告白

「あれ……? 私は……?」


 柊子は、冷たい夜風に頬を撫でられて目を覚ました。


「気がついたかい? 吃驚びっくりしたよ、急に倒れるから」


 まだ意識がはっきりせず柊子がボーっとしていると、柚希の穏やかな声が聞こえた。愛しい人の声で完全に意識が覚醒した柊子は、目の前に柚希の端正な顔があることに気づき、「え!?」と驚いて体を起こそうとした。しかし、


「まだ横になっていたほうがいいよ」


 柚希は優しくそう言い、柊子の肩をそっと押して寝かせる。

 いま気づいたが、柊子はホテルの正面玄関前の大きな池の近くの芝生で柚希に膝枕をしてもらって寝ているのだ。


 柊子は、なぜ自分がこんな状況に陥ってしまっているのか理解できず、どくどくと鼓動が激しくなっていく胸をおさえながら「あ、あの……。私は……?」と呟いた。


「覚えていないのかい? 柊子はパーティーの最中に意識を失ったんだよ。君の様子が変だと思ってずっとそばにいて良かった。あのまま転倒して君の体を支える人間がいなかったら、後頭部を打って怪我をしているところだったからね」


 どうやら、気を失った柊子を柚希が助けてくれたらしい。

 柚希は、柊子が倒れて会場が大騒ぎになったら、柊子が恥をかいてしまうと思い、ここまでこっそり連れて来てくれたのである。


「みんなは長唄やごちそうに夢中で柊子が倒れたことにまだ気がついていなかったから、会場の外まで君を運んで、柊子が苦しんでいた元凶をホテルの女の従業員さんに頼んで取ってもらったんだ。だから、もう息苦しくないだろ?」


「えっ……。そ、そういえば、苦しくない……」


 そう言った後、柊子はボッと火が噴いたように赤面した。耳の端、首筋まで赤い。


「き、気づいていたのですね。……その……私の胸のこと……」


「あ……。い、いや、君の兄さんたちから色々と噂を聞いていたわりには……まあ、その……ちょっと控えめだなぁと思ったから、苦しそうにしているのはもしかして……と思ってね」


 兄たちは私のいないところで柚兄様にいったい何を吹きこんでいるのだと思い、柊子は愚兄二人のことがますます嫌になった。


「でも、だ、大丈夫。女の従業員さんに全部任せたし、僕は何も見ていないから。……それに、僕はどちらかというと小さいよりも……」


「え?」


「いや、何でもない」


 普段は柊子のことを子供扱いしている柚希もさすがに気まずいのか、柊子から視線を反らして手で口を覆いながらそう言った。若干赤面してしまっているのを隠そうとしているのだが、自分も恥ずかしさのあまり死にたいと思っている柊子が気づくはずもない。


「ええと……。寒くないかい?」


「は、はい。柚兄様が外套がいとうをかぶせてくれているので。柚兄様こそ寒くはありませんか?」


 体があまり丈夫ではないのに、柚希は、寒空の下、自分の外套を眠っていた柊子にかぶせてくれていたのだ。


「柚兄様……迷惑をかけてしまってごめんなさい。私、柚兄様に子供扱いしてもらいたくなくて背伸びしてみたのに……。無理してしまってこんな迷惑をかけていたら子供扱いされても仕方ないですよね。……本当に私は馬鹿な子供です」


「柊子……」


 柚希はそう呟くと、柊子の前髪を撫でるようにそっと触れた。洋装をしている柊子はいつもの束髪くずしではなく、長い髪を後ろに伸ばして赤いリボンをつけている。


「ごめんな。僕もこの一年間、色々と戸惑っていたんだ。昔から妹のように可愛がってい柊子が、急に将来の結婚相手になって……どう接していいのか分からなくてさ。だから、なるべく自然体で話しかけられるよう、わざと昔のように子供扱いして……。僕のほうこそ子供だよ。知らず知らず、許嫁の君のことを傷つけていたのだからね」


(柚兄様もそんなふうに悩んでいたんだ……)


 自分だけが柚兄様との関係で悩んで苦しんでいたとばかり思っていた柊子は驚き、何だかホッとしてしまった。柚兄様は前の許嫁である撫子のことが忘れられなくて、柊子のことなど頭に無いのではとずっと心配していたのだ。


「女性の気持ちをないがしろにしてしまったから、撫子さんにも愛想を尽かされたのだと思うよ。

 ……柊子が女学校に入学した頃から、僕はずっと妹のように可愛がっていた柊子のことを一人の女の子として意識するようになっていたらしい。許嫁である撫子さんではなく柊子の姿をいつも目で追っていたんだ。僕自身が気づかなかった心の変化を撫子さんは敏感に察していて、萩介と駆け落ちする少し前にそのことを彼女に指摘されてさ。

 自分以外の女の子に惹かれてしまっている許嫁のそばにいた撫子さんはきっと辛い思いをしていただろうね。本当に彼女には申し訳ないことをしたと思っている。……だから、彼女が今どこにいるのかは分からないけれど、萩介と幸せになって欲しい。心からそう思っている」


 サンタクロースが魔法でもかけたのだろうか。

 柚希はずっと自分の胸の内にしまっていた想いを柊子に包み隠さず告白した。


 柊子は、柚希の気持ちがかなり前から自分に向いていたことを知って驚き、泣き出したいほど嬉しいような、自分は撫子姉様を傷つけてしまっていたのかと思って心苦しいような、複雑な心境だった。


 でも、撫子に幸せになって欲しいという想いは柚希と同じである。


「……サンタクロースのお爺様に、一緒にお祈りしましょう。撫子姉様が幸せになってくれますようにと」


「ああ。……そして、僕はサンタクロースにこうお願いするよ。これからも毎年、この世の誰よりも大切な女の子とクリスマスの夜を一緒に過ごせますようにと……」


「え? それって、私……?」


 柊子はどぎまぎしながらたずねた。柚希は微笑みながら頷き、


「僕も奥手だから、君たち女学生が読んでいるような物語の中の恋人みたいになるのはすぐには無理だけれど、これからは君のことを妹扱いしたりはしない。自分の気持ちを偽って大切な人を傷つけるような子供じみたことをして後悔したくないんだ。だから…………」


 そう言いながら柊子の唇に自分の唇を近づけた。


(も、もしかして、接吻キッス……!?)


 ひぃぃぃと動揺しながらも、柊子は覚悟を決めて口吸いされる瞬間を待つ。しかし、


 クシュン! ハクション! ハクション!


 やはり外套を脱いでしまって寒かったのだろう。柚希はこの大事なタイミングでくしゃみをしてしまい、口もとを手でおさえながら「わ、悪い……」とバツが悪そうに謝った。


「くす、くすくす……」


「わ、笑うなよ……」


「ごめんなさい。でも、肝心な時にかっこつけられないところが、私と似ているなと思ってしまって。……あの、柚兄様。私、柚兄様のためにマフラーを作ったんです。よかったら使ってください」


 半ばがっかり、半ばホッとした柊子はそう言って微笑むと起き上がり、傍らに置かれていた柊子が持って来た小さなバスケットから赤いマフラーを取り出した。そして、鼻をすすっている柚希の首にふわりとマフラーを巻きつけた。


「……どうですか? 温かいですか?」


「うん……。とっても。柊子の匂いがするね」


「えっ、臭いますか!?」


「いや、いい匂いだ」


 柚希は、マフラーを巻いていた柊子の手をつかむと彼女を引き寄せた。


「こうするのが一番温かいな」


「そ、そうですね……」


 そう言い合いつつ、二人はぎこちなく星空の下で寄り添い合う。

 こんなところを誰かに見られたらどうしようと柊子は(実は柚希も)気が気ではなかったが、サンタクロースがかけてくれた魔法が解けてしまったら勇気が急にしぼんでしまうような気がして、けっして離れぬようにお互いの手をギュッと握り合った。さっきまで寒かったのが嘘のように熱いのは、心が興奮しているせいか、そばにいる恋人の温もりのせいなのか……。


 どれほど経ったのだろう。やがて緊張が解け、二人の心が握った手と手のように一つに絡み合い始めた時、ホテルから優雅なピアノの音色が聞こえてきた。


「ダンス……始まったみたいですね」


「そうだな。ここで踊ろうか、二人っきりで……」


 柊子はニコリと微笑む。


「はい。柚兄様……いいえ、柚希さん。私、あなたを愛しています」


「うん。……僕もだよ。君が、好きだ」


 そして、二人は、星々の輝きが水面に煌めく池の前で向かい合い、静かにダンスを踊り出したのである。




 初めて知った。

 愛する人を想う気持ちはこんなにも温かいのだと。

 きっと、恋は不良のすることだなんて古い考えはいつか無くなる。

 そうしたら、クリスマスの夜は私たちみたいな恋する男女が、サンタクロースがかけてくれた魔法で、甘く愛し合える奇跡の夜になるだろう。

 どうか私たちがこの夜に出会った奇跡が、未来にはありふれた奇跡になってくれていますように。

 誰だって恋ができるそんな世の中になっていますように……。



 柚希と踊る柊子は、撫子や牡丹の顔を思い浮かべながら、そっと目を閉じてそう祈るのであった。




               🎅おしまい🎄





最後までご覧いただき、ありがとうございます!

同じく大正時代が舞台の拙作『大正十一年のエイプリルフール』(https://kakuyomu.jp/works/1177354054882862157)もよかったらご覧ください。柊子がゲスト出演しています。

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大正十年のメリークリスマス 青星明良 @naduki-akira

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