第9話「仁義なき戦い ぬくもりを求めて」

「なんということを。いたいけなロリに無体な真似をすると宣言すれば、大陸の崇高な慈善活動家が黙っちゃいないぜ。虎の尾を踏んだな、テメェ」


「なんだニンゲンよ。キサマ、我らに堂々と盾突いて命があるとでも思っているのか」


 温泉魚人はぬらぬらした身体のウロコを光らせながらにじり寄って来る。


 将真が負けじと前傾姿勢を取ろうとするのをさえぎってプラウドが前に出た。


「黙れ鯉こくめ……! このプラウド、喋る活け造りに恐れるほど臆病ではない」


 どこかスイッチのオンオフ機能が故障したのだろうか。将真はプラウドの常ならぬ別人のような勇ましさに目を見張った。


「おおっ。ついにプラウドがやる気を見せたか……?」


「ショーマさま。プラウドのさまの回路に異常が生じている恐れがあります。メモリの不具合をスキャンしないと深刻な事態に陥る確率が非常に高いと思われます」


「黙れ動くポリバケツめ。このような魚野郎は、私のゾリンゲンの錆にしてくれるわっ」


 プラウドは背後をチラチラ気にしながら勇ましくも湯のなかへと飛び込んでいった。


 湯の飛沫がバッと白く散って蒸気があたりに濃く立ち込めた。


 パッと見、プラウドは背も高く衛兵の軍服を着ているので堂々としていればそれなりの遣い手に見えなくもない。


 温泉魚人もプラウドのあまりの鼻息の荒さに幻惑されたのか、二歩、三歩と湯のなかを後退していく。


「いったいあいつどったの?」


「ルシール嬢がお見えになられていると、嘘を吹き込んだのです。データ上それがプラウドさまの敢闘精神を燃え上がらせると出ておりましたので」


 エマⅡがこそっと耳打ちしてくる。さもありなん。そうでもなければあの臆病者が自ら危地に向かって飛び込んでいくはずがない。


「騎士たるもの囚われのか弱き婦女子を前にして卑怯にも逃げるわけにはいかない。我が正義の剣を受けよっ! ダアアアッ!」


「あ、そういや……」


 プラウドが勢いよく長剣を引き抜くと半ばから折れたゾリンゲンが中途半端な長さで温泉魚人の目の前に現れた。


 よくよく思い出すとプラウドの自慢の腰のものは将真が塚原卜伝ごっこで叩き割ってしまっていた。


「これまだローンが七十二回も残ってるのにっ?」


 温泉魚人が感情の籠らぬ目でプラウドをジッと見つめている。


 プラウドは気まずそうに咳払いをすると、腰を屈めて下唇を噛んだ。


 それから上目遣いで手にした剣を鞘ごと温泉魚人へ差し出した。


「ん、んむっ。武器の調子は異常なーし。さ、魚人くん。これは私たちから君たち知的生命体への友好の贈り物だ。快く受け取ってくれたまえ」


 魚人は無言のままプラウドの横っ面を思いっきり張った。


 プラウドは毬のように勢いよくぽーんっと跳ね飛ぶと飛沫を高々と上げて湯壺に沈んでいく。


「ニンゲンよ。ここはおれたちの土地だ。おまえたちがこの地にやって来るはるか昔からな。今日のところはあるだけの財物で引き上げてやろう。明日中にでもここを立ち退かなければ、どうなるかわかっているだろうな? さあ! さっさと集めたものを残らずここに積み上げるんだ。それとも、このエルフがどうなってもいいのかな」


 温泉魚人はぐったりとしているネネコの白い首にゴツゴツした強靭そうな爪をかけた。


 エルフ特有の白い肌に鋭い爪が埋め込まれ、赤い血がわずかに滲み出している。


「……エマⅡ。稼いだ金と物資を残らず持ってこい」

「ですがショーマさま」

「ネネコの命にゃ代えられねぇよ」


 仕方がない。これだけの金品を残らず奪われるのは癪だが、喉元にスピアを四方から突きつけられたネネコを見殺しにするわけにはいかない。


 エマⅡは驚異的な搬送能力で温泉「ゆるり」の利益のほとんどを山高く積み上げた。


 温泉魚人たちは、それぞれ奇妙な色の革袋を取り出すと、極めて整った動きでそれらお宝を詰めて元来たほうへと帰ってゆく。


「待て。ネネコをどこへ連れてゆくつもりだ」


「明日、ここへきておまえたちがいなければエルフの娘は解放しよう。それまでは人質だ」


 温泉魚人たちはそういい残すと一糸乱れぬ動きで湯船の奥のほうへと消えてゆく。


 その方向には、かけ流しの湯が排水される大きめの穴があった。


 初日に調査したとき発見し危険であったので、将真が動物の骨を加工したもので格子を作ってあったのだが、彼らはそれを破壊して侵入したのだろう。


 ネネコを連れたまま泳いでいくのであれば、巣穴に着くまではそれほど距離はないのだろうと将真は推測する。


「ショーマさま、このままではネネコさまのお命がっ」

「ゆくぞ」


 指を咥えて見ているわけにはいかない。当然ながら温泉魚人が「ゆるり」の財宝を奪い終えて、油断して帰りつく前に逆撃を加えるつもりであったのだ。


「ショーマ。ロリエルフのことは残念だったな。だが気を落とすな。おまえにはそこのモロ寸胴のドラム缶美人がいる。第二婦人を大事にすることだな」


「おまえも来るんだよ」


 ぐいともみあげをひっぱるとプラウドは腕をぶん回して無駄な抵抗を示した。


「わ、私は――その、だなっ。ここにいる湯治客とルシールが襲われぬよう警備をするという重大な任務がっ」


「ルシールさまはおりませんよ」

「なにをっ?」


 プラウドは慌てて背後の並んでいる冒険者たちの面子を見回した。


 瞬間湯沸かし器のように、プラウドの脳天から憤りの蒸気が噴き上がった。


「エマⅡ! 私を騙したのかっ」


「偽善モード開始。――いいえ。けれど、友情に篤いプラウドさまはそうでもいわなければ親友のショーマさまをお助けするのを恥ずかしがって躊躇するかと思いまして。あえてそういったのです。いわば理由付けです。プラウドさまを思ってのこと。すべて赤心から発したことなのですよ。けれど、私も苦渋の決断でした」


「このポンコツが!」


 プラウドは怒り狂ってエマⅡをガンガン叩くが、鋼鉄製のボディは爪痕ひとつつかない。


 将真には愚かなプラウドを無言で冷笑しているようにも思えた。


「ほら、もういいから。とっとといくよ」


 将真はエマⅡにプラウドを拘束させると無理やり温泉魚人が消えていった湯船の奥の隧道へと移動した。


 泳ぎはそれほど得意ではないが、将真には主人公補正ならぬ温泉勇者補正がある。


 服を着たまま泳ぐのはなんとも気持ち悪いがここは根性で耐えるしかないだろう。


 素早く湯の奔流を泳ぎ切ると、大きな空洞のある地点にたどり着いた。


 あたりには漁港特有の魚臭いにおいがぷんぷん広がっている。


「ぷわっ。やっと着いたか」


 案の定お湯を飲みまくって妊婦のようになったプラウドをエマⅡが腹を押し上げてお湯を吐かせている。


「んな漫画みたいなことやってる場合じゃないっての」

「おまえが無理やり連れてきたんだろうがっ」


 意外と素早く復帰したプラウドが青い顔で抗議の意を露わにするが将真は気にしない。


「ンなことより。いよいよここは敵の本拠地だ。プラウド。どっちにしろここで根性据えなきゃ、俺たちのダンジョン温泉計画は水の泡だ。ビッグになりたいんだろ? 男ならやるんだよ! やらなきゃ!」


「この年で魚人間に輪姦されるのか……次生まれ変わったらTSサキュバスを断然希望するよ。それなら少なくとも絵面は見られる」


「愚痴ってないでちょっとはやる気出せよ。さ、進むぞ」


 とはいえ、硫黄の臭気が立ち込める隧道はとにかく暗かった。


 将真はコウモリのように全身から魔力を放射して跳ね返ったオーラで自分の立ち位置を知ることができるが、できれば余計な労力は最小限に抑えたい。


「暗い。なんとかしてよエマⅡ」


 意を汲んだエマⅡがはしゃいだような声で告げた。


「暗視モード開始します」


 エマⅡが狭い洞窟をボディから張り立たせた探照灯で照らし出す。


 異常に使い勝手のいいロボだ。


 パッと照らし出された凹凸のある足場をプラウドがおっかなびっくり確かめている。


 プラウドはエマⅡのうしろにつくと身を隠しながらいった。


「よし。もしもとなったら私はおまえを盾にして生存フラグを立てよう」


「お言葉ですがプラウドさま、私はただのメイドロイドなので、実に非力です」


「嘘こけ」


「おまえたちは俺が守ってやるよ。安心しろ」

「ショーマさま」


 エマⅡがとろんとした声を出した。音だけならナンバーワンだ。


「無機物に手あたり次第発情するのはやめてくれ。私には理解し難い世界だ」


「つべこべいわんでとっとといくよ」





 

 それほど時間をかけずに進む先へと明かりが見えてきた。生臭さが一際強くなってゆく。


 やがて開けた大空洞が見えた。


 お決まりというか、案の定、中央に据えられた台座に全裸となったネネコが大の字で縛りつけられていた。


「なんともはや、予想通りの展開だな。土曜洋画劇場なら終盤近いぞ」


 プラウドがネネコの惨状を見ながら嘆息した。


 そばには将真たちから奪った金や物資の袋が山積みになっており、温泉魚人たちは飲めや歌えの酒盛りをはじめていた。


 太鼓や笛が陽気に吹き鳴らされ、彼らは楽しそうに手を繋ぎ輪になってマイムマイムを踊っている。


 パッと見で一〇〇はくだらない数だ。将真にしてみればどうということもないのだが、ネネコが拘束されている台座までかなりの距離があった。


「おい、どうするんだ。魚ども。確実に数が増えてるぞ」


「知らないよ。ここが本拠地なんだろ。俺が突っ込んでネネコを救出する。エマⅡ。ちょっとの間でいいんだ。やつらの気を引きつけておけないか」


「ショーマさま。私が煙幕弾をなかに撃ち込みます。その隙になんとかネネコさまを救出いたしましょう」


「仕方ない。ほかに手がないならそうしよう」


 作戦は決まった。躊躇する時間も惜しい。


(あのまんまじゃネネコのトラウマがまた増えちまう)


「いち、にい、のさんで煙幕弾を投擲します」


 エマⅡは胴体からうぃいん、と砲台を起動させると狙いを定めた。


「いち、に、のさんだっ!」


 将真が腹の底から絞った声を吐き出した。頃合いを見計らってエマⅡは踊り狂う温泉魚人たちの中央へと、数発煙幕弾を撃ち放った。


 黙々と白い煙が立ち昇るなか将真はまっしぐらに突っ込んでいった。


 温泉魚人たちは激しく咳き込みながら敏感に襲撃者を察したのか、手に手に三つ又のスピアを取って怒声を発しているが疾風のように動く将真を捉えきることはできない。


「待ってろ。今すぐはずしてやる」

「むっ、むむむっ」


 すでに意識を取り戻していたネネコは猿轡をかまされたまま涙目で安堵の表情を浮かべていた。


 台座には裸身を晒したネネコの幼い姿がいかにも痛々しい。両手足に嵌められた石製の枷は将真の怪力の前にはウエハースのようなものだ。


 ばきっと音がしてたちどころに飛散し、泣きじゃくりながら抱きついてくるネネコをキャッチした。


「ショーマさんっ、ショーマさんっ。怖かったですうっ」

「怪我はないか。んじゃ、突破するぞ!」


 将真はネネコを横抱きにすると元来た道へと駆け出していった。


 徐々に白煙が晴れてゆく。入り口ではエマⅡの背に隠れたプラウドがぎゃあぎゃあとひたすら騒いでいる。


「ニンゲンめっ」


 ゆくてを遮るように三人の温泉魚人が立ちはだかった。将真は腰を捻ると力を込めた右ストレートを思いきり叩きつけた。


 ぐしっ、と肉が潰れる音が鳴って温泉魚人たちが将棋倒しに吹っ飛んでいく。


 巻き込まれたその仲間たちは壁際へと団子のようになってぶつかるとボーリングのピンのようにパッと四散した。


「どけっ。魚野郎ども! 温泉勇者が話し合いに来たぞっ」


「ば、バカな……! これのどこが話し合いなのだ、ニンゲンっ?」


「肉体言語だ、この野郎!」


 将真は左の小脇にネネコを抱えながら茫然と突っ立っている温泉魚人に向かって飛び蹴りをかました。


 魚人は咄嗟にスピアを構えて受け止めようとしたが、矢のように放たれた一撃があっさりと柄の部分をバキ折りにして顔面へと深々と刺さった。


 将真は右に左に激しく跳ぶとネネコをぶん回して魚人たちに当てて当たるをさいわいに薙ぎ倒した。


「目がぐるぐるしますぅー」

「とりあえず今は回っとけ!」

「むぎゅ」


 ネネコの両脚蹴りを喰らった温泉魚人がまとめて将棋倒しになった。


 どうにか温泉魚人の包囲網を打ち破るとプラウドたちが待つ入口へとたどり着いた。


「のわっ。なんだ、すべった?」

「うきゃんっ」


 将真はネネコを抱えたまま仰向けにすっ転んだ。見れば足元にはぬるぬるした油のようなものが流れていた。


 エマⅡの腹部が砲台からジョウロに切り替わりとぽとぽと油を垂れ流している。


 温泉魚人たちが集まっていた奥のほうが将真たちの立ち位置より低く、傾斜がついているので油はどんどんと流れてゆく。


 温泉魚人は油が相当に嫌いなのか、襲いかかるのをやめて奥のほうへ逃げてゆく。


「今こそ、私の真価を見せつけるとき。この臆病者どもが。逃げるなら、はじめから人間さまに逆らうんじゃない、このヘナチョコが!」


 プラウドは余裕を滲ませた表情で引いていく温泉魚人につかつかと歩み寄り罵声を浴びせている。ちょっと形勢が上向いたと思えば嵩になってかかる。


「さすが騎士の鑑だね」


 エマⅡはプラウドが充分将真たちから離れた地点でがくがくっと左右に震えた。


「ショーマさま。煮炊き用の着火専用剤を流しております。速やかに脇へお逃げになって!」


 エマⅡが凛とした口調でいった。


 慌ててどくと、今度は懸河の勢いで油がドッと放出された。


 油は岩の窪みに添って流れ、エマⅡの計算通りなのか奪われた物資や金貨銀貨の山にたどり着く。


 プラウドが遠くで流された油に脚を取られ転がった姿が見えた。


「伏せてくださいっ」

「おわっ」


 将真とネネコはエマⅡの指示どおりその場に伏せた。


 エマⅡはU字型の手を正面で打ち鳴らすと火花が散って油に引火した。


 火は油を伝ってしゅるしゅると財物の山に向かって伸び、それは激しい発光と轟音を響き渡らせ大爆発を起こした。


 顔を伏せていても目蓋の裏で激しい稲光が踊っている。顔を上げると、埋め尽くすようにいた魚人たちの群れはこんがりと焼けて香ばしい匂いを洞窟内に充満させた。


 離れていてもこれだけのショックだ。


 途方もない爆発力は将真の陰嚢をひゅっと縮込める力は充分にあった。


「これは、いったい……?」


「物資を温泉魚人たちに引き渡した際、火薬壺を底のほうに潜ませておきました。私って、デキル女でしょう?」


 エマⅡはモノアイをびかびかさせながらそういうと、身体を斜めに傾けふふっと笑うような音声を発した。


 幽鬼のような足どりでのっぽの影が近づいてくる。

 かろうじて生き延びたプラウドだった。


「やるんなら先にいえ、このポンコツが……!」


 逃げ遅れて爆風をモロに浴び、ジミ・ヘンドリクスのような頭になったプラウドが口からごふっと黒い煙を吐き出した。






「お金なくなっちゃいましたね」


 温泉の周りでブラシをゴシゴシかけていたネネコがさびしそうに呟いた。


「全部あの魚野郎たちのせいだ。気にすんなよ。客はまた戻ってくるさ」


 先だっての温泉魚人襲撃のせいで、温泉「ゆるり」の客足はだいぶ落ちていた。


 今まで頑張って稼いで溜めたお金や、あとで換金しようと思っていた財物を爆発で残らず失ってしまったことも痛い。


 プラウドは例の一件以来「激しく頭痛がする」といって事務所に引き籠ったままだ。


 どうやら爆発によるアフロヘアを意地でも衆目に晒したくないらしい。


「ま。くつろごうと思っていったらわけのわかんない半魚人もどきが暴れてたんじゃ、足が遠のいてもしかたない。ダイジョブだよ。時間とともに、人の記憶は薄れる。そのうちみんな、また入りにきてくれるって。頑張ってお金溜めて、城下で温泉再建するんだろ?」


「ショーマさん。はいっ、ふたりの未来のためにがんばりましょうねっ」


(ふたり?)


 ネネコはにこっと太陽のように微笑むとブラシを持ったままぴょんと飛び跳ね、湯のぬめりで転がってパンチラしてくれた。


 さすがの将真もこれには苦笑い。

 彼はロリではなかった。


「失礼します」


 女の声に振り向く。そこには袂を分かったはずの、指折りのS級冒険者にしてクラン金の箱舟のリーダーであるルシールが、ぞろぞろとお仲間を引き連れ立っていた。


「ショーマ、久しぶりだね。僕たちがいうのもなんなんだけど元気そうでなによりだ」


 ルシールの隣に立っていたイケメン凄腕冒険者のマティアスが人懐っこい笑顔で軽く手を振っていた。


 だが解せないのはルシールのほうだ。彼女は自分から将真に声をかけてきたというのに、目を合わせようともしない。


 ポーターを一方的に解雇したのはルシールの意向であると知っているネネコに至っては敵愾心を露わにしてううっと牙を剥いて唸っている。


「ほら、ルシール。彼らにいうことがあるんじゃないのか」


「わ、ちょっと待ってください。まだ、心の準備が」


 マティアスに押し出されたルシールはつんのめるようになると、わたわたと手を動かして気まずそうに、今度は見つめてきた。


「ちわ。ルシール。元気そうだね。探索のほうは順調なの?」


「――ん、んん。そう、ですね。順調です」


「で、お客さま。ご入浴であるならば、とっととお金を払って脱衣所に向かってください。それと、うちの従業員に気安く話しかけないでいただけますかっ」


 見つめ合う将真とルシールの間にネネコが割って入った。


 この「ゆるり」の温泉権はネネコのものであり将真は一応は彼女の経営する店の従業員という位置づけだ。


 ルシールはネネコの視線のなかの根底にある思いをすぐに見抜くと、将真が息を呑むような迫力をもって無言でメンチを切りはじめた。


「私たちはお客さまですよ。もう少しもののいいようがあるのではないのですか、若いエルフさん」


「あら? あたしはただ、殿方の前でいつまでも泥臭い格好でいるのはあまりよくないと親切心でいったままですが。ルシールさんでしたっけ? いったいどれほどの間、身体を洗っていないのですか? ねえ、ショーマさん。このあたりなにかにおいません?」


 ネネコはそういうと袖口で自分の鼻をおおってくすくす笑いを漏らした。


「おい、ネネコ」


「そ、そんな……! 自分なりに気をつけていたつもりだったのですが? す、すぐに湯を浴びなければなりませんっ。脱衣所は……!」


「あ、ルシール。ちょっとっ」


 マティアスが呼び止めるのも聞かずにルシールは慌てて駆けだしてゆく。ネネコはくすくす笑い続けたまま上機嫌で番台のほうへと移動してゆく。


 金の箱舟のメンバーたちも、自分の腕やら身体やらに鼻の頭を押しつけ「くっせぇぜこりゃあ」とゲラゲラ笑い合いながら入浴の準備のため移動してゆく。


 残っていたマティアスが困ったように頭をぼりぼりと掻きむしった。


「まったく姫も、困ったもんだよ」

「姫って?」


「ああ、いってなかったけっけ。ショーマ。たぶん有名だからちょいと小耳に挟んだことくらいあるかも知れないけど、ルシールは冒険者である前にリーグヒルデ王の娘にして大貴族なんだ。


 僕は彼女の養家ブラニングの家臣なんだ。だから、あのときも伝えたけど、ルシールがキングスパイダーに捕まったとき、君が助けてくれたことは、ほんっとーに! 感謝してるんだよ」


「で、あんたは家臣にしてお姫さんの恋人ってこと?」


「あはは。まさか。僕はただの家来で結婚もしてる。殿さまの命でルシール姫にひっついてるけど、本音をいえば国に戻って宮仕えに戻りたいよ。家にはまだ生まれたばっかの娘もいるし、正直、冒険者の真似ごとはあっちこっちに飛び回らなきゃなんないから向いてないんだよねぇ……」


「ずいぶん愚痴んな。で、ルシールは結局のところ俺になにを伝えたいんだよ」


「はあっ。彼女もずいぶん奥手だけど君も鈍感だねぇ。ま、これ以上いうのはルール違反だから黙っておくけど、ルシールは君と仲直りしたいんだよ。ホラ、あのとき一方的にポーターをクビにしただろ? ホントのとこ、君とルシールになにがあったか知らないけど、彼女顔を合わせれば君の話ばかりしてるんだ。なにか心当たりあるだろ?」


(心当たり……? あり過ぎてどうしようもないな)


 思えば将真はルシール救出の際、彼女のあられもない姿をくっきりばっちり目撃している。


 王族であり性には貞淑であろうと思われる彼女が、将真を強く嫌うのは致し方ないと思っていたのだが、どうやらそれだけではなくなにか別の感情を抱ているということはマティアスの濁すような口調でなんとなく察せられた。


(ま、まだ確定じゃないからなんともいえないが。それよりも、俺としてはルシールと和解することはやぶさかではないな。他国とはいえ王族と懇意にすることはプラスだろね)


「ポーターをクビになったことはなんとも思ってないよ。わかった。悪いなマティアス。俺のほうからルシールには話しかけてみるよ。上手く仲直りしたいしな」


「ははっ。君ならそういってくれると思ったていたよ。僕が見る限り、君は相当な腕前だ。いつか、一度手合わせをお願いししたいね」


「それはやだ」


 マティアスはそれだけいうと紙包みをそっと握らせてくれた。


 これがいわゆるチップというやつだろうかと胸をどきどきさせて開く。なんのことはない。みかん色をした飴玉だった。憤懣やるかたなく引き続き風呂掃除を行う。


 ここ「ゆるり」は天然温泉でほとんど手を加えていないが、湯から出た人がいきかうので落ちた湯が舞って流れて板を敷設した道がすべりやすい。そのままだと大変まずいのでこまめにかいて綺麗にしてやるのだ。


「ショーマ。その、今少しいいでしょうか」


 小一時間、温泉のあちらこちらを見て回っていると背後からルシールが声をかけてきた。


 湯上りなのか、いつもはうしろでかっちりまとめてある髪が自然に流してある。


「少し話そうか」


 将真がそういうとルシールは緊張した面持ちでうなずきあとをついてきた。


 話す、といっても立派なホテルのようなラウンジがあるわけでもない。


 そのあたりにあった大きめの石をエマⅡに加工させた椅子のようなものがあるだけだ。


 将真とルシールは隣り合って座った。彼女は背筋を伸ばしてこれから立ち合いでもするかのように身体を固くしていた。


「久しぶりだね。調子のほうはどうだい」


「はい。順調……といえればいいのですが。今は五階層まで攻略を終えました」


「もう半分じゃないか。あと半分って考えればずいぶんと気が楽になるだろう」


「ええ、ですが層を一階降りるごとに敵は強くなっていきます。それに、リーグヒルデと違ってここのダンジョンはなにかおかしいのです。先日も守護獣討伐済みの一階層にキングスパイダーのような大物が現れた。あれは最下層にいてもおかしくないレベルのものです」


「ふぅん。そうなのか」

「――あ、あのっ!」


 ついに決心したのか。ルシールは将真に向き直るとぐっと顔を近づけて来た。


 身体をよく洗ったのだろう、髪から石鹸のさわやかな匂いが漂って来る。薄めの上っ張りのせいで彼女の豊かな胸が結構なたゆんと揺れた。


「ごめんなさいっ。ずっと謝ろうと思っていたのですが、どうにも踏ん切りがつかなくて……! あなたは私の命の恩人なのにあんなわけのわからない放逐をしてしまって、本当に……ショーマにはなにひとつ落ち度がないのに、酷いことをしてしまった。私はとうてい許されないはずですが、どうしても自分の口から謝罪の言葉を伝えておきたかったのです」


「いいよ。許す」


「え……?」


「ルシールもあんなあとだ。情緒不安定になってたんだろう? 女の人ってそういうことよくあるって聞くし。いまさら蒸し返しつもりもないよ。これからも仲よくやっていけばいいじゃん。せっかく知り合えたんだし、こんなことくらいで関係が切れるなんてつまんないよ。な」


「あ……!」

「う。うわっ。どーしたんだよっ」


「す、すみません。あれ……私、こんな……あれ? どうして、なんで……っ」


 緊張の糸が切れたのかルシールは将真の胸のなかに倒れ込んだまま、小刻みに震え出した。


 そのまま抱き合ったままジッとしていると互いの体温が強く伝わって将真は額に脂汗のようなものがじんわりと浮き出ていた。


(ま、これがブスだったらうっちゃり決めてたところだけど、やっぱ美人は最高だな)


「こ、このまま。もう少し、このままいさせてください」

「う、うん。いいよ」


 実に凡庸な返しであったが心臓バクバクの将真はそれ以上気の利いた言葉も思いつかなかった。


「失礼します。お掃除をはじめますので、ご無礼を」

「うわっ」

「きゃっ」


 不意に背後から駆動音を響かせながらエマⅡが出現した。


 エマⅡはモップを激しく使いながら、将真たちが座っていたなめらかな石を磨き出す。ルシールがどき損ねて「むぎゅ」と尻餅を突いた。


「ああ、歓談中でしたか。それは失礼。このあたりが特に汚れていたもので」


「……私の話は終わったので、このくらいで行きますよ。そ、それではショーマ」


「ん? なに」


 ルシールがちょこちょこ「こっち来い」と指を振るので近づくと、ちゅっとかわいらしいキスを頬にされた。


 将真が馬鹿面を晒して茫然としているうちに、ルシールは小走りに駆けていった。


「ショーマさま。ひとつお聞きしますが、あの女性とはどのようなご関係なのですか」


「い、いや、ルシール? 彼女はこの間知り合ったばかりの、友だちかな?」


「嘘ですっ。ショーマさまはお友だちの女性と官能的なキスをかわしてらっしゃいました」


「うわっ。見てたのかよ。あ、じゃなくて、あれはただのあいさつみたいなもんだよ」


「……なら、私とだってキスできるはずです」


 ――いったいこのドラム缶はなにを考えているんだ。


 エマⅡは衝撃的な告白を行うと、洗濯機のホースのような腕を胸の前で組み合わせ、モノアイをびかびか過剰に明滅させていた。


(と、いうかキスって……この物体と? つか、そもそもこいつのどこが顔なんだ?)


「やっぱり嘘なんですねっ。あの女とはキスできても私とはしていただけないなんてっ。あんなに必要だっておっしゃってくださったのにぃ! 私、弄ばれたんだあっ」


「お、落ち着けって。弄んでなんていないっての。キスくらいどってことない。できるって」


「じゃあ、恋人みたくやさしく口づけてください」


(舐めてんのか。この洗濯機は)


 声だけ聞けばエマⅡはうっとりするような蠱惑的な音色である。


 ショーマはかなりめんどくさくなったので、投げやりにエマⅡにキスをしようと思って近づくと、転がしてあったモップに躓いてモロにエマⅡに伸しかかってしまう。


 体重差を考えれば将真の重さではエマⅡが倒れるはずがないのだが、狙っていたのか自らアームを将真の身体に巻きつけると後方へと仰向けになった。


 パッと見はドラム缶が倒れたようにしか見えない。そこに根源的な不幸があった。


「わ、悪いっ」


「ショーマさまっ? そんな、こんな昼間からお戯れをっ。や、いやっ。ダメですっ。そこは、いけないところなんです……ああ、こんな……ひどい……ひどいわ」


「ちょ、待った待った。離せって。おまえわざと腕絡めてるだろっ」


「ああ……ダメなのぉ……こんなところお客さまに見られたら……私、いいわけできません……はぁ……そんな、胸触らないでぇ……」


「どこが胸だかわかんないよっ」


「はああんっ、いやっ、ダメですっ。私、はじめてなのぉ」


「いや、だからなんの話だよっ」


「私、メイドですけど……えっちなお世話まではいたしませ……はぁんっ」


「無駄に声だけ色っぽいから、確実に俺変態だよねっ?」


「だめだめぇっ。ショーマさまの、おっきなの……こわれてしまいますっ」


 バキバキと背骨が鳴る音がする。将真の背中を油圧ジャッキ並みの力でエマⅡが締めつけているからだ。勇者の福音がなければとっくに身体がふたつに裂けて死んでいただろう。


「た、頼むから、やめて」


 傍から見れば将真が土管に乗っかって遊んでいるようにしか見えない。


 ふと背後から突き刺さる視線に気づくと、頭に紙袋をかぶせたプラウドが驚愕したまますぐ近くで凍りついていた。手にしていたカップが地面に転がって、熱いコーヒーがばしゃっとこぼれる。


「もしかしたら……いつかはこんなことになるんじゃないかと恐れてはいたんだが」


「おまえ、俺を変態認定してたのっ?」


「ああっ。プラウドさまに見られていますっ! ショーマさま。私、興奮しちゃいますっ」


 将真はがくりと首を折ると完全に虚脱状態に陥った。ついていない日というものはある。


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