えべっさん

川上 神楽

えべっさん


 福の神えびす様を祀る西宮神社は、全国に約3500社ある「えびす神社」の総本社だ。商売繁盛のご利益があり、関西では「えべっさん」の愛称で親しまれている。1月9日が宵えびす、1月10日を本えびす、1月11日を残り福と言い、境内では「商売繁盛、笹持ってこい」と賑々しい声が飛び交う毎年の恒例行事だ。鯛や金の米俵などを模った縁起物を飾った笹を持った参拝客で沿道が溢れる。

 俺は1月10日の早朝、赤門の前に立っていた。今年こそは俺が福男になるんだ。ここで福男にならなければ正月は終われない。赤門前は「我こそは」と気勢を上げる猛者どもでひしめいている。「福男選び」は1月10日の早朝6時の開門と同時に参拝者たちが本殿への230メートルを疾走する過酷なレースである。

 最初にくじ引きで、スタート位置が決定する。今年はくじ運が良く俺は赤門の手前、最前列右側からのスタートとなった。赤門の右側に陣取った俺は有利な状況だと言えよう。開門すると同時に一直線に走るのだが、このコンクリートの参道は少し右斜めの直線となっている。それを知らぬ者は正面に向かって走ってしまい他の走者とぶつかってタイムロスしたり運悪く転倒したりもする。俺は右斜めに走るのには慣れている。体育大学の野球部だからだ。しかしこのコースには3つの難関が待ち構えている。

 最初の難関は「天秤カーブ」。全力で50メートルを走り切った後の急激なカーブに加え、地面はコンクリートから石畳へと変わり滑りやすい。ここで脱落する者は多い。無事に「天秤カーブ」を曲がり切った後は100メートルの直線を疾走し、今度は左のカーブを曲がる。そこに待ち受けるのが「審判の楠」という立派なくすのきだ。ここではコース選びが重要となる。楠の左側、すなわちインコースを狙わないとタイムロスになる。そして最後に待っているカーブが「魔物の角」と呼ばれていて、ゴールの目前で直角に曲がらなければならない。昨年はぶっちぎりのトップを走っていた俺だが、最後のカーブで靴が脱げてしまいゴール目前で転倒してしまったのだ。その横を陸上部の米良めらが通り過ぎていった。

 福男となった米良はニュース番組でも取材され、大学でも一躍「時の人」となり、ミス体育大学の彼女を射止めた。一方、俺はゴール直前で福を逃した男として大学では笑いの種にされた。運にも見放された俺は彼女どころか全然モテる気配もなく、大学野球の試合では平凡なライトフライを落球して逆転負けを喫し、就活では50社連続で内定を逃してしまうという散々な一年間だった。おのれ米良め、今年こそは昨年の雪辱を果たすぞ! そして俺も可愛い彼女を……。

「おい古賀、さっきから何ぶつぶつ独り言を言ってるんだい?」

「いや、なんでもない。米良、お互いに健闘しよう!」

「まあ、今年も陸上部のエースの俺が勝つけどな!」

 愚かな奴め、そうはいくまい。この日のために1年かけてトレーニングを重ねてきたんだ。俺は1年間の努力を振り返った。野球部の練習が終わるとトレーニングジムに通い下半身の筋力アップに取り組んだ。毎朝、早朝のジョギングが日課となった。それもすべて今日のために。何が陸上部のエースだ、こんな奴に負けてたまるか。野球部の威信にかけて今年こそ福男になってみせる。

 米良は腕時計をちらりと見た。

「さあ、いよいよ開門だぞ、古賀」

「勝負だ! 米良!」

 目の前で堅く閉ざされていた赤い門が開き視界が一気に広がった。境内の景色が目に飛び込むと同時に俺の体は即座に反応する。わぁっと歓声が沸き、白い息を吐きながら参拝者が一斉に走り出す。スタートの瞬間から先頭集団に揉まれる。早くも転倒者が続出する。

 混戦を振り切り50メートルを駆け抜けた俺はトップスピードのまま最初の「天秤カーブ」に差し掛かった。大回りをして転倒する者を横目に、ここは慎重にインコースを狙っていく。よし、最初の難関はクリアだ、難なく曲がり切った。次は100メートルの直線、ここで走力の差が出る。トップ争いは絞られた。1年かけて筋力アップした俺は、必死に食らいついてくる米良を振り切ってトップに躍り出た。

 よし、いけるぞ! 2つ目のカーブを曲がると目の前には楠があった。冷静な判断で楠の左側を走り抜けていく。コース選択も抜群だ。だが油断は禁物だ。背後から俺を抜きにかかろうとする靴音が鳴り響く。俺は前だけを向いてひたすら走り続ける。

 さあ、本殿が見えてきた、ゴールは目前だ! あとは「魔の角」をうまく曲がり切って神主に抱きつくだけだ。これで最後だ、俺は後ろを振り返った。米良よ、今年は俺の勝利だ! だが目に飛び込んできたのは胸を揺らしながら疾走する少女の姿だった。少女は俺に追いつこうと必死に走っている。

「なんだ? この速い少女は? この子は何者なんだ?」

 そう思った瞬間、俺は地べたに這いつくばっていた。顔を上げると横を少女が通り過ぎていく。あろう事か俺は石畳のわずかな段差につまずいて靴が脱げ無様な恰好で転倒してしまったのだ。そんな俺の目の前で少女が神主に抱きつく。次々と俺の横を参拝者が走り過ぎていく。

 最後のカーブには魔物が棲んでいる。まさか福女がいたとは……。地べたに転がった俺は呟いた。

「商売繁盛、笹持って……こい」

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