第4話
風を切って、それは再び現れた。出現地点は元いた小路の反対側。クラウが座っていたベンチの背後だ。怪しい人物がそこで悠々と黒マントをなびかせていた。
時間にしてコンマ二秒にも満たない刹那、さながら時速一〇〇〇キロを越える弾丸のごとく、常人の速度を逸した瞬間移動が行われた。それが示すのは能力者によるクラウ殺害目的の一撃だが、クラウもまた常人ではなく、避けるのは容易だった。
クラウは落ち着いた笑みを浮かべる。資格持ちの優れた能力、経験の多さがそうさせる。行き場をなくした攻撃がベンチを真っ二つに割っても表情は揺らがない。
「危ないじゃない」土煙から右手で顔を守りつつ、クラウは言った。「斬撃。小型のナイフかしら。それにしても、マントの下に刃が隠れている様子もないのは……」
黒マントの手元は着衣で巧妙に隠されていて、構えはおろか、どんな武器を持っているのかすら判断がつかない。長さ、本数は。勿論、無手の可能性だってある――
冷静に分析し始めたクラウに対して、黒マントがようやく声を発した。「なんだ貴様は。なぜそんなにも余裕でいられる」声は単調な男性型の機械音声だった。
「立場上、貴方みたいなDOORSの相手に慣れてるもの。というか、ああもうなんか凄い帰りたくなってきた。土が舞って体汚れるしさー」後半、完全に目が座っていた。
黒マントがフードを脱ぎ、「まさかここにきて、警察のランカーに出くわすとはな」下から赤く光るレーザーアイが二つと、人工皮膚のグレーの素顔が現れる。
すうと人外の腕が持ち上がった。右腕だ。そちらには何も持っていない。
「だがもう遅い。あれを見ろ」黒マントの指先が川の方を指し示す。コンテナがあった川岸で、黒煙が立ち昇っていた。煙の出どころは見張り役だった機動兵器だ。
「すでに同胞らの手により、新たな仲間の救出は済んでいる」と黒マントは言った。
「ごめん私、警察の関係者じゃないんだけど。ふむ」
今の発言には気になる点がある。「仲間って、自動人形のM子ちゃん?」
「ふざけた女だ――」
目線の位置にある黒マントの手が空を掴んだ。が、それは空振りではないようでしっかりと握りこむ形をしている。五本の指が力強く軋んでいた。
(何かしらの武器を持っているのは明白だ。不可視の武器とは、やり難い……)
「図星ね」クラウは、あくまでも口調を崩さずに言った。
「貴様、本当に警察の仲間ではないのか?」
「ええ」クラウは淡々と応え、それから五秒の間お互いに睨み合った。だが次の瞬きをした後、黒マントはまたどこかに消えてしまった。今度は殺気ごと、敷地の外へ。
「――て感じでさ」
クラウは一部始終をアルスに報告しつつ、缶珈琲を飲もうとして――やめた。
さきほどのやり取りの中で、細かい木片やら埃やらが空いた缶の口に入っている。仕方なく汚れた中身を公園内の水飲み場に捨て、缶は網目のゴミ箱に投げ入れた。
「災難だったわ。もう少しで、金にならない戦いをする羽目に」
「いや金ならだすさ。時間を買っているしな、三分の一でどうだ」とアルス。
「まじで!」思わずはしたない声が出た。
「これは前金だよ。こっちも紹介屋の沽券にかかわるので、そう簡単に受けた依頼を破棄することはできん。君には後日、対象を奪い返してもらいたい」
クラウは口笛を吹き、「勝手に動いても問題ない?」
「いや、連絡するまで待て。客先と話したりコネを使って、賊――もう現場にはいないだろうな。連中の目的と行動を見定めているから」
「連絡待ち了解。じゃあ引き上げるわ」
「ああ」
「ううむ。不適格者とは思えない、DOORSに目覚めたAIと、それを助けに来た同じく能力を持つAIに、警察の過剰対応……私には、何も教えてくれないわけ」
「当然。君は単なるバイトのようなものだから」
息をついてクラウは通話を切り、携帯電話を片手にのんびりと歩きだした。
◇
九時過ぎには街の封鎖は解けた。OBPを内包する中央区域から物騒な連中が姿を消し、空を飛行車が飛び交う。地上にも多くの人が現れ――「子供」を含め、そのほとんどは社会人だ。制服姿の者を見かけないので、学校施設は休校にでもなっているのかもしれない――皆一様に、時間の遅れを取り戻そうと躍起になっていた。
そんな中、クラウは他人事のように自社に向かう。外の皆さんは大変だな。私は、もうノルマ分をこなしたから。同様に職場を目指すものの、目的は別。クラウはオフィスに着いてすぐ玄関右手のシャワールームへ突入した。
全身洗料を使い、鼻歌混じりに体を洗う。そして髪、胸、腕、肩、腰、その下を順にお湯ですすぐと、まだ昼になっていない時間だというのに体は一旦リセットされた。一通りシャワーの後処理が終われば体の温度も下がり、自然と眠気が。クラウは下着だけの姿(普段寝る時はいつもこうだ)になって、シャワールームを後にする。
廊下に出た時、〈三稜鏡〉メンバーと鉢合わせになった。
「――っ! クラウさんなんて格好を」六歳年下の妹分ジュリア・サクラギが、綺麗な金髪のツインテールを揺らしてぷいと顔を背けた。わずかに赤面している気もする。
「別によくない? 女しかいない職場なんだしさあ」
「よよよよ、よくない、です……お、女同士だからって恥ずかしいと思うんです普通は。せ、せめて下だけでも着てくださいって。わたし……ええと……」
「ピュアか」そんな風に弄りがいのある反応をされたら、お姉さんとしてはついからかいたくなってしまう。朱に染まる頬に手を伸ばすと避けられた。「なんで避ける」ジュリアはクラウの動きを見切り体を半回転させ、リビング側に軽く飛ぶ。その際彼女の髪と、子供とは思えないほどの、はち切れんばかりの凶悪な胸が連動してはねていた。
「や……手をわきわきしないで。胸は駄目――だめっ、わたしは貴女より偉いんですよ。いやほんと……無理です無理ですから。あと服を着てってば。〝社長命令〟っ!」
「なら仕方ないか」
目上なのは確かだった。ジュリアは十六歳の学生の身分だが、このプリズムタワービルの経営者である
今の社長というのもたんなる見栄ではなく、彼女の両親がこのビルを貸し店舗に使っていて、一階がコンビニ、二階が本屋となっているが、残る三階は入居者がいない状態が続いたため、利用しないのも損だと娘に管理させている。家族といえどそこには金のやり取りも発生し、娘はオーナーである親に損をさせないよう責任を負う立場にある。
「馬鹿にして。……アカネさん、何か言ってやってくださいよ。このだらしない人に」
ジュリアは大股で勢いよく廊下を進み、アカネと書かれたネームプレートが掛かった扉の前に立つ。「んん、聞こえてますよね。メンテ担当アカネ・カルティア――」
「――るさい」
扉越しに、愛想のない声がぼそりと聞こえてきた。
「なんやまたうちらへの文句か? まだ学生で、それも仕事取ってくるわけでもなく、基本何もしてへんお前が、働いとる社員に言えることないやろ。いきんな」
「い、いえ文句というか……そこまで言いますか……」
ジュリアは言い返そうとはしない。アカネの言い方はきつく関西訛りが喧嘩腰にまで感じさせるが、言っていることは一理ある。そう思ったのだろう。
「ほんでお前、学校は」
「臨休です……まさか貴女、ずっと引きこもってパソコン弄ってばかりいたから、外の状況まったく知らないとか言いませんよね」
「ふん」アカネの反応はそれきりだった。
「なんでうちはこんな変なのばかり……クラウさんは、少し離れてください」
クラウは軽く謝罪してジュリアの警戒を解き、ともにリビングへ移動する。先に休憩ブースに着いたジュリアがソファベッドにもたれ、腰元のリモコンでテレビを点けた。
四十インチの液晶の下部に、『速報・OBP襲撃事件』というテロップが流れる。
「これ……」ジュリアが呟いた。テレビの中では、街中の監視カメラで撮られた映像を見ながら男性キャスターが謎の集団について語っている。数十分前、突如現れた黒づくめの彼らは、世界警察の人型機動兵器と交戦し破壊したのだと。その目的は。
「搭乗型のIASを生身で討ち倒すなんて、ただ者ではありません。全員フードを深くかぶっていて素顔を隠していますが、この方々は一体何者なのでしょう」
クラウは公園にいた黒いのを思い出した。けれど「さあねえ」と知らないふりをしてジュリアの隣にダイブする。仰向けになってソファに沈み、「……寝る」
「あ、テレビ消します」ジュリアが思いついたように言った。
「いいよそのままで」手を横に振ったクラウは、閉じた瞼の裏で例の回収対象のことを考える。
今頃どうしているのか。クラウが出くわした黒づくめの一人が、仲間の救出は済んでいると言っていた。その救出された仲間というのが対象を指しているのならば、間違いなく彼らと行動を共にしていると見ていい。
それにしても、自分はどうしてあの自動人形がこんなにも気にかかるのだろう。
答えのでない自問自答を続けているうちに、クラウは淡い眠りに落ちた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます