おかんと俺とカクタウロスのガムナの葉包み焼き
侘助ヒマリ
カクタウロスとは、牛のようなゴリラのような、ごつくて凶悪なモンスターです。
俺は今、森で焚き火を見つめている。
揺らめく炎にぼんやりと視点を置いたまま、今、俺が置かれている ”この状況” を理解しようと努めている。
これは夢なのか。現実なのか。
俺がいるこの場所は一体どこなのか。
そしてなぜ、俺はおかんとこんな場所で焚き火をしているのか――。
「……くーん。
おかんの声ではっと我に返る。
炎の向こう側では、おかんのトレーナーにでかでかとプリントされた咆哮する
「悠くんとこにある枝をくべてぇな。火力強くせな、肉が焼けへんで」
「あ……、ああ……」
俺は言われたとおりに手元にある枝を数本つかんで、火の中にくべる。
パチパチと音を立てて、小枝の先が赤く灯る。
すると、甘く涼やかな声が、緩慢な俺の動作を咎めるように横から滑り込んできた。
「ユウト、今この場であれこれ考えても仕方ないのではないか。
まずは腹ごしらえして山を下りよう。私の村へ着いてから、今後のことは落ち着いて考えればいい」
この凛とした口調の女性はエリカ。職業は剣士。
中世の戦士が身につけていそうな鋼の胴当てをまとった、金髪に翡翠色の瞳をした二十歳そこそこと思われる美女だ。
俺とおかんが、牛のようなゴリラのような
「そうは言うけどな、エリカ。俺は今のこの状況を現実として受け止められないでいる。それなのに、あんなバケモノの肉なんて食えるわけないだろ!?」
「私もカクタウロスの肉など食べたことがないぞ? だが、オカンさんが食べられそうだと自信満々に言うし、私も三人分の食糧は持っていないし、食わねば身が持たんだろう」
「おかあちゃんの勘を信じやー。切り傷の断面から推察するに、こいつは
エリカちゃんとこの村に辿り着くためには、歩いて三日もかかんのやろ?
腹が減っては戦ができぬ、やで!」
「この状況で腹が減るおかんの適応能力に呆れるよ……」
焚き火を囲むように、青々とした大きな葉にくるまれた肉がいくつも置かれている。
ガムナという幅の広いその葉っぱは、さっき薪拾いの最中におかんが見つけた植物だ。
なんでも、バナナの葉に似ているから、これで肉を巻いて蒸し焼きにしたらうまく火が通るはずだと言う。
普段、賞味期限切れの食品に関して「これはまだいけるで!」と断言するおかんの勘は当てにならないことがままあるが、若かりし頃に自分探しの旅と称し東南アジアで半年間のサバイバル生活をしたという母だ。
この手の超アウトドア料理に関しては、おかんの勘は信じるに値するだろう。
その ”カクタウロスのガムナの葉包み焼き” に均一に火が通るよう、おかんが時々転がしている。
俺はその光景をなんとはなしに見つめながら、さっきから自分自身受け入れられずにいる”この状況”というのを、もう一度自分の中で整理してみることにした。
今日、俺は就活で、とある会社の一次面接に行く予定だった。
最寄り駅まではバスで向かうつもりだったが、過保護なおかんが車で送ると言ってきかないので、しぶしぶ助手席に乗った。
川沿いの道を走っているときに、T字路から突然トラックが飛び出してきた。
トラックを避けようとハンドルを切ったおかんは川沿いのガードレールに激突、トラックが車の後部に衝突した勢いもあって、俺たちの乗った車はガードレールを突き破った。
大雨の後で増水していた川に転落したところまでは覚えているのだが――
次に意識を取り戻したときには、この見慣れない森の中におかんと二人で投げ出されていたのだった。
濃紺のリクルートスーツに革のビジネスシューズという出で立ちの俺。
虎の顔面プリントが前面に施された紫色のロングトレーナーにヒョウ柄スパッツという出で立ちのおかん。
二人とも車もろとも川に転落したはずなのに、衣類はまったく濡れていなかった。
そして……
見慣れない葉の形をした針葉樹林。
呼吸をしていてもどこか違和感のある空気。
突然現れて俺たちを襲ってきた
クエストを遂行した帰りだというエリカが偶然俺たちを見つけていなければ、食べられていたのは俺たちの方だったのだ。
こうやって今日一日に起こった出来事を振り返ってみても、やはり ”この状況”を 現実だと受け入れることができない。
これは夢の中だと信じて開き直るしかないのだろうか。
現実逃避とも思える折り合いをなんとかつけようとしたとき、「そろそろええ具合に焼けてきたんとちゃうか~♪」というおかんの呑気な声が、俺の耳に無遠慮にねじ込まれた。
あち、あち、と言いながら、おかんがコロンとした ”カクタウロスのガムナの葉包み焼き” を指先で摘み、俺とエリカの前に放る。
この中に、さっきのキモコワイ牛ゴリラの肉が入っているのか……。
あまり気は進まないが、夢の中だと思えば怪物を食う経験をしてみるのもまた一興だ。
火傷しないように指先でやわらかな葉をめくる。
すると、ほわんとした白い湯気とともに、脂の溶け出た芳醇な肉汁の香りとガムナの葉の爽やかな香りが混ざり合い、俺の鼻腔をくすぐった。
あれ? なんか、すげー美味そうな匂いがする……!!
その香りがフックとなって、現状に適応できていないはずの俺の脳から、空腹という意識が突如引っ張り上げられる。
「予想以上に美味そうな匂いだな!」
広げた葉の両端を持ち上げ、エリカも鼻をひくつかせて肉の匂いを嗅いでいる。
時間をかけて蒸し焼きになった牛ゴリラの肉は、生肉だったときのどす黒い赤から良い具合に火の通った茶褐色に変わっている。
肉の表面には、ガムナの葉で巻く前に、おかんが ”ソルタム” という調味料を塗り込んでいた。
ソルタムというのは、エリカの村で使われている、木の樹液を煮詰めたゲル状の塩だそうだ。
そのソルタムが蒸し焼きによって滲み出た肉汁と混ざりあって、炎を反射してきらめくほど潤沢に肉の表面を覆っている。
見るからにジューシーなその肉に、俺の想像力はかきたてられる。
前歯を突き立てて噛んだ瞬間、この肉から弾け出る芳醇な旨みは口の中でどれほどの広がりを見せるのだろうか……。
小枝をフォークがわりに、縦に走る肉の繊維に沿って割ってみると、肉は意外なほどにほろりと崩れ、新たな湯気と香りがふわりと立ち上る。
空腹を強烈に意識させられた今、この香りと肉の感触に抗えるわけがない。
それはおかんもエリカも同じだったようで、俺たち三人は躊躇うことを忘れて葉っぱに顔を埋め、肉を口いっぱいに頬張った。
歯を当てた瞬間からほどけていく肉の繊維。
噛んだ途端に口の中を潤していく熱い肉汁。
程よく脂が溶け込んだ濃厚な肉の旨みが、白飯が欲しくなるような塩気とともに口内の隅々まで行き渡る。
それと同時に鼻を突き抜けていく、ソルタムのスパイシーな香りがまた堪らない。早く次の一口を、とエキゾチックな美女が誘惑するかのように俺の本能を揺さぶってくる。
柔らかな肉を難なく喉に送り込むと、ソルタムと肉汁の濃厚な味わいの後で、ハーブのようなガムナの葉の香りが爽やかな風になって通り過ぎた。
これは……
旨い……!!!
「うっま…!」
はふはふと口の中で熱い肉を転がしながら、エリカが声をあげた。
「せやろ!? おかあちゃんの勘に間違いはないねんて!」
おかんが脂でテラテラした口角を上げて得意げに俺たちを見る。
「まさか、カクタウロスの肉がこんなに美味いものだとは思わなかった。わが村では魚や豚は食べるが、モンスターを食べる風習はないからな」
「ほな、エリカちゃんが今度村の皆に勧めたらええねん。人を襲うような怪物を退治できるし、自分らの食糧にもなるしで、一石二鳥やん」
「オカンさんの発想力はすごいな!」
美味い肉を夢中で食べ終えた俺は、満腹を感じつつも食べ終えてしまったことを少々残念に思いながら、再び炎を見つめた。
スーパーボールのように予測できない軌道で弾んでいくエリカとおかんの会話が、俺の意識から遠ざかっていく。
これからも、俺がこの世界で、この肉を食べる機会はあるのだろうか。
元の世界に戻るまで――
この夢から醒めるまで――
俺はこの “カクタウロスのガムナの葉包み焼き” をいったい何回味わうことになるのだろう。
……
「なっ! 何を言い出すのだ!? オカンさんはっ」
満腹後のまったりとした空気を切り裂くようなエリカの甲高い声に、俺の意識は再び二人の会話に戻された。
「せやからぁー。エリカちゃんの
エリカちゃんが悠くんのお嫁さんになってくれるんやったら、っちゅう条件付きやって言うてるんよ♡」
「そっ、それは……、その……。ユウトの意思というものもあるし……」
頬を染めてちらりと横目で俺を見るエリカに、心臓が跳ね上がった。
「おいいぃっ! 二人で何の交渉してんだよっ!!」
「悠くん、何を照れてるん? エリカちゃん、美人やししっかりしとるし、あんたのタイプやろ?」
「よっ……余計なお世話だっっっ!!」
「エリカちゃんかて、ウチが言うのも何やけど、周りに悠斗ほどのイケメンはそうそうおらんやろ? 母親思いの優しい子やで。
三ヶ月前に彼女に振られたばっかりのお買い得物件や」
「余計な情報は言わなくていいっ!!」
「イケメンとかというのは意味がわからないが、先ほどカクタウロスに素手で立ち向かおうとしたユウトの勇気には驚いた。
鍛え上げれば素晴らしい勇者になれる資質がある」
「追い詰められて無駄な足掻きをしただけだ」
おかんのいらぬお節介のせいで、俺とエリカは妙に気恥ずかしくなって、そのままお互いに黙り込んでしまった。
やっぱりこれは夢に違いない。
と、思いたい。
ただし、夢ならばもう少しだけ醒めないでいてくれ。
一度きり、というのはなんだかとてももったいない気がするんだ。
”カクタウロスのガムナの葉包み焼き” の味わいも、
俺を見て頬を真っ赤に染めるエリカの可愛い横顔も……
「あー!失敗したー!!」
またしてもおかんの声に意識が強引に引き戻される。
「家に帰れんくなるとは思わんかったから、お父ちゃんの晩ご飯用意しとかんかったわぁ~!
せめて炊飯器のタイマーセットしとくんやったぁ……!」
おかんが初めて ”この状況” に頭を抱えた瞬間だった。
(おわり)
おかんと俺とカクタウロスのガムナの葉包み焼き 侘助ヒマリ @ohisamatohimawari
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