第一章 扉を開く者

第1話

 早朝の透明な空に列がある。


 多くの会社員が職場を目指して郊外から押し寄せ、渋滞になっているのだ。


 それは〈大阪〉のオフィス街では見慣れた光景だが、まだ六時の通勤ラッシュ前にかかわらず、飛行車スカイカーが蟻のように群を成すのは異常という他なかった。


「――この先、渋滞は約三キロ続いております」


 そのカーナビの声を無視して、クラウ・ソラは車窓を開けた。身を乗りだして覗く列は果てしなく長く、その上進む様子も見られない。「偉そうに。まず渋滞予測できてないだろ、ポンコツ」エアコン吹きだし口上にある端末を、中指でコツンと叩いた。


 すでに車は一定速度以下の半自動操縦に切り替わっており、手持ち無沙汰なクラウは何の気なしに開けた窓硝子へもたれかかった。


「この時間に渋滞とかあり得ないでしょう」


 ぼやいてみて、やはりその通りだと再認識する。


 なびく白銀髪プラチナブロンドを梳きながら、クラウは助手席に手を伸ばした。座席の上に置いてある携帯電話を手繰り寄せ交通情報を調べるが、通行止めとしか書かれていない。クラウは独自に持つSNSの情報網にも目を通していく。ざっと見た内容は――


 某イベントホールで人工生命体の暴走/資格保有者が全治3ヶ月の重体/現在容疑者逃亡中 世界警察による、OBP(大阪ビジネスパーク)周辺の交通封鎖


「進まない原因はこれか」


 クラウは舌打ちした。予想以上にことが大きい。封鎖となるといつ進めるかも分からない。自分が被害を被っていなければ、世間話のネタになったかもしれないが。


 そのまま時間だけが過ぎていく。小一時間後、未だ混雑は解消されずクラウの思考が沼に落ちかけていた時、携帯電話に見知った名前が浮かび上がった。


 通話ボタンをタップして、「もしもし」


「おはよう、機嫌悪そうだなクラウ」


「おはよーアルス。うんちょっと、車が渋滞しててさ」


「だろうねえ。御愁傷様」わけ知りぶった言い方にクラウは眉を潜めた。


 彼――アルサス=サスペリアル(呼び難いのでアルスと略している)は、クラウの特殊学校時代の友人だ。卒業後は個人で紹介屋を営んでいる。といっても正規の手順ではなく自称しているだけらしいが、クラウにしてみればメシの種を与えてくれるありがたい人物で、向こうも顧客から金を得ている似たような環境なため、相互関係にある人物と言える――に対し、クラウは「何か知ってるの?」と短く聞いた。


「まあ、丁度その原因になった物についての依頼がきていて、君のとこに話を回そうと電話したところだ」


 クラウの勤める〈三稜鏡〉は資格保有者の人材レンタル・ビジネスを行っていた。

 通常は時間単位で雇われる仕事であるものの、三稜鏡は社員数名の弱小会社で、本業だけでは食べていけず、こうして紹介を受け生活費稼ぎに勤しむ必要がある。


「聞かせて」

 素っ気なく言いつつも、クラウの頭は仕事に切り替わった。


「クラウ、事件について何か情報は仕入れてるか?」


「噂になってるよ」携帯電話をネット画面に戻す。「暴走した自動人形が街に潜伏してるとか何とか」


「正確には昨日の午後八時頃、人工生命体を相手にした非公式なデモ戦があってな。その試合の最中、対戦相手の自動人形が突如暴走。資格保有者を圧倒したそうだ。でその後、現場にいた警備員による取り押さえもうまくいかず、街中に逃亡という流れだ」


「とんでもないわね。その自動人形を倒せって?」


「残念ながら違う。ついさっき警察は上位ランカーを向かわせたそうだから、すぐに事態は収まる。封鎖が解けるのも時間の問題だろう」


「で?」と先を急かす。


「警察が捕獲した自動人形を回収後、ある人物のところまで届けて欲しいんだ」


「私は運送屋か」ハンドルを数回叩いて抗議すると、笑いが返ってきた。


「報酬は弾むよ。ゼロが六つほどで」


「…………」


 沈黙の理由は、あまりに報酬が高額だったからだ。「怪しいわね」


「ああ、色々と隠してる」アルスは悪びれもせず言った。「だけどそれを言う理由はない。クラウが知ったところでって話なのだけど。他に、何か質問は」


「何も。あとその依頼、受ける」


「なら封鎖が解け次第現場に向かって欲しい。向かう場所と、届け先を明記したメールを暗号化して送るんで、いつものソフトで解凍してくれ」


 即座にクラウは、「いや今から向かうわ。そっちのが早いし」と言った。


「どうぞお好きに。向こうさんには、早めに着くと連絡しておくよ」


 という返しを待って、「それじゃあ」と通話を切る。


 クラウは車窓を閉め、車の運転を半オートからフルオートに変更した。目的地を中央区のプリズムタワービル(この三階に自社のオフィスがある)に設定する。


 そしてゆったりと右のドアを解放した。強い風が吹き、髪が崩れる。


「ん?」


「――」向かいの飛行車に乗る老夫婦が目を剥いていた。運転手の老人は慌てて助手席にがなり立て、そちら側に座っている奥さんが窓を開けて手を伸ばしてくる。


 恐らくクラウが落ちると思ったのだろう。「お構いなく、私資格持ちなんです!」クラウが言うと、老婆はおずおずと手を引っ込めた。資格の有無は重要だ。資格保有者なら、高度五〇〇フィート上空から転落しても無事だと思わせる安心感がある。


 老夫婦の予想した通り、クラウは地上に降りるところだ。その手段に適格者の力を用いる。クラウの適格者としての特性は、『想像を元に物体を復元・具現化する力』これを特殊な増幅器アンプリファイア――通信システム型が主流で、クラウの携帯電話もそうだ――を使って出力すれば、クラウによる、クラウだけのワンオフを創造することができる。


 だが、目的に適したアイテムの造形は極めて難しい。例えば、今クラウの目の前に現れた長さ七十八、幅十九センチメートルの平均的サイズのスケートボード。らしき光る物体でさえ、空中浮揚し、姿勢制御を可能とするまでに、約半年間は試行錯誤を繰り返している。そもそも当初の予定は推進ジェット式プランだった。しかし装置部分のハードルが高過ぎて、結局は技能で乗りこなすボードへと行き着いた。


 そんな経緯があり、クラウは落ちたら即死の空の上でも恐怖はなく、落ちる心配もせず、堂々とデッキの真ん中よりやや前に右足を乗せ、重心を保ちつつ乗り移った。


 風に煽られ、ほんの少しぐらつきながら、「――あ、そうだ」


 ふと職業的使命感に駆られたクラウは、携帯電話の近距離通信機能を使って電子名刺を老夫婦に送信した。送りつけた名刺には、『三稜鏡』・甲種資格保有者/クラウ・ソラの肩書きと、会社の住所、電話番号が書かれている。「何でも屋のようなものです。たった三人の小さなとこですけど、その分細かい要望に対応します。お掃除代行、人探しに護衛、何でも引き受けますので、気軽にご相談ください」送信済みになった画面を確認して、携帯電話を腰のポケットにねじ込み、車のドアを閉める。


 老夫婦があたふたした様子で手元を弄り始めた。機械に疎いのだろうか?


「ふふ、それでは」


 クラウは上半身を交互に振り、風に乗って街中へと降下した。

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