第7話

「それにしても……古文書に日本語とはビックリしたなあ!」


 志儀しぎが大きく息を吐いた。

 ホテルに戻った一同。

 あの後、メロン青年も同じホテルに投宿したいというので、一緒に帰って来た。その方が何かと便利だからと、メロンは部屋まで3人が共有できるスイートに変えてしまった。ツインの主寝室に興梠こおろぎと志儀、もう一部屋は自分という塩梅あんばい

 若いのに世間慣れしている上に懐具合も良好なようで、〈絵画発掘人〉という職業といい、何処までも謎めいている。ノワイユが警戒するのも理解できた。

 またまたメロンの提案でこの日の夕食は老舗レストラン・トゥール・ダルジャンへ。セーヌ河沿いの窓から、暮れ行くノートルダム寺院を眺めつつ評判の鴨料理を堪能した。

 さて。

 ホテルに戻りスイートのリビングルームに腰を落ち着けた3人。ノワイユの許可を得て写し取って来た古文書をテーブルに置いて、既に財宝を探す謎解きの旅は始まっている。

「ほんとのとこ、あまりに突拍子もなくて、僕はまだ信じられない。自分の目を疑っちゃうよ。西洋の古文書に日本語が記されているなんて……こんなことあるの?」

「いや、その点に関しては、実は、根拠のないことではないんだよ」

 落ち着いた口調で興梠は言った。

「と言うと?」

 身を乗り出すルカ・メロン

「何か思い当たることがあるんですね?」

「うん。実際、この日本語を書いた可能性のある人物がいるんだ」

 意外にも探偵の口からスラスラとその名が出た。

「その男の名は、例えば、伊藤いとうマンショ、千々石ちぢわ ミゲル、中浦なかうらジュリアン、はらマルティノ」

「だれ?」

 目を丸くしている少年助手に向かって、

「君も中学校の歴史で習ったはずだ。こう言えば思い当たるかな、《天正遺欧少年使節》(てんしょうけんおうしょうねんしせつ)……」

「あ」

《天正遺欧少年使節》は、安土桃山時代の天正10年(1582)、イエズス会の宣教師ヴァリャニーノの提案で日本から遙々ローマへ派遣された使節団のことだ。

九州のキリシタン大名、大友宗麟おおともそうりん大村純忠おおむらすみただ有馬晴信ありまはるのぶが送り出した。目的は一つ。ローマ教皇への謁見である。この極東からの使者は欧州で熱狂的な歓迎を受けた。その上、当時のローマ教皇グレゴリウス三世に謁見後、教皇が急逝したため、続くシクストゥス五世の戴冠式に参列する栄誉を賜った。この他、欧州滞在中には数多の王侯貴族、騎士団と親しく交流した。大名の名代だった少年たちを欧州人は「王子」と呼んで歓待したのだ。

「ところで、今日、君も言及していたがノワイユ邸の前当主、ロザンタール家は元々はイタリアの出身だとか? イタリアからフランスへ渡って来た一族で、メディチの血も入っている家系だそうだね? ここまでは正しいかい、メロン君?」

「その通りです」

「ならば、先祖が少年使節団と知り合っていてもそう不思議ではない。今に残る文献では、使節団を迎えたイタリアのどの都市でも盛んに歓迎舞踏会が催されたらしいからね。伊藤マンショは社交界の人気者になり、トスカーナ大公妃とダンスを踊った――」

 興梠は自分の推理を二人の助手に問いかける形で締め括った。

「どうだろう? 同じく当時社交界に出入りしていたロザンタール一族がその少年たちと親交を結び、財宝を隠すための暗号として日本語を教えてもらったとしたら? あるいは文言の最も重要な箇所を日本語に書き換えてもらった? こんな風には考えられないかな?」

 メロンがパチンと指を鳴らす

「なるほど、それは大いに有り得るな!」

 志儀も納得した。

「うん、外国語はそれだけで謎に満ちた〈記号〉だものね。おまけに、当時、欧州にあっては、チンプンカンプンな文字だ。もうこの一文だけで立派な〈暗号〉だよ」



     《 アオイ紅 》



「実際、直訳すると意味は何なんです?」

 その部分を、眉間に皺を寄せて見つめながらメロンが訊く。

「Bleu rouge」

「Bleu rouge? ブルーな赤……うーん、僕は古文書を見たマスグレ―ヴ家の儀式を連想したけど、ホームズでは、他にもこれにも似た話があったよね?」

「《青い紅玉》だね!?」

 嬉しそうに志儀が即答する。

「どうも、これを書いた人はシャーロック・ホームズのファンかもしれないね!」

 静かに探偵が諭した

「フシギ君。コナン・ドイル卿が生まれるのは1859年、19世紀だ。古文書が書かれてからもっとずっと後だよ。《天正遺欧少年使節》は1582年から1590年だが、この年代ですら、日本語が書き加えられただけで古文書自体はそれ以前からロザンタール家に伝わっていた可能性もある」

「あ、そうか。エヘヘ」

「それに、謎を解くためには、〝全体〟に注意を払う必要があるということを忘れてはダメだ。全てが繋がって一つの真実――今回の場合は財宝の隠し場所だが――を指し示しているのだ」

「ムムム……だとしたら、この文章、どっから読もうと意味不明だ! 全くわからない、お手上げだよ! 今度の〈謎〉は強敵だね、興梠さん?」

「そりゃそうさ、今回の謎の解読が簡単なはずがない。ロザンタールの先祖が今に至るまで解き明かせなかったのだからね」

「それにしても、のんきだよなあ、ご先祖様!」

 ルカ・メロンが嘆息した。

「今まで誰か一人くらい、謎を解き明かそうと奮い立ったものはいなかったのか?」

「貴族……〈青い血〉っていうのはそういうものなのかもしれないね。優雅で鷹揚なんだよ」

「くそっ、あの泥棒貴族・ノワイユの言う通りだ! そんなんだから、破産するんだ! ほんと、救いようのない馬鹿だよ! ロザンタールは!」

「?」

 珍しく過激な台詞に興梠はハッとして眉を上げた。粗暴な振る舞いをしてもどこか愛嬌があって憎めないこの青年。昼間はフェルメールの青いターバンの娘を購入したジョルジュ・ロゼンタールの慧眼を讃えてもいた。だが、今、眼前の青年が発した言葉には燃えるような憎悪が込められていた。

 何か、先代のロザンタール、引いては、一族全員に浅からぬ確執……因縁があるのだろうか?

 とはいえ、興梠はこの青年が好きだった。全幅の信頼を抱いている。

 何故なら、今日フェルメールの絵の前で……


  ―― やあ、久しぶり……

      また、会えて良かった……


 あの言葉、再会の挨拶には真実の響きが籠っていた。

 ルカ・メロンはあの絵を知っている。つまり、自分が持ち込んだというのは事実なのだ。

 それ故、ルカ・メロンは信用に値する。

 絵の前に立った時、ヒトは真実の姿を曝す――

 おっと、俺の悪い癖だな?

 興梠は微苦笑した。絵画を愛する人間は全て良い人間だと思ってしまう。

「なんです?」

 探偵の視線に気づいてメロンが顔を上げた。

「あ、いや、失敬。美しい髪の色だと思って。君はパリ生まれなのかい? フランス人でも君のような金髪は珍しいだろう?」

「一応はパリ生まれだけど――僕は色んな血が混じってるから。まあ、欧州人は皆、そうです。そこへいくと、貴方たち日本人は統一感があっていいですね! 皆、漆黒の目と髪……」

 ここでメロンの目は志儀の頭で止まる。

「なんだよ! 悪かったな! どうせ僕は赤毛で癖毛さ! 不思議でも何でもない! 海府家では時々出るんだよ。ひいじいちゃんがこうだったっ!」

 少年の剣幕に、慌ててメロンは手を振った。

「いや、いいと思うよ! 褒めてるんだよ、僕は。赤毛の日本人も素敵だなあ!」

「うん。僕も同感だ。とても魅力的だよ、フシギ君。君も世が世だったら伊藤マンショ並みに欧州の社交界の花形になったこと間違いないよ!」

 思わぬ脱線をしてしまった。

「それで、明日はどうします? すぐにロザンタール邸、いえ、ノワイユ邸へ赴きますか?」

「いや、その前に、行きたい場所がある」



☆《青い紅玉》原題:The Adventure of the Blue Carbuncle

  コナン・ドイル著 シャーロック・ホームズシリーズの短編小説56作品中7作目の作品。「ストランドマガジン」189211月号発表。同年発行「シャーロック・ホームズの冒険」収録。

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