第3話

 閉じた箱のような世界がある。上下左右を、四角い壁に支配された閉鎖空間だ。全長三・六メートル、幅二・三メートルのスチールでできた凸凹の壁面から一般的な資材倉庫を想像する。だが本来の用途が物置きだとしても、何かが逃げないため閉じ込めるのに最適な場所で、実際中には檻が設けてあり、その内側にMは入れられていた。


 檻は鉄製の球体型。転がらないよう専用のスタンドで床に固定してある。檻の中央には腰掛けがあり、これはご丁寧に手足を縛る拘束具付きだ。


 そんな物々しい場所で、Mは拘束され身動きができない状態にある。しかも脱走した際の印付けとして虜囚服まで着せられていた。外にはそれは大袈裟だろうと言いたくなる監視係もいるらしく、時折大きな何かが地面を踏み鳴らす音が響いている。


 だが、その地響きに気を取られることはない。否、なくなった。今は別にMの意識を引きつけて離さないものがある。少し前まで、ここはM一人の孤独な世界でしかなかったのに、今は侵入者がいるのだ。閉じた箱の一面を開き光を纏って現れたのは、適格者特有の色素の薄い髪に、女性らしい艶やかな曲線を持つ人間だった。


 彼女は三つの問いをMに投げかけてきた。被創造物であるMは、それに答えないわけにはいかない。だから言葉を返そうと思考を巡らせる。


 質問一【暴走した不適格者か否か】……十中八九今回の件だ。YESと答えたが、彼女はその声がちいさくて聞こえなかったようで、ふうと嘆息をもらした。


 質問二【暴れた理由は】昨日の晩、確かにMは大阪国際スポーツホールと呼ばれる多目的アリーナにて、とある事件を起こした。が――どう答えればいいのか。

 Mは謎の力に目覚め、自分こそがイベントの主人公だと言わんばかりに力をふるった。暴走、まさしくその通り。しかしその事象はデータに存在しない事柄ばかりで、Mはうまく言葉にできなかった。ゆえに、彼女には分からないと言っておく。


 彼女は問いを中断して大きな独り言を響かせる。「適格者」「試合」「怪我」聞こえてくるそれらキーワードから、「Mが胸に穴を空けたあの少年は死んでいない」という解答が得られた。そして驚いたMは、彼女に確認をとった後、質問二への曖昧な答えを撤回する意味でも、急に胸にこみあげてきた漠然たる本心を吐露する。


 やや長い沈黙があって、質問が再開された。


 質問三【君の名前】


――言う前に、彼女は「クラウ・ソラ」と名乗っていたのだが、そのことがMを困惑させた。適格性のないMに――まずは自分から、だなんて――文明人としての筋を通す意味はない。お前は誰だ、だけでいい。なのに彼女は自己紹介を始めた。それはMの理解の外にある行為だ。彼女は知らない人間だ。Mにとっての人間は、Mに名を求めない。Mに興味を示さない。Mは不適格者、人間未満のクズだというのに。


「――あ、そうか。不適格者だから個体名称を貰ってないのね。ごめん悪気はないの。ただ君を見てるとその、適格性があるように感じてしまって。つい」


「私は不適格者だから、謝る必要は」


 彼女は首を横に振った。「ごめんなさい」と頭を下げ、「でも本当に不適格者だなんて思えない。準格……準適格者になら、今からでもなれるんじゃないかな」


 人間がAIに謝罪するなんて。普通そんなことはあり得ない。上位者である人間は不適格者を馬鹿にしている。人間は不適格者を認めない。人間は。


「準適格者……」


「AIでも適格性が認められる例はあるの。勿論それはDOORSに目覚めているのが前提になるけど、認定試験を受けて合格すれば、適格性有りと認められる」


 知っている。Mは脳内データベースを参照し、「新地球歴五〇一年初頭に実施された制度で、その主な概要は、当年AIの偶発的なDOORS化が増加傾向にある現象を考慮し、核を保持するAIに人認定試験を受ける権利を与え、それに合格した者を制限付きの準適格者とするというもの」だがそれは、「私には関係がないこと」


「どうして? 折角力に目覚めたのに……失礼」彼女は格子に近寄って、手を差し入れた。Mの胸元を隠す着衣を人差し指で少し下ろし、覗き込んでくる。


 強い緑色を帯びた翠玉がそこに。


「こんなもの」首を振る。「私は人に危害を与えた。廃棄処分が妥当」


「――危害。危害ねえ。今回の件、君は会社の命令で無理やりイベントに出場させられているはず。何らかの要因が君をDOORSに目覚めさせたとして、君が素養のある人材だと把握してなかった会社側に責任がある。試合相手は生きているし、それに死んでいたって問題は。DOORS同士の戦いは、常に生死問わずの殺し合いだもの」


「貴女は、私を悪く言わないの?」素直な疑問をぶつけた。


「いいえ違う。君も悪い」ふっと一息。「私は現場にいない身だから詳しくは分からないけど、少なくとも君は目覚めた時点で人間に害を為す可能性のある存在、となってしまった。警備員に抵抗したって話も聞いたわ。その上街中に逃げたんでしょ。警察が取り押さえるのは道理ね。だって危険は放置しておけないじゃない」


 有無を言わせない正論だった。「そう、だから廃棄されるべき」


「待って。私は、君が『まだ人に害を為していない』と言ったのよ。然るべき場所で審査を受けた後、廃棄なら廃棄、不適格ならこれからもまた不適格者として、適性があれば準適格者になればいい。私はなれる可能性があるって、そう言いたかっただけなの。なぜそうも自虐的なの。警察の何人かを殺しでもした?」


「いえ。思わず逃げてしまい、やってしまったな、と後悔していたところに警察が。ああ自分は廃棄されるのか、仕方ないなと受け容れていたので、殺すも何も……」


「なら情状酌量の余地はある。後は君次第なんじゃないかな――て、自分でも知らない場所に君を送り届けようとしてる私には、言えた台詞じゃないわね」


「それが貴女がここに来た理由?」


「誰かからお金を貰ってね。それが君を作った会社なのか、はたまた君を愛玩動物のように愛でる趣味の持ち主かも私は知らない。偉そうに色々言って、それかよと」


「気にしてない」本心である。彼女には、むしろ好意的な印象を持っている。


「そ。また来るわ。迎えにね」


 翻った彼女が、入り口の逆光を浴びて輪郭だけの姿となる。それを見てMは不思議な名残惜しさを感じ、また会えるのが確定したことを嬉しいと思うのだった。


     ◇


 クラウ・ソラは、川岸から遠目に見えた緑につられ、街の北端にやってきていた。周りに広がる都市公園は、普段なら早朝でもジョギングや犬の散歩をしている人々を見かけるのに、今は街を制する警察の圧力のせいで人の気配がない。


 木漏れ日が落ちるベンチに座り一息ついていた時、突然携帯電話が鳴った。来る途中自販機で購入した缶珈琲に一度口を付け、電話に出る。「はいはい」


「どうかな。仕事は順調か」アルスだ。


 クラウがOBPに到着してから今に至る経緯を伝えると、


「――人型がいるだと」彼は唸るように言った。搭乗するタイプのIASが配備されているのは想定外の状況らしく、苛立ちがこもった声だ。「何機だ」


 缶珈琲を持つ左手を胸の高さに保ちつつ、クラウは目を閉じる。橋の外から見えた機影は――「少なくとも、見える範囲では四。あ、見張り番がいるから五か」


「自動人形一体にそれは異常だろ」


 クラウは肯定する。


「だよねえ」珈琲をすすり、「しかも、その人型のうち見張りはたったの一機。つまり対象以外に何かしら警戒しているってことよ」


「敵襲を想定しているか。ならば個人又は複数の敵がいるとして、OBPを襲う目的とは……タイミング的にみても、M・k+が餌の役割になっている可能性が高い……」


 えむ・けーぷらす。聞きなれない単語だった。「えむ――何それは」


「例の自動人形の商品名」


「えむ、えむ……えむじゅう……と……えむと……えむけー、とー……」


 馬鹿にしたような、大きなため息が耳にきた。「あ、うん。あの子名前がないみたいだったし。あだ名みたいなの考えてあげようかなって」


「ほお。随分と気に入ったらしい」とアルスが言った。その声は晴れやかな好奇心が混じっていたが、すぐに冷める。「だが、今回の依頼は一時中断しよう」


「え。急だなあ」


「いや実はこの件、暴走したMake+メイク・プラス、略称をM・k+……頭文字の『M』で商標登録された自動人形だ。これを、秘密裏に回収することだったんだが」


「はあ」


「警察の動きに問題がある。君の話の通りなら、わざと目立ち……まるで、対象を囮に何かを誘き出そうとしているかのような……現場では何と言われた?」


「まだ待てって言われたけど」頭に、橋の先で会った中年警官が浮かぶ。


「末端まで、うまく情報共有できてないのかもしれん。もしくはすでに襲撃者が近くにいて、出方を待っているか。機動兵器を複数用意する辺り、危険度が高い相手だ」


「……」


「この話すぐに先方に確認をとるから、君は引き上げろ。相手の正体が分からんのはリスクが高すぎる。それにしても、まだ回収を済ませていなくて助かった」


 クラウは返事をしなかった。それはアルスを無視しているわけでも、珈琲が気管に詰まったわけでもなく――「もう遅いかな。やばいのがいる」立ち上がる。


 いつの間にか、正面のクスノキが茂る小路に黒い人のシルエットが立っていた。顔を黒衣のフードで覆っており表情が見えず、いかにも怪しい感じだ。


 それは音もなく消えた。疑問の言葉を聞く前にクラウは携帯電話を切り、腰に直す。


 体を半歩横にずらした直後、鼻先で土埃を含む突風が巻き起こった。

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