CHEEKY X’MAS―愛しの生意気エイティーン―
馳月基矢
CHEEKY X’MAS
年下の男の子と付き合っている。
待ち合わせ場所はいつも、彼の高校の近くにある本屋。進学校の受験生の彼は、12月にもなれば、毎日遅くまで放課後補習がある。仕事上がりのわたしのほうが、今日も早かった。ファッション雑誌を眺めて時間をつぶす。
デートの待ち合わせをするのは何度目だっけ、と記憶をたどる。案外しょっちゅう会っていることに気付いて、こっそり微笑む。
ファミレスで晩ごはんを食べる。手をつないで歩く。公園でキスをする。ゲーセンで遊んでみる。服屋を冷やかす。夜は遅くなりすぎないうちにバイバイする。少し浮かれた気持ちで「おやすみ」のメッセージを送る。返信代わりの不意打ちの電話に、ときめく。
わたしまで高校生に戻ったような、彼との距離。わたしは満足してるつもり。でも、彼が背伸びをしたがってるのも感じる。どうしようかな、と思う。彼と同い年の弟からは呆れられてる。あんまり焦らすと爆発するよ~、と。
「お待たせしました」
唐突に、耳元といえるくらい近くで、柔らかなささやき声がした。
「もう、びっくりさせないで」
「驚きすぎです」
くつくつ笑う確信犯が憎らしい。足音くらい立ててよね。身のこなしが極端にしなやかで、まるで猫みたいな彼には、ときどきこうして驚かされる。
まあ、いいけど。かわいいから。
「補習、お疲れさま。この時期にデートなんかしてて、本当に大丈夫なの?」
「心配ご無用です。第1志望の国立大、A判定しか取ったことがありませんから」
緩やかにウェーブした髪の長身の美少年が、あでやかに笑う。彫りの深い顔立ちとダークグリーンの目が、どこかエキゾチックで。ファッション誌を眺めるふりの女性たちが、チラチラと彼を気にしている。
「じゃあ、行こうか」
立ち読みしていた雑誌を手に、彼と隣り合ってレジの列に並んだ。
と、彼と同じグレーの制服の男の子が彼に声を掛けてきた。彼の同級生らしい。短い会話の後、同級生くんはおもむろに、わたしに目を向けた。この人は誰、と。彼が完全無欠の笑顔をつくる。
「ぼくの彼女」
何回目かの、同じシーン。相手のリアクションも、だいたい同じ。なるほど納得、って。おまえ大人びてるから年上の女性がちょうどいいんだろうな、って。
あのね、うなずいてみせてるけど本当は、わたしは笑いをこらえてる。きみ、気付いてないわよね?
冷静沈着で頭脳明晰、いつも澄ました顔をしてる彼は、実はずいぶん子どもっぽい。
だって、この本屋を待ち合わせ場所にする理由、目撃してもらいたいからでしょ? わたしと一緒にいるところを、同じ学校の人たちから。
と、うがったことを言っても、きっと彼はうなずかない。このお店はわたしの仕事場からも近いからとか、意外と本好きな2人が時間つぶしできる場所だからとか、もっともらしい理由を並べて、はぐらかす。
そういうことにしておいてあげる。じゃないと、すぐ
雑誌を買ってお店を出る。素朴なイルミネーションの通りへと歩き始める前に、わたしは彼に大きな紙袋を差し出した。
「はい、プレゼント」
「え? どっちの、ですか?」
「誕生日のほうに決まってるでしょ。今日はまだ24日。サンタさんがプレゼントをくれるのは、25日になってからよ」
紙袋を受け取りながら、ダークグリーンの目がキラキラしている。
「ありがとうございます。これは、服?」
「そうよ。駅かどこかで、今すぐ着替えてきて」
「今すぐ?」
「当然でしょ。その格好でクリスマスイヴのデートをするつもりだったのかしら?」
グレーの制服の第2ボタンを、ボルドーのマニキュアの指先でつついてみる。彼の形のいい唇が開かれて、わたしに反撃しようとして失敗して。
「……着替えてきます」
「素直でよろしい」
きまりが悪いのを隠すときの、いじけたような怒ったような、唇を軽く尖らせた横顔が、かわいくて好き。
***
もしも彼と同い年だったら、彼を好きにはならなかったと思う。高校生の女の子にとっては、彼は手強すぎる。
わたしの弟を含む仲良しグループの中でも、彼はちょっと特殊な立ち位置だ。
でも、実は違う。
花火大会の夜。パン、と音を立てて空に咲く花火を見上げながら、きれいね、と月並みなことを言ったら、彼らしい答えが返ってきた。
「ただの炎色反応ですよ」
やっぱりねって笑って。続く言葉に、息を呑んだ。
「あなたのほうがきれいです」
「え……」
「付き合ってもらえませんか? あなたのことが好きなんです」
余裕ぶった笑顔の仮面を、そのときの彼は付けていなかった。声が震えていた。あまりにも驚いて、「考えさせて」としか言えずにいたら、彼は泣き出しそうな横顔を見せた。
わたしの前でだけ、彼は正直だ。
お祭り好きな弟がグループみんなの誕生日を訊いたとき、変わり者の彼はいつもの笑顔のまま、頑として答えなかったらしい。みんな最後にはむきになって、あの手この手で聞き出そうとしたそうだけど、彼の鉄壁の笑顔を崩せず。
「自分で成し遂げた功績でもないのに、祝う? まずその時点で、誕生日というものの意味がわかりません。祝うなら、親たちが勝手に祝えばいいだけの話です」
困った子だ。生意気にもほどがある。
と思いきや、そうでもなかった。案の定、というか。
「わたし、3月末なのよね。子どものころはイヤだったわ。学年でいちばん遅かったし、春休みだし」
2人きりのときにわたしが言うと、彼はパッと目を輝かせた。
「それなら、3ヶ月と数日は年齢差が1つ縮まるんですね」
何それ、と思わず笑ってしまった。ロジカルを売りにする彼らしからぬ発言だ。
「生まれた日数の差は縮まらないわよ?」
「でも、年齢差は縮まるんです。数字で示される、まごうかたなき客観的事実じゃないですか」
ダメだ。この子、かわいい。わたしは手を伸ばして、彼の頭をぽんぽんと叩いた。
「年齢差が縮まるのが3ヶ月間ということは、きみの誕生日は12月なのね? 何日?」
まつげの長い目を見張って、彼は固まっている。ちょっと触れただけでこうなるんだから、やっぱりかわいい。
「に……24日、です」
ああ、だから誕生日を他人に言いたくなかったのね。秀才で毒舌で変わり者の理系少年にあまりにも不似合いな、ロマンチックな日。
「お祝いしてあげる」
「……大人の女性は、24日、別の予定があるんじゃないんですか?」
「きみの誕生日以外の予定、入れちゃっていいの?」
ダークグリーンの目に、必死な光。
「イヤです」
その瞬間、抱きしめたくなった。
***
白のボートネックニットに大きめのペンダント、紺のスキニーパンツ、羽織りものはキャメルカラーのチェスターコート。
「イメージしてた以上に似合ってるわ。モデルみたいよ」
着せ替え人形の出来栄えに、わたしは自画自賛した。意外と気分屋な彼は、まんざらでもないようで、得意げに澄ました顔で笑ってみせる。
「もともとです。撫で肩であること以外は、モデルとしてほぼ完璧な体型ですから」
わたしが勤めるヘアサロンの近くに、お気に入りのカフェバーがある。大学生のお客さんが言うには、ちょっと大人の雰囲気だから背伸びしないと入れない、らしい。
雑居ビルの11階。3人乗ったら窮屈になるエレベーターで昇ると、細長い店内は、キャンドルが揺れる薄闇だ。ソファ席は全部、ガラス張りの窓を向いて置かれている。
「案外、それっぽい夜景でしょ?」
私立の高校と大学がいくつかあるだけのこの町のイルミネーションが、このカフェバーからは、思いがけないくらい都会っぽく見晴らせる。
「ただの白色LEDなのに」
ポツリとつぶやく横顔。ソファで隣り合うようなお店に一緒に来たのは初めてで、この距離は新鮮だ。
「そうね。ただの電気」
「なのに、きれいだと思えるから不思議です」
きみのその感性こそ、ちょっと不思議よ。
お店の料理は創作イタリアンで、今週はクリスマス限定ディナーがおすすめとのことだ。迷うことなく、2人用のコースを注文する。飲み物は、彼に合わせてジンジャーエール。
「ハッピーバースデー」
カチンとグラスを合わせる。喉にじゅわりと染みる、甘い生姜の香り。くすぐったそうな顔をしてグラスを置いた彼は、ポケットから小さな包みを取り出した。
「前倒しですけど、クリスマスプレゼントです。確か、ほしいと言っていたの、これですよね?」
「わたし、きみの前で何かほしがったりした?」
「開けてみてください」
受け取って、包装紙を解いて、小箱を開ける。ダークグリーンの石が付いた、シルバーのピアスだった。確かにわたしが気になってた、ちょっと上等なブランドの新作ピアスだ。
「ありがとう。でも、どうして? わたし、これ……きみには何も言ってないのに」
「雑誌で、ずいぶん熱心にチェックしてたでしょう? ページ数と、視線が向かっていたおおよその位置を覚えていたので、後で確認しました」
彼は、ずば抜けて目がいい。単純な視力だけじゃなくて、観察眼がとにかく鋭い。
「高かったんじゃない?」
無粋だけど、つい訊いてしまった。今日やっと18歳になった男の子が買うにはお高いブランドだ。
「数学や物理のパズルの全国大会、賞金が意外といい値段だって知ってます?」
自分のこめかみをトンとつついて、ウインク。何でそんなポーズが似合うのよ、きみは。
「ありがとう。嬉しい」
「どういたしまして」
去年の誕生日に自分で買ったピアスを外して、もらったばかりのそれを付ける。ひんやりとした重みが揺れる感触。
彼の指が、そっと、わたしの耳元の髪をすくい上げた。
「どう? 似合う?」
「振り子の動線はやっぱりきれいです」
「誉めてるつもり?」
彼に悪気がないのはわかってる。いちいち笑ってしまう。
「あなたはもっと明るい色が好きなんだと思ってました」
「この色は一目惚れだったのよ。きみの目の色と似てるから」
彼のダークグリーンを見つめて微笑んだら、薄暗がりの中でもハッキリと、彼が真っ赤になった。やけどでもしたみたいに、ビクッと引っ込んでいく臆病な指。
はい、わたしの勝ち。
***
クリスマスイヴのデートとはいえ、高校生を夜遅くまで連れ回すわけにもいかない。常識的な時刻にお店を後にして、わたしの家へ向かう帰り道。
隣を歩く彼が、何度目かのため息をついた。わたしは苦笑いしか出てこない。
「何がそんなに気になってるの?」
答えてもらわなくても、だいたいわかるけど。
帰り際、お会計をしてくれたマスターとわたしの会話が引っ掛かってるんだと思う。珍しくノンアルコールだね、彼氏は年下? たったそれだけ。でも、繊細な少年をいじけさせるには十分だったみたい。
「本当に行きつけなんですね、あの店」
軽く唇の尖った横顔が、わたしを見ずに言った。
「一人で気楽においしいお酒が飲めるお店って、けっこう貴重なのよ」
「今日、未成年のぼくがいて邪魔だったんじゃないですか? あのマスターって人と、あまりしゃべれなくて」
「変な言い方しないの。カウンターにいた女性、マスターの奥さんよ」
相変わらず、ため息。つないだ手は、いつも以上にふわっとした握り方が頼りない。
「自信がなくなるんです。あなたといると、経験したことない場面ばかりで、正解の出し方がわからなくて」
最近、理解した。わたし以上に年齢差を気にしているのは彼のほうだ、と。付き合うと決める前は、わたしは後ろめたくて、恐れ多いようにも思っていたけど。
角を曲がると、緩みがちだった彼の歩調は完全に止まってしまった。わたしのマンションが見える。夜道のデートは、もうすぐ終わる。
わたしは、自分の部屋を見上げた。明かりはともっていない。同居人である弟からは、不良ボーイは今夜帰りませんのでごゆっくり~、とメッセージをもらっている。
「ぼくは……子どもすぎますか? 本気になってもらえないくらい……」
本気なのにな、わたし。どうやったら心が噛み合うのかなって、正解かもしれない方法を、1つ知ってる。
やっぱり、今夜。
「自信がほしいの?」
彼の頬に触れて、こっちを向かせて、微笑んでみせる。お願い、わたしがドキドキしてることには気付かないで。
わたしもこんな場面、経験したことないわよ。年下の男の子が愛しくてたまらないなんて。ここまで本気で恋をする日が来るなんて。
彼が切なげに目を伏せる。1歩、彼に近寄る。ブーツのヒールが、カツンと鳴る。背伸びをして、触れるだけのキスをする。
白い吐息。少し冷えた唇。デザートのガトーショコラの甘苦い残り香。
臆病なダークグリーンをのぞき込んで、間近な距離から絡め取った。
「今夜、大人になってみる?」
ハッと見張られた目の奥に、あらがいがたい熱が燃えた。きっと、絡め取られたのはわたしのほう。
「朝まで一緒にいさせてもらえるんですか?」
「きみはどうしたいの?」
熱いまなざしが、わたしを射抜く。ギュッと強く抱きしめられた。
「離したくない」
クリスマスプレゼントを贈り合いましょう。この上なく特別な。
今夜、大人になる、きみと一緒に。
きみの誕生日が終わるまで、あと3時間。サンタクロースの時刻が来るころ、わたしは、きみの腕の中にいたい。
【了】
出演:阿里海牙(「運命の一枝」シリーズ)
CHEEKY X’MAS―愛しの生意気エイティーン― 馳月基矢 @icycrescent
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