この世のほかの思ひ出に

筑前助広

この世のほかの思ひ出に

 僕は夢を見た。

 まだ、僕も妙子もまだ子どもで、故郷の姪浜を無邪気に駆け回っていた頃の夢だ。

 目が覚め、この現実に引き戻されると、僕は床の中でこう呟いた。


「あらざらむこの世のほかの思ひ出に」


 福岡県早良郡、姪浜。

 妙子が隣の家に引越して来たのは、昭和十年の今と同じ春の事だ。妙子は、九歳。僕は、十歳だった。


「妙子を宜しくね」


 挨拶に来た妙子のお母さんが、僕にそう言った。

 しかめっ面の妙子は、お母さんの陰に隠れ、僕をじっと見ていた。彼女は、お父さんが亡くなって以来、ショックであまり人と話したがらないらしい。

 引越しの理由も、お父さんを大陸で亡くしたから、お母さんの故郷である姪浜に戻って来たというもので、僕はその事を夕飯の時に母親から聞いた。


(僕と同じだな)


 僕も、父親を戦争で亡くし、東京から姪浜に流れてきたのだ。そうとは知らず、僕は妙子に対して


「何て愛想の無い子なんだ」


 と、思ってしまった。




 次の日から、僕は妙子と一緒だった。

 お母さんに言われたからか、妙子は僕の家の玄関先で待っていて、一緒に学校に行った。妙子は黙ったままで、僕の後ろをちょこちょこと付いて歩く。

 学校では、当然と言うのもおかしいが、同級生からは二人で居る事や、東京弁で話す事をからかわれた。

 姪浜は漁村であり、また近くに早良炭鉱があるからか、逞しい漁師や坑夫の子どもから見れば、東京弁は軟弱で気取った様に見えるらしい。しかも愛想が無い妙子には、僕以外には友達が出来ず、また女子と二人で登下校を一緒にすれば嫌でも目立った。

 でも、からかわれればからかわれるほど、僕は妙子に対して言い様の無い気持ちを抱いた。多分、好きとかそんなのではなくて、二人なら大丈夫とか、そんな気持ちだったと思う。

 妙子とは、色々と共通点が多い。家の近さ以上に、そうした境遇と精神的な近さが、僕達にはあったのだ。

 休みには、二人で本を読んだ。二人共、読書が好きだったのだ。

 僕が読んだ本を、妙子が読む。そして、感想を言い合う。その時は、普段しかめっ面の妙子も、笑顔になって饒舌に話した。

 読書の他に彼女が好きだったのは、愛宕山のケーブルカーだ。

 麓から山頂を結ぶロープウェイは、愛宕山が全国で二ヵ所目、九州で初めてのもので、参拝客や修学旅行の学生で賑わっていた。

 妙子は、車窓から見える早良郡の田園風景が、東京には無いもので好きだと言った。とかく高い所が苦手な僕には外を見る余裕は無かったが、妙子は目を輝かせて景色を見つめていた。




 妙子が、また引越す事が決まったのは、尋常小学校の卒業を間近に控えた頃だ。

 学校で一番成績の良かった妙子は、先生の薦めで久留米の女学校への進学が決まった。


「……私が行ったら寂しいかな」


 進学と引っ越しが決まったその日、小戸の砂浜に座り、今津と残島の間に沈んでいく夕陽を眺めていると、妙子が声を震わせて訊いた。

 僕が何と答えるか、怖かったのだろうか。僕は、その話題をする事自体が怖かった。

 僕は、彼女を見つめた。


「寂しくないよ。久留米ったって、福岡だからね。汽車ですぐさ」


 僕は強がりを言っている。その自覚は痛いほどあった。


「寂しくはないけど……ね」


 言葉に詰まり、僕は刺さる様な夕陽に眼を向けた。本当は寂しかったが、進学を反対する権利は無い。


「私は、寂しいよ」


 そう言って俯く妙子に、僕がしてあげられる事は何もなく、そして僕は妙子が大好きなのだと、初めて気付かされた。




 久留米に引越しても、僕達は疎遠にはならなかった。

 どんな本を読んだとか、久留米には室見川よりも大きな川があってそこで水遊びをしたとか、その日その月にした事や思った事を、書き綴って手紙で送った。

 一番忘れられない思い出は、十七歳の夏休みに、姪浜に帰省していた妙子と、愛宕山の鬼灯ほおづき祭りに行った事だ。

 女道と呼ばれる参道の入口で待っていた妙子は、白地に淡い桃色の花を描いた浴衣姿だった。

 僕は息を飲んだ。暫く見ないうちに、すっかり美人になっていたのだ。

 参道を登りきると、露店が多く賑わっていた。金魚すくい。射的。飴細工。初めて来た祭りではなかったが、見違える様になった妙子と、久し振りに過ごすこの夜をとても楽しいと思えた。

 神社で鬼灯を買うと、室見川の河川敷に座って、川面を凪ぐ夜風に当たった。


「将来、どうするの?」


 妙子が、唐突に聞いて来た。


「大人になったらよ。私は先生になろうと思っているの」

「へぇ、妙子ちゃんが先生に」

「意外かな」

「いや、似合うと思うよ」


 でも、「あの」しかめっ面の妙子が先生になると思うと、ほくそ笑んでしまう。


「子ども好きだし。あなたは?」

「えっ? 僕かい? そうさなぁ」


 正直、特に考えてなかった。勉強が好きなので大学には行きたかったが、その先の事なんて考えていない。


「こんなご時世だからね」


 と、僕は苦笑いをして話を有耶無耶にした。

 こんなご時世。

 日本は昨年の真珠湾攻撃を切っ掛けに、米国との戦争の真っ只中にあった。最近では空の軍神と呼ばれた加藤建夫少将が名誉の戦死を遂げたと新聞に載っていた。

 父親と同じ様に、これから多くの人が死ぬのだろう。だから、夢なんて持てない。夢を持って死んだら、余計に無念だからだ。

 そして、軍人にだけはなりたくなかった。

 次の日、姪浜駅まで妙子を見送ると、別れ際に手紙を渡された。

 僕は早速、部屋で手紙をあけると、和歌が一首だけ書かれてあった。


 思ひつつ寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを


 この歌の意味を、僕は図書館で調べた。

 これは古今和歌集にある小野小町の歌で、


「あの人のことを想いながら寝たのであの人が夢に現れたのだろうか。夢と知っていたなら目を覚まさなかっただろうに」


 という意味がある。

 妙子は、僕の事を好きなのか。僕は、妙子が好きだ。ずっと側に居たい。昔の様に、小戸の浜で夕陽を見たり、長垂で水遊びをしたり、愛宕山のケーブルカーで早良郡の田園風景も見てみたい。そして、この腕で抱き締めたい。

 湧き上がるこの欲求こそが、僕の夢なのかもしれない。いや、今ならはっきりとそう言えると思う。

 しかし、その夢はたった一枚の紙切れによって、崩された。

 赤紙。

 学徒出陣の、召集礼状だった。




 駅に、家族・親戚、町内会のみんなが集まっての見送りが行われた。

 僕は日章旗を持った人達に囲まれ、


「お父上の様な、立派な帝国軍人になるのだぞ」

「お国の為に働けよ」


 と、身勝手な事を、散々に言われた。

 自分達が徴兵されるわけではないのだから、こんな事が軽々しく言えるのだろう。本意ではなく仕方なく言っているのだとしても、これから戦地に赴かなければならない僕に、彼らの心情を斟酌するゆとりはない。

 お国の為に戦うという意味は、僕にも判る。妙子の幸せになると言うなら、僕は喜んで戦地に赴こう。しかし、そんな決意とは裏腹に、「戦争に行かなければならない」という絶望もあった。

 そして、万歳三唱。やはり、嬉しくともなんともなかった。

 みんな笑顔で僕を見送ってくれたが、母親と妙子だけは、違った。

 母さんは涙ぐみ、妙子は初めて出会った日の「あの」しかめっ面だった。

 それには、理由がある。

 出征の前日、僕は妙子ちゃんに愛宕山の桜の下でプロポーズをしたのだ。

 言おうか言うまいか、ずっと悩んでいた。もし僕が死んだら、父親の様にまた妙子を傷付ける事にはなりはしないだろうか?

 でも、僕は言った。

 やっぱり、無口でしかめっ面で愛想がない妙子が、どうしようもなく好きで好きで仕方ないのだ。

 エゴイズムの権化と思われるかもしれない。けれども、妙子という女性とこの戦争を生ぬく為の糧が欲しかった。

 僕のプロポーズに、妙子は条件付きで承諾してくれた。

 その条件は、必ず生きて帰ってくる事。

 それを言うと、彼女は泣いた。僕も思わず、目頭が熱くなった。

 出発を告げる笛が鳴り、僕は急いで汽車に駆け込んだ。もうお別れだ。姪浜とも母親とも、妙子とも。

 連日新聞では日本軍の快進撃を伝えているが、そんな事が嘘だって判っていた。日々貧しくなる食卓は、米英相手に連勝している国のものではない。僕は、それでも生きて帰る。

 汽笛が鳴り、汽車の黒く重量感のある車体が、ゆっくりとホームから離れだした。


「妙子、必ず帰ってくるから!」


 動きだす汽車の窓から身を乗り出し、僕は叫んだ。




「あれから二年か。長いような、短いような」


 僕は一人呟いて、胸ポケットから万年筆を取り出した。


 背景、妙子さん。

 あなたと出会ってからの日々を思い出しながら、この手紙を書いています。

 出征してから、今までに何通も何通も手紙を送りましたから、もう書く事も無いだろうとお思いでしょうが、まだまだお伝えしたい事があり、ペンをとりました。

 昨夜は、子どもの時の夢を見ました。姪浜での日々です。

 小戸の砂浜。長垂の海。飯盛の月。愛宕の桜。

 その全てに、必ずあなたの姿がありました。僕の人生は、ずっとあなたと一緒だったのですからね。

 さて、僕は陸軍航空隊に配属されて以来、訓練訓練の毎日です。高い所が苦手な僕が、航空隊なんてと笑うでしょう。しかし、僕が飛行機に乗れる様になったのは、あなたとケーブルカーに何度も乗ったお陰かもしれません。

 空は気持ちいいですよ。訓練では、あなたがいる久留米の空も故郷の姪浜の空も飛ぶ事が出来ました。

 あと、あなたが母さんと大刀洗の練習場まで来てくれたのは、大変嬉しかったです。友人からは、


「お前の婚約者は美人で羨ましい」


 と言われ、とても鼻が高くありました。

 ですが、妙子さん。今日は悲しいお知らせをしなくてはなりません。

 僕はあなたにプロポーズしましたが、あなたが出した条件を達成出来そうにもないのです。

 その事は、この手紙を受け取る頃には判るでしょう。しかし、それで僕は良かったと思うのです。これから征く僕は、あなたを悲しませる事は出来ても幸せにする事は出来ないからです。

 こうい言えばあなたはしかめっ面で僕を叱るでしょうが、あなたにプロポーズをした事を、僕は後悔しております。

 妙子さん。どうか、僕の事を忘れて下さい。そして、未来を見据えて生きて下さい。

 あなたは可憐で、利口で人の気持ちが判る聡明な女性です。新しい人生を歩み、立派な教育者そして妻となり幸せに生きるべきなのです。僕は過去にこそ存在すれ、これからの将来には存在しない人間なのですから。

 最後になりましたが、鬼灯祭りの帰りに、あなたに頂いた和歌に対しての返歌をします。

 僕は和歌の知識はないので、親切な上官に借りた百人一首の本から選びました。


 あらざらむこの世のほかの思ひ出に 今ひとたびのあふこともがな


 心より愛しています、妙子さん。

 さて、そろそろ時間となりました。プロペラの音が、聞こえています。最後に書いた手紙が、あなたへの手紙だった事を、僕は何よりの幸せだと感じています。

 これを書き上げたら、母さんへの手紙と共に友人に託し、僕はペンを操縦桿に持ち代えて、征ってまいります。

 母さんには手紙でも書きましたが、僕の形見は売れる物は売って生活の足しにして下さいと伝えて下さい。形見があっては、母さんとそしてあなたを悲しませるだけでしょうから。

 大事なのは、これからの生活なのです。

 これで、お別れです。

 僕は、時に星となって、時に風となって、時に雲となって、あなたの行く末をいつまでも見守っております。

 怖くはありません。悲しくはありますが。


 では、さようなら。

 昭和二十年、三月十二日。

 鹿兒島県、知覧にて。

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