第14話

 ノワイユ邸。


 迎えに出た執事を突き飛ばす勢いで興梠こおろぎは駆け寄った。

「ノワイユ氏は何処だ?」

「こちら……リネン室です。あ!」

 執事など待っていられない。追い抜いて広い廊下を爆走する。その目に情景が飛び込んで来た。

 扉の前に佇立しているノワイユ氏、足元にはシーツの塊。これに膝を折り屈み込んでいるのが到着した医師なのだろう。近づくにつれ、シーツに染みた血と赤毛が見えた。

「フシギ君!」

「あ、ムシュウ・コオロギ!」

「一体何があったんです!」

「私にもわからない! 私こそ被害者だ!」

「くそっ! 子供を撃っておきながら――」

「だから、泥棒だと思った! とにかく、今、応急手当をしてもらってる。命には別条ないそうだ」

「本当ですか!」

 ひとまず安堵の息を吐く。全身から急に力が抜けた。その探偵の腕をむんずと掴むノワイユ。

「治療の間に私の知っていることを話そう。相談にも乗ってほしいし――」

「え? あ……」

 ノワイユは興梠を引っ張って廊下の隅へ寄るとおもむろに語り出した。

「予定より早く帰宅した私が就寝前に一杯やっていると――」


「階段を登って行くような妙な物音がした。広いだけに夜はいやに音が響くんだよ。私以外の者は全員休んでいる。まさか邸に住み着く幽霊ではあるまい。私は近代人だからその種の存在は信じちゃいないのだ。で、変だなと思って、念のため懐中電灯と護身用の銃を持って――私は亡霊より人間のほうがずっと恐ろしいからね?――様子を見に音のする方向へ進んだ。

 果たして、音は塔から聞こえていた。追って登って行くと最上階、例のオルゴールの小部屋のドアが薄く開いていて、光が漏れているではないか! 中に人影が見えた。それで静止するよう命じたところ、逃げ出したんだ。私は何度か止まるよう警告したが、従わないので、撃った!」

「撃った……」

 鸚鵡返しの探偵を無視してノワイユは話し続ける。

「だが、撃たれた後も侵入者は足を止めず逃げ続けたのだ! 鼠のように塔を掛け降り、この部屋に隠れた。手負いのはずだ。私の銃弾は命中している。手ごたえは確かにあった。それで、決心してドアを開けたところ――飛び出して来て、今度こそ完全に伸びてしまった」

 ノワイユは忌々しそうに顎でそちらを示した。

「あのとおり、廊下の床に昏倒している。シーツに包まったまま……

 まあ、最後の悪あがきでシーツの中に隠れようとしたのだろうな? 浅墓なふるまいだよ。で、近づいて覗き込んだら、なんと吃驚! 君の助手じゃないか! しかも赤毛に染めている」

 探偵が反応した。

「赤毛に染めている?」

「そうさ。だが、そんなこと以上に訳が分からないのは……あいつは何故、こんな時間に、しかも、こっそり私の邸に侵入したんだ? 君が命じたのか? 私が発砲したのも当然だろう? 泥棒だと思ったからだ!」

「待ってください。赤毛に染めているって――僕の助手はあれが地毛です。元々赤毛なんだ」

「いや、金髪だったろう? だから、染めてるよ・・・・・

 ノワイユは忌々しげに鼻を鳴らした。

「だいたい、最初からあいつは信用ならない怪しい奴だと思ったんだ! ルカ・メロンなんぞと名からしてふざけている」

「メロン……? 志儀しぎじゃなく?」

 ここへ来て、興梠はノワイユの手を振り解くとシーツに包まれたその人物に近づいた。顔を覗き込む。

「!」

 確かに。メロン青年だった。しかも、赤毛に染めている。

「――」

「ムシュウ・コオロギ、ちょっと――」

 ノワイユが再び探偵の腕を引っぱった。

「それで、相談というのは他でもない。傷のほうは、ご覧の通り、左腕をかすった程度。私は揉め事は嫌いだ。つまり、警察沙汰にはしたくない。これは偶発的な事故だったと医師には言ってある。どうかな? 君も口裏を合わせてくれるとありがたい。もちろん今回の件に係る医療費は全額、私が負担するよ。あの医師は私の友人だから極力協力してくれるし心配はない」

 依頼人の声音が変わった。いかにも小狡そうに唇をすぼめると、

「メロンだって警察沙汰になったら有利とばかりは言えまい? 勝手に深夜に無断侵入したのは事実だし。この件を公にするのなら、私も不本意ながら弁護士を雇って正当防衛を主張するつもりだからな」

 再び懇願するように哀れっぽい口調で、

「一応彼は君の助手だから、君から彼を説得してほしい。頼むよ、お願いだ! この件はなかったことにしよう!」

「――それでいいですよ」

 はっきりした声。治療が終わったらしくメロンが起き上がった。

「僕も、警察沙汰は御免だ」

「むむ、聞いていたのか?……結構。それなら話が早い。だが、こんなことになった理由は語ってもらわねばな、ルカ・メロン」

「では、私はこれで」

 医師は立ち上がると――口止め料もたんまり貰ったのだろう――無言で引き上げた。

 入れ替わりにその場へ駆け入って来たのは志儀、ホンモノの赤毛の助手だ。

「ひどいよ、興梠さん! 僕があんなに呼び止めたのに――」

 興梠の顔を見るや少年は口を尖らせて抗議した。

「無視して走り去って行くんだもの!」

「あ! あの、背後から僕を呼ぶ声……『興梠さん、興梠さん』はホンモノだったのか! 幻聴じゃなく?」

「ったく、これだから!」

「しかし、君、ベッドにいなかったろう? 僕はてっきり……」

「トイレにいたんだよ! 口喧嘩のせいでムシャクシャして眠れないから……こっそり起きだしてシャンパンをがぶ飲みしたんだ。それで、トイレへ……」

 少年の言葉が途切れた。シーツに包まったメロンを見て目を丸くする。

「そんなことより、どうしたのさ? 何、これ? 幽霊ごっこでもやってるの、メロン君?」

「とにかく、ここではなんだ、私の書斎へ行こう」






 〈苺泥棒〉の青いカーテンの向こうで冬の空は白み始めていた。


 la veille de Noël〈クリスマス・イブ〉の早朝、旧ロザンタール・現ノワイユ邸の書斎に集合した全メンバーは――

 当主であり、今回の案件の依頼主ティメオ・ノワイユ。探偵・興梠響こおろぎひびき。その助手・海府志儀かいふしぎ。新(臨時)助手で自称絵画発掘人、ルカ・メロン。

 一同を見まわして探偵が口を開く。

「良い機会です。今回依頼された古文書の謎の文言、その解読の結果をご報告いたします」

「でも、その前に、僕の行動についてお話しますよ」

 もうシーツは纏っていないが代わりに左腕を包帯でぐるぐる巻きにしたメロンが頭を下げた。

「改めて謝罪します。僕が悪かったんです。あらかじめ連絡すべきでした。僕がここへ来たのは預けてあった人質――フェルメールの《天文学者》を引き取ろうと思ったからです」

「何故、朝まで待たなかった? しかも、こそこそと、それこそ泥棒と間違われても仕方ないぞ」

 憤慨した口調でノワイユが責め立てる。

「だから、その点を謝ってるんです。これが僕の流儀なんです。沁みついたやり方は変えられなくて、つい……」

 肩をすくめるメロン。左腕を吊っているので妙な仕草になってしまった。

「もう謎解きは終了したので、僕の興味は失せました。だから、とっとと退散しようと思ったんです」

 絵画発掘人は昨日の内に荷物を整理していたのだ。あとは預けてある絵画を回収すればいい。これでいつでも、どこへでも旅立てる……

「邸にはどうやって侵入した?」

「だから、そこも僕の流儀で……」

「ふん! 思った通りだ! やはりおまえは泥棒と変わらない!」

「でも、騒動を起こすつもりはありませんでした。あの絵は僕の絵だ。サッサと取り戻して、後腐れなく消えるつもりだったのに。貴方が帰って来てるなんて知らなかった! 僕のほうも吃驚して混乱し反射的に逃げてしまったんです」

「何故、髪を染めたのさ?」

 こう訊いたのは志儀だ。

「綺麗な金髪ですごく似合ってたのに」

「ああ、それは……別に意味はないよ。しいて言えば、気分一新。赤毛も素敵だなって、君を見てそう思ったのさ」

「ほんと? それはどうも! メロン君」

 一変に機嫌がよくなる本家赤毛の助手だった。

 片や探偵はジィッと鋭い視線で赤毛に染めた臨時助手を見つめている。

「なんです?」

 流石に居心地が悪いと見えモゾモゾ落ち着かないルカ・メロン。

「あ、いや、別に」

興梠は視線を逸らした。

「まあ、我が邸への侵入の件は一応了解した。君には約束通り、探偵助手の給金とともに医療費も出すさ。では、本題の方を拝聴しようではないか、ムシュウ・コオロギ。

 古文書の文言解読の件、聞かせてくれたまえ」

 当主は椅子に深々と座り直した。

 興梠は現在までにわかったことを理路整然と報告した。

 まず新助手・絵画発掘人のメロンが〈敷布シーツの前〉から〈古いシーツ〉と発想し、リネン箱と読み解いた。それで一応邸内のリネン室にあったリネン箱は全て調査・点検した。その後、古文書の一部分が《ギルガメッシュ叙事詩》からの引用であることを探偵が発見。最大の謎である〈アオイ紅〉の日本語記述については、《天正遣欧少年使節》とロザンタール家の縁が歴史資料からも裏打ちできた。この言葉は財宝の〝産出地〟を示唆している。《ギルガメッシュ叙事詩》がほのめかす財宝の〝正体〟と合わせて導き出されるロザンタールの財宝こそ〈真珠〉なのだ。

 残念ながら財宝はリネン箱に入れられて海中に沈められた公算が高い――



  以上、報告を聞き終えたノワイユはのっぺりした声で言った。

「つまり、謎はほぼ解いたものの……現段階では実物……その財宝……ロザンタール家の真珠を入手することは困難だと?」

「申し訳ありません、僕の力ではここまでが限界です」

 椅子から立ち上がり天を仰いでうめくノワイユ。

「ううむ、海! 海! 海! 海ねえ!」

 すかさず少年助手がなだめた。本当に・・・卒倒されると面倒だと思ったからだ。

「仕方ないよ、ノワイユさん。それこそ、欧州中の海を、ギルガメッシュの詩にあるみたいに、足に縄をつけて潜るほかないんだから! そこまでは僕たちはできないよ!」

 青年助手が少々分別臭く続ける。

「おまけに、ギルガメッシュの詩が隠喩メタファーなら、警告してるとも読める。つまり、真珠貝の貝殻のことだけじゃなく、財宝を沈めた場所は〝手足を傷つける危険性がある海域〟というわけだ」

 メロンは自分の怪我をした左腕を撫でながら、

「そうだったら、財宝を本気で見つけるには、体が血だらけになる覚悟が必要だな。いや、擦り傷どころか、命の危険さえある」

「財宝発見は諦めたほうがいいよ、ノワイユさん! だって、宝物のために犠牲者を出したら、それこそメロン君みたいに血だらけの幽霊がこの邸を徘徊することになるかも……」

 志儀はメロンが脱ぎ捨てて足元に置いていたシーツを被った。

「ウラメシヤ~~~」

「なんだそれ?」

 思わず吹き出すメロンに、

「あ、日本の幽霊の決まり文句だよ。ねえ、興梠さん?」

 興梠は応えなかった。口を引き結び、シーツを被った助手を睨みつけている。

 少年は慌ててシーツを脱ぎ捨てた。

「うわ? この種のジョークはダメだった? 死者は鄭重ていちょうに扱え? わかりましたっ!」

「わかった!」

「だから、わかったってば! 確かにこれは子供じみてた。僕はもうれっきとした叔父さんなのに、幽霊の真似なんて――え? ググ……」


   バサリ


 興梠はシーツを掴むと、今一度、助手に被せた。腕を組んで数秒見つめた後、叫んだ。

「わかったぞ! 海じゃない! 財宝はこの邸の中にある!」


 探偵よりも更に大きな一同の叫び。



「えええーーーーっ!」


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