第2話「楽園追放 無職になった俺」

「ショーマさま。今日限りで城を出て行ってください」


「……ん?」


 黄金色のたゆたう髪に燦然と輝く白銀のティアラ。


 母性を象徴する豊かな胸をぷるりんと震わせ決然といい切ったフライヤ姫の言葉が脳に浸透してゆくまで坂崎将真はたっぷり三十秒かかった。


 ところはバーデン・ガーデン王国首都に鎮座するトルコン城王座の間である。


 フライヤは、農事に勤しむ父王に代わって執務の一端を扱うとともに、城内の権限を事実上掌握していた。


 つまりは彼女が出て行けといえば、いくら救国の勇者である坂崎将真であろうと、城を出なければならないのだ。


 昨晩の深酒のせいか。将真はドコドコと胸打つ生命のドラミングを聞きつつ呻いた。


(待った待った。いきなりフライヤはなにをいっちゃってんのかな?)


「じょ、冗談だよな。フライヤ。俺、そういうのあんま好きくないんだよね」


 余裕を保った振りをしてウインクをする。


 周りの文官たちの道路にへばりついたガムを見るような視線が痛かった。


「出て行ってください」


 王座に座るフライヤに顔を近づける。


「つーん」


 さらに接近させる。フライヤの肌はきめ細かくまつ毛が刷毛のように長い。


「つーん、つーん」


 将真が鼻がくっつくほど顔を近づけても目を閉じてそっぽを懸命に向いている。


 ぐぐぐ、と力むと傍らに控えていたメイドのエマが軽く咳払いをして睨んで来た。


 魔王を討伐してから将真とフライヤの仲は悪くない――。


 むしろ、内外ともにおしどり夫婦のようなカップルとして認められつつあった。


 若干二十といえど、将真は日本よりこの地に召喚されて、常人では一生をかけて費やすような偉業をたった半年程度で成し遂げた。


 その功は天よりも高くこの地に与えた恵みは海よりも深いはず。


 今になって手のひら返しは考えられない。

 と、いうか考えたくない。


(だいたい昨日だって普通にわきあいあいとラブラブしてたじゃねーか。ま、そりゃちょっとばっかし深酒して、朝寝し過ぎたのは自堕落かなと思うけど、それっていつものことだし。変わったこと、変わったこと。んーん。思いつかないなぁ)


「なぁ、フライヤ。なにをそんなにフテてんだよ。おまえらしくねーぜ。よっしゃ。昼飯食ったらかくれんぼやろう。そのあとは、花畑で追いかけっこしようず。んー、んでんで、厩舎でビッグわんこさんたちともふもふもしよう。おまえ、仕事のし過ぎなんだ。疲れてるんだよ」


 将真は頭の悪すぎる提案をした。


 普通の年頃の女性なら一笑に付してしまうような話であったが、幼少のみぎりより将真の述べた庶民的な遊びと隔絶して育ったフライヤはむしろこのようなたわいないものを好む傾向があった。


「え、あ、あは。わんこもふもふ……大好きなショーマさまとわんこもふもふ。すっごく楽しそう。癒されます」


 キリッとしていたフライヤの顔つきがとろりとマタタビを嗅いだ猫のようにとろっとろとなった。


 白手袋を自分の頬に寄せ陶然としている。瞳にはハートマークが浮かんでいる。


 将真の顔に、おまえの隅々まで知り尽くしているんだ、というような悪党そのものの表情がくっきりと浮かぶ。


「姫さま、姫さま」


「はっ、はうっ。そ、そうですね。エマ。しょ、しょ、ショーマさまっ。わたしの意思は鋼のように真っ直ぐで固いのですっ。そのような魅力的な口車に乗ったりはいたしませぬ。あなたを、今日限り城から追放しまーすっ」


 フライヤ姫は椅子の隣に立っていたメイドのエマに耳打ちされると、思い直したように強い口調で追放を宣言した。


「う、うぐっ。ぞんなぁ」


 将真の顔がベソ面に変わる。


 控えていた書記がすぐさまさらさらと議事録に書きつけた。


「第一王女フライヤ、役立たずを追放す……と。はは、ざまぁみろだな」


 書記の呟きは嫌でも耳に入る。将真は怒り狂って書記の顔面に頭突きをかました。


 ごりっと骨を鳴らして書記が吹っ飛ぶ。


 女官が現れて昏倒した書記を運ぶと、すぐさま別の書記が別の部屋からやって来てペンをとった。


「勇者ショーマは、力によって、オランド書記官を打ち据える……と」


「だからやめろってんだよ!」


「るるぶっ」


 将真が代理の書記をどついて議事録を取り上げると、すぐに控えていた次の書記が現れなにごともなかったかのように、今しがた起きた蛮行まで議事録に書きつける。


 視線を巡らすと柱の影に連なって文官が並んでいた。


 ここでは暴力は意味がない。将真は力に訴えることの限界を思い知らされた。


 ――無限増殖かよ、クソが。


「勇者さま。あなたが書記を殺めても、次の書記が記録を取るだけです。無道な真似は意味がないのでおやめになったらいかがでしょうか。というか、そろそろ学習してください」


 エマがしれっとした顔でいった。


「いや、殺してないがな」


「死んでますよ」


 エマがぼそっと「おまえも死ねばいいのに」と呟く。バッチリ聞こえてしまった。


 将真は額に青筋を立てながら、あかんべぇをしているエマを親の仇のように睨みつけた。


「ぬう……。このぺたんこメイドが。きちゃまフライヤになにを吹き込んだ。この獅子身中の虫さんめが……!」


「え? 私は、この半年間無駄飯喰らいを続けてなんの役にも立たない勇者さまをポイしたほうがいいのではないかと、こそっと姫さまに忠告しただけですが」


 今年で十三歳になる黒髪メイドのエマは取り澄ました顔でそういうと、食ってかかる将真を路傍の石ころを見るような瞳でジッと凝視した。


「それを余計っことっていうんだよ。こんダラがっ。フライヤ、そのメイドに騙されちゃいけません。俺たちは愛し合っているだろ? 魔王を斃した俺を用済みになったらダストシュート叩き込むのか? やさしいおまえはそんなことしないよな? な、な、な?」


 将真は脳裏に雨天にゴミ箱へと置き捨てられた仔犬をイメージし、くぅんくぅんと憐れっぽく鳴いて見せた。


 エマの眉間にシワが寄り、情の篤いフライヤは途端におろおろし出した。将真はこれでフライヤが自分を嫌っているのではないと確信する。


「エマ……ショーマさまもああいっていることだし、今回は」


「姫さま。このあとは、ユーロティア王国第三王子レポックさまとの会談が控えております。これ以上時間が押すと先方に失礼かと存じます。お化粧直しの時間やお召し物も変えねばなりませんし」


「レポック……だと? おいおい、その腰抜け野郎はもしかして俺の記憶違いじゃなきゃ、フライヤにつきまとってたストーカー君じゃなかったか?」


「ストーカーじゃありません。姫さまの婚約者です」


 エマがつんと目を伏せると将真は目を血走らせてきゃんきゃん鳴いた。


「嘘つくなっ。元がつくだろっ、元が!」

「ああ、失礼しました。元勇者さま」

「俺の枕に元つけてんじゃねえよっ」


 将真はギリギリと奥歯を噛みしめながら地団太をその場で激しく踏んでいた。


 レポック王子とフライヤ姫は幼馴染で元婚約者同士である。元、がつくのはバーデン・ガーデン王国に突如として魔王が現れた三年前、国の政策としてはるかに大国であったユーロティアのほうから婚約解消を伝えてきたのである。


 元よりリーグヒルデ王国の衛星国であったバーデン・ガーデンからしてみれば、東京都と寂れた地方都市くらい経済力に差があった。


 世を儚んだフライヤ姫は、全力で魔王に対し土下座しつつあった父王を思い止まらせ、次元の扉を開いて将真を日本から呼び寄せ国を救ったのだが、それがなければ王子とフライヤは結ばれていたのである。


 いわゆる予期せぬ元彼の出現に将真は不安と恐怖が入り混じったなんとも形容し難い表情となった。


 エマはぷっと吹き出しかけながら、腰を折って笑いを噛み殺している。屈辱だ。


「ま、まさか……あんな顔だけイケメンへにゃちんぽ野郎に乗り換えようってつもりじゃないよな。なあ? なあっ? 俺がいったいなにをしたっていうんだよっ!」


「ショーマさま」


 フライヤがうろたえてエマを見る。小柄なメイドが将真の視線を遮るようにフライヤの前に立ちはだかった。


「なにもしていなかったからです」


 エマがさらりといってのけた。


「ぐふっ」


 将真は胸を押さえてその場に片膝を突いた。


「なにもしないで、この半年間。毎日食っちゃ寝食っちゃ寝。おまけに国費を湯水のように蕩尽し、酒は浴びるように飲むは、山海の珍味を取り寄せたらふく食べるわ。国税をなんと思っているのですか。ここは名誉あるバーデン・ガーデン王国のお城です。養豚場じゃない。出荷しますよこの野郎。


 と、いうことで、これ以上国費を食い潰されるのは、国的に考えてもよろしくないので、姫さまはあなたを追放するといっているのです。石の上で日向ぼっこするカナヘビと同程度の脳みそしかないあなたにとって理解しにくいと思われましたので懇切丁寧にお伝えしましたが、いかがでしょうか」


「あ、あの……エマ、エマ? わたし、なにもそこまではいってな……」


「だ、だって仕方ないだろうッ。政治的な話に参加しようとすればダメだっていうからっ」


「いきなり税率はゼロにしよう。民忠が上がるから。とかわけのわからぬことをいい出す御仁を国家の中枢に据えられるわけないでしょう!」


 将真は政治に関しては詳しくない。知識の基礎は数値上げSLGが基準だった。


「別にここって同族企業みたいなもんだからいいじゃん。大臣のほとんどは親族だろ?」


「だとしても勇者さまの素質の無さは酷すぎるのですっ。姫さまはおやさしいので、私めが代わって伝えています。こんなこと、救国の英雄にいうのはつらいのですよ。ほろり」


 将真はショックを受けたかのように歌舞伎の大見得を切るポーズで固まると、数十秒後復帰し、肩を落として玉座の間を出て行った。


「お、俺はこの国を救った……救ったんだぞ!」


 エマはさっとフライヤ姫の両耳を自分の手で覆った。


 将真は味方がいないかと、温泉巡り仲間でフライヤ姫の叔父にあたるオズボーン国務大臣を見やったが、彼は柱にもたれかかると、デカい鼻提灯をぷからぷからと浮かべて狸寝入りを決め込みはじめた。


「しゅくったんにゃああああっ!」


 将真は泣き喚きながら部屋の赤絨毯の上に四肢を投げ出すと、むずかる幼児のようにジタバタし出した。


 居並ぶ文官や女官たちが、あっさりと情にほだされバツの悪い顔をする。


 なんといっても将真の功は大きい。


 エマがいうとおり食っちゃ寝しても、その負担は魔王を斃した功績と比べればどうってことのない程度だ。空気の流れを呼んだエマはあからさまに舌打ちをした。


「勇者さま。失礼」


 エマはフライヤの座った王座をぐるりと反転させると、将真の袖を無理やり引いて柱の影に連れ込み、名刺のようなものをチラつかせた。


「う! それは――」


「まあ、飲み歩くだけならばかばいようもあるんですが、勇者さまは、夜のお店で随分ご活躍なされているようでございますねぇ」


 そこには自室の文机に仕舞ってあった夜の街のいけないお姉さんからもらった「また来てねカード」が扇状にばらりと広げられていた。


「姫さまと一方的に婚約解消した他国の王子がいまさらどうこうなるはずもございませんが、このことが知られたら嫉妬深い姫さまが、どういう態度に出るかおわかりでは?」


 将真は知っている。フライヤが見た目のぽやぽやした感じとは裏腹に異様なまで嫉妬深いのを。


 特に、こういった安い店の女にうつつを抜かしていると知られれば、癇性が強く誇り高い彼女のことだ。


 今度は将真にどういった感じで当たって来るかわからない。


 少なくとも、名所のお店がある歓楽街は兵馬によって焼き払われることだろう。


 フライヤはそのくらいの凶暴性を内に秘めていた。


「勇者さま。禊ですよ、み・そ・ぎ。ただでさ王宮にはあなたさまの脚を引っ張りたくてたまらない方々がたくさんいらっしゃいます。このことも、面倒な方々の数人にはバレていますので……」


「じゃあ、俺はどうすりゃいんだよっ。これから」


「しばらく身を隠しなさい。細かいお話はあとで」


「なあ、エマよう。その名刺を今俺に返してくれればいいんじゃね?」


「これは複写です。それに、この場で問い詰められれば勇者さまはごまかせないでしょう。すぐ顔に出ますから。今は、時間が必要なのです。わたしを、信じてください」


 エマとはかなり馬鹿をやって来た。気心も知れているし、そういわれると将真はあまりにもまわりに気を使わなさ過ぎた部分に思い当ることは一杯あった。


 向き直ったフライヤの顔。どうも誰かにそそのかされただけではなさそうだ。彼女なりに将真のぐうたらさ加減を思いやってのことだろう。


 こうなれば下手に騒いで状況を悪化させるのもよくないだろうし、なにしろ浮気がばれたときのことが怖い。


 嫉妬に狂ったフライヤ姫の恐ろしさは、この身でよく知っていた。


 将真は決断した。


「荷物をまとめてきます」


 とだけ告げて、肩を落とすと負け犬のように去っていった。


「ねえ、エマ。あそこまで伝えてよかったのでしょうか。ショーマさま、まさか本気にしていらっしゃらないかしら」


「姫さま。勇者さまは近頃気がたるみ過ぎています。王家の名を出しては市街のあちこちで飲み食いし、あまつさえいかがわしい場所で大臣たちを引き連れての日々ご乱行。ここらでビシッと手綱を締めておかねば将来に禍根を残しますよ」


 一枚上手なのはエマのほうだった。


 彼女はフライヤ姫のことを思って将真の行状を改めさせるために一芝居打ったのだ。


 エマも心が痛い。誰のいうことも聞かずにやりたい放題やっていた将真が肩を落としてうなだれて出ていく姿を目にして。


 いいようのない愉悦を背筋に感じてしまった――。


(あらいけない。これでは、わたしとしたことが。まるでわざと勇者さまをいじめて楽しんでいるみたいじゃない)


 実際、将真はそこまで罪深い浪費を行っているわけではないが、主であるフライヤのことを思えばここいらでひとつ手綱を引き締めておいたほうがいいと判断したのである。


「ショーマさま。フライヤは、本当にこれでよかったんでしょうか……」


 エマからしてみれば、知らんな、としかいいようがない。


 ま、このバカップルのイチャイチャぶりにも独り者のエマにとっては噴飯ものだったんで、少しばかりストレス解消になった。


(それに放っておいて、勇者さまと姫さまがくっついてしまったら、もう今までみたく気軽にからかえなくなってしまうでしょうし)


 将真のことなどは毛ほども男性として意識はしていないと日頃態度に出しているエマではあるが、胸中は意外と複雑であった。


 ――面白いからもう少しからかってあげましょう。


 くふふ、と微笑むエマの姿を見た文官が見てはいけないものを見てしまったかのように、びくりと身体を強く震わせた。


 思えば、このメイドの悪ふざけがあらゆる人間の運命を変えていってしまうのであるが、世の中は意外とそういうことが多々あるので致し方なかった。






 将真は自室に戻ると半ベソで身辺整理を行っていた。


 魔王討伐後わずか半年といえど、この部屋にはそれなりに思い出が多い。


 王直々に授かった勲章やトロフィー、それと盾に、口の空いた酒瓶、酒瓶、酒瓶。


「ちょっと飲み過ぎたかなぁ。でも、ほかにやることなんもなかったし」


 将真はシーツのパリッとしたベッドに座ると物思いに耽った。


「このベッドでフライヤと愛をかわし……たかったんだが、いざそのときとなると決まってエマが現れて邪魔したんだ」


 窓際に立って外を見る。眼下に広がる市街の向こうには肥沃な田野が広がっていた。


「そういえば、月の明るい夜にフライヤの肩を抱いて、そっと口づけをかわ……そうとするとエマのやつがすぐそばでジッと凝視しやがって、あいつ邪魔ばっかしてたよな? どんだけ俺のこと嫌いなの?」


 感情の高ぶりとともに窓の桟を殴りつけるが身の厚い樫材は結構固くなかなかに拳が痛かった。


 仕方がないので用意したズタ袋にこれからの生活に必要そうなものを適当に放り込んでいく。


「これはトルコン市二百周年記念温泉ギルド発行の会誌に記念手拭いに、替えのパンツに、シャツに、石鹸に、バスタオルに、市内の温泉優待券に……コンドーム、は必要ないか。そしてこれからも必要なさそうだな。グッバイ」


「おやおや。これはこれは高名な勇者殿。こんな真昼間っから夜逃げの下準備ですかな」


「そのイヤーな声。プラウドかよ」


 将真はうんざりした顔で瀕死のキリンに似た動きでのっそり首だけ振り返った。


 戸口には、予想通り灰色の髪を短く刈り込んだ城の衛兵にして下級貴族のプラウドがニヤニヤした顔で寄っかかっていた。


 プラウド・F・アンダーソン。


 この将真よりひと回り年上のひょろりとした長身の男は、今にも踊り出しそうな顔つきで眼球をぐりぐり動かし、将真の手にした頭陀袋を凝視している。


「それとも季節はずれのサンタクロースさんかな? もしもし髭のお爺さん。ぼく、今年もいい子にしていたよ。靴下はベッドに吊るしておいたから、現ナマをぎゅうぎゅうに突っ込んでおいてね!」


「あのな、プラウド。今は俺、おまえのつまんねーギャグ聞く気力残ってねーの」


「ま、当然の結果だろう! 現在のおまえの立ち位置は、私が当然つくはずだった場所なんだからなっ」


 歌うようにいうとプラウドは灰色の制服を翻し、その場で華麗にくるりとターンした。


 ――そうである。


 たかが城の一衛兵であるプラウドが曲がりなりにも救国の勇者である将真と対等――というか見下したような無礼な話し方をするのは、ふたりが同郷出身であるという理由からであった。


 身長百八十一センチのどこをどう見ても欧州白人系にしか見えないプラウドは、なにを隠そう将真と同じ生まれの日本人で、転生者であった。


 彼は、生前日本でトラックに撥ねられ頓死し、気づけばこの異世界であるバーデン・ガーデン王国の下級貴族として生まれ変わった。


 物心つく頃から大人と同等の知性を持った(せいぜい中学生並みの学力であったが)プラウドは、この利点を生かして成り上がろうと画策した。


 しかし実家は貴族といえどほとんど農民と変わらず、十代は日々農作業に追われることとなった。


 彼が天運を掴んだのは、十四人兄弟の末っ子で同じ家に彼を叔父と呼ぶであろう五人目の姪が産まれたことにより、嫌でも自活の道を選ぶこととなった日が分岐点だった。


 家を出されてすぐに運よく城に欠員が出て、運よく衛兵に採用されたプラウドであったが、三年前に魔王が出現するまでは最下級の俸給で髀肉之嘆をかこっていた。


「それをおまえが、おまえがっ!」


「いきなりぶっちぎれんなって。あのなぁ。別に俺が召喚されたのと、おまえが長年冷や飯食いだったのはなんの関係もないだろう。よくも、まあそこまで人のことを嫉妬できるよなぁ」


「ふんっ。だが、天の神々は見ていてくださった! ショーマ。おまえがこの城から出ていくことによって、このプラウドさまの天壌無窮な栄光へのロードがついに、ついに開かれることとなったのだ。嗚呼、神は我を見捨ててはおらなかったっ」


「んな、大げさな……」


「大げさなんかなじゃないっ。ま、しかしだ。私も鬼ではない。いくらおまえが、無能でカスで、あの胸ばかりデカい王女を上手いことだまくらかしていただけの存在だったとしてもだ。今現在、使い終わったロール紙のように流されていくのを黙って見ているほど、非情ではない」


「なんだよ。俺が出て行かなくて済むように姫さんを説き伏せてくれんのか?」


 プラウドはちょいちょいと手招きをして将真に紙切れを手渡してきた。


 そっと広げる。

 そこには市内温泉ギルド共通の割引券があった。


「特別だ」


 将真はドヤ顔で鷹揚にうなずくプラウドを見ながら呆れてものがいえなかった。







「プラウド・F・アンダーソン。定刻通り勇者殿をお連れ致しましたっ」


「ご苦労です」


 将真はプラウドに引き連れられて、城門の前でエマと向き合っていた。


「んで? 栄光に包まれた勇者の俺は見送りもなしに、こっからおんだされるわけ?」


「難をさけるためです。勇者さまが再び功成り名を遂げたのち、堂々と凱旋できる日を私どもは願っています」


「もうちょっと悲しそうにしろよ」


「そんな……」


 エマは電卓を渡されたニホンザルのような途方に暮れた表情を見せた。


「おまえマジで俺のこと嫌いなわけ?」


「姫は慈悲深いお方です。勇者さま。目の前に宝箱があります。少ないですが路銀のタシにしてくださいとことづかっております」


「……おい。エマ。銅貨が三枚しか入ってないんだけど。三〇ポンドルしかないんだけど」


「よく見てください。ちゃあんと旅立ちのために好事家垂涎の武器も入っているでしょう」


「これ、すりこぎ棒だよね。おまえが前にゴマ団子作ってくれたとき使ってたやつ」


「勇者さま。王家に伝わる伝説のひのきの棒です」


「やっぱすりこぎ棒じゃねーか。これからトンカツ食うわけじゃねーんだぞ」


「勇者たるもの食べ物には感謝をですね……げふっ」


「おいっ。よく見るとその口の食べカスはなんだ。おまえ絶対ちょろまかしたろ? この中の金使い込んだろっ。城下のB級グルメ食い放題か? フライヤの金で美味いもの巡りしてきやがったな。ちきしょおおっ!」


「いいがかりですよ勇者さま。私がそのようなことをする女に見えますか?」


「見えるわっ。てか、なんだその両指すべてに嵌ってる高価そうな指輪はああっ! さっきまで、絶対そんなのしてなかっただろ? 無駄にキラッキラさせやがって。買ったな。絶対横領した金で買っただろっ。おまえは成り上がりの大富豪かああっ!」


「私のようなものでも指輪を送ってくれる殿方くらいいますもの」


「絶対嘘だ……」


「反論は認められません」


「おまけに腹がぽこっとなってるし。絶対ひとりでいいもん食いおったわ」


「これは勇者さまが私の私物にいたずらをなされるからです」


「しつけーな。やめてよ、ここでそういうアダルティな嫌みいうのは」


「あれは母さまが無理やり押しつけていったものですよ。ちなみに、そのまま返品したせいで、今年の暮れには私の弟か妹が産まれます」


「そのまま渡すなよなっ。俺は祝福すればいいのか謝ればいいのかわかんねーだろがっ」


「では、無駄話はこのくらいにしてと。勇者さま。旅立ちのときでございます」


「……おまえあとで助けてくれるっていったじゃんか」


「そのようなことは申しておりませんわ」


 将真はエマの瞳が黒く濡れて輝いていることに気づいた。


 ――もっともっと追いつめてやる。

 彼女の眼がそういっているのだ。


「勇者殿。私たちも短いつき合いでしたが、これでお別れになると思うとさびしくなりますなぁ」 


 プラウドがわざとらしくさも悲しそうな声音で語りかけてくる。馴れ馴れし気に肩をポンポンと叩いて来る。


 将真は激しい憤りを見せてプラウドの手を払った。


(コイツ、まじムカつく)


「我らが勇者殿に敬礼ッ」


 プラウドはしゃっちょこばって綺麗な角度で敬礼を行うと、鼻孔を広げて獣のような荒い鼻息を放出する。


 その瞳。

 歓喜に満ちあふれていたことを将真は見逃さない。


「プラウド。あなたも衛兵として勇者さまについてゆくのですよ」


「え」

「え」


 将真は反射的にプラウドの顔を見た。彼はグッと目を閉じて耳をふさぎ眉間にシワを寄せて、それから両眼を見開いた。


 夢ではない――。


 将真とともに追放されたも同然だと知ったのがショックだったのだろうか、プラウドは両目を中央に寄せながら仰向けにぶっ倒れるのだった。


「どうして私がおまえとなんかといっしょに城を追い出されにゃならんのだっ」


 プラウドは木の枝を親の仇のような目でふたつに割ると怒り狂った声を上げた。


「ま。そういうなよ相棒。仲よくしようぜ」

「この疫病神がッ」


 将真たちは夕刻、こっそり城近くの森林公園でたき火をしながら、今後の展望について語り合っていた。


 ちなみに公園は火気厳禁であるがプラウドが衛兵の制服を着ているので夜回りの騎士たちも特に注意をしてこない。これぞ職権乱用だった。


「俺が悪いんじゃないもーん。いうならフライヤにいってよ」


 将真はズタ袋にもたれかかったまま、手にした杯で酒精をかっ喰らっていた。


「おい、ショーマ。今からでも遅くない。姫さまに詫びを入れに行け」


「まあまあ。たまにはこういうのも悪くないじゃん。いわゆるひとつのアウトドア的な? たまには星を見ながら酒を飲むってのもオツなもんだよ」


「私は屋根があってふかふかの毛布じゃないと眠れんのだ。だいだい、これは事実上のリストラじゃないか。私が一体、なにをしたというのだっ。私ほど、この国に貢献している騎士はいないのだぞっ」


「でもおまえ、魔王討伐の援軍、途中でフけたじゃん」


「う」


「あとで衛兵のお仲間さんに聞いたぜ? プラウドは突如として強烈な腹痛に襲われたため、魔王城直前で敵前逃亡したってさ」


「あれは逃亡ではないっ。急に催しただけだ!」


「そのくせ、国軍が勝ちどきを上げてるときにちゃっかり戻ってたじゃんか。城壁の一番目立つところで音頭とってさ。おまえって、恥ずかしくないの? 生きてて?」


「う、うるさいうるさいっ。だいたいだなショーマ。魔王を斃したのだってすべて軍を率いたフィン将軍の功績だろうがっ。おまえだって名ばかりの勇者には違いないだろう」


「あのなー。まだ、そんなこといってんの? 俺はおまえと違ってやればできる男なの。現に魔王だって、ガチのタイマンでぶっ倒したし。事実をちゃんと見てよ」


「ふん。クスリと酒のやり過ぎで幻覚でも見てたんだろっ。私は認めん」


「とはいえ追放か。これで俺もおまえも名実ともに無職だな」


「おまえといっしょにするな。このゴキブリが。ああ、私の輝かしい栄光のステップが消えてゆく。私はプランのため、なにもかも犠牲にしてきたのに。家族も、故郷も、女もないない尽くしのなかで……」


「おまけに友だちもない」


 プラウドが悲壮な表情をした。将真はころころと喉を鳴らして笑った。


「まあ、いいじゃんか。どうせ、おまえって元々ゼロの人間だし」


 将真はプラウドがやけになってキツイ蒸留酒を一気飲みするのを手を叩いてよろこんだ。


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