第2話

 物理法則を無視したDOORSを直感的に調節しながら、クラウは硬いコンクリートの地面に緩やかな速度で接地した。ほどなく役目を終えたボードが消滅する。


 その時タイミングよく腰ポケットが震え、クラウは振動の元を抜いた。アルスからの仕事のメールだった。開くと自動的にソフトが起動して、暗号文字が日本語に変換されていく。OBPにて対象を回収し――それだけ読んでメールを閉じた。現在地はOBP手前の中央区端、川を挟んだ向こう側が目的地になる。


 現在、その空では数十もの航空機が往来してビームの進入禁止網を張り、地上には人型兵器が多数と物騒な雰囲気だ。縄張りを主張する機影に、クラウはアポイントがあるんだと物怖じせず、視線を落としてふらふら寝屋川にかかる橋を渡り始めた。


 お気に入りの赤いジャケットのジッパーを開き、下に着る無地のシャツを晒す格好で、俯き加減に携帯電話を弄りながら歩く。この普段外を歩く際のスタイルをクラウはだらしないと自覚しているが、周りの目を気にしない性格なので開き直っている。


 橋を越えた歩道の一歩手前まできた時、男の足が見えた。


 視線をやると大柄の中年と目が合う。青髭を生やした口が、もっそりと動いた。

「なあ――」六フィートもの高身長かつ筋肉質な体にジャンパーを羽織り、左耳にカールコードイヤホンを着けた、いかにも現場の警察職員といった風格の男だった。


「人型IASまで用意するだなんて、過剰だと思わないか?」


「ええと……」突然話しかけられたクラウは少し戸惑いがちに、「確かに。私は携帯を持ってますけど、この『image amplifier system(イメージ・アンプリファイア・システム)』を人が乗れる大きさにした機動兵器だなんて、久々に見ました」


「……名のある資格保有者が乗れば師団規模の戦力に相当する代物だ。そんな大層な物を持ちだして、戦争でもする気なのかと上の頭を疑ってしまうよ俺は」


「例の自動人形っていうのは、それほどの相手だったんじゃないんですか?」


「ふむ――その口ぶり、テロリストではないらしい」


 クラウは両手をあげて苦笑いした。


「私、仕事でその自動人形を引き取りに来たんです」


 男は何か思い当たる節があるらしく、考え込む。「今日は、三稜鏡とかいうとこの女の資格保有者が来る予定にはなっている」


「それですそれ。私」


 クラウは手をおろして携帯電話を操作し、免許情報を提示した。


「確認した――早いな。というか早すぎだろう。まだ八時前だぞ」男は呆れ顔だ。


「あ……駄目でした?」


「いや別に。だが、受け渡しは待ってくれ。すでに対象は捕縛しているんだが、本部の連絡待ちでな。それが終わってからになる」


「ええと、なら……申し訳ないんですけど、その自動人形に会ってみてもいいですか? 暴れた時の処置とかも少しは想定しておきたいんで」


「なるほど。そういう系統の能力者なわけだ」


「ええまあ」


「ふむ」男はクラウの全身に値踏みの視線を向けてくる。


 この態度に対して、クラウは若干の苛立ちを覚えた。


「いいだろう。川沿いに北へ回れ。お守り付きの輸送コンテナが見えてくるはずだ」最後に男はこう付け加えた。「どうせ女じゃ大した事もできんだろうしな」と。


「――では行かせてもらいますね。そうだ」


 クラウは静かに微笑み、男を見据えた。「もう少し気を引き締めた方がいいよ。女だからって舐めすぎ」喋りが地になり、口角は冷たく歪んだ。


「何が言いたい」


「いえ何でもないです。本当に、失言でした。ごめんなさい」


 言葉ではそう言いつつ、クラウは細い人差し指を巡らせた。向かいのビルの屋上、同ビルの五階、二階の窓、歩道先にある飲食店のカウンターの四ヶ所を指す。そこに鋭い殺気があった。即席で配置された狙撃手がいる場所だ。男は驚きと奥の手を見抜かれた悔しさで眉をしかめ、睨み顔になる。もはやさきほどの余裕は微塵もなく、


 その向けられた敵意のある視線に、クラウは穏やかな無視で返した――


 寝屋川に沿って街の外周を歩いていくと、確かに男の言った通り川岸の砂利道の上にコンテナがぽつんと置かれていた。隣には人型のIAS一機が待機している。


 歩みを進めるこちらに人型の目が向いた。クラウは軽く会釈して、


「お勤めご苦労様です」


『連絡は受けている』と金属混じりの声。


 その横を通り過ぎ、クラウはそばでコンテナを確認する。サイズが十二フィートと一般的なコンテナ前面には電動式のシャッターがついていた。それには開けるボタンらしき物は見当たらないが、クラウが目の前に立って数秒待つと自動的に開き始める。


「それではご対面、と」


     ◇


 中に入ったクラウを、堅牢なボール型の鉄格子が出迎えた。二メートル近い檻の中心に座椅子があり、対象が座っている。丁度その体の前半分までしか外の明かりは届いていないが、手が背に回っていることから錠で拘束されているのは明らかだった。


 ロボットモデルの頭部をしていたので自動人形だとすぐに分かる。薄暗い場所で二つの赤い目が点灯し、クラウに向いた。


「あなたが暴走したっていう不適格者ね」反応がなかった。


 クラウは問いかけを続ける。「どうして暴れたりしたの?」


「――ん」今度は、少し反応が。


「え、何?」


「……分か、らない…………」


「分からないじゃ済まないの。君のせいで凄い渋滞になってんだから……てのは置いといて、適格者に怪我させちゃ――いや、試合なら怪我くらいするわね」


「怪我……もしかして……私の対戦相手だった少年は、まだ生きて……」


「ええそのはずよ」


 瞬間、赤い光が揺らいだようにクラウには見えた。なるほど。この機械は特別スペシャルだ。会話のレスポンスがうまく噛み合う。それに一度頭で咀嚼するという芸当をしてのけた。流石にAIなら恣意的に抜き取られている筈の「理性」があると分かる。


 それから紡がれた言葉は、驚いたことに懺悔だった。


「よかった。あの時は力に目覚めたばかりで、私はうまくそれを制御できず、自動人形にあるまじき行為を……機械は、人の暮らしを豊かにしなければ。それこそ適格性を待たない私たちが、この世に存在することを許された理由。人に生み出された存在が、人に仇なすなどあってはならない……生きているなら、よかった。本当に」


「あなた――」


 ここに来るまでのクラウは、今目の前にいる対象を極めて危険度の高い、暴走したAIだと思い込んでいた。それに人に被害を与えた犯罪者だろうとも。しかし対象を直に見て、声を聞いて、認識が変わりつつあった。もはや職業的思考で粗雑に扱うのが間違いだとさえ考えている。なぜなら見た目以外、人となんら変わりないのだ。


「面白い、まるで人間だわ。あなた名前は? 私はクラウ、クラウ・ソラ――」


 クラウは、彼(彼女かもしれない)に興味がわいた。もっと話してみたい。そして人となりを知りたくなった。だからまずは、自己紹介から始めよう。

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