第15話

「フシギ君、またまた君の言う通りさ! 僕は最後で間違える。今度も、それをやった! 〈海〉という帰結は間違いだ。その上、宝を隠した本当の場所、それもまた君が教えてくれた! 君は有能な最高の助手だよ!」

 志儀しぎ、シーツの隙間からポカンと口を開けて、

「え? 僕が? 教えた?」

「そうさ! シーツ……幽霊……それなんだ!」

 

     亡霊の棲家すみか 敷布シーツの前


 次に探偵はクルリとメロンを振り向くと、

「メロン君! 君の読み解きはある意味、正しい。

 君は〈シーツの前〉を〈前〉イコール〈過去〉〈古い〉……それ故〈古いシーツ〉と読んだ……」

「ええ、そうですけど?」

「実際は〈シーツの前〉は〈シーツ以前〉を意味するのだ!」

「?」

「亡霊の棲家は何処か? シーツ。今、フシギ君がやったように、そして、これは今や世界共通のイメージだが、幽霊を象徴するのは、これ」

 興梠こおろぎはシーツを掴んで高々と掲げる。

「シーツ! 古い城や屋敷をシーツがふわふわ浮遊しているのを目にしたら、誰もが『幽霊だ!』と思うだろう?

 でも、実はこれは代替品なんだよ。イメージの歴史的変換があったのだ。元々、古い時代、欧州では幽霊はシーツではなくよろいだった!」

 探偵は決定的な言葉を放った。

「城の中、夜半、彷徨さまよう幽霊は鎧の中にいた。鎧こそ最も古い幽霊の棲家なのだ……!」

 すぐには理解できず茫然としているノワイユと少年。探偵の言葉に真っ先に食いついたのはメロンだった。

「本当ですか! 面白いな! でも、何故、鎧がシーツになったんです? その歴史的変換っていつ? どのような理由で?」

「演劇の隆盛だよ。欧州に娯楽として演劇が流行して……かのシェイクスピアが活躍したせいで舞台で幽霊役が旧来通り鎧を着て演技するのに不平を言い出した。重くて難儀だと。共演する役者も、狭い舞台で鎧は危険だし衣装を引っ掛けて裂いたりするので嫌がった。それで」

軽い・・シーツになった!?」

「ご明察!」

「へえ! まさか、そんな理由で? 幽霊の棲家が変わるとはなぁ!」

 興梠は興奮を隠しきれなかった。

「シェイクスピアの生没年は1564から1616だ。これは《天正遣欧てんしょうけんおう少年使節》と年号的に符合する。このことからロザンタール家の古文書が改変または追加されたのが1600年代だということも推定できる……」

 改めて興梠は当主を見つめた。

「この邸に鎧はありますか?」

「も、もちろんだよ! 玄関ホールの突き当り……大階段の両袖に並んでいる。私はその種の物――武具にはさほど興味がないから、ここを買い取る際、邸内を案内された時にチラッと見た程度だが――」

 ゴクリと音を立てて唾を飲み込む新興成金・ティメオ・ノワイユだった。

「では、そこに? 私の・・鎧の中に、財宝がある? ロゼンタールの真珠が?」





 玄関ホールにはちょうど昇った太陽の光が燦燦と差し込んでいた。

 七宝文様のモザイクの床から大階段が上階へと伸びている。塔の螺旋階段とは違う、こちらは堂々たる正規の階段である。広く馬蹄型に張り出した1段目の両端に鎧は据えられていた。

 戦場を駆け抜け、賓客を迎えるべくこの場所に配置されたのは一体いつからなのか? 物言わぬ勇者たち……

「待て、私が確認する! 私がここの当主だ! 財宝の所有者だ!」

 ズィッと前へ出るノワイユ。

 メロンは負傷しているため一歩下がった。興梠と志儀の手を借りて鎧は慎重に床に横たえられる。

「アレ? 意外に軽いね? 僕、鎧ってもっと重いと思ってた」

「それだけ古いということさ」

 帝大で美学を修めた探偵が微笑んで教えてくれた。

「西洋の鎧はルイ王朝以降は装飾に凝って着ては歩けないほど重くなる。これは16世紀以前の――多分、マッサグリアかサンソヴィノ製の実用的なホンモノの鎧だ」

「フン、そうかね? いずれにせよ鉄のガラクタじゃないか。鎧などどうでもいい」

 膝を折ってノワイユが覗き込んだ。

「――」

 何もなかった。

 さぞやザクザク、ガラガラ真珠が零れ出てくる……という光景を予想したのに……!

「だが、まぁ、いい。では次。次の鎧に違いない」

 同様にして調べる。だが、そこも空洞だった。

 これはどういうことだろう? 東洋の探偵はまたしても外したのだろうか? 

 と、その時、志儀が叫んだ。

「待って、奥に何か見える! 白っぽいもの……?」

 細い、シナヤカな少年の腕でつまみ出す。

 カードだった。そこには1行。



     Je suis vraiment navré.

     ( 残念でした! )






「ぎやあああああ」


 邸内に悲鳴に似た声が響き渡った。

「やられた! あのロゼンタール一族め! まんまと俺を嵌めやがったああああああ」






 ノワイユがあまりにも意気消沈しているので探偵も助手たちも契約した通常最低料金を貰うのさえ申し訳ない気がした。ここはそっとしておくのが一番だろう。

「あのぅ、絵を持って帰ってよろしいでしょうか?」

 改めて申し出るメロン。ノワイユは虚ろな目で手を振った。

「勝手にしろ」

「それから、このシーツ……汚しちゃったケド……これは元の場所に返しときますね?」

「ああ、もういいから! とっとと消えてくれ!」

 こうして一同はそそくさとノワイユ邸を後にした。

 タクシーの中で興梠が言った。

「さてと、どうだろう、この報酬は予期していない臨時収入だから、このお金で今夜、聖夜の晩餐会パーティを開こうと思う。記念すべき僕たちのパリでのクリスマスを祝って」

 助手はパチンと指を鳴らした。

「そりゃいいや! 最高! たまには興梠さんもいいこと思いつくじゃないか!」

「メロン君、どうかな? 君も招待したい。出立を伸ばして、今宵、僕たちのパーティに出席してくれないか?」

「ええ、喜んで」

 ちょっときまり悪げではあるが青年は微笑んで頷いた。包帯を巻いていない方の腕には取り戻した例の絵がしっかりと抱えられている。





 興梠たちが宿泊しているホテル〈オテル・ド・ラペ〉は元々は料理屋として出発した。1862年のことだ。

 設計は斜め向かいのオペラ座と同じシャルル・グルニェ。その落成式には当時のフランス皇帝ナポレオン3世の皇后ウージェニーが出席したとか。そういうわけだから、その夜、特注したディナーは素晴らしいものだった。

 あらかじめ届けられた品書きを盗み見ると――

 オマール海老、クルジェットのアントルメ仕立て、ジャスミンの香りのキャビア添え、ドーヴァー産骨付き舌平目の生姜風味カルマルゼ、フランス産鴨胸肉ロースト、茸のマカロン添え、冬野菜と茄子のサラダ……

 胸が高鳴るではないか! スイートのリビングに設えられたテーブルセッティングも完璧だ。

 緑と赤を基調にしたテーブルクロスとナプキン。アクセントにキャンドルの銀、松ぼっくりやドングリ、小枝の茶色……

 勿論、これら煌びやかな卓上に負けない、探偵以下、助手2名の夜会服姿であった。

 席に着くや少年助手が言った。

「ねえ、興梠さん。今回の古文書解読とその果てに行きついた鎧。その中が空っぽでカードだけだった。これって、つまりどういうことだったの?」

 首元の蝶ネクタイを弄りながら、

「正直、僕、混沌として細部まで整理できていないんだ。よくわからないから、改めて説明してよ」

「それは、つまり、こういうことさ、シギ」

 青年助手も着席する。左腕の包帯のせいで少々窮屈そうではあったが。

「古文書の謎をロザンタール家は解読済みで、財宝はとっくに取り出してた……」

「いや、それも違うよ、メロン君」

 探偵は静かに首を振った。

「だが、真相を誰よりも正確に知っている人がいる。その人にこそ語ってもらおうと思ってね。今待っているところさ」

 この言葉に二人は吃驚して顔を上げた。

「え? 僕たちの他にも――」

「――このパーティの招待客がいるんですか?」

 ほとんど同時にノックの音。興梠はきびきびした身のこなしで立ち上がった。

 ドアを開く。

「興梠探偵社のパーティへようこそ!」

「お招きくださってありがとうございます」

「あ」

「いっ」

 息を飲む二人の若者。

 探偵の手を借りて脱いだミンクの外套。白い肌に栗色マルーンのローブ・デコルテがまばゆいそのひとを見て、まず志儀が叫んだ。

「貴女は汽車の中でお会いしたmademoiselleマドモアゼル!?」

 探偵を振り返って、

「よく探し出せたねぇ、興梠さん! ――って、あ、そうか、それが本職だもんね、探偵業……」

「改めて紹介します。これは僕の助手海府志儀かいふしぎ君と、特別助手兼現地補佐アドバイザーを務めてくれたルカ・メロン君。そうして、こちらが――」

「クロエ・ロザンタールです」

「!!!」

 再度の驚愕。口をあんぐり開けた助手に探偵は片目を瞑って見せた。

「ロザンタール嬢をどうして探し出せたかって? だって、いつも僕を見張って……尾行なさって……お近くにおいでだったからね」

「まあ! では、やはりお気づきでしたのね、優秀な東洋の探偵さん!」

「いや、白状すると、アレが貴女だと気づいたのは今日の朝なんです」

 興梠は漆黒の髪を掻き揚げた。

「僕の近辺に出没している〝男〟がいるのはそれとなく気になっていました。パッサージュ・デ・パノラマのカフェへの道や国立図書館……ああ、あの最初の日の閲覧室で、僕の隣の席に《真珠の耳飾りの娘》を開いて放置されたも、貴女ですね?」

 でも、と興梠は小さくため息を吐いた。

「迂闊にも、昨日までは全て気のせいだと思っていた。異邦人エトランゼが神経過敏になっているだけだと。それが今朝、髪を染め変えたメロン君の顔を見て――ピンときたんです。全ての謎が解けた」

「どゆこと?」

「うん。金髪だから気づかなかったが髪を暗い色に変えたメロン君の顔立ちが僕の周囲に出没していた人と重なった。やはりよく似ておられる。男装の貴女・・・・・とそっくりでした」

姉弟きょうだいですもの、仕方ありませんわね」

「きょうだい? メロンが? あなたと?」

「兜……いや、この場合は、鎧かな? を脱ぐよ! 大当たりです、ムシュウ・コオロギ!

 僕の本名はアンリ・ジョルジュ・ロザンタール、その人・・・の弟です」

 認めた上で、大急ぎで首を振る。

「でも、断っとくけど、今回の件は――古文書の存在からして僕は全く知らなかった。だから、今、ここで、姉さんの姿を見て肝をつぶしたよ!」

「それは私もよ。アメリカにいるはずのあなたが突然パリに現れるなんて! しかも、探偵さんたちの仲間になって謎解きに参加するなんて!」

「だって、僕にはその権利がある! ノワイユは言っていたじゃないか。古文書はロザンタール家の嫡男が代々受け継いできたって。それなのに僕は初耳だった。そのことを全く知らなかったんだぞ! 本来ならあの古文書は泥棒貴族のノワイユじゃなくて僕の物だったんだろ?」

 息を継ぐのももどかしく矢継ぎ早に問い質す弟。

「それこそ聞きたいよ。何故、大切な、代々伝わる古文書のこと、僕に教えてくれなかったのさ? 父様が急死したせい? それとも、僕が早い時期からアメリカに留学して、こっちにいなかったせい?」

「おバカさん。まだ気づかないの?」

 ロザンタール嬢は天使のような微笑をたたえて言い放った。


「あの古文書はニセモノよ。私が捏造したの」


 では改めて説明いたします。クロエ・ロザンタールはこう言うと事の真相を語り始めた――



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