいるテーブル席を通り過ぎていく。その先には新たな客に対応しようとする店員の姿があった。「いらっしゃいませ、ご主人様――」


「おうシン、こいつがそうか。例の回収し損なったあれと同系列の……」


 男の背後にいる子供――声の感じでは、声変わりする前の男の子に思える――は、

「そうだね。機械らしさのある頭部パーツに真っ赤な目。それはシエラカンパニーが特許を取得しているMakeシリーズの特徴だ。あと気になるのは型番だけど」


「回収してから調べりゃいい」


「確かに。そこの君、ちょっと署まで同行願えるかな?」


 しかし問いかけられた店員は、言葉を返さなかった。


「それこそ意味がない発言だ」男が腹を抱えて嗤った。「こいつは店員をやれと指示を受けているだろうからな。それを何とかして破棄させんと、不正使用からの保護セキュリティロックが働いて俺らの話など聞きはせんよ。店員であり続ける。面倒なことこの上ないが、力づくしかない」指の骨を鳴らす音が響いた。


 不適格者は、政府により「感情及び機能の制限」「人間社会への従事」を義務付けられている。それは適性至上主義が根付いた何百年もの昔から、適性がない分際で人のように生きる権利など持つなという、人間のあくまで恣意的な判断によって行われてきた――人工知能の場合、そもそもDOORSに目覚める確率が低いのもあり、そのほとんどが不適格になってしまう。そして人工知能は人が利用する道具の一つとして、すべての尊厳と権利を剥奪され、被支配者であることを強要されているのだ。


「ご主人様。ご注文が決まりましたら、またお呼びくださいませ」

 再び奥に戻ろうとする店員の肩を、「待て鉄グズ」太い右手が掴もうとして――


「ねえ」とクラウは男を制止する。早々にトースト二枚とヨーグルトを平らげた口へ珈琲を含み、「他所でやってくれない? 珈琲が不味くなる」


「あ?」


 行動を中断した手がテーブルを叩きつけた。「なんだ手前てめぇ


「ちょっとススム。誰彼構わずそういうのは」マスクで篭った声が近づいてくる。


「――食事中ごめんなさい。ぼくらは〈世界警察〉の上位ランカーでね、極秘任務の途中なの。だから詳しくは教えられないけど、を回収しなきゃならない」


「あれ」また一瞬ピクリとした眉は、口の中に広がる幸福感でかろうじて柔らかさを保っていた。「昨日の件か。暴走したのと同系列なら同じようになる可能性がある」


 二人組は顔を見合わせた。子供の方が慌てた様子で、「お姉さんが何者かは知らないけど、首を突っ込まない方がいい。ぼくらは特別スペシャルなんだ。流石に知らないわけがないよね。ランカーは国が保有する世界保障警察機関(世界警察)において、適性を持つ者の中でも特に秀でた能力者一万人のことを言うよね。それにも優劣があるんだ。順位化した内上位三千人を上位ランカーと呼ぶ――そう、ぼくらさ。そして、上位ランカーであるぼくらは、包括的安全保障システムの管理者として、国から特権階級の地位が与えられている…………だから、ええと、つまり何が言いたいかというと……」


 クラウは一気に飲み干したカップを置く。「わざわざ親切に説明してくれてありがとう。でもそんな脅さなくたって、邪魔者はすぐに消えるわ」


 立ち上がってレジに向かおうとする途中、大きな音が聞こえてきた。

 金属が擦れる雑音ノイズ。クラウはそれを消したいと感じ、舌打ち混じりに携帯電話を手に取った。クラウにはこういう時頼りになる仲間がいる。彼女にテレビ電話をかけた。


 三コールめで液晶に欠伸を噛み殺す糸目と、彼女の背面を埋め尽くしている機械群が映る。ルーター、NAS、ハブ、無数の配線――他にも社の備品とはいえ随分と大袈裟な設備をラックに積み込んだサーバーシステムが何台も並んでいる。それらに囲まれた中で、ガタガタとキーボードを鳴らしているのが三稜鏡メンバーの一人、アカネ・カルティアである。「アカネ」クラウが名前を呼ぶと、キーボードを叩く動作は止まった。


「……で、この音なんや。


 クラウは唇を噛む。苛々する時によくやる癖だった。


 携帯電話を後ろに向ける。「あれを止めて」


「……見た感じ命令の上書きができへんのか、メーカーに問い合わせるのが面倒なだけなんかは分からんけど――とりあえずボコって署に連行って感じやな……それがどうした。おい待て待て…………お、お前まさか…………いつもの世話焼きちゃうやろな」


「いいからさ。元電子技術者の貴女になら簡単でしょ」


「確かに人工知能のロック解除ツールぐらい持っとるよ。せやけど今は使用権限がないさかい、許可もなく使うのは違法行為に…………って、しゃあないやっちゃな。三稜鏡はクラウの在り方を尊重する――お前の持っとるIASを介して――ほら」


 数秒後、店の奥から二人組の困惑する声が聞こえてきた。「おいシンっ、こいつ急に大人しくなりやがった」「いやおかしい。外部からロックが解除された跡がある……」


「ほら、バレへんうちに逃げや」とアカネが言った。


「うん」


 ちらりと見えた自動人形の店員は、右腕があらぬ方向にひしゃげていた。もうまともに接客ができる状態ではない。


 唇の痛みが増していた。ざわつく心にクラウは疑問をぶつける。お前は何がしたい。不適格者を不憫だとでも思ったか。しかし助けるわけにはいかず、見て見ぬふりをするのも癪だからと、二人組の行為を止めたのか。そうしたところで誰にもメリットは生じず、そもそも望まれてもいないのに。それは自己満足というのではないのか……?


 クラウは早足になり、誰もいないレジに注文分のお金を置いて店を出た。

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