雪の降る星 on the snow planet

RAY

雪の降る星 on the snow planet


 白く煙る、夕暮れのマリンタワー。

 展望台から見えるのはグレイの空とモスグリーンの海。


 空と海に挟まれた高層ビルの群れ。

 またたく無数の灯りが描き出す海岸線。


 沖の方で浮かんでは消える、貨物船のサーチライト。

 水平線のかなたで溶け合う、鉛色グレイ苔緑色モスグリーン


 天気予報によれば、今夜の横浜はこの冬一番の冷え込みになるらしい。

 山下公園の人通りがまばらなのも、きっとそのせい。



 オレンジ色に染まる横浜が好き。

 仕事が終わって外に出ると、ちょうどそんな時間。


 少しずつ暮れてゆく街の景色は飽きることがない。

 待ち合わせ場所にマリンタワーを選んだのもそれが理由。


「地上からだけじゃなく、料金も高い待ち合わせ場所」


 キミがよく笑いながら使っていたフレーズ。

 でも、そこは高いお金を払うだけの価値がある場所。


 そこにはステキな景色があったから。

 そして、キミがいたから。



 時刻は午後六時を少し回ったところ。

 ガラスの向こうに白いものが舞うのが見える。

 

 天気予報で言っていたとおり。

 最初はパラパラだったのに見る見る間に視界を埋め尽くした。

 

 手を伸ばせば届きそうな、真っ白な雪の華。

 ただ、分厚いガラスの向こうにあるには触れることはできない。

 近くにあるのに届かないもの――「愛に似ている」と思った。


 横浜が大雪になるのは珍しい。

 今夜は宇宙そらのサービスデーなのかもしれない。


 初めてキミとここに来たときも雪が降っていた。

 しかも「二十年に一度の記録的な大雪」なんておまけ付き。


 初めてのデートが歴史に残るような大雪。

 確率的に宝くじの一等が当たったようなもの。


 デートが台無しになるかと思った。

 幸先の悪さに「この男性ひととは縁がなさそう」とも思った。

 

 でも、それは杞憂きゆうに終わる。

 平日の大雪の夜、マリンタワーに上る物好きは二人だけだったから。


 貸し切り状態の展望台。

 そこから見える景色は二人だけのもの。


 子供みたいにガラスに両手を付いて景色を眺めた。

 他愛もない会話が特別なものに思えた。


 あのとき見た景色と交わした言葉。

 その一つひとつは今も鮮明に憶えている。


 後から何度も思い出したから。

 昔撮ったビデオを繰り返し再生するみたいに。


「――雪の降る星で出会えて良かった」


 会話が途切れたとき、キミが口にした一言。

「なぜ?」と訊き返すと、キミは少し恥ずかしそうに視線を逸らす。


「雪のおかげで二人だけの横浜を見ることができたから。この景色を見ているのは僕たちだけだから」


 キミは少年のような無邪気な笑顔で言った。

「そうね」と言おうとしたけれど、言葉にならなかった。

 

 言葉の代わりに頬を伝った一粒の涙。

 想定外の出来事に慌てて顔を背けた。

 

★★


 今夜は、あの日と違って展望台にはたくさんの人がいる。

 同じぐらいの大雪なのに不思議な気がする。


 もしかしたら、あの日のことが都市伝説になっているのかもしれない。

「二人だけの横浜を見たカップルは幸せになれる」なんて。


「ごめん。遅くなって。雪で電車のダイヤが乱れていて」


 そうこうしているうちに噂のキミのご登場。

 しかも、三十分の大遅刻のおまけ付き。


 三年も付き合っていたら、罪悪感など抱いていないのかもしれない。

 ちょっぴりお灸を据えてみたくなった。


は住みにくい? スペースシャトルにでも乗って、雪の降らない星に移住したらどう?」


 そんな一言に、キミの顔から笑みが消える。

 それにとって代わるように、真剣な表情が浮かんだ。


「雪の降らない星に行くなんて考えられない。そんな星に行ったら僕は大切なものと出合えなかったから……二人だけが見た景色と僕だけが見た涙」


 驚いた顔をすると、キミは胸ポケットから小さな箱を取り出す。

 そして、それをそっと差し出した。


 箱の中身は白金プラチナのリング。


「雪が降らない星だったらこんな形でプロポーズすることもなかった。きっと」


 キミは、あのときと同じ少年のような無邪気な笑顔で、少しはにかんだように言った。

「そうね」と言おうとしたけれど、言葉にならなかった。

 

 言葉の代わりに頬を伝った一粒の涙。

 想定外の出来事だったけれど、今度は顔を背けなかった。



 ガラスの向こうを白いものが覆い尽くす。

 今頃、地上には雪が降り積もっているのだろう。

 それまで心に降り積もっていた、もどかしい想いのように。


 手を伸ばせば届きそうな、真っ白な雪の華。

 ただ、分厚いガラスの向こうにあるには触れることはできない。

 近くにあるのに届かないもの――「愛に似ている」と思った。


 ついさっきまでは。



 RAY

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