こんばんは、青星明良です。
『冥府帰りの胡母班』(
https://kakuyomu.jp/works/16818093083531146009)、本日無事完結いたしました。
今作は『斬貂蝉』(
https://kakuyomu.jp/works/16816700426786879875)につづく三国志ものの短編小説になります。
「短編小説を書くというのは、空気を絞って水を滴らすほどのエネルギーがいる」
とは、私が尊敬する司馬遼太郎先生の言葉。
その言葉の通り、短編小説というのは短いだけに、わずかな文字数でひとの心を震わせる物語を書く必要があります。すれ違いざまに読者の心臓を短刀で一突きするかのような、そんな覚悟と気力を要すると私は感じています。
(私の場合、長編よりも短編を書くのが苦手なだけかも知れませんが……(^_^;))
今作を執筆することとなった発端は、私がある日見た夢にあります。斬首される夢を見たのです。
正確に言えば、処刑を控えた私が遺言書を書くようにすすめられた夢です。
後ろにいた紳士ふうの人物が私を慰めてくれたのですが、「いまから死ぬ人間の気持ちなどお前に分かるものかよ」と夢の中の私は考えていました。
夢から覚めた後、気持ちがひどく塞がったのですが、あの夢で感じた「死を前にした絶望や怒り、恐怖」を小説化できないだろうかと考えました。
それで小説の主人公に選んだのが、「冥府に行ったことがあり、後に董卓のために働いて処刑された」という特殊な経歴を持つ三国志のマイナー武将・胡母班です。
「あの世を訪問した際に再会した父を助けたら、その父に子供たちの命を奪われた」という彼の怪異譚ともあいまって、胡母班の周辺は死の匂いが濃いのです。冥界のありさまをその目で見て来て、相次いで子供たちを失った彼は、つねに死について考えていたと思われます。
執筆を始めた際は、自分がこれまで書いてきた作品の中でもそうとう救いのない絶望的なエンドになると想像していました。ですが、死を目前に控えながらも胡母班は、最後の最後までひとの善なる心を信じることを止めませんでした。
自分で書きながら意外に感じましたが、つまるところは私自身が、「戦争やら犯罪やら詐欺やら貧困やら世の中くそったれだ」と思いつつも人間にはまだまだ希望があると信じたがっているということなのかも知れません。物語を書いたことによる思わぬ発見でした。小説を書くということは、自分が知らない自分の心と出会うための旅、という一面もきっとあるのでしょう。
「わたしの感情は、真の虚構を通してしか湧き上がらない性質(たち)のものなんだ。(中略)究極の真実とは虚構にほかならない、それがわたしのつね変わらぬ信念さ」
(アントニオ・タブッキ氏著『レクイエム』より)