第三楽章

 咲綾から受け取った小箱を片手に持ちながら駅へ向かうと、改札の横にスラリとした長身のシルエットが佇んでいた。


「タカちゃん…」

「そろそろ来る頃だろうと思っていた」


 低い声でそう言うと、俺の親友・紫藤鷹能しどうたかよしは背を預けていた壁から離れた。


「ちょっとコーヒーでも飲んでいかないか」

「あ、うん。オッケー」


 さっきの余韻を引きずって、チャラいモードのキャラスイッチがいまいち上手く切り替わらない。


 駅前の、少し古びた喫茶店に二人で入る。


「タカちゃん、こんな時間までこんなとこで何してたのさ」

 コートを脱いでえんじ色の布張りの椅子に座りながら尋ねると、同じような動作をして椅子に座ったタカちゃんが無機質な表情をふっと崩す。


「実は先ほどまでこの店に知華といたのだ。

 今日は特別にうんりょーをお前と咲綾に譲ろうと思ってな」

「なぁんだ。やっぱり俺が告るようにタカちゃんが仕組んだんだなっ。

 …てか、タカちゃん、なんでマフラー取らないの?

 …てか、それ、手編みじゃねーの?

 もしかして、さっきもらったの?」


 今さらながら気づいたタカちゃんの首元のマフラーは、ダークトーンのオレンジ色がギリシャ彫刻のように端正なタカちゃんのルックスにとてもよく似合って…る、けど…


「よく見たら、結構粗が目立つね、それ…」

「まあ、な。突貫工事で仕上げたからだと言い訳していたが、知華は基本的に不器用だからな」

「それでも嬉しいんでしょ? タカちゃんは」

「まあ、な」


 少し頬が赤くなったタカちゃんが、照れ隠しなのかこちらに鋭い視線を向ける。


「俺達のことはともかく、そちらは首尾よくいったのか」

「首尾よく…て言っていいのかどうか…

 俺、咲綾のサディスティックなところは虚勢かと思ってたんだけどさ…。

 本当の咲綾はけっこう臆病者で、だから俺がそんな咲綾を受け止めてやらなきゃって」

「その推測は間違っていない」


 タカちゃんが柔らかい表情でこちらを眼差す。

 運ばれてきたティーカップに手を伸ばし、紅茶を一口。

 俺も同じタイミングでコーヒーカップを手に取り、緊張で乾いていた口にゆっくりと含む。


「幼い頃、俺達は幼馴染みと四人でよく遊んでいたものだが、咲綾はいつも姉御肌のリーダー格でな。誰も咲綾に逆らう者はいなかった」

「あー、部長時代の咲綾と重なるわー」

「しかし、実家の敷地内の林で冒険ごっこをしようとなると、途端に尻込みしてな。

 先の読めないことに対しては、妙に心配性で臆病なところがあった」

「へぇー」


 俺達はそれぞれ手にしていたカップを口に運び、もう一口。


「トミーの思いに対しても、お前がどこまで本気で、いつまで自分のことを思い続けてくれるのか不安だったのだろう。

 それがある程度見通せるまでは怖くて踏み出すことができなかった」

「それで、俺がちゃんと咲綾を思い続けていることを伝えるように知華ちゃんを仕向けたってことか」

「もっとも、お前が音大を受けると知った時点で、咲綾にもお前の本気は伝わっていたようだがな。俺の方からも、踏み出すなら今しかないと咲綾の背中を押したわけだ」


 それで今、俺の手元にこの小箱があるのか。


 俺がその小箱に視線を向けると、タカちゃんもそれに気づいて尋ねてきた。

「それは咲綾が渡したものか?」

「ああ。ベルギー産のクーベルなんとかって言ってたな」


 俺のその言葉でタカちゃんはああ、と合点がいったように頷いたが、俺にはまだ中身の見当がつかない。

 しゅるっとグリーンのリボンを外し、蓋を開けてみた。


「これ…チョコレートかぁ」


 箱の中にあったのは、“♪” の形のチョコレート。

 緩衝材に隔てられて、脇に小さな “♡” のチョコも添えられていた。


「さすが、お嬢様の使う高級チョコレートっていうのはなんか違うなー!

 複雑な模様みたいになって…」

「それはテンパリングを失敗しただけだな」

 身を乗り出して箱の中を覗き込んだタカちゃんが即座に答えた。


「へ?テンパ…?」

「テンパリングというのは、チョコレートを溶かすときに、安定した細かい粒子に再結晶するように温度調整することだ。

 テンパリングをすれば滑らかで艶のあるチョコレートを成形できるが、温度が高すぎて失敗するとこのようにまだらでくすんで口当たりもざらざらしてしまう」

「……」


 残念な姿に形を変えた最高級のチョコレートに若干同情するが、チョコレート作りに悪戦苦闘する咲綾の姿を想像すると愛おしさがどうしようもないくらいにこみ上げてきた。


 溢れる思いが零れ出てきそうな口元を片手で覆った俺に、タカちゃんがいたずらっぽく笑いかける。


「どうだ? 失敗したケーキや粗の目立つマフラーをもらっても喜ぶ俺の気持ちがわかるだろう?」


「そうだねぇ…」


 確かに、これはタカちゃんをからかったりなんかできねーな。


「とりあえず、俺、タカちゃんに料理習うことにするわ。

 咲綾の不器用さは俺がカバーしてやらないといけなさそうだからさっ」

「お互いこの先も苦労しそうだな」


 俺とタカちゃんは顔を見合わせてははっと笑うと、再びカップに指をかけて、苦笑を浮かべたままゆっくりとそれを口に運んだのだった。




(おわり)


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