第7話「忠実無比 汝はメイドロイド」

 第一階層のキャンプ地に着いたところでいきなり戦力外通告を受けた将真たちは、凍りついた彫像のようにその場で立ち尽くしていた。


 将真は烈火のごとく怒りに燃えたルシールの「なにひとつ聞き入れないぞ」という断固たる決意を秘めた背をジッと凝視しながら、一体自分のなにが悪かったのかを自問自答した。


「なんで、なんでなんですか……いくらなんでも酷すぎます。あたしは役に立ってなかったけどショーマさんは頑張ってたじゃないですかっ」


 ネネコはぴいっと喚きながら両腕を振り回して憤慨する。


 乗っかるようにしてプラウドも目を血走らせて地団太を激しく踏んだ。


「やっぱりそうだっ。あのいけ好かないフニャチン野郎がルシールに妙な入れ知恵をしたに違いないっ。私の栄光の座を妬んでやったに決まっている!」


「荷担ぎ人夫の座なんて誰も狙わないからプラウドさんは黙っててください」


「はい」


 将真は親指の爪をガジガジやりながらここに至るまでルシールとかわした言葉や関係性に思いを馳せた。


 正直、ルシールを発見してクランに戻ったときの歓迎ぶりや凄まじかった。


 ポーター仲間はもちろんのこと、一流冒険者の集まりである金の箱舟のメンバーたちも将真の勇気を絶賛し、次いで無事に戻ったルシールはあたたかく無事を寿がれた。


 その際に、将真が勇者であることは誰にも気づかれなかったが、逆に身バレして前線に立たされても面倒なことこの上ないので黙っていた。


(いや、黙っていたことが裏目に出たのか……しかし)


 よく考えると勇者たる身分を前面に押し出したほうが賃金アップは見込めたのではないかと思ったのだが、キングスパイダーはルシールが倒したことになっているのだ。


 下手に水を差して白い眼でディスられても意味がないので奥ゆかしく沈黙を守り続けたことが悪かったのか。


 だが、あのルシールが手柄を横取りしたことを暴露されるのが恐ろしくて自分を追放するなどというのは、どうにも想像できない。


 彼女の精神はそんなさもしいものが微塵も介在するほどの余地がないことはわかりきっている。


 そう。

 もっと、彼女自身の個人的なものに由来するはずだ。


(違う。そこじゃない。ルシールは、キャンプ地付近――つまりは守護獣が存在していた、旧ボス部屋直前まではむしろ機嫌はよかった、はず)


 そうだ。彼女が怒り狂い出したのは、フライヤのことを話し出してからだった。仮にも一国の王女だ。


 名前を出すのもまずいかと思って、自分がダンジョンで手柄を立てて戻ってくるのを心待ちにしている婚約者の話をし出した途端のことだった。


 彼女はまるでそこいらのつまらない女のように感情を露わにして、将真たちからポーターの契約を一方的に打ち切って、この場に放逐したのだ。


 マティアスやほかのメンバーは突如として怒り出したルシールについていけないらしかった。


 が、常にないリーダーの感情的な態度にとまどいながらも、将真たちとの契約を切ることに申し訳ない気持ちを滲ませつつ去っていった。


(わからん。マジでわからん。どっちにしろ、俺たちはここで荷担ぎをして金を溜めることはできなくなったわけだが)


「プラウド。ひとついっておくがマティアスは俺たちを追い出さないように、ルシールに口添えしてくれたんだ。恨むのはお門違いってやつだぜ」


「馬鹿なやつだな。それがあのオカマ野郎の手なんだよ。おまえまで、あっさり騙されやがってショーマ。ああ、なんて嘆かわしい……! いつかあいつのタマキンを引き千切って金魚のエサにしてやるっ」


「ちょっと恨み過ぎだよ。プラウド」


 この分では軽いスキンシップの範疇とはいえ、自分がルシールとハグ&熱いキスをかましたなんて知れたら永続的に命を狙われる危険性があったので将真は口をつぐんだ。


「なんにしても、ほかの金稼ぎの方法を考えにゃならないな」


「どうしましょう。あたしたちも普通に探索して地道にお金を稼ぎましょうか」


 困り切った八の字眉毛でエルフのネネコがしょんぼりしている。


 すまない。今のところノープランなんだ。


「うんにゃ。それはメンドイ。俺は知性派なんだ。ゲームのルールに習熟するよりも、ルール自体の裏をかいて上手く生きていきたい。だから、むしろポーターの契約を打ち切られたのは、塞翁が馬かも知れん」


 神が真っ当に働くなど勇者のすることではないといっている気がする。


 将真はこのことを無理やりプラスに変えようと自分を洗脳しはじめた。


「強がりはやめろ。そもそも、この私が金の箱舟を出し抜いて、世間さまが目を見張るような大手柄を上げられるような男だと……?」


 プラウドはプラウドで思考の迷路に嵌ったのか、額に指を当ててうんうん唸りはじめた。


「弱気になんなよ。ちょっと休憩していいアイデアが出ないか粘ろうぜ」


 将真たちは、その場にポツンと取り残されたまま座り込んでそれぞれ休憩をとりはじめた。


「あたしお茶淹れますねー」


 ネネコはなにかとお茶を淹れたがる。彼女は簡易的なカマドをてきぱきと設営すると、やかんをかけて湯をぐわらぐわらと煮立たせた。


 かつて守護獣が存在していたボス部屋の付近はなだらかな土地でなぜかモンスターたちも寄りつかない。


 ルシールたちはその性質を利用してこの場所を第一キャンプ地に選定したのだろう。


 すぐ近くには、彼らの荷物番である金の箱舟のメンバーが気まずそうにこちらを見ていた。


 そうである。対外的に見ても将真たちに落ち度はないのだ。ないのだが、ルシールの繊細な乙女心を読み間違った将真の罪はなかなかに深かった。


 ぼんやりとしていると、目の前の道を次々と冒険者たちが通っていく。


 将真が不思議に思って金の箱舟の居残りメンバーに聞くとここを通り抜ける冒険者たちは、一獲千金を狙って各地からやって来た別口の冒険者たちだった。


「どうするのだショーマ。このままじゃ私たちは遠からず日干しだぞ」


「んじゃ街に戻って土方仕事でもするか」

「そんなもの……!」


「もちろん俺だってヤダ。だから今いろいろ知恵を絞ってんの」


「これだけ人がたくさん通るなら商売もはじめられそうですね。はい、ショーマさん、プラウドさん。お茶が入りましたよ」


 将真は両手でマグを抱えると、砂糖を利かせた紅茶を飲みながら小気味よく階下に向かって降りてゆく冒険者たちの群れを眺めた。


(ただものを持ってきて売るのはダメだ。第一、人員が俺とプラウドだけじゃ採算が合わないし、ある程度のものはやつらもポーターを使って準備しているだろうし、ああっ。考えろ。考えるんだ坂崎将真。おまえに、おまえだけが思いつくはずの、そんな逆転劇を……!)


「――どうしたんだ、いきなり黙りこくって」

「飽きた」


 将真はめちゃくちゃ飽きっぽかった。


「ちょっとそのへんを探索してこよっと」

「どうしようもないやつだな」


「あ。ショーマさん、ショーマさん。あたしも連れてってくださいー」


 ネネコが仔犬のように足元に纏わりついてくると、特にやることもなかったプラウドが少し離れてあとに続いた。


 かつてこの第一階層を統括していた守護獣がいたボス部屋は、攻略後のRPGから切り取られた一画面のようにどこかうすらさびしい情景であった。


 この場所は完全に役目を終えたのだ。二度と脚光を浴びることなく、ただ、なにもないスペースとしてそこにある。


 将真はこの場所に、なにか意味を持たせたいと思うのだが方法はまだ見つかってない。


「なんかこの部屋あっついですねー」

「うむ。ネネコのいうとおりだな。実に蒸す」

「プラウドのパンツのなかみたいだな。勘弁してくれ」


 若干、硫黄の臭いがする。


 将真はしゃがみ込むと地面に手を当てて、そっと耳を澄ませた。


「なにをやっているんだおまえは。なにかお宝でも見つけたのか」


「や。違うが……うん。ここにはなにか確かにある。俺の直感がそういっているんだ」


 将真はそういうと呆れたプラウドを放っておいて、この奥まった正方形のボス部屋の壁をあちこち探り出した。


「さもしい真似をするな。ここはもう終わっているんだ。ルシールたちがあらかた探したあとだぞ。なにも見つかるはずがない」


「でも、もしもってこともあるじゃん?」

「わー。あたしもお宝探し手伝いますよー。ぺたぺた」


 ネネコは将真のやることならなんでも肯定するようだ。彼女はちっちゃな身体を駆使して壁を素手で触りはじめた。


「好きなだけやってろ、バカ夫婦め」


 プラウドが吐き捨てるよういって背後の壁にもたれかかると、突如として一部が鈍い音を立てて扉一枚分だけ動き出した。


「なんだ、なんなんだこれはっ」


「でかしたぞプラウドっ。ついに裏ステージを見つけたんだ。これはビッグチャンスだよ!」


「ンなアホな」


 将真は目を爛々と輝かせて躊躇することなく、開かれた怪しげな扉のなかに飛び込んでいった。


 室内はさらにじめっとして土の強烈な臭いが籠っていた。松明を掲げて仔細にあたりを調べる。


 なかはそれほど広くない。将真たち三人が入ればいっぱいいっぱいというところだ。


 目の前には掃除用具入れふたつ分ほどのロッカーのような鉄箱があった。


 長方形のそれはどれくらいこの場所にあったのかわからないくらい、灰褐色に薄汚れていた。


「おい、下手に触るなよ。なかからバケモンが出てくるパターンだ。テレ東の午後ローのB級ホラー見たことないのか」


「ごめん、もう開けちった」

「おまえはどこまでアホなんだっ」


 驚くほどの素早さでプラウドが遁走してゆく。ネネコは恐怖よりも好奇心が打ち勝ったのか、将真の腰のあたりにギュッと抱きつきながら開いた鉄箱をジッと見つめていた。


「なんだこれ……土管?」


 将真はその円筒形の白い物体を見て眉間にシワを寄せた。


 想像では、金銀財宝かそれとも未来に希望を抱かせるお役立ちアイテムが入っているはずなのに、出てきたのは用途不明な鉄の塊なのだ。


 将真はとりあえずそれをボス部屋に苦労して引き出すと、なんとも形容し難い顔つきで困惑を露わにした。


「苦労して見つけ出したものがドラム缶一本とはな。ショーマ。おまえもよほど運がないと見える」


「この隠し部屋見つけたのはおまえだろ。にしても、これなんなんだろうな。よく見ろ。横っちょのところにホースみたいなのがくっついている。マジでわからんな」


「あ。ショーマさん、このうしろのところに出っ張りがありますよっ」


「ロリエルフっ。絶対に押すんじゃないぞ!」


 プラウドが悲鳴に似た叫び声で制止を促す。


「すいません。もう押しちゃいました」


 ネネコは舌をぺろりと出して照れたように笑った。


「アホかっ。夫婦そろっておまえらの頭ンなかにはスポンジが詰まってるのかっ!」


 うろたえたプラウドは両手を振り上げてギャーギャー叫ぶ。


 さて、なにか変化があるのかと謎の物体を注意深く眺めていると、円筒形のそれは上部に光り輝くモノアイが現れた。


 奇妙な電子音とともに腹部中央にモニタが現れ、次いでメイクロソフト社でお馴染のウザったいOS起動画面が映し出された。


「なに、この既視感は……俺、すんごく嫌な予感がする」


 ウイーンウイーン


 としか形容できないロボ音とともに、ドラム缶の左右についていたホースの先端から回顧厨がよろこびそうな二〇世紀中盤に流行ったロボアニメに出てきそうなUの字型の手が飛び出してくる。


「ハジメマシテ、ゴ主人サマ。ワタシハ、メガ・ブラスタ・コーポレーション社製ノ、メイドロイドCX-39-β-2053デ、ゴザイマス。オ間違イガナケレバ、セットアップヲガイダンスニシタガッテ、ハジメテクダサイ」


「なに、これ……唐突にSFものに?」


「悪い、ショーマ。私は頭が痛くなってきた。あっちで鎮痛剤を飲んで休んでいるから、この悪夢が覚めたら呼んでくれ」


 プラウドはよろばうような足どりでふらふらとボス部屋の外へと出て行った。


「で、ショーマさん。メイドロイドってなんですかねっ」


「意外と精神的にタフなのね、ネネコちゃんは。じゃ、ちょっと一発セットアップしてみっか」


「うふふ。ふたりの共同作業ですね」


 将真はあまりの衝撃的展開に軽いめまいを覚えつつ、不屈の闘志で画面のタッチパネルを操作してゆく。


「わ。ショーマさん。凄い手慣れてますー。凄いです。あたしは、なんか? この流れる絵みたいなのを見ているだけにしますねー」


「うん。別に俺も君にそれ以上のことは望んでないから。で、これでこれで、これで、と。インターネットはやらない。どうせ回線も繋がらないし。


 あ、固有の名前も決められるんだ。CX-39-β-2053てのが型名なのかな? これじゃあ味気ないんで、同じメイド繋がりとしてエマⅡと命名しようっと。最後に指紋認証で手のひらを押しつけて、と」


 将真は城にいた小生意気なメイドの名を勝手に流用した。


「ピピッ。コレニテセットアップヲ終了。言語ヲコノ地ノ汎用ロムレス語ニ設定シマス。シマス――ボイス年齢ヲドノヨウニ設定シマスカ?」


「あ、ショーマさん。声の設定? するらしいですよ。お爺さんの顔と、オジサンの顔と、若い女性の顔が浮かんでいますー」


「声なんてどうでもいい――どうでもいいがとりあえず若い女で」


 煩悩に塗れた将真が若い女性の顔をクリックすると、メイドロイド――エマⅡは上下に激しく揺れると、沸いたヤカンのようなぴーっという音を鳴らして停止した。


「ショーマさま。私はメガ・ブラスタ・コーポレーション社製の耐用年数一七〇〇年を誇る万能メイドロイド・エマⅡでございます。末永くご愛用頂けますよう誠心誠意お尽くしいたしますわ」


「うおっ。喋った!」

「わ。すっごい美声」


 将真がエマⅡと名づけた土管のような形をした寸胴な鉄の化け物は、とんでもなく耳に心地よく響く美声をごく自然に発生した。


「ふふ。おかしな方ですね、ショーマさま。それにネネコさまも。私は数億のサンプルから人間にとってもっとも気持ちよく聞こえる音源を算出し尽くされて作り出された人工音声なのですから」


 エマⅡはうぃんうぃんと駆動音を鳴らしながら流暢な言語を操った。


「おおっ。これはマジで美人なねーちゃんの持つ理想の声だ」


「なんかすっごく気持ちが落ち着きます」

「およろこびいただけて私もうれしいですわ」

「しかもちょっとお嬢さまっぽい?」


 確かにエマⅡの美声は目を閉じてさえいれば、すぐ隣に絶世のグラマー美女がいるように錯覚させるレベルのものだった。


「ああっ。俺、こんな声で耳元にささやかれたら昇天しちゃうかも」


「ロリだけじゃなくドラム缶でイケるとはつくづく業の深い男だな、おまえは」


 いつの間にか戻ってきたプラウドが厭味ったらしい顔で鼻の穴を大きく広げて立っていた。


「見ろよプラウドっ。これ、メイドロイドだってよ! エマⅡって名前にしたんだ。すっごいお役立ちアイテムだ! 超ラッキーだよな、俺たち」


「慌てるなゴキブリ」

「ショーマさま、こちらのお方は……?」

「ああ、コイツは――」


「私はプラウド。プラウド・F・アンダーソン。爵位は男爵。このチームのリーダーで、おまえのようなデザインのカケラもないデカいだけの茶筒に至高の命令を下す絶対者だっ。以後、私の意思には忠実に従うように。わかったか、このロボット三等兵が」


「承知いたしました、プラウドさま」


「おいー。プラウド。茶筒なんていうなよ。彼女かわいそうじゃん。それによく見ると、このまるっとしたデザインイケてるじゃん。愛嬌があってかわいいと思うよ」


「ショーマさま」


 エマⅡのモノアイがみょんみょんと動く。

 凄くメカチックだ。


 将真のなかにある少年の心はひたすら躍った。


「ショーマさんやさしー。プラウドさん最悪ー」


「黙れ小物ども。それよりもエマⅡ。おまえは曲がりなりにもレアアイテムとして、こんな隠し部屋に長いこと封じ込められていたのだ。よほどな特殊能力がなければ、すぐさまスクラップの刑に処すからそのへんを肝に銘じておけ。わかるな?」


「とは申されましても。私はただのメイドロイドですので。特技は掃除洗濯、子守に裁縫、お料理やキルトなんかも名人レベルのスペックを有していると自負しています」


「なんとまあ……どれもこれも、まるで見事に冒険の役に立たないスキルばかりだ。これがRPGならおまえはメンバー加入早々馬車行きだな。永遠に物語のはしっこにすら噛ませてもらえんぞ」


「だからエマⅡをディスるなって。今日から俺たちの仲間だ。よろしくなエマⅡ」


「よろしくですー、エマⅡさん」

「よろしくお願いしますね」


「ふん。小物どもは馴れ合っておれ。それよりも、明日の飯の種を心配したほうがいいんじゃないか。その前に、コバエどもがわらわら寄って来た」


 ボス部屋でどんどこデカい音を立てていたのが気になったのか、金の箱舟の居残りキャンプ地のメンバーが様子を見にやって来た。


 将真が懇切丁寧に、隠し部屋で発見した自立行動式のゴーレムみたいなものだと説明すると、彼らは特にエマⅡの所有権を主張することなく戻っていった。見た目がアレでどのような役に立つのか想像しづらかったのが決め手だったのだろうか。


「よかったなー、エマⅡ。あいつらンとこに行かなくてすんで」


「そですねー」

「私もショーマさまとは離れ難いです」


 エマⅡはよく見ると足元が五センチほど地面から浮いている。そっと指を伸ばすと特に風などが噴出されているわけでもない。


「私の脚部には反重力装置が内蔵されておりますので、地に触れず行動できます」


「ご飯とかはなにを食べるのですかー」


「水さえあれば体内ですべてエネルギーに変換することができます」


「エコだねぇ。な、プラウド。エマⅡ、超自然にやさしいぜ」


「ネネコも大変だな。ついに旦那も茶筒を公然の愛人にするそうだ。離婚調停に呼ぶのは勘弁してくれよ。私もそれなりに忙しいからな」


「んなことばっかいってないでさー。新しい仲間もできたことだし、これからのことをまた考えようぜ」


「待ってください、ショーマさま」

「ホラ、私ばかり構っているから新しい愛人がお怒りだ」


「だからなー。んで、エマⅡ。なんか気になることでもあったの?」


「先ほどから気になっていたのですか、このあたり相当な熱量を感じます」


 エマⅡはモノアイをびかびか光らせてしきりに地面へとライトを当てていた。


「それってなに。もしかして、すっごく危険なものなの?」


「いえ、それほどでは。ただ、もう少し詳細にデータを洗い出す必要性があると思うのでしばらくお待ちいただけますか」


「うん。任せたよ」


 将真たちはなにやら調査をはじめたエマⅡを前に膝小僧を抱えながらおとなしく待つこと五分ほど。


「ショーマさま解析が終了しました。こちらにいらしていただけますか」


「今度はいったいどうしたというのだ」


 ぶつぶつ愚痴をこぼすプラウドを無視してエマⅡのあとをついていく。


 彼女――彼女と形容するのが正しいのかはともかく、将真はエマⅡが正方形に区切られたボス部屋の壁のある一点で立ち止まったのを見て、頭上にクエスチョンマークを浮かべ無意識に頬を掻いた。


「なんなの? この先になにがあるってのさ」


「しばしお待ちを。ただいま、アタッチメントを交換します」


 エマⅡは体内に格納してあったドリル――もうそれは紛うことなくドリルそのもの――を取り出すと、右腕のU字型ハンドを交換して壁の掘削をはじめた。


 どどどきゅきゅるきゅる


 と耳をつんざくような轟音が響き渡る。先ほど引き上げたほかの冒険者たちがなんだなんだと集まりはじめ、エマⅡの作業を呆気にとられて傍観することしばし。


「掘削――終了しました」


 長方形に切り取られた壁が、どおんと背後に崩れ落ちる。どうやら、くり抜かなければわからなかったのだが、先は空洞になっていた。


 顔を近づけると硫黄の臭気がさらに強くなっていた。


 どことなく本能的に感じていたのだが。この先には将真が望んでいたアレがある可能性が非常に強い。胸の鼓動がいつになく強く確かなものへと変わってゆく。


「見ろ、道があるぞ!」

「もうなにが起こっても私は驚かん」


 将真はどきどきを押さえながら先頭に立って通路に飛び込んでいった。エマⅡが、ネネコがプラウドが、遠巻きにして見ていた冒険者たちがそれに続く。


 果たして――それはあった。


 急に開けた空間に到達すると真っ暗だったはずの世界が淡い光で照らし出されていた。


 空洞の上下左右にびっちり生えているヒカリゴケが周囲の陰影を浮き彫りにしている。


 濛々と立ち込める蒸気のなかに、なんともいえない芳香を纏った温泉が佇んでいた。


「これだ……」


 将真の魔術の根源は温泉にある。


 奇妙に思われるが、フライヤによってこの地に召喚された際、魂に刻まれたのが「温泉魔術」という特殊なものだった。


 指先をちゃぷんと湯のなかに沈める。温度は三十九度。適温である。


 将真には温泉に長く浸かるためには「ぬるめ」でなければならないという、確固たる鉄の掟があった。


 これを守らない者には命を賭して拳を振るう覚悟がある。


 温泉の神に誓った絶対的正義だ。


「すっげ……天然温泉じゃん」

「誰も動くな!」


 ひとりの冒険者が将真の許可なしに温泉の湯へと指を差し入れようとしたところで、将真は当然の処置として裂帛の気合を込め、その行為を制止した。


 びりびりと湯が震えてさざ波が起こり、殺到しようとしていた人間たち全員がその場に縫い止められた形で動けなくなった。


 魔王を討つために全身全霊を賭けたあのときよりも、魂が籠った叫びだった。


 将真の全身からその場を一歩でも動けば敵とみなすという、必殺の闘気がふんだんに放たれている。


「は、はわ……」


 ネネコはエルフ耳すら微動だにせず涙目で凍りついていた。


 そう。それほどまでに温泉というものは、将真の血をたぎらせ細胞の一片まで変質させる強い訴求力を備えているのだ。


「まず、俺が確かめる。文句はいわせない。いいな」


 大型の肉食獣。たとえば獅子や虎、羆がここにいたとしても将真の意思には逆らえなかっただろう。それくらい威厳に満ちた命令だった。


 思えば彼が自分が勇者であるという真実を話したときにこのオーラを発散させていれば誰ひとりとして疑うものはいなかっただろう。


 それほどまでに、人知を超え常識という枠を完全に隔絶した気合の込めようだった。


 将真はフリースとパンツを素早く脱いで裸体を露わにすると、いつも腰に巻いていた手拭いを頭に乗せた。


 それから素早く手刀を使って湯の一部をたらい一杯分ほど器用にくり抜いて宙に撥ね上げ、かけ湯として身体を清めると尊崇する神に祈りを捧げる挙措で湯に分け入っていた。


 ぬるり、と。


 肉を持つ自分と温泉を交合させるかのような官能的な「入湯」である。


 じりじりと、ちょどいよい湯加減の流れが全身の強張った肉という肉を弛緩させる。


 ――ああ、これだ。これこそを俺は求めていたんだ。


 最後にネネコの実家である温泉「ゆるり」に入ってからどれほどの時間が経過したのだろうか。


 そう。それほどまでに坂崎将真は温泉に餓えていたのだ。


 はふう、と悦楽のシグナルである吐息が漏れる。


 たぷんと首まで沈めても、湯のなかは無限の広がりを持ち将真を迎え入れてくれるのだ。


 温熱効果により全身の血行が促進され、活力が異様なまでにチャージされてゆく。


 深く潜ることによって湯の圧力で横隔膜が押し上げられ、再び官能にも似た吐息が口元から吐き出されてゆく。


 疲労物質がすべて湯のなかに溶け出して、リラックスするとき、人は誰しも神に近づいてゆく。


 こここそが、もっとも人が神の領域に近づける場所――。


 そう確信している。






「だからといって湯あたりするほど入るアホがいるか」


 プラウドがあきれ顔で呟いた。


「あわわ、ショーマさんがゆでだこに」


 ネネコはあたふたと慌てながらうちわで将真の顔を扇いでいる。


「ショーマさま。ただいま急いで冷却いたします」


 エマⅡは胴の部分にある製氷機からアイスブロックをざざっと流して将真の身体を氷で埋め尽くしてゆく。


「う、うぐっ」


 将真は調子に乗ってその後半日ほど湯に浸かり、とうとう湯あたりした。


「だが、俺はひとつの結論に達したのだ」


「特にいわんでも理解できてしまうのが悲しいところだな」


 プラウドは岩に座りながら顎に手をやって横目で睨んで来る。


「決めた。ここに理想の温泉郷を作る。ほかの誰でもない、この俺の手で」


 それが温泉「ゆるり」復活の狼煙になることを確信して――。



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