Xmasはパリで!(興梠探偵社file)
sanpo=二上圓
第1話
「もう少しベルリンに留まっていたかったんじゃないのかい、フシギ君?」
「と、思うでしょう? でも――」
「それが違うんだな。なんていうか、僕はミチタリテイル。なんたって僕も〝オジサン〟になったんだから!」
そう、姉の産んだ天使、
ドンと胸を叩く。
「父様にも七海の顔を早く見せてやりたいしね!」
そこ、ジャケットのポケットには姉一家と撮った記念写真が入っている。
この冬、海府志儀は最愛の姉・
姉の夫はドイツ大使館勤務の3等書記官なのだ。
今回の探偵・
そう言うわけで――
現在、探偵と助手は一週間のベルリン滞在を終え、欧州横断列車でパリへ向かう途上だった。
往路は日本郵船の《靖国丸》を利用した。神戸港より乗船。
この《靖国丸》は日本が誇る外国航路用豪華客船だ。デッキに(畳に見立てた)茣蓙を敷いて神戸風すき焼きと日本酒を楽しむ企画が楽しかった! だが何より、1938年の10月、ドイツを中心に欧州公演のため出帆した宝塚少女歌劇団のニュース映像が記憶に新しい。その年の11月、ベルリン民族劇場にて初演。最終日には共同主催の日本の大島大使とゲッペルス宣伝相が激励に駆けつけている。そんな歌劇団の少女たちは、航海中、毎朝、《靖国丸》のデッキでラジオ体操をしたらしい。まばゆい光の下、一斉に揺れ動く手足が健康的で美しかった、と同船した建築家が日記に書き残している――
さて。二人が帰路乗船する船は国際汽船FAR・EAST・NORTHEUROPE・FAST・SERVICE。
12月末、マルセイユから出帆する予定だ。こちらは往路の《靖国丸》ほどの豪華客船ではないが月に一回出ていて利便性が高い。ちなみに神戸~マルセイユ間の所要日数は約32日。
今日が12月20日だから、パリにはほぼ10日滞在できる。このことは探偵にとって大きな喜びだった。ルーブルはじめパリ近郊の大小の美術館を渉猟するのに十分な時間ではないか!
「興梠さん、顔が綻びっ放し! ニヤケ過ぎだよ?」
「なぁに、君ほどじゃないさ。志儀オジサン!」
「やだなぁ~ ウフフフフ……もっと言って~~」
と、
ガタタン――
緩くカーブした急行列車、ほぼ同時に車輌のドアが開いて通路から飛び込んできた人影があった。
バランスを崩して床に転倒した。どっと散らばる荷物の山……
「キャッ」
トランクと一緒に倒れ伏したのは妙齢の女性だった。
「大丈夫ですか、mademoiselle?」
素早く立ちあがって助け起こす興梠。
「ありがとうございます――まあ?」
差し出された手を掴んで娘は顔を赤らめた。朱の挿した頬が栗色の髪と灰緑色の瞳を一層際立たせる。お嬢さん《マドモアゼル》は慌てて帽子をかぶり直し、毛皮の襟付きの真っ赤な外套の裾を整えた。
「私ったら、車両を間違えました。その上この醜態――」
「お怪我はありませんか?」
「大丈夫です。本当に失礼いたしました」
「はい、これ」
志儀は床に散らばった荷物を丁寧に拾い集めて手渡した。
「ありがとうございます。あら、ひょっとして、お二人とも日本の御方?」
「ええ、そうです」
「僕たち、日本から来ましたっ」
「ああ、やっぱり! ハジメマシテ」
娘は瞳を輝かせて完璧な日本語で挨拶した。
「コンニチワ!」
美しいパリジェンヌの口から零れた美しい日本語に目を見張る二人。
「吃驚なさった? ふふ、私、父の仕事の関係で――日本に詳しいのよ。父は神戸市の北野町に事務所を持っていたの」
「何という偶然!」
志儀が叫んだ。
「僕たちも、その市の出身です」
娘はホウッと吐息を漏らした。
「コウベ! 美しい街ですってね! 〈パールシティ〉って呼ばれてるんでしょう?」
通路を通り過ぎる足音に視線が揺れる。
「あら、いやだ、突然飛び込んで、長居してゴメンナサイ。でも、お会いできて嬉しかった!」
「僕たちもですよ、mademoiselle」
「では、失礼します。お二人とも良い旅を! au revoir!」
「お気をつけて、adieu!」
こうして、
やや落ち着いて座席に腰を下ろしてから志儀は吹き出した。
「au revoir《オール・ヴォァ》 だって! 興梠さん、挨拶は異邦人の僕らのほうが正しかったね! Mademoiselleは間違ってる」
「うん?」
「au revoir は、また会う人にいう言葉だ」
少年は車窓へ目をやった。キィンと澄んだ異国の冬の青空を眺めつつ、
「もう2度と会うことのない人には Adieu《アデュー》! 旅人の僕らはソレだろ?」
「ほんとだね。mademoiselleはよほど慌てていたんだろうね!」
そうだろうか?
言霊はパリにも存在するのかも知れない……
「あれ? なにこれ?」
志儀がそれに気づいたのは列車が終点のパリ北駅に到着した後だった。
下車しようと荷物をまとめた際、座席の下に見慣れない小さな紙袋を見つける。明らかに自分たちのものではない。
「あ! これ、ひょっとして、あの時のお嬢さんの荷物じゃない?」
「のようだね」
大きなトランクの他にたくさん抱えていた荷物――クリスマスの買い出しだったのだろうか?
「どうする、興梠さん? 僕たちお嬢さんの名前も知らないし、下車した後、何処へ向かったかもわからないよ?」
「中身は何だい?」
オシャレな模様の紙袋の中には2つの包みが入っていた。厚みのあるチョコレートの小箱とアドベントカレンダー。
「わお! いかにもクリスマスの贈り物だな!」
アドベントカレンダーはクリスマスまでの日にちを数える、クリスマスのための特別なカレンダーだ。だから24日までしかない。ハイカラな港町で育った志儀も(そして興梠も)子供の頃、舶来のこの種のカレンダーをもらうと胸が弾んだものだ。
「幸いと言っては何だが」
興梠は安堵の息を吐いた。さほど高価な品物ではない。忘れ物として駅員に預ければいいだろう。
「とりあえず、持って降りよう、フシギ君」
「了解!」
「もしもし、不躾をお許しください。ひょっとして、日本人でいらっしやる?」
いきなり声をかけられたのは駅のプラットホームに降り立ってすぐだった。
幾百もの鋳鉄型の柱が支える目の眩むような
「はい?」
「失礼をお許しください」
帽子を持ち上げて挨拶したのは見るからに富裕の紳士。
上衿がベルベットのマンチャスターフィールドコート、絹のマフラーはエルメスのカレ、最高級デンツ社製山羊皮の手袋……太り気味の血色の好い顔に細い口ひげを生やしている。背は高くない。
「人を迎えに来たのですが、どうも行き違ったようだ。だが、それより――これは僥倖です!」
紳士はステッキを持ち変えて握手の手を差し出した。周囲の人が見たら、まさに迎えに来た目当ての人にみえたろう。そのくらい力の籠った、熱い握手だった。
「どうかご不審な目で見ないでいただきたい。実は私は無類のjaponisme……
「はぁ……」
「だが、ホンモノの日本人の友人がいない。ぜひ、いつか、日本の方と
握手の手を一層激しく揺らして、
「ぜひ! 我が邸へお越しください! そして、私のコレクションについて腹蔵なきご意見をお聞かせ願いたい!」
「あの――」
「これは失敬。私の名はティメオ・ノアイユ。実業家です」
紳士は名刺を差し出した。
「ノアイユさん? 僕らは今、初めてパリの土を踏みました。これから、予約しているホテルへ向かおうと思います」
「ああ! それなら、ホテルまで私の車でお送りしますよ。大丈夫、向こうに運転手を待たせてあるんです。お宿は何処だって? オテル・ド・ラ・ペ? なぁんだ、私の邸に近いじゃないか!
じゃ、そうだな、チェック・インなさって、荷物を預けるといい! それから、一緒に我が家へ向かいましょう!」
「――」
この積極性! 西洋人はやはり日本人とは違う。探偵と助手は顔を見合わせた。
とはいえ、普通の日本人ならこんな強引な招待(少なからず奇異に感じて)鄭重に断ったはずだ。
だが、悲しいかな。〈美術品〉〈コレクション〉という言葉に、帝大で美学を修め芸術を愛してやまない探偵は眩惑された。そして、それが今回、異国の地・花の都パリにおいて探偵と助手を迷宮へ誘うことになったのである。
以下次号!
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