第12話

「そうか、わかったぞ」


 興梠こおろぎはメロン青年に掴みかかった。

「君、この邸に図書室は……あるよな? 欧州の貴族の館には必ずあるはずだが?」

 メロンは胸を張った。

「もちろん、ありますよ! お連れしましょう。こちらです」

 迷路のごとき通路アイルを泳ぐように導く絵画発掘人。この場合は水先案内人と言ったほうが適切だろうか?

 邸の正面から見て真ん中の塔、その螺旋階段から2階へ。鍵の手に折れて中庭に面した東向きの一角。

 時間が止まり、歴史が凝った空間――

 今、一同が足を踏み入れたそここそ、元ロザンタール邸、現ノワイユ邸の図書室である。

 勿論、大きさでは国立図書館には及ばないが。美し過ぎる。

 ミントグリーンの壁。蜂蜜色の書棚。ドラクロワを彷彿とさせる絢爛豪華な天井画。

 だが、この時ばかりは室内の様子には目もくれず興梠は書棚に駆け寄って背表紙だけに意識を集中させた。

 息を詰め、人差し指を立てて、書物の列に視線を走らせる。


 数10分後。

「あったぞ、これだ!」

 遂に一冊の書物を引き出す。訳が分からず突っ立っている二人の助手を振り返って、にこやかに微笑んで言った。

「では、もう一度あの絵の前へ戻ろう。そこで全てを説明するよ」




「この絵は、覚醒している時のメロン君の証言通りホンモノ――真作だと僕は思っている。では何故、意識のない、眠っている時のメロン君がイミテーションと記したのか?

 自覚はなかったとしても、昨夜寝室を訪れた夢遊病のメロン君はクリスマスの妖精の化身だったのかもしれない。そう言いたくなるほど、あのメッセージは僕にとって古文書の謎を解く鍵――最高の贈り物だった!」

「この際、ロマンチックな表現はいいから、興梠さん」

 悪い癖だ、と一笑に付して少年助手が促した。

「で? その絵はニセモノなの本物なの? 一体どっちなのさ!」

「そこだよ、フシギ君! 絵が偽物の時、君は何と言う? どういう言葉を使う?」

「フェイク、贋作……」

「だろ? イミテーションという言葉には違和感がある。それは模造品……主にノワイユ氏が言ったように食器とか毛皮、宝石などに使う言葉だ」

 上着の内ポケットから取り出したパーカー社製の万年筆で興梠はその部分を指し示した。

「この絵で、その言葉が唯一該当する部分は〝ここ〟だ!」

「!」

 青いターバンを巻いた少女の耳にぶら下がった耳飾り。白く煌めく真珠。

 興梠響こおろぎひびきは繰り返した。

「これだ、この真珠は模造品なのだ」

 シンと静まり返った図書室に探偵の声が朗々と響き渡る。

「昨夜、夢遊病を発症したメロン君が置いて行ったクリスマスカード。そのメッセージが言っているのはこのことだよ。そして、それは正しい。歴史上の真実なのだ。

 フェルメールがこの絵を描いた17世紀当時、欧州一帯では模造真珠が大流行した。

 何故って? 真珠は希少な天の賜物だったから。

 ホンモノの真珠は高価過ぎて王族や貴人、もしくはよほどの富豪でしか手に入れることができなかった。だが台頭してきた商人たち新興勢力ブルジョワもこぞって真珠を欲したのだ」

 今一度、探偵の万年筆が宙を斬る。

「見たまえ、耳飾りの真珠玉のこの大きさ。逆に、ホンモノの真珠では到底考えられない大きさだ」

 咳払いをしてから、探偵は大学で修めた美術史を紐解き始める。

「1500年代、スペインのフェリペ王子が許嫁のイギリスのメアリー1世へ結婚祝いに真珠のペンダントを贈っている。それを付けたメアリーの肖像画が残されているが、その真珠すらこれほど大きくはないし色も灰色だ。それは仕方がない。このくらいの大粒真珠は当時はパナマ辺りのクロチョウ貝が生むクロチョウ真珠しかなかったからね。純白の真珠ならアラビア産のアコヤ真珠だろう。だが、どうやって手に入れた? しかも値段は? それこそ横にいる天文学者ならぬ――〝天文学的な〟金額のはず」

これは探偵流のジョークだった。受けなかったが。助手たちはニコリともしなかった。隣の《天文学者》の絵を一瞥してから話を再開する。

「ところで……

 このモデルの少女はどう見ても貴族のお姫さまではない。せいぜいが商家の娘、ひょっとしたらその家の小間使いかもしれない。そんな娘にこれほど真っ白で大粒の本真珠が手に入るはずはないではないか。

 フェルメールはこの絵で、模造真珠の首飾りをつけた市井の少女を描いたのだ」

 この画家が〈至高の風俗画家〉と呼ばれる所以である。

 メロンが思い出したようにボソリと呟く。

「今更ですが、この青いターバンを巻いた娘には別の題名があります。それこそ、《真珠の首飾りの娘》――そのくらい当時の人たちは娘が付けている真珠に注目したんでしょう」

「ああ。な~るほど!」

 志儀しぎがパチンと両手を打った。その目が期待にキラキラ――それこそ画中の少女の耳飾りと同じくらい輝いている。

「イミテーションに関する絵の解釈は理解したよ、興梠さん。で、この推理のその先は? よもや、これでお終いじゃないよね?」

 探偵は大きく頷いた。

「この模造真珠を見て、僕はもうひとつ気づいた。それがあの奇妙な日本語〈アオイ紅〉の意味だ」

 息を継ぐ。再び口を開いた探偵は少々哀しげに見えた。

「謎というものはわかってしまうと実にあっけないものだな。いいかい?

 アオイ紅は頭文字だ。

 

 アはアラビア湾。

 オはオマーン湾。

 イはインド洋

 そして、

 紅は紅海。

 

 どれも古代の真珠採取地なんだ」

 

「えーーーっ!」



「そして、このように読み解くと、古文書の冒頭部分の《ギルガメッシュ叙事詩》もまた別の見方ができることに気づいた。昨日、僕はあの引用部分を〈海〉の隠喩であり象徴であると言ったが、もっと具体的に、あれは古代の真珠採取の光景そのものなんだよ!」


 重しをつけて海へ飛び込み、真珠を抱く貝を集める……

 真珠を生む真珠貝――アコヤ貝の表面は棘があって手を傷つける。

 更に、その貝は海底に〝根を下ろしたように〟張り付いて群棲している。

 その様子は、さながら、草のようだ。



「宝物は何→ギルガメッシュ叙事詩→採取方法の隠喩→真珠

 宝物は何処から来た→採取場所→アオイ紅→アラビア半島


 〈アオイ紅〉はロザンタール家の宝物の故郷、つまり、産出地を告げている。そして、その宝物こそ〈真珠〉なのだ。


 以上。Q.E.D……証明終了」

 興梠は万年筆を内ボケットに仕舞った。

「これで古文書の謎はほぼ解けた。その隠し場所以外は……」


 呆然と佇む探偵補佐・絵画発掘人へ興梠は声をかけた。

「メロン君。繰り返すが、僕に解読のヒントを与えてくれたのは、君のメッセージだ。だから、君をクリスマスの妖精に例えても決して大げさじゃない。そうだろう、フシギ君?」

「まあね! 凄いよ、メロン君、謎を解く魔法のカードを僕の枕の下に置いてくれてありがとう!」

「そう言われてもピンと来ないよ」

 青年は頭を掻いた。

「だって、自分では全く記憶にないんだから。〝起きてる〟僕はこの娘の微笑に見惚れはしても……真珠なんて全然意識しなかった」

 志儀が物知り顔で言う。

「まあ、そこが深層心理の恐るべき点さ。ねえ、興梠さん?」

「そうだね。この分野はまだ研究が始まったばかりだ。未来の科学者に委ねるしかなさそうだ」

 頬を火照らせて少年助手が締め括った。

「これで僕にもよぉくわかったよ!《天正遣欧てんしょうけんおう少年使節》の誰かにロザンタールのご先祖は自分たちの秘匿する財宝の産出地の頭文字を日本語で記して貰った。一族以外の誰かが読んでもわからないように。より謎を深くするために。だから、古文書のあの部分が日本語表記なんだ。この点に関しても、これにてスッキリ Q,E,D!」


「疑問が一つあります」


 メロンが手を上げた。

「〈アラビア湾〉について、です。貴方のお国ではどうか知らないが、実は欧州でのその海の呼称は〈ペルシャ湾〉なんです。とすると、貴方のその解読方法は成り立たない」

 吃驚して志儀が叫ぶ。

「えええ!? どゆこと?」

「つまり、〈アオイ紅〉ではなく、〈ぺオイ紅〉になってしまうんだよ、シギ」

 先輩助手から探偵へ顔を向ける。ルカ・メロンは決然と言い切った。

「残念ながら、貴方の推理は破綻しています。ムシュウ・コオロギ」

 探偵は動じなかった。

「その点は僕も不安だった。だから、確認したんだよ」

 先刻図書室から持ち出した本を掲げる。

「その海域の名称については、過去から現在に至るまで欧州では〈ペルシャ湾〉が一般的だということは僕も承知している。だが、以前、学んだことで微かな記憶があって……ただ、僕自身、記憶に自信がなかった。それゆえ、立証してくれる文献が必要だった。ひょっとして歴史あるこの邸の図書館にならあるのではと探したのさ。果たして――見つけたよ」

「なんです?」

「百聞は一見に如かず、だ。いいかい、メロン君。欧州でも一時期、16世紀から17世紀の間、〈アラビア湾〉という表記が採用されていたことがある。その時代の地図がこれだ。見たまえ、ここにはちゃんとペルシア湾ではなくアラビア湾と書かれている――」

 そのとおりだった……!

 《フランス人ジョラン家が制作した地図》1667年版。

 そこにははっきりと記されていた。


    SEIN ARABIGUE ――アラビア湾。




「BRAVO! ムシュウ・コオロギ! 素晴らしい!」


 旧ロザンタール邸・現ノワイユ邸の古式ゆかしい図書室に響き渡る感嘆の拍手。

 絵画発掘人の若者は惜しみない賞賛の言葉で東洋から来た探偵を讃えた。

「貴方はホンモノの一流の探偵だ! 明日パリに帰って来るこの邸の当主、ノワイユ氏も、僕同様、賞賛の言葉を叫ぶでしょう。貴方の推理は完璧だ! BRAVO! ムシュウ・コオロギ!  BRAVO!」


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