今日もお弁当はふたつ

いなばー

今日もお弁当はふたつ

 私は一日に二回お弁当を食べる。

 お昼にひとつ、学校から帰ってきてからもうひとつ。

 その後町内をジョギングする。

 私とて花の女子高生。

 カロリーは気にしないといけない。

 恋してるならよけいにね。




 昼休み。

 私はお弁当箱をふたつ自分の机の上に並べた。

 そしてあの人の姿を探す。

 ああ、戻ってきた。

 今日も不味そうな菓子パン。

 それだったら……。

 私は腰を浮かせた。

 皆川君は真っ直ぐ友達の輪の中に入っていく。

 そしてバカ話に大笑い。

 無邪気な笑顔だ。

 見ているだけで楽しい気分になる。

 もっと間近で見てみたい。

 でも私はまた腰を落とした。

 いつものことだけど、毎回つらい気分になる。

 今日も、おいしくできたのにな……。




 ウインナー。

 最初の頃は焦がしたり、微妙に火が通ってなかったり。

 ぱくりとかぶりつく。

 旨味が口の中にじんわり広がる。

 私は欲望のおもむくまま白いご飯を口に放り込んだ。

 ウインナーってドイツかどっかの料理だよね?

 なんでこんなに白米と合うんだろ?


 卵焼き。

 うまく巻けるようになるには相当な練習が必要だった。

 火が通り過ぎるとただ薄焼き卵を丸めただけになる。

 それは卵焼きではないと思うんだ。

 ちょっと柔らかいうちに巻いてしまう。

 しっとりと馴染んで、ひとつの卵焼きになる。

 お箸で半分にして口に入れた。

 ちょっとだけ入れたカツオだしがいいかんじ。


 ……こんなにおいしいのにな。

 でも、皆川君には食べてもらえない。

 私に勇気がないから……。




 梅干しの欠片を口に入れたところで誰かに声をかけられた。


「安達って、毎日弁当ふたつも持って来てるよな?」


 茶髪の男子。

 クラスメイトの……椎名君か。

 前の席のイスに勝手に座った。

 私は首を傾げてすっとぼける。

 しかし茶髪は言う。


「さっき、二個並べてたろ?」


 私は首を横に振ってすっとぼけた。

 皆川君のためのお弁当はもうカバンにしまってある。


「いや、ここにさ……」

「ちょっとちょっと!」


 いきなり女子のカバンを漁ろうとしないでよ!

 机の脇にかけてあるカバンを掴んで守る私。


「わ、わりぃ……」


 自分の無神経に気付いたらしい椎名君が手を引っ込める。

 これだから茶髪って生き物は。

 一方の皆川君は短い黒髪。

 健全かつ活動的でとてもよい。

 もうどこかへ行ってくれと私は念を送る。

 しかし茶髪には届かない。


「でもカバンに入ってるんだろ? 授業が終わってすぐふたつ出してさ。ぼさっとどっか見てさ。それでまた仕舞うの」

「……よく見てるね」

「うん、見てる。毎日見てる」

「……そんなに目立つかな?」


 ひっそりとした日々の儀式のつもりだったんだけど。


「多分、目立ってない。安達って目立たない奴だし」


 うるさいよ。

 どうせ私はぼっち飯の暗い女ですよ。

 ……好きな人に好きって言えないしね。


「……じゃあ、キミも見ないでやってくれる?」

「そうはいかないって。弁当、一個余らせてるんだろ?」

「……まぁ、そうだけど」

「だったらチャンスじゃん」


 にっと笑いかけてくる。

 不細工ではないけど、私好みではない。

 ヘンに派手なのだ。

 一方の皆川君は端正な顔立ち。

 活動的なのに顔は上品。

 そのギャップがとてもいいと思うのだ。

 私は自分好みではない男に言う。


「チャンスって?」

「好きな奴の弁当をゲットする、チャンスなんだよ!」


 明るく笑う。

 なんて無神経な茶髪なんだろう。

 お弁当を毎日余らせる私のつらさを知りもしないで。

 ……今、好きって言った?


「え? どういう意味?」


 私は顔をしかめてしまう。

 想定外すぎて脳が受け付けてくれない。


「だから、好きなんだよ。俺って、安達が好きなの」

「……へぇ?」


 首を傾げる私。


「すぐに返事とかいいからさ。とにかく頼む!」


 パンと両手を合せて私を拝む椎名君。

 そして言う。


「弁当くれ! 安達が作った弁当が食いたいんだ!」


 私はため息をつく。

 訳の分からない要求だからだ。


「そんなの言われても困るよ。これは……大切なお弁当なんだから」

「好きな奴に食わせたいんだろ?」


 顔を近付ける椎名君。

 鋭い。

 というか、毎日見てるんなら気付くよね。


「……いや、そういうわけじゃ?」


 視線を逸らす私。


「皆川だろ?」


 ぶわりと冷や汗って奴が噴き出す。


「さ、さぁ~ねぇ~」


 うまく取り繕えない不器用な私。


「毎日見てるから分かるんだって。あいつ、やっぱモテるよなぁ」


 知ってる。

 他の好きっていう女子を押し退けて彼にアプローチするなんて無理。

 ……て、これは言い訳か。

 物思いにふける私に椎名君が言う。


「ま、別にいいけどな」

「あれ、そうなの?」


 ちょっとずつ脳が処理していったけど、私のことを好きって言ったはずだ。

 なのに私が他の男子が好きでもいい?


「取りあえず俺は安達の弁当が食えたら満足。だから弁当くれ!」


 また拝む。

 茶髪の言うことはよく分かんない。

 単に食い意地が張ってるだけのような気がしてしまう。


「そんな頼まれても困るよ」

「じゃあさ、余った弁当って毎日どうしてんの?」

「帰ってからちゃんと食べてるよ」

「夕飯は?」

「それも食べてるよ」

「弁当二個も食べて夕飯も?」

「……まぁね」

「そんなのしてたら太るぜ?」

「……ぐっ。い、いや運動してるし」

「ちょっとくらいの運動で追い付く?」

「大丈夫だよ」


 ……実は、確実に私の体重は増加していた。

 文化系がする運動なんてたかが知れているのだ。


「ちょっとくらいぽっちゃりでもいいけどさ、健康にも悪そうだ。やっぱ弁当くれよ。安達の美容と健康のためにもさ!」


 頭まで下げて拝んでくる。

 ……なんか、恩に着せようとしてない?

 でも……正直……助かる。


「そう言われてもなぁ……」


 この後私は十分くらいゴネたけど、結局椎名君の要求に屈した。




 そして皆川君のためのお弁当をどこかの茶髪が食べることに。

 椎名君が卵焼きをお箸で摘まんで口に放り込む。

 どう? おいしいでしょ?


「うわ~、なんだこりゃ~!」


 顔をしかめる椎名君。

 私はうろたえてしまう。


「え? え?」

「なんかヘンなの入ってね? これ」

「……カツオだしを?」

「そうなんだ~」

「おいしくない?」


 椎名君ごときでも男子の反応が悪いと不安になる。


「いいや、うまい!」

「……あ、そう?」


 じゃあ、なんでさっきみたいな反応?


「そりゃ、好きな奴が作った奴だ。うまいに決まってるって!」

「あ……そうなんだ……」


 大きい声で好きとか言わないで?

 皆川君に聞こえてヘンな誤解なんてされたくない。


「俺ってさ、甘い卵焼きが好きなんだよね。今度作ってきてよ」

「……なんでキミ好みのを私が作るの?」


 私が作ってるのは皆川君のためのお弁当なんだけど……。


「あ、そうか、そりゃそうだ。ははは!」


 なにも考えていないらしい椎名君。

 続けて小松菜のおひたしを口に放り込んだ。

 ……まとめて一口なのはちょっとどうかな?

 盛り付けもそこそこ頑張ってるんですが。


「うわ、こっちは辛ぇや」

「そ、そうかな? おいしくない?」

「いいや、うまい! 好きな奴が作った奴だしな!」

「……ああ、そう」


 白いご飯にまで文句をつけてくる。


「べちゃべちゃじゃん」

「い、いや……柔らかくていいでしょ?」

「そうかな、俺は固いめが好きなんだよねぇ」


 だからキミの好みは知ったこっちゃないんだよ。

 そんなかんじで椎名君は私の力作を散々けなした。


「ごちそうさん。うまかった!」

「ええ~?」


 私はうさんくさい奴を見る目で椎名君を見てしまう。


「ホントホント、好きな奴が作った弁当食えて、俺、すげぇ幸せ!」

「それは……それは……」


 あんなに文句を垂れられた後なのだ。

 普段穏やかな私でもさすがに腹が立っていた。


「また明日も食わせてくれよな」

「ええ? それはどうかな?」

「楽しみにしてるぜ!」


 ご機嫌で向こうへ行く。

 自分の席からバカみたいに手を振ったり。

 ……今日は厄日だ、そう思おう。




 それから毎日椎名君はやってきた。

 私は毎日二十分はゴネるけど、椎名の奴は諦めない。

 結局皆川君のためのお弁当は毎日椎名君の胃の中へ。


「なぁ、卵焼きにだし入れるのやめてくれよなぁ」

「これがおいしいんだよ」


 私も卵焼きにお箸を伸ばす。

 うん、だしがほのかに利いていい出来だ。


「これって手間がかかってるんじゃね?」


 椎名君がハンバーグをお箸で突き刺して持ち上げる。

 行儀が悪い。


「そうだよ。前の日に仕込みをした力作なんだから」

「じゃあ、味わって食わないとな」

「そうしてよ」


 椎名君ががぶりとハンバーグにかぶりつく。

 どう、おいしいでしょ?

 しかし茶髪は顔をしかめた。


「なんで中にチーズ入れるんだよ~」

「ええ? それがいいんじゃない……」

「どろっとしてヘンだって」

「……おいしくなかった?」

「いいや、うまい! 好きな奴が作った奴だからな!」

「ああ、そう」


 要はなんでもいいんでしょ?




 私は毎日ゴネるのに疲れてしまった。

 椎名君がやってくるとすぐに食べさせてあげるように。

 そしていつものように二人でお弁当を食べる。


「……なぁ、安達って、まだ皆川が好きなのか?」


 椎名君がいつもよりちょっと低い声で聞いてきた。


「そうだよ。だから毎日お弁当作ってるんじゃない」

「一回も渡せてないけどな」

「……まぁ、そうだけど。でも、いつかはって思ってる」

「そっか……で、俺は皆川に渡せなかった弁当を毎日食ってる、と」

「うん。……今さらなこと言うんだね?」


 気付いたけど、椎名君はずっとうつむいて私を見ていない。


「……俺ってダメな奴なんだよな」

「うん、そんな気はしてた」

「ホント、ダメな奴なんだよ。ヘンな欲とか出てきてさ」

「欲?」


 椎名君が顔を上げる。

 思ってもみなかった真剣な顔。

 驚いた私は身を引いてしまう。


「他の奴のために作った弁当を食べる。それでも好きな奴が作った弁当だ。俺は満足なはずだった」

「……うん」

「でも……なんか欲が出てきた」

「……どんな?」

「なぁ、安達。一回でいいから、俺のために弁当作ってくれないか?」


 真剣な、すがるような、そんな目だった。

 男子にこんな目で見られたことのない私はうろたえてしまう。


「……そんなこと言われても」


 私はうつむく。

 椎名君の視線があまりに真っ直ぐだったから。


「頼む……」


 彼の声には力がなく。


「困るよ、椎名君……」

「ダメか?」

「……私は、皆川君のためにお弁当を作ってるの。毎日早起きして、今日こそ食べてもらうんだって決心して、おいしいって言ってもらうんだって心をこめて。……私のお弁当は、皆川君のためのお弁当なの。……だから、困る」

「そっか……」


 もう椎名君はなにも言わなかった。

 黙々とお弁当を口に運ぶ。

 すごく気まずい。

 でも、残さず食べてくれたのはうれしかった。




 椎名君はもう来てくれないだろう。

 なんだかんだで彼との食事は楽しかった。

 でも、もう終わりなんだ。

 ちょっとだけさみしい。

 ……などと思ったのに、椎名君は次の日もやってきた。


「ええ? それっておかしくない?」


 思わず言ってしまう私。


「なんでだよ、好きな奴の弁当なんだぜ? 逃すわけにはいかないっての」

「……でも、椎名君のためのお弁当じゃないんだよ?」

「しゃーねー、しゃーねーよ」


 そうなんだ?

 首を傾げながら皆川君のためのお弁当を椎名君の前に置く。

 ちょっとホッとしたり。


「だから、卵焼きにだし入れるのやめてくれよな~」

「これがおいしいの、異論は認めません」


 ふん、と胸を張ってやる私。




 そんなこんなで椎名君と毎日お弁当を食べる。

 ……つまり、私はいつまで経っても皆川君にお弁当を渡せていなかった。

 頑張れよ、私!

 ある日、家へ帰ろうと電車を待っていたら、横から男子に声をかけられた。


「よう、安達。今の時間に帰りなんだ?」


 えっ! 皆川君だ!

 駅でばったり彼と出くわした時、どうするか?

 脳内では何度もシミュレーションしたでしょ?

 妄想とも言うけれど!


「うん、文芸部はわりと帰る時間がまちまちなの」

「そっか。俺は明日試合だから早い目に上がり。俺って……」

「バスケ部だよね? レギュラーなんでしょ?」

「あ、よく知ってるな」

「キミたちが話してるのが……聞こえた?」


 ホントは何度も練習をのぞきに行きました。


「ああ、そっか。うるさいよな、俺たち」

「ううん、元気でいいと思う」


 活発なところが彼の魅力。


「うーんでも、安達みたいに静かにしてる子からしたらウザいかんじ?」

「というよりも、私みたいに暗い奴の方がウザいよね?」


 いつまで経っても彼に声をかけられない引っ込み思案。


「安達が暗い奴だとは思わないけど」

「……そうかな?」

「こうして話してても暗いかんじじゃないしな。暗いんじゃなくて、物静か。そんなかんじ」

「物静か……」


 そう言われたのは初めてかもしれない。

 結構肯定的な意味だよね。


「一回、安達とは話してみたかったんだよね。いっつも本とか読んでてさ。この子って、俺とは違う世界が見えてるのかも、って思ってた」

「大げさだよ」


 思わず笑ってしまう。

 彼も照れたみたいに笑った。

 無邪気な笑顔。

 そして二人で電車に乗り込んだ。

 いろいろと話をした。

 思ってたとおり、太陽みたいに朗らかな人。

 私みたいな奴のことを何度も褒めてくれた。

 思ってた以上に負けん気が強い。

 部活でレギュラーを取るための頑張りたるや。

 ぬるい文化部の私はひたすらまぶしく感じた。

 意外にうぶな少年らしい。

 巨乳で名高い保健室の先生が大の苦手とのこと。

 あの人、美少年を食っちゃってるってウワサだもんね。

 飼ってる犬の名前はタイコー。

 広東語で「兄貴」みたいな意味らしい。

 その名前が付くまでの話を面白おかしく話してくれた。

 そして、卵焼きの好みはただの塩味。

 だしも砂糖も入っていないのが好きなのだそうだ。

 ――彼と別れてから。

 私は気付いた。

 今、ちっとも胸がドキドキしていない。

 ……そうなんだ?




 次の日の昼休み。

 また椎名君がやってきた。

 私はゴネることなくお弁当を差し出す。

 卵焼きをかじった椎名君が大きく目を見開いた。


「甘い! この卵焼き、甘いぞ!」


 そんな彼に私は言う。


「好きだって言ってたでしょ、甘い卵焼き」


 今日からずっと、椎名君好みの味付けなんだから。

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