第3話「経営破綻 温泉「ゆるり」を救え」

 将真は起き抜けにもの凄いくしゃみをぶっ放してから激しく痙攣した。


 己の顔面に乗っかっていたものが三メートル先の草地に叩きつけられるのを寝ぼけ眼で確認した。


「んああ。なんだ。プラウドの靴下か」


 そういえば昨晩は公園で野宿をしたのだった。無理やり酔い潰してやったプラウドはアホ面のまま仰向けでひっくり返り天地も揺るがしそうないびきをゴーゴーとかいている。


 公園内の原住民たちが、ムシロを横抱きにしたまま樹木の根元に立って恨めし気に自分たちを見つめていた。


 大丈夫だ。

 俺たちは毛頭この場所に定住するつもりはない。


「俺らすぐ出てっかんね」


 安心を促すようにひらひらと手を振ると警戒心を露わにした原住民たちは雷に打たれたようにビクリと震え遠のいていく。別にこっちも仲よくしたくない。


 空を眺めるといつの間にか水色に染まりつつあった。


 たき火はすっかり消え果てており、酒精の消えた身体には結構つらいものがある。


 将真は熾火を揺り起こすと残っていた木切れを突っ込んで炎を呼び返した。


「うるるっ。さぶっ」


 飲み過ぎた酒精で頭の奥がジンジンと痛んだ。激しい二日酔いだ。こういう日はエマに濃ゆいコーヒーを淹れさせガツンと飲めばすっきりするなと思いつつ、城を追い出された屈辱をようやく思い出した。


「そっか。俺は今日から自由人だったな」


 再確認する必要性もなく、掛け値なしに自由人だ。最初から。


「冗談じゃない。もうアウトドアは一晩で結構。フライヤに謝って城に戻してもらお」


 将真は一晩時間をおいたことで、フライヤの気持ちも冷静になっているであろうと推測していた。


 エマ――侍女であり王の一族でもある彼女になんとか口添えを頼めば、また以前のように、やや退屈であるが生きていくのに困らない食っちゃ寝生活に復帰できるであろうと、このときはまだ考えていたのだった、が。






「城に入れない? なんでっ!」


「フライヤ姫の命によりここをお通しすることはできません」


 トルコン城に戻った将真たちは城門で警備の兵士と押し問答をしていた。


「なんでなんだよっ。昨日までは普通に出入りできたじゃんっ」


「……理由は存じ上げません。とにかくわたしどもは命令を遂行するだけですので」


 見上げるような大男の兵士。口調は気まずそうだったが、鋼鉄製の面をつけているので表情は窺えなかった。


「頼むよお。俺ら魔王城でいっしょに戦った仲間じゃんか」


 情に訴えかけると、兵士は口を閉ざした。どうやら自己の感情を排して任務を忠実に遂行することを選んだらしい。兵士としては立派だが将真は激しく困惑した。


「と、いうことらしいですな。勇者さま。さ、私は束の間の休息も終えたことではあるし、これにて通常業務に戻らせていただきます。昨晩の宴はなかなか楽しいものでしたな」


 プラウドは揉み手をせんばかりに兵士の機嫌を窺う態度でそっと城門脇の小口を通り抜けようとするが、腰を蹴りつけられて堀に落下し、激しく水煙を上げた。


「おまえも入れるなとのご命令だ」


 将真は堀の下に溜められた冷たい水のなかでもがいているプラウドを見ながら茫然としていた。


 コイツは冗談じゃない。


 とてもじゃないが冗談にならない。フライヤの決断はその場限りのものではなかったのだ。


 正直なところ、将真はこの世界に来て働いたことは一度もなかった。


 いいや、それよりも大学受験に失敗して予備校に通うと称して飲み歩いていた日々でもバイトは断固として受けつけず、三つ上の姉から小遣い銭をもらっていたことを思い出す。正しくも自分は生活無能力者である。自慢することでもないが。


「俺はこれからどうしたらいいんだろうか」


 答えは決まっている。飢えて死ぬか――それとも大嫌いな労働を行うかだ。






「ショーマさまの追放を解くことはまかりなりません」


「は?」


 フライヤの忠実な侍女にして王族に連なるエマ・ブランドンは白い椅子に腰かけ、悠然といい放つ姫君に対して阿呆のような返事を反射的に行った。


 ちょっと昨日は将真をからかい過ぎた。エマの気持ちも幾分上向いたので、そろそろフライヤを説得して許してやろうかと思いはじめた矢先のことで余計にショックだった。


「いや、その、ですが……あの勇者さまですよ?」


 エマは、坂崎将真という男がこの国に召喚された日から知っている。


 当初は、黒髪黒目と不可思議な衣装に身を包んだエキゾチックな雰囲気と言葉少なげな物腰に淡い恋心すら抱き、親身になって世話を焼いていた(馬脚はすぐに現した)のでわかる。


 というか知っている。将真に人並みの生活能力はない。


 くどくど小言をいわなければ、縦のものを横にもしない性格なのだ。


 紋章の力で多少腕っぷしは立つとはいえ、あの男が女手なしに身の回りのことをできるとは思えない。


 からかったりして反応を見ることはあっても、本気で叩き出す気はなかったエマは激しく惑乱した。


「わたしもはじめはそう思っていました。今でも、ショーマさまの姿がこの城にないことはまるで現実とは思えないほど悲しいのです――ですが!」


「ひっ」


 フライヤがだんっと椅子の肘かけを強く叩く。反射的にエマは声を上げた。


「もしかしたら、これは、神がわたしたちに与えたもうた真実の愛を確かめるための試練……なのかもしれないのです」


 ふと、フライヤの膝もとに視線をやると、そこには近頃市井の婦女子たちに大人気である恋物語の本が置いてあった。


 エマも、一応は部下のメイドたちに聞いて知っている。


 内容はほとんど噴飯ものの手垢のべったべたについた糞の役にも立たない夢見る乙女が好みそうなゲロ甘すぎるストーリーだった。


(あんなもん、貴族の箱入り娘くらいしか信じないでしょ――ああ、姫さまでしたか)


 エマの脳細胞に影すら残らなかったゲロ甘物語は、確か中盤でヒロインと騎士がなんらかのトラブルで離れ離れになる過程があったような気がする。


 フライヤの瞳を見る。夜空にまたたくような無数の星々が狂気に満ちた光をほとばしらせて、周囲を圧していた。


 重症である。彼女は自分と将真を物語になぞらえているのだ。


 こうなると経験上、姫が自分の意見を聞き入れる可能性は微レ存である。


 エマにできることは、フライヤが物語に飽きるか、それとも将真恋しさに正気を取り戻すかを待つだけだ。


「ショーマさまは、ショーマさまはきっと、再び栄光に満ちたお手柄を立ててわたしを救いに城へお戻りになられます。それまで、それまでフライヤは歯を食いしばって孤独に耐えるのですよ」


 思い込みが激し過ぎるのが、バーデン・ガーデン王家の血筋だ。


 とりなしを頼もうにも国王夫妻は野良に出てまるで王城に寄りつかない。


「姫さま? ひとつお聞きしますが、勇者さまがなんらかの手柄を立てて、もう一度城に返り咲かれると本気で思ってらっしゃるのですか?」


「当然です」


 キラキラしている。フライヤの瞳は凄まじくキラキラしていた。


 ――駄目だこりゃ。


(まあ、城内ならばそれほど危険なこともないでしょう)


 もう好きにしちゃってくださいとは、口が裂けてもいえないエマであった。






「くそ。こうなったのもなにもかもがおまえのせいだぞ、ショーマ」


「だからあんたを堀に叩き込んだのは俺じゃないっていってんだろ。しつこいな」


 入城を拒否された将真とプラウドはどこへ向かうでもなく市街を歩き回っていた。


 将真がフライヤに示された帰還条件はただひとつ。


 万民が目を剥いて褒め称える功績を上げることだ。


 だがちょっと待って欲しい。将真はすでにこの地で猛威を奮っていた魔王を討伐し値千金以上、つまりは抜群の功を立てた。それ以上のものとなると、かなり難しい。


(フライヤがなにを求めているのか、から考え直さなきゃな。たぶん、俺がいっつもだらだらぐだぐだたらたらやってたから熱が冷めてしまったんかな? けど、兆候はなかったぞ。んー。難しいな)


「んで? ショーマ。これからどうするつもりだ」


「――」


 隣には堀の水でくたくたになった軍服を濡らしたままのプラウドが、いつも以上につまらなそうな顔をして立っていた。


「どうするもこうするも。あんた、なんでついてくんの?」


「は? 私はおまえのお目付け役なんだぞ。なにをいっているんだ」


 プラウドは偉そうにいうとフンと鼻を鳴らした。


「いや、ハッキリいうとさ。あれなんだよね」


「なんだ、なんだ。今更なにをいわれても私はなにひとつ動じんぞ。いってみろ」


「俺、おまえのことが大嫌いなんだ。だからついて来て欲しくないの」


 プラウドは喉奥にゆでた鶏卵を無理やり一ダースほど詰め込まれた顔つきになって、ひゅくっと妙なしゃっくりを漏らした。


「ははは。馬鹿いうなよ。私はその、勇者とか貴族とか、そういう垣根を超えた部分にある友だちというものだろう。照れ隠しにそんなことをいってもダメダメ」


「だから嫌いなんだってば」


「またまたぁ」


(コイツ。現実を受け入れることを拒否してやがる!)


 よく考えればプラウドが口減らしで村を追われた身の上だ。


 そして城を追われてしまえばゆく場所などどこにもない。


 将真はプラウドのひねくれていて傲慢で卑怯でこれっぽっちも男らしくない性格が大嫌いであったが、自分と同じく帰る場所のない天下の孤児であることに関しては強い同情を覚えていた。


「もう勝手にしろよ」


「ちょっと待った。ショーマ。少しばかりカフェーで作戦会議と洒落込もう。どこかのアホ衛兵のせいで身体が冷えてしまったからな」


「そういうことなら、もっと気の利いたとっておきの場所があるぜ」


 将真は口元を吊り上げると、通りの向こう側にある建物に顎をしゃくって親指を立てた。


 無論、冷えた身体をあたため心をリラックスさせる場所にうってつけなのはひとつしかない。


 温泉である。






 バーデン・ガーデン王国は湧出量大陸一を誇る典型的な火山性温泉地帯である。


 城郭都市トルコン市内にも多数の湯屋――つまり温泉ギルドに統括された経営株を所持した入浴施設が経営されており、市民や観光客もそれぞれ粋の凝らされた「お風呂屋さん」で身体をあたため、身体と心を癒すことができた。


「さいわいにも温泉の優待券がある。ゆこうか」


 というわけで半ば思考停止状態になった将真はプラウドを連れて目の前にちょうどあった温泉「ゆるり」に向かった。


 魔王討伐以後、暇に任せて王国じゅうの湯巡りをした将真だ。特に、この温泉「ゆるり」は森エルフの親子が経営する、星☆☆のそこそこによい温泉である。


「特に優待券はタダで入れるのが心憎い」


 規模はそれほど大きくないが、熱め、ぬるめ、ひんやりと三種そろった源泉かけ流しが楽しめるのと、将真の好きな壺湯があるのが魅力的だった。


 城外の広大な風景が楽しめる温泉に比べれば情緒の妙味はないが、基本料金がバーデン・ガーデン市民証明があれば二割引きというのもうれしいところだ。


「おまえジジィみたくよくも風呂ばかり行けるな。ほかにやるべきことはないのか?」プラウドが顔をしかめていった。


「ほっとけよ。昔は俺もそう思ってたんだけど、湯上りのビールって最高じゃん」


「飲むことと食うことに関しては天才的だな」


「よせよ」


「これは皮肉だ」


 時刻は昼どきなので混んでいるわけでもない。


「ちわ。ネネコじゃん、久しぶり。おやっさんどったの?」


「あ、ショーマさん。お久しぶりです。いらっしゃいませ」


 入り口で「ゆるり」の看板娘であるエルフのネネコが頬杖を突きながら元気のない声で応えた。


 今年で十三になる森エルフの少女は銀色の長い髪をうしろでひとつに結っており、同年代と比べてもやや小柄な身体を小さく震わせた。


 そもそもエルフ自体美形が多い種である。


 とりわけネネコは美少女で知られ、いつもならば元気よくあいさつを返してくれるのであるが、今日の彼女の眼は釣ってから長時間放置したイシダイのシマのようにぼんやりとかすれている。


「なんか、元気ねーな。どうかしたんか?」


「な、なんでもないですよっ。ネネコは今日も元気、元気です! さ、ショーマさん、ゆっくりしていってくださいね。お風呂はぴっかぴかに磨いてありますよっ」


 ネネコはぴょんぴょんと飛び跳ねながら元気さをアピールしているが、昨晩はよく寝ていないのか、うっすらと目の下に隈ができていた。


「ホントか?」

「ほんとのほんとですってばぁ」


 無理を装っているのが丸わかりだが、どうやらネネコは背後にいるプラウドの存在を気にしているらしい。


 まあ、込み入った話なら湯から出たあとで聞けばいいか。将真はそう思うとあえて、それ以上突っ込まず、とりあえずこの場は話を流した。


「ん。そうか。なら、別にいいんだが」


「おい。ロリコン大帝。とっとと幼女と戯れてないで進むんだ。ほら」


 うしろで幽霊のようにジッと立っていたプラウドが脇腹を小突いて来る。


 ネネコがとまどったような目でジッと不機嫌そうなプラウドの顔を見つめた。


「俺はロリコンじゃないっつの」


「私はおまえの異常性癖とかどーでもいい。ただこういった誤解を招きかねない施設でおおっぴらにするのはどうかと思うがな」


「なんだよ。おまえもネネコとお喋りしたいのか?」


「私はおまえと違って毛も生えてないようなションベン臭いガキは相手にしない主義なんだ」


 プラウドは鷲鼻を持ち上げてロムレス銅貨を番台に叩きつけた。


 これにはさすがに温厚なネネコもエルフ特有の長耳をぴこぴこさせながらムッとしていた。


 ま、風呂屋に来てまでこのアホを相手にしても仕方がない。


 将真はプラウドを無視する方向で脱衣所に向かうと手早く素っ裸になって身体を洗い、湯のなかに身を横たえた。


 温泉はいい。不浄な世のあらゆる疲れを取り去り、生きるための活力を身体の隅々までチャージしてくれるのだ。


 見ればプラウドは洗い場で神経質に身体を洗っていた。


 たいしたモノでもないくせに、腰には白いタオルを巻いて自分の大事な部分を隠している。


 将真はこういったオカマちゃんのようにイチモツを隠す男は嫌いだった。


 たとえ己のナニがどうであれ、正々堂々と振る舞えばいい。それこそが男同士の裸のつき合いというものではないだろうか。


 プラウドは湯船にまるでジジィのようなトロ臭い動きで侵入すると、将真から離れた位置で固着した。


 そばに寄られても鬱陶しいし、リラックスタイムではそれがたとえ絶世の美女であろうと話しかけられたくないのが将真のスタンスだった。


 こぢんまりとした浴槽には、将真たちを含めて五人ほどが浸かっていた。


 いずれも皮膚がたるみきり片足を棺桶に突っ込んでいるような半死体――もとい老人ばかりだ。


「にゅにゅにゅ、うはー」

「妙な声を上げるな気持ちの悪い」


 つい、くつろいでなんともいえない恍惚の声を漏らすと、苦々しい罵言とともに舌打ちが隅から飛んできた。

 プラウドである。将真が頭にきて浴槽の底に一丁沈めてやろうかと腰を浮かしかけたとき、入り口からどやどやと多数の足音が近づいて来た。


「へ。きたねぇ風呂屋だぜ」

「こんな湯に浸かったら身体が溶けちまう」

「昼間っからぷらぷらしやがってからに」


 ここは由緒正しき温泉だ。見る限りお友だちになれそうもない三人の無法者は、泥靴のままベタベタと床を汚しながら、湯に浸かっている将真たちを威嚇している。


「どけやジジィっ。おれの服が濡れンだろーがァ!」

「はひぃ」


 無法者のひとり。禿頭で革鎧を着込んだ大男が洗い場にいた年寄りの腰を蹴りつけた。


 どう見ても七〇過ぎの老爺は吹っ飛んでうつ伏せに倒れ惨めったらしい声を上げた。


 ――なにしやがんだ、この野郎。


 将真は憤って立ち上がりすぐ同じ湯船にいるであろう一応は衛兵の男の姿を探した。


 プラウドはぶくぶくと泡沫を立てながら湯船に潜って気配を消している。


 極めつけの腰抜け、面目躍如だった。


「おいおまえらっ。お年寄りになにしやがんだ」


 将真が海坊主のようにざばぁと湯船から上がりつつ叫んだ。


「ああん? 小僧。おれたちのやることになにか文句でもあるってのかよぉ」


「へ。こんな安っぽい風呂に浸かってるへなちょこが一丁前に意見する気かよ」


「相手はジジィだろうが。ポッキーよりも骨が折れやすいんだぞ。ちっとは気を使えっての」


 将真は湯船から出ると転んでいた老爺を助け起こした。意外とイチモツの長いジジィで、揺れたそれがぴたぴたと太腿に当たり微妙な気分になった。


「ジィさんウインナーでかいのね」

「儂のはフランクフルト並でのぉ」


「おいジィさん。大丈夫か。ほら、立って」

「ううっ。すまんのう。すまんのう……」


 老爺の手を引いて安全地帯に避難させようとするが、将真たちの目の前を三人の男たちがさえぎった。


「おい、小僧。誰の許可を得て上等こいてんだコラ」

「それじゃあ、まるでおれたちが悪者みてーじゃねーか」

「みてーじゃなくて悪者そのものなんだが」


 将真は頭に乗せていた手拭いを取ってゆっくりと手桶の湯に浸した。


「じゃかましいや。おれらをポンペン一家とわかってやってんだろーな!」


「構やしねぇ。このガキから血祭にあげちゃらあな!」


「テメェら。逃がすんじゃねぇぞ」


 まったくもって意味が分からないが、どうやらこの三人は芯から将真の善行が気に入らなかったらしい。


「仕方ないな。いっちょ相手してやるか」


 将真は現代日本の若者にありがちな胸板が薄く手足が長い体形だ。仮にも魔王討伐の旅で鍛え抜かれていたため、それなりに筋肉はついていたのだが、ちょっとした細マッチョ程度ではどうというこもないだろうと判断したのだろうか、男たちは嵩にかかって襲いかかって来た。


 真正面から襲いかかって来た三人の間を風が通り抜けるように


 ふわり、と。


 将真がゆるりとした足取りですり抜けた。


 同時に、濡れた手拭いが肉を打ちつける強烈な音が、ぱんぱんと強く鳴り響いた


 それは傍から見れば、男たちが両手を突き出したままその空間に縫いつけられたように思えただろう。


「はい、おしまい」


 将真がぴたーんと手拭いを自分の腹に打ちつけよい音を鳴らしたとき、無法者たちは糸の切れた人形のようにバラバラとその場へ崩れ落ちていった。


 将真は湯に濡らした必殺の手拭い攻撃で荒くれ者どもをあっという間に黙らせたのだ。


「にしても、なんなんだこいつらは。人がせっかくいい気持に浸ってるってのに」


「お、お若ぇの。そいつらはポンペンってケチな地回りの子分にちげぇねぇだ」


 今しがた助けた老爺があばらの浮いた胸を揺らしながら息も絶え絶えにいった。


「ポンペン……なんかかわいい名前だな」


「名前なんぞとは似ても似つかぬあこぎな野郎でよ。どうやら、やつらこの土地を狙ってるらしいだ」


「土地を? なんで」


「なんでも、最近このあたり一帯が区画整理とかで小奇麗になって……道も広くなっただ。なんでも親分はこの場所を買い取って妾のために飲み屋を開きてぇらしいだ。


 ゆるりのオヤジは、ポンペンの賭場で馬鹿負けして姿をくらましちまったし。儂らも、この温泉は近場で便利じゃったが、あんな地回りが店に顔出すようじゃ、ここもおしめぇかのう」


 老爺はそれだけいうと、慌てて脱衣所に向かって逃げるように消えていった。


 タイミングを計っていたのだろうか、湯船にいた数人の客もひっくり返ったヤクザ者たちをさけるようにして、ドンドンと出ていく。


 これでネネコの元気のなかった理由は知れた。


「大借金……マジかよ」


 将真が茫然としていると、長く潜水していたプラウドがようやっと帰還した。


 ボコボコと白いあぶくを立てながら、湯船の縁にもたれかかって青い顔をしている。


 視線が合った。


 プラウドは、やたらに生真面目な顔を作って叫んだ。


「湯船のなかにやつらの仲間がいないか探っていたんだっ」


「誰もそんなこと聞いてない」


 プラウドは伸びている無法者たちをしげしげと眺めると作戦通りだと呟きながら足早に脱衣所へと向かっていく。


 腰抜けを通り越してもしかしたらこいつは凄いやつなんじゃないだろうかと将真は思いはじめていた。






「まあ、お仲間さんがいないわけないもんね」


 着替えた将真たちが「ゆるり」の出口に向かうと、戻ってこない仲間を心配してやってきたポンペン一家のヤクザ者たちと鉢合わせになった。


 狭い帳場には一〇人以上の男たちで一杯になっていた。


 怯えきったネネコを囲むようにしていた男たちが、姿を現わした将真たちに向けて暴力のオーラに満ちた視線を放っている。


「おい。そんな子供を大勢で囲んで恥ずかしくないのか」

「ショーマさんっ」


 将真は涙目で抱きついて来たネネコを小脇に抱え込むと、逃がさんとばかりに手を伸ばして来た大男の顔面を片手で掴み上げた。


「ほーら高い高いってな」


 仮にも勇者であり紋章の魔力で倍加された腕力は起重機にも勝るとてつもないパワーだ。


 将真が男を放り投げるとボーリングのピンを弾くように五人ほどの男が巻き添えを食って吹っ飛んだ。


「おまえたち。私たちを一体誰だと思っているんだ。バーデン・ガーデンにその人ありと知られた正義の騎士プラウドを知らんのか? 命が惜しければ、そこに跪いて命乞いをするんだっ!」


 壁の一部に擬態していたプラウドは将真が優勢と見るや手にした剣を引き抜き、大音声で叫びながら青くなった男たちを盛んに威圧した。


「おおっ、やべぇ」

「なんかやべぇ」


「あいつは全然なにひとつしてないのに偉ぶってるところがやべぇ」


 男たちはプラウドの異常さに気づいたのか、距離を取った。


「我が正義の剣を受けるがいいっ」

「こりゃ威勢のいい兄ちゃんだな」


 将真が見るに、ヤクザ者の親分であるポンペンはプラウドが絡んでいる太鼓腹の小男だろう。


 見るからに攻撃色を配したエキセントリックな服装はなにかミツバチのようで滑稽でもあった。


「驚いたな兄さん。とんでもねぇ腕っぷしじゃないか。ウチの組にも欲しいくれぇだ」


「見くびるなよ悪党。渇しても盗泉の水は飲まんっ」


 ポンペンはいきりたって鼻息を荒くするプラウドを睨みつけおまえじゃないといいたげに思いきり眉間にシワを寄せた。その気持ちは痛いほどわかる。だってプラウドだもの。


「あんたがポンペンっていうヤクザもんか? ネネコのオヤジさんを賭場で上手くハメたようだが、そんなもんでこの土地を取り上げようって了見が通るとでも思ってんのか」


 将真がいった。


「どうやら兄さんはあらかた事情をご存じらしい。けど、俺らもタダでここを立ち退けっていってるわけじゃない。


 ゆるりのオヤジにはすでにナシをつけてあんだ。だが、そこのお嬢ちゃんはどうにも納得してもらえねぇみてぇでなあ」


 ポンペンがネネコを指していった。


「嘘ですっ。おとーさんは必ず帰ってきます。それまであたしがゆるりを守るって、そう決めたんです!」


 ネネコはまん丸な瞳に涙を一杯溜めながら、両拳を握り締めぷるぷる震えていた。


 プラウドがネネコの頭をポンポンと叩いた。


「ちなみにお嬢ちゃんのオヤジさんは賭場の借金を帳消しにした上幾らか持たせてやったらとうの昔に女と逃げたぞ」


「酷いなッ?」

「あたしの決意意味なかったっ!」


 ネネコはレイプ目になると、澱んだ瞳で四つん這いに床へと崩れ落ちた。


「て、わけだ。兄ちゃんが義侠心に篤いのはわかったが、これは正当な商取引なんだ。見ろよ、これ。ゆるりの店主とかわした正式な書面だ。


 国の商工ギルドも俺たちのやり方を認めている。正直、これ以上立ち退いてもらわないと、こっちとしても商売上困るんだ」


 ポンペンはふうっと肩をすくめると「本来なら俺らが払う必要はないんだが……」といいつつ、ネネコのために一〇万ポンドルほど包んでくれた。


 日本円にして一〇〇万円ほどの額だ。


 父親に逃げられたネネコが身の立つようにと、この世界では決して少なくない金額である。


 ポンペンたちは用事が済んだとばかりに、金を払うと「ゆるり」を出て行った。


 錯綜した情報を繋ぎ合わせると、ポンペンはネネコの父から土地家屋合わせて三〇〇万ポンドルで買い取ったらしい。


 これは、この国ではかなり適正な値段であり、不調法なやり方で立ち退きを迫ったことを抜きにすれば、アウトローにしてはかなりマシな部類といえた。


「ウチが……ゆるりの経営が火の車だってことは……よく知っていました。でも、でも、おとーさんが……亡くなったおかーさんと思い出のこの温泉を……そんなにあっさりと売るなんて……あたしは信じたくなかったんです。ねえ、ショーマさん。あたし、これからどうやって生きてゆけばいんでしょうか」


「よかったなショーマ」


 ポンポンと肩を叩かれた。


 振り向くと、なぜか悲しそうな表情でプラウドが下唇を突き出していた。


「これでロリッ子はおまえのものだ。地道にフラグを立てておいた成果があったな。ご祝儀返しはカタログでいいぞ。いろいろ選べるやつ」


「おまえ、ほんっと嫌なやつだよな」


 ポンペンは新たに湯治場を経営するつもりはなく、温泉ギルドの発行する温泉権はネネコのもとに残った。


 もっとも、ポンペンは居抜きで「ゆるり」を買ったのだし、事実上追い出されたネネコには設備品を買い取る力も置いておく場所もなかった。


 将真たちはとりあえず城下の安宿を見つけると部屋を取り失意に打ちひしがれたネネコを泊まらせた。


 





 




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