第8話「温泉「ゆるり」 復活へのプレリュード」

 イチから温泉を作る――。


 しかも場所は常人が通うような場所ではない。迷宮深くの魑魅魍魎が跋扈する底の底だ。


「待った。ちょっと待った。ショーマよ。もしやおまえは、たまたまここに源泉の溜まりがあったからって単純な考えでモノ申しているわけではあるまいな?」


「え? だってさ。普通守護獣を倒したボス部屋の奥に、こんなベストプレイスがあるなんて思わないじゃん。これってある意味、ディスティニーじゃん」


「あのな。誰がこんな危険地帯にわざわざ入るアホがいるんだっ」


「あの、ショーマさん。プラウドさんの意見には絶対同意したくなかったんですが、彼のいうとおりですよ。固定客、リピーターが来ないと経営的に成り立ちません」


「あのな。俺がそのくらいのこと考えていないとでも思ってるのかよ? 客はいるよ。それこそ、いくらでも湧くほどの。冒険者っていうお客さんがな……!」


「うーん。でもでも、この土地って基本的に国有地なんじゃ」


「プラウド。エマに手紙を出すんだ。あいつの裁量でその程度どうとでもなるし、もし金の箱舟が占有権を主張しても他国モンの意見が通ることはまずありえないだろう」


「た、確かに……あの姫さまもそのくらいは譲歩するかもしれん。しかしだな、ここを通る冒険者の数など限られているはずだぞ」


「もちろんそのへんも、さっき金の箱舟メンバーたちにリサーチ済みだ。今でも、ここ一階層のボス部屋を前を通過する冒険者たちは、三〇〇は下らないそうだ。ポーター含めてね。


 実のところ、俺たちが知らないだけで冒険者ギルドが介する人員は日に日にうなぎ登りらしい。このカラカラ迷宮、攻略階層はまだ第三階層程度らしいが探索が進めば進むほど、一日に通過する人数は増える一方だろう」


「しかし、三〇〇といっても全員が全員温泉に入るとは限らないはずだ」


「だからふっかけるのさ。やつらが入ってもいいだろうと、需要と供給が釣り合う程度の値段を見越してね」


「ショーマ。おまえは、いったい入浴料をひとりいくら取るつもりだ?」


 将真は寝転がったままそっと手のひらの五指を伸ばして不敵に笑った。


「五〇ポンドルか……まあ、そのくらいなら。うむ」

「市内価格とあまり変わりませんね」


 五〇ポンドルは日本円にしておおよそ五〇〇円である。


 これは温泉ギルドで推奨される風呂屋の平均的な入浴料といえた。


「違うぞ。五〇じゃない。五〇〇ポンドルだ……!」


「五〇〇だって? アホかっ。誰がそんな高値まで払って風呂に入るかっ」


 五〇〇ポンドルといえば、だいたいがガーデン・バーデンにおける職人の日当ほどである。


 たとえ水が貴重とされる迷宮の奥でも、そのような金額をポンと払うようなパーティーはまずいないだろう。


「そう。たかが温泉なら、そこまでの暴利を黙って受け入れるアホな冒険者は存在しないだろうな……」


「大変だっ。アンタたち、治癒魔術の使えるやつがいたら助けてくれ! 仲間が、仲間がモンスターにやられちまったっ」


 将真たちが話している温泉部屋へと亜人の――その耳から獣人系だろう――と推察される若い男が血相を変えて飛び込んで来た。


「あたし、簡単な治癒魔術ならできますっ」

「よし、急ぐぞネネコ!」

「ショーマさんはパンツはいてくださいっ」


 将真たちがボス部屋の前にある通路に飛び出ると、そこには数人の仲間に囲まれて大の字になっている若い青年が血塗れになって仰向けになっていた。


「キムが……! お願い、キムを助けてッ」


 赤毛の若い女が髪を振り乱して激しくキムを揺すっていた。


 下手に動かすと脳が塞栓を起こすとか、血が止まらなくなるとかそういったことも考えられないほど混乱が極まっているのだ。


「あまり揺さぶらないでください。なんとか、やってみます」


 ネネコのエルフ耳を見て赤毛の女はようやく揺さぶりをやめた。一般的に魔術適正のある人間はありとあらゆる種族を見渡しても非常に少ないのだ。


 よってあらゆるクランでもっとも人気が高いのが魔術師である。とりわけ、攻撃系よりも遥かに数が少ないといわれる治癒魔術の使い手はさらに少なかった。


「おまえ、治癒魔術が使えたのか」


 プラウドがしゃがみ込んでヒールを唱えているネネコを驚き顔で見つめていた。


 ネネコがキムのどばどば血が出ている胸のあたりに手を当て神経を集中させている。


 青く輝く液体がぽたぽた患部に垂れているのを見ればわかるように、彼女の属性は水系統であろう。


 しばらくそうやってうんうん唸っているとキムの傷口から多量に出ていた血液は止まった。


「助かったのっ?」


 歓喜に打ち震えた表情で赤毛の女冒険者はネネコの小さな肩に手を置いて叫んだ。


「なんとか、傷はふさいだんですけど……これ以上は、ダメみたいです」


 ネネコのいうとおりキムの出血は止まったものの、未だ意識は戻らず彼の顔色は死人のように蒼ざめていた。


 血を失い過ぎたのだ。


「こいつが怪我してからここに来るまでどの蔵時間がかかったんだっ」


「オレらクランは二階層まで潜っていてさ。そこでコウモリ系のモンスターに襲われたんだけど、意外と数が多くて……もしかしたら毒も喰らってるかも……」


「あたし、ちょっとした怪我くらいなら治せますけど、解毒はできないんです」


 ネネコの無念そうな声とともに女冒険者が絶望の叫びを長々と上げはじめた。


 プラウドは早々に諦めたのか苦しそうな表情で念仏を唱えはじめている。


「いいや……まだだ! みんな、キムを俺の温泉に運ぶんだっ。もう一刻の猶予もない!」


「なんでここで温泉なんだっ」


 プラウドの叫びは無視して将真は死にかけているキムを温泉空間へと運び込ませた。


「確かに温泉療養の話は知っているが、そんな即効性のあるものではないだろう」


「プラウド、俺が誰だかわかってんのか」


 将真の左手に刻まれた奇跡の紋章である無限の魔法陣が白く輝いていた。


「この世界を救うためフライヤ姫に召喚された温泉勇者だぜ」


 将真は重篤であるキムを湯のなかに横たえさせると、輝きを増した左手を湯壺に浸した。


 青っぽい湯の色が虹色に輝き出し、死人同然だったキムの顔へと徐々に赤みが差してゆく。


「ンなアホな」


 将真の本質は温泉勇者――。


 あらゆる泉質を自在に改変することができる唯一無二の能力だ。


 人間の五体には熱ショックタンパク質(HSP)というものが備わっている。


 HSPとはあらゆる生物の細胞がショックを受けた際に、体内で生産され破壊された細胞を修復する働きを持った生命維持に必要な重要なタンパク質である。


 これらは、毒物、重金属、酒精、アルコール、放射線、炎症、飢餓などに対応する巧妙な仕組みを持っており、将真は湯の泉質を自在に変えることによって重症患者であったキムの内に秘めた免疫力を高めて強制的に怪我の治療を施したのだ。


「う。ここは……? なんで、おれは」


 岩盤を枕にしていたキムは重たげな目蓋をゆっくりと開け、呆けたように白い蒸気で包まれたあたりを見回していた。


「キム、キムっ。よかった、助かったのね! 本当に助かったのね!」


「うわっ。ちょっ! なんで、おれ温泉なんかにっ」


 衝動的に湯壺に飛び込んで服が濡れるのを厭わず赤毛の女冒険者がキムの首っ玉にかじりついてゆく。


 キムの仲間たちはここに至って、将真の温泉効能の奇跡的な力を目の当たりにし、爆発するような歓声を上げた。


「すげっ、すっげええっ!」

「すごい、温泉ってこんなに凄いものだったのね!」


「こんなダンジョンのなかに、死人まで生き返らせるような温泉があっただなんて!」


「ぼく、毎日ここに入るーゥ!」


 将真はニタニタしながら揉み手をせんばかりに、ほとんど洗脳されかかっている冒険者たちに向かってここぞとばかりに吹き込んだ。


「かのように、わが温泉ゆるりは重症患者もちろんこと、解毒、解呪、既往症、肉体の疲労などあらゆるストレスを癒す今までにないタイプの入浴施設でございます」


「あ。そういえば」

「どうしたの、キム? まだどっか痛むの?」


 心配げに寄り添う女冒険者をよそに、キムは不思議そうな顔のまま、湯のなかをばしゃばしゃと飛び跳ねていた。


「嘘みたいに身体が軽くなってる……! だって、おれたち半月近くダンジョンのなかをうろついてたってのに、三日くらいベッドでぐっすり寝て起きたみたいに元気が有り余っている。今からでも猛烈に冒険を続けたいくらい、全身に気力が充実してるんだ」


「マジかよっ?」

「まさしくここが神泉ってやつですァ――?」

「ぼく絶対入るーゥんだ!」


「わたしも、わたしも半月ぶりにさっぱりしたいっ!」

「お兄さん、ひとり入浴料いくらなのっ」


「死人も蘇り明日への無限の活力が湧いてくる温泉ゆるり。おひとりさま一日五〇〇ポンドルと大変お安くなっております」


「うおーっ。嘘だろ? これほどの回復効果あるのにそんな安いのかよっ」


「五〇〇〇ポンドルで安いくらいだぜっ」

「いいとこ見つけちゃったっ」


 男も女も、もはやなんらかの魔術にかかったとしか思えない勢いで将真に銀貨を投げつけると湯のなかに飛び込んでいく。


 プラウドは腕を組みながら女神官が巨乳を弾ませながらダイブするのを両目を見開いて凝視していた。


「で、価格は五〇〇ポンドル。適正だと思うんだけど、どうかな?」


 かくして将真の乾坤一擲の策は見事に的中し、ネネコの実家再建とトルコン城へと大手を振って帰るための功績としての温泉事業はカラカラ迷宮第一階層によりはじめられた。


 本格的に温泉の営業をはじめるのであれば、それなりに体裁を繕わなければならない。


 今のままでは、単に奥まった部屋に湯の溜まりがあるだけ……という悲惨なものだ。


 将真はネネコに三〇万ポンドルほど使用させて資材を用意し、新温泉「ゆるり」カラカラ迷宮営業一号店を設立させた。


 国有地ということであったが、これはフライヤが眉を動かしただけで許可が下り、またネネコは温泉ギルド発行の株である温泉権は手放していなかったので、ギルド関係から横槍が入ることはなかった。


 番台、脱衣所、飲食所などこれらは将真の持ち前の人外染みた馬力とエマⅡのすぐれた搬送能力で資材を運び込み、それなりの形をとることができた。


「将真。おまえ意外と手先が上手じゃないか」


 将真がテーブルの脚に釘を打っていると、せかせかとした足取りで近づいて来たプラウドが覗き込んで来た。


「演劇の大道具のバイトをしたことがある。親戚に大工もいたし、この程度ならな」


 唇に挟んであった釘を吐き出しながら、とんてんかんてんと打ちつけてゆく。


 ちょっとした休憩用の椅子にも創意を凝らし、客に少しでも長く休んでもらって金を落としてもらおうというのが大前提なので気は抜けない。


「ショーマさん絵心もありますねー。ぴっかぴかでうれしーです」


 ネネコはうきうき顔で、番台に描かれた


「ワリーな、ネネコ。金ほとんど出してもらっちゃって」


「いいんですよ。だって、全部ゆるりのことだから、なにもできないネネコはお金出すくらいしか能がないのです」


「ん。エマⅡよ。看板が右に三度ほど曲がっている。ダメだなぁ、こんなことじゃ。おい、その下はミッドナイトブルーに装飾しろといっておいただろうが。この茶筒め」


「申し訳ございません、プラウドさま」


「……あそこにゃ文句しかいわないバカもいるし。あまり気にすんなって」


「はいです」


 こうして新温泉「ゆるり」は迷宮のド真ん中にポッと出現した。


「だから誰がビビットピンクに塗れといったっ。音声機能が壊れているんじゃないのか、このポンコツめ!」


 約一名、やたらと働き者のメイドロイドからヘイトを回収しつつ。


「いらっしゃいませ。温泉ゆるりカラカラ迷宮一合店へようこそ!」


 番台の受付には安っぽいメイド服を着用したネネコとエマⅡが傷ついた冒険者たちを笑顔で迎え――。


「兄さん。お背中流しますぜ」

「オウ、アンちゃんワリィな」


 将真はねじり鉢巻きに腕まくりで三助を率先して行い――。


「だからなんで私はこうなるんだっ」


 邪魔なプラウドは外の見張り番に回された。


 将真の勘は冴えに冴え渡っていた。まず、この第一階層という場所のチョイスが心憎い。


 現在攻略が進んでいる第四階層からここまで戻るのに、急いで五日はかかるのだ。


 冒険者たちの構成員のほとんどは男性とはいえ、数少ない女性メンバーの力はそれなりに強い。


 女たちが、一旦地上に戻る途中でかなり割高でも汗を流せるとわかれば立ち寄らずにいられないのがこの施設なのだ。


 基本は現金オンリーであるが、そこは将真も世慣れたもので、銭がなければダンジョンで手に入れた貴金属、マテリアル、素材などでも「可」としたのは慧眼である。


 事実として、将真が瀕死の冒険者であるキムを助けたほどの魔力は通常の湯には籠っていないにしろ、ある程度の怪我や疲労は綺麗さっぱり消えてしまうのだ。


 なまじの高級ポーションをガブ飲みするよりも効果は目に見えてあったので「ゆるり」の前を通る冒険者のほとんどが、急ぎの用がない限りはひと風呂浴びていくというようになった。


 奇跡の効果は命の恩人とも仰いでいるキム一行の異常なまでに熱を帯びた口コミで波濤のように冒険者ギルドを通じて各地に広がりを見せつつあった。


「エマⅡ。三番テーブルにビールと火酒、それにホロッホ鳥の丸焼きとゴロゴロスープだ」


「承知しましたショーマさま。ただいまお持ちいたします」


「ショーマ! 四番と五番に酒の追加だっ。それと食材の搬入が遅れている。追加注文も忘れないでくれ。あと、水の汲み置きが足りない。ポーターを増やしてくれっ」


「ショーマさんっ。お湯の効果が薄れていますよ! 魔力注入をお願いしますね」


「はいはいはいっ。なんだよ、これじゃ俺が忌み嫌ってた飲食と同じじゃねぇか」


 オープンから一か月ほどで新温泉「ゆるり」一号店は想像を上回る盛況を見せていた。


「ははは。ここは、あったけー料理が出るからいいよなぁ」


「ああ。保存食も食い飽きたし、値段はちっと割高だけど充分上手いしな」


「風呂に入ってさっぱりして体力も回復っ。キンキンに冷えた酒がたまらんぜ」


「ここならモンスターの襲撃もないし、簡易的な宿泊所もある。安心して休めるし最高だ」


 温泉に浸かって英気を養い、酒と旨いメシをたらふく食えればあとは男が望むものは決まっている。


「あ! ちょっとちょっと。おねーさんっ。ここは娼婦さんお断りなんですよっ。うちで商売なんて許さないんですからねっ」


「あらおちびちゃん。あたしらただの湯治客だよ。ゆるりはどんな客も受け入れるのがモットーじゃないのかい」


 番台ではネネコが真っ赤な顔をして無許可で客を引こうとしている娼婦たちを怒鳴りつけていた。


 そうなのである。これほど賑わいを見せている場所で、男の性欲を満たすべき娼婦たちが稼ぎ場として目をつけないわけはない。


 彼女たちは、温泉「ゆるり」の周辺へ簡易的な小屋を勝手に作ると、自儘にゆるり目当ての客を取るようになったのだ。


 将真も健康な男だ。また、彼女たちが生計を立てるためにそういった商売を行っているのはわかるが、バーデン・ガーデン王国の国宝として温泉場で娼婦を抱えることは許されていない。


 むろん、それらは建前で昼間は市民用の温泉として店を出し夜になれば望んだ客に女を斡旋する違法的な店も多かったが、当然乙女特有の潔癖さがあるネネコは彼女たちを蛇蝎のように嫌って店には一歩も入れない方針を頑として崩さなかった。


「あら、お固いのねぇ。あなたじゃ話にならないわ。ここの店主さんを呼んでくれないかしらね」


「ここの温泉権はあたしのもので、店主はあたしですっ!」


「ふぅん? 昨日来たときは、あの顔の長い兄さん、ちょっと仲よくしたらすぐオッケー出してくれたけどねぇ」


「あのゴキブリ男……!」


 ネネコは怒髪天を衝くように頭上のアホ毛を逆立てるとジャガイモの木箱を運んでいたプラウドに向かって突撃し、追いかけっこをはじめだす始末だった。


「プラウドのアホ、どーしようもねぇな」


「あら、ショーマの旦那。ねぇ、お堅いこといわないで湯に入れさせておくれな。別にこの場でおっぱじめようってわけじゃないんだよう。あたしらも、汗とかアレとかでどろどろになったあとじゃ気持ち悪くてしょうがないんだよう。お客さんにも悪いだろう。ね?」


「まー気持ちはわかるが、ネネコのいるときはさ俺に一声かけてくれな。あいつは最近調理場のほうが忙しくてほとんど番台にはいないんだ。それと、湯に入るときは男どもから離れた女性用の岩場の裏へ行ってくれよ」


「もうっ。旦那は話がわかるから大好きさっ」


「商売っ気なしで相手したくなっちゃうよっ」

「好き好きっ。ほんとかわいいんだからさっ」


「ちょ――! ま、待てって!」


 猫撫で声で薄い夜着一枚の女たちが身体を押しつけて来る。


 将真は絡みついて来る女たちを跳ねのけながらその場を走り去った。


「ま、マジか。けっこうモロに触ってしまったぞ……」


 ふと背後に突き刺さる視線のようなものを感じて将真は振り返った。


 エマⅡだ。彼女はものいわぬモノアイをびかびか光らせながら無音で近づいて来た。


「ショーマさま? 今、なにをしてらしたんですか」


「な、なんだよ……あ! そうだっ。物資が入り口に積んであるから調理場に運んどいてくんない」


「了解しました。ショーマさま」


 相手がメイドロイドとはいえ、絶世の美女(想像)の声で冷静に問いかけられると、娼婦相手にウキウキしていた自分がなんだか恥ずかしく、ぶっきらぼうな態度になってしまった。


 エマⅡはロボットだ。感情などない……はず、だが。彼女のどことなくさびしそうな声音が自分を咎めるようでいて、いつものようにやさしく振る舞えなかった。


 ともあれ経営は軌道に乗ったのだ。


 飲食、物販(ゆるり特性手拭い、まんじゅう菓子など)お背中流しサービスなど多岐に渡って展開していくうちに、利益は右肩上がりに推移していく。


 オープン五〇日目にはとうに初期設備投資分など回収し終えて、それどころか将真は物品と金貨を合わせて見込みであるが一〇〇万ポンドル近い利益を得ていたのだった。


「まったく世の中目の見えない野郎ばっかだぜ」


 とはいえ、現金はそのうち三〇万ポンドル程度であるが、残りのマテリアル類はギルドを通して錬金術師ギルドに持ち込めば交渉次第でもっと値を吊り上げられる可能性もある。


「ショーマさん、ショーマさん。あたしたち、成功しちゃったんですね」


「おうよ。俺たちもはやこのダンジョンの覇者であるといっても過言ではないな」


 温泉ゆるり社員事務所のソファでくつろぎながら、ネネコを膝の上に乗せワインを手のひらで弄ぶ。


「おい、お似合いバカ夫婦! 乳繰り合ってる場合じゃないっ。温泉がえらいことだぞっ」


「はぁ? どうしたんだよプラウド」


 思いっきり気を抜いていると青い顔をしたプラウドがステテコ一枚で駆け込んで来た。


 どうやら少々金回りがよくなったことで馴染の娼婦のところにしけこんでいたようだったが、この際それは不問とする。


「な、なんじゃあこりゃあっ」


 ――一目見てわかるほど温泉が高熱を発していることがわかった。


 新ゆるりは源泉かけ流しである。ダンジョンから湧いている湯は常に新鮮であり、縁回りさえ清掃を怠らなければ問題はないと、湯口をそれほど見回っていなかったのが災いしたのだろうか、ほどよいぬるさの湯は地獄の釜のように赤黒い炎のように泡を立て、白い蒸気を立ち昇らせていた。


「なんだこりゃっ、入れねーじゃねーか!」

「こちとら高い金払ってんだぜ。ふざっけんな」

「温泉ギルドに訴えてやる」


 大事な部分を隠した冒険者たちが口々に罵声を叩きつけて来る。


「は、はわわっ。そんなことされたら、ゆるりの温泉権剥奪されちゃいます」


 ネネコがぶるるっと身体を震わせて額に細かな汗を浮き立たせた。


 ――馬鹿な。このままじゃ俺の遠大な計画が水の泡だ。


 ここはなんとしても、この名湯を守らねばならない。


「エマⅡ! なんとか、なんとかならないのか?」


「はい、ショーマさま。私が調査したところ、この急激な温度変化は一時的なものです。湯口から供給される熱湯をふさぐか、あるいは汲み出すかすればあるいは――」


「でかしたっ。おまえの力で対応できるんだなっ」

「可能です。ただし、ひとつだけ問題が」


「なんだよっ」


「湯を汲み上げるポンプのアタッチメントは第二階層の隠し部屋にあるので、どうにかそれを手に入れないことにはどうにもなりません」


「わかった。俺がなんとかする」

「なあ、盛り上がっているところ悪いが。ひとついいか」


「なんだよ、プラウドっ。今俺たち大事な話してるところなの」


「死にかけを蘇らせるおまえの能力で――温度くらいどうにでもできないのか?」


 将真の目が一瞬、点になった。


「――それだ!」

「チッ」


「あ、あれ……? エマⅡさん、今あたしの勘違いじゃなければ舌打ちらしきものを」


「なんのことやら。機械の私には理解できかねますネネコさま」


「とにかく覚悟を決めてやるしかない」


 将真は湯の前に立つとボコボコと異様な音を立て飛沫を上げている真っ赤に煮え立った高温にジリリとあとずさった。


「やはりショーマさま。ここは無理をしないで私と二階層のアタッチメントを探す旅に出かけませんか?」


 エマⅡが天使の囀りのような情感の籠った声でささやきかけてくる。目をつむっていたら危なかったが、目の前には紛うことなき寸胴なドラム缶だ。


「アレ持ってる?」


 将真は無言でうなずいたプラウドから度数のメチャ高な酒精を受け取ると手刀で口を切り飛ばしてラッパ飲みした。


「ショーマさん」ネネコが不安そうに瞳をしばたかせている。


「カラッとあがってもつけ合わせのポテトはいらないから」


 度胸を据えた。元より裸一貫でこの地に呼び出された将真に誇るものはなにもない。


(ほとんどマグマだ……だが、やるしかない)


 丹田に気を込めて鋭く息を吐き出した。


「じああっ!」


 妙なかけ声とともに左手を湯壺に突っ込んだ。

 肉の焦げる音とともに将真が百面相を形作る。


「ファイトォ――! いっぱあああっつ!」


 鷲のシンボルが頭上に浮かびそうなセリフを叫びながら宿った紋章に魔力を込めた。


 瞬間、湯に沈めた腕からまばゆいまでの白光があたりを埋め尽くし、誰ひとりとして目を開けられないほどの光量が空間を支配する。


 高温の湯が将真の腕を焼き切る前に勇者の紋章が発動したのだ。


 左手に刻まれた無限の魔法陣マジョリカル・マナの力で湯の温度はみるみるうちに下がっていった。


 そっと腕を引き上げると、人差し指を咥えてふてぶてしい笑みを刻んで見せた。


「ふっ。適温だ」


 固唾を呑んで見守っていた冒険者たちから割れんばかりの歓声が上がった。気の早いものは、まともに確かめようともせず、無謀にも湯にダイブして己の胆の太さを同輩たちに見せつけていた。


「やるじゃないか。これからおまえのことは人間チェイサーと呼ぼう」


「さすがですショーマさま」


「やった、やった、やりましたっ。でもでも、どうしてこんな急にあっついお湯が出てきたんでしょーか」


 ぴょんぴょん飛び跳ねていたネネコがかがんで湯に顔を近づけた。


 将真が一瞬だけ気を逸らしたときに、残っていたあぶくのなかからにゅっと青黒い腕が飛び出した。


 ネネコの身体が白い飛沫を高々と上げ湯壺のなかへと引っ張り込まれる。


「なんだっ。おい、ネネコ!」

「いや、よく見ろショーマっ。あいつらはなんだっ」


 プラウドがうろたえた声で湯に姿を見せた異形の怪人たちを指差した。


 温泉に浸かっていた冒険者たちはさすがに歴戦の猛者だった。


 油断なくばしゃばしゃ湯を弾いて距離を取ると、その一軍に向き直った。


 すぐ目の前に立つ影は上半身が魚で下半身が人間の強烈な臭気を発する、いわゆる亜人の一種であった。


「こいつら――もしかして温泉魚人かっ」


 四十近い豊かな顎鬚を蓄えた四角い顔の冒険者が野太い声で叫んだ。


 温泉魚人と呼ばれた亜人たちは、魚の目玉をぎょろりぎょろりと動かしながら、手に手に三つ又のスピアを持ってこちらを牽制し出した。


 数はざっと見て、二十や三十程度ではない。少なく見積もっても、四十は視界のうちにいるし、温泉の奥のほうから続々と数を増し今にも「ゆるり」を制圧しそうなほどであった。


「おい、この魚野郎っ。ネネコを離せよ」


 ネネコは温泉魚人のひとりに抱きかかえられながらぐったりしている。一瞬で意識を失い気絶しているようだった。


 入浴していた冒険者たちの数は二十人に満たない。そして誰もが全裸で帳場に預けた武器を取りに行く暇もないだろう。


 彼らは徒手格闘でもある程度は戦えるであろうが、くつろぎの場である「ゆるり」で万が一にも怪我をされた日には将真たちの面目は丸潰れであり、店を畳まなくてはならない。


「いったい、なんのつもりだ。俺たちのゆるりをどうするつもりだ」


「俺たちのゆるりだと……? わけのわからんことを。まったく笑わせてくれる」


 ネネコを抱えていた温泉魚人が鯉のような頭を振るって、クククとさもおかしそうに笑いを漏らした。結構な低音のボイスで貫禄があってうらやましい。


 そうして笑っている間にも手にしたスピアはずっと将真たちを捉えきっている。槍術ひとつとってもなまなかな練度ではないことが理解気できた。


「ここは、我々一族が長らく管轄してきた温泉場。たかがニンゲン風情が、鬼の居ぬ間にと荒稼ぎをしようと目論んだのだろうが、そうは上手くはいかないのだよ」


「ここは俺が見つけたんだ。だから俺にも権利はあるはずだ。というか俺のもののような気がする。というか俺のもんだ。そちらの要求は?」


 将真がガキのような理論をぶつけると温泉魚人は嘲るような瞳をした。


 もっとも魚なのでホントにそういった気がしただけなのだ。


「我らの要求か。ならばニンゲンよ。おまえがここを占有していた間に集めた財を残らず我らに渡せ。そうすれば、この小娘――ふぅん、エルフか。くだらぬニンゲンに与する雑種が。だが、命だけは助けてやろうじゃないか。もっとも死ぬまで我ら魚人帝国で玩具のひとつとして生をまっとうしてもらうつもりではあるがな」


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