第9話
かくて、昼食後、急襲した元ロザンタール、現ノワイユ邸。
昨日のうちに申し渡されていたが、当主のティメオ・ノワイユは商用のため24日まで不在だった。
新興成金の実業家にはNoelなど関係ないようだ。リモージュの磁器工場を買収する件で大詰めなのだそう。嘘か本当かわからないが、その工場を拠点に高級食器セェブルの
『何、そんなので驚いていては巨万の富は築けません、ムシュウ・コオロギ。私には素晴らしいアイデァがある! その模造品に浮世絵の絵柄を染め付けるんです。絶対ヒット間違いなしだ。元絵? もちろん、私のコレクションから拝借します。そのために集めているんだから!』
『うわっ! 模造品に模倣絵? それって完全なパクり商法じゃないか!』
流石にこの時ばかりは『君は黙っていたまえ』とは言えなかった
いや、雇い主を悪く言うのは慎もう。昨日の会話を。首を振って記憶の片隅へ押しやりながら呼び鈴を鳴らす。
兎にも角にも、ノワイユの留守中、探偵たちは邸内への自由な出入りを許されている――
慇懃に迎えてくれた執事のセローに興梠は告げた。
「リネン室を見せていただきたいのですが」
「リネン? えーと……」
主人同様、未だ全く邸内を把握しきれていない執事は首をひねった。
「いいよ。僕について来て!」
勝手知ったる、と言わんばかり、さっさと歩き出すメロン。そういえば、昨日もそうだった。フェルメールの絵を飾った部屋まで皆を先導し、新当主ノワイユより邸内に詳しかった。
「凄いな、メロン、君こそ、この邸の当主みたいだ!」
少年助手の賞賛の言葉に、メロンのハシバミ色の瞳が翳った。
「……こうでなければこんな仕事はできないさ」
「絵画発掘人のこと?」
「埋もれた名画の声を聞く、と言えば聞こえはいいけど、墓荒しと変わらないと思う時も正直ある。もっと言えば、泥棒。ノワイユたち新興成金は泥棒貴族と言うけど、僕も同類かもな」
蜘蛛の巣の垂れ下がった農家の納屋、荒れ果てた元貴族の館の片隅、時には傾いだ寝台を飛び越え、朽ちた揺り籠を跨いで……勘を頼りに突き進むのだ。幾層もベールのように纏いつく重い闇を掻き分けて……
「でもさ、絵画たちは嬉しいんじゃないの? 君が来てくれて救い出してくれる。引っ張り上げてくれるんだ、光の中へ!」
爽やかに笑って
「絶対そうだよ! 絵画たちは喜んでいるはずだよ。〈発掘人〉は人間側の言葉さ。絵画たちにとっては君は〈救世主〉、〈絵画救出人〉だ!」
大いに頷く探偵。
「うまいことを言うね、フシギ君!」
メロンは金の睫毛を伏せた。
「どうも、メルシー、シギセンパイ」
「さあ、ここだ!」
邸内の一階、最奥。
ルカ・メロンが扉を開けた瞬間、探偵も助手も息を飲んだ。
リネンボックスが置いてある部屋、と聞いて漠然と納戸や物置をイメージしたのだが。
むしろそこは
細い高窓が並んでいる広い一室。20畳はあるだろう。床は寄木細工、格天井にはシャンデリア。
ここは元々は舞踏会のためのホールだったのかもしれない。
室内は森閑として両側の壁に棚が設けられている。そこにぎっしりと箱が並んでいた。時代を超えて競い合う花嫁たちの婚礼道具である。
「ウヘッ、スケールが違う!」
少年助手は首を
「これを全部、中を検めて……チェックして行くの?」
「だね。この件で信任を受けているのは僕たち3人だからね」
ノワイユ氏はこれ以外の人間に財宝を探させるのを厭うだろう。ルカ・メロンの追加すらあれほど逡巡したのだ。
「いいよ。じゃ、ひとつづつ、地道にやっていこう!」
「そうだね、何が出てくるかお楽しみ、だ!」
そう、〈敷布の前〉=〈古いリネン〉この読みが当たっているとすれば、この中に何かあるはずだ。最低限、財宝の痕跡、宝物の残り香くらいは……
「それにしても、凄い量だな! 使用しなかった分がこれだけってこと?」
探偵助手の問いに探偵補佐が応えた。
「というより、この種の豪奢な箱に入れて持参したのは形式上の、お披露目用の品だけさ。ここに並んでいるのは見せるためのモノで、実際使用するのはまた別にあったんだろうな」
「うーん、僕、ここを見た瞬間、『博物館みたいだ』と思ったけど、実際、博物館に寄贈したほうがいいかもね。これ全部、歴史的な研究の対象になること間違いないよ!」
志儀は興梠を振り返って確認した。
「ねえ、興梠さん、この種の古布……服飾とか織物とかそういった部類の文化遺産だよね? 研究者は大喜びするんじゃないの?」
流石、海外でも人気の〈海府レース〉会社の御曹司である。
「うむ、そのとおりだよ」
「博物館かぁ、僕に言わせれば、カタコンベだな。〈幽霊の棲家〉とはよく言ったものだ! ほら、歴代のロザンタールの花嫁たちが横たわっている。この棚という棚に……」
「からかうのはよせよ、メロン」
ブルッと身を震わせた少年を明るい声で笑ってから、メロンはボソリと呟いた。
「急死したロザンタールの当主の判断は正解だったかも。子孫たちに担わせるには重すぎる
その日の午後を丸々費やして3人はリネン箱を点検して行った。
だが、何も、宝らしきものは見つからなかった。
未調査のリネンの箱が残り3分の一となった探偵活動2日目、12月は22日の朝である。
ホテルのスィートルームに届けさせた朝食を食べながら興梠は提案した。
「いいかな? 残りは君たちに任せて、今日の午前は、僕はまた図書館へ行きたいのだが。気になっていることがあって……その部分をもう少し調べてみたいんだ」
「そうですね。あれくらいの数なら、リネン箱の中身の捜査は僕たち二人で十分です」
「うん。時間は限られている。いろんな方向から進める方がいいかもね」
午後にはノワイユ邸へ顔を出すから、と言い残して探偵は先に出て行った。
再訪したフランス国立図書館。
この日、興梠が着目したのは古文書の冒頭部分である。
《 秘密をおまえに語ろう
その根が
その棘は野薔薇のようにおまえの手を指す
もし、この草を手に入れることができるなら
おまえは命を見出すだろう
必要なのは重い石
石が
何処かで読んだことがある一文なのだ。
この文は、絶対、出典がある。オリジナルではない。だが、それが何なのか?
思い当たる文献を片っ端から漁った。《ヴェリチェリ文書》、《カーマーゼン黒本》、最古の福音書と伝わる《グルジアの聖書》……
志儀やメロン青年にも言ったが、まずは部分的に少しでも切り崩していって、最後に全体を見るべきだろう。
とはいえ、あまりにも漠然とし過ぎている。宛ら海の中でもがいているような――
「……」
海? 待てよ。〈必要なのは重い石。石が深淵に引き込む〉…このイメージは重しをつけて沈む、または、飛び込む光景を思い起こさせる。
興梠は呟いた。深淵……海……
すると、唐突に語句の切れ端が口を突いて出た。
―― 深淵の海は彼を岸辺へ投げ出した……
何かを思い出しかけた時、ハッとして顔を上げた。
( まただ。誰かに見られている? )
視線を感じたのだ。実は昨日、待ち合わせたカフェへの道でも背後に違和感を感じた。
その時は見知らぬ街で神経過敏になっているからだと思ったのだが。今また、昨日と同様の、盗み見されているような気配を感じた。
ちょうどさっき、〈海〉について連想したが、こうして見渡すと、図書館自体、海のようではないか!
人影はあるのに、声はしない。海草のように
「?」
左右を見回したが、周囲にいる誰もが顔を伏せ本に覆い被さっている。立っている人たちは書棚を見つめているので、皆、背中しか見えない。
( 誰だろう? だが、確かに誰かが俺を凝視していたぞ? )
一瞬、緊張して身構えた後で笑いが込み上げる。
気にすることでもないか。ここは日本じゃなかった。きっと、パリっ子の誰かが〝珍しい東洋人〟を眺めていたのだろう。それより――
改めて椅子を引き、先刻思い当たった本を探しに書棚へ向かった。
そして――
「そうか? やはり……そうだったのか……!」
☆「パクり」「パクる」の起源は明治時代!明治の学生や不良たちが既に使っていた……!
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