第4話「冒険者ギルド 逆転の構図」

 将真とプラウドは夕食を済ませたのち、宿の近くにあった安酒場へと繰り出していた。


「で、ショーマ。奥さまは元気かな」


「しつこいな。おまえはネネコのこと心配じゃないのかよ」


「心配もなにも。おまえのロリ妻のことなど私には関係ない」


 プラウドは度数の強い酒精を呷ると水を引っかけられた柴犬のような顔をした。


「関係ない関係ないって。あんなにちっちゃいのに、かわいそうじゃん。土地屋敷分捕られてさ。おまけにオヤジさんは女作って出ていっちゃった。帰るところもないし」


「帰るところがないのは我々も一緒だ」


「俺がいってんのはさ。そういうことじゃなくって……ホントに不人情なやつだね」


「ショーマ。人のことを心配している場合か。私たちだって城を叩き出されて、これからどうやって生活していけばいいのだ。もう一度姫さまによく詫びて、なんとか城に戻ることはかなわないのか」


「ンなことできねーよ。こっちから謝ったら癖になるし、そもそも俺は勇者よ? この国を救った英雄なんだ。こっちから歩み寄る必要なんてない。こうなったら、なんとしてでも大手柄をぶち上げて、フライヤのやつにいとしの将真さま帰って来てくださいませっていわせたる」


「おまえが魔王を倒したというのも錯覚に過ぎないなら、その希望も絶望的だ」


「じゃあおまえはなんか対案あるの? 俺のこと批判してばっかじゃん」


「なにをいっているんだ、おまえは。いいアイデアがあったら私はハナからおまえのようなゴキブリ以下の存在と飲みになど来てはいない」


「そういうこという? 普通」


「ああっ。私の栄光に包まれていたはずの出世街道がおまえという単細胞生物のせいで閉ざされてしまった。予定通りならば、私は王国の上級軍人として士官クラブで高級なワインに舌つづみを打っていたはずなのに現実はどうだ。こんな安っぽい店で安っぽい女を相手に安っぽい酒を呷っているなんて、眼が潰れてしまいそうだ」


 プラウドが手にしたグラスをだんっとテーブルに勢いよく叩きつけると、通りがかった若いそばかすの浮いた酌婦が手にしていたお盆で思いきり殴りつけた。


 プラウドはつんのめって食いかけのシチューの皿に顔面をダイブさせると情けない悲鳴を上げた。


「全体的に安い店で悪かったわねっ。失礼しちゃうわ!」


 顔はイマイチだが胸はスイカのようにデカい娘はぷりぷりしながらカウンターに戻っていく。


 衛兵の制服を着たプラウドの滑稽な姿がツボに入ったのか周りの酔客たちがドッと声を上げて爆笑した。


「淫売風情が。これだから安い店は嫌なんだ」

「でもさ彼女オッパイは大きいじゃん」


「おまえは胸さえデカけりゃなんだっていいのか! 乳牛にでも声をかけてろ」


「プラウド。フラれたからって八つ当たりはよくないよ。彼女、おまえみたいなタイプが、そのお、好きじゃないんだよ。ま、好きっていい出したらその女熱があるかどうかまず疑ったほうがいいけど」


「はぁ? フラれた? この完全無欠で貴族であるこの私が? いい加減にしろよショーマ。仮にも私が彼女に声をかけたとしたら、あのような底辺階級の娘はよろこんで受け入れているはずだ! 冗談でもふざけたことをいうんじゃないっ」


 プラウドは胸のでっかくてケツがぷりぷりした女が好みだった。


 よって彼が勘違いであるにしても、こういった安酒場の娘が自分の要求を断ろうなどとは微塵も思っていなかった。


「でも俺見てたんだよねー。さっきトイレ行く振りして影に隠れて、おまえがあの子にコナかけてるとこ。思いっきり嫌がられてたじゃん」


「……いつからだ」


「あんたがカッコつけてあの子の肩に手を回して妙な詩を口ずさみ出したとこから肘鉄喰らってしゃがみ込んだとこまで」


「ほぼ全部じゃないかっ!」

「怒るなよ。だって暇だったんだし」


「おい、兄ちゃん。さっきからオレのニコラに妙なちょっかいをかけてるみたいだが、一体全体どういう了見なんだ」


 将真とプラウドがいい争っていると、店の奥側から見上げるような巨漢がドスの利いた声を響かせのっしのっしと歩み寄って来た。


 見た感じからして暴力的な臭いが全身からぷんぷん発せられている。


 碁盤のような四角い顔には刀槍でつけられた引き攣れが幾つも走っており、胸板はぶ厚く腕は丸太のように太かった。


 巨漢の影に隠れるようにして酌婦の娘があかんべえをしている。将真は青くなったプラウドをニヤニヤに見つめながら、グラスの酒精をぐびりと干した。


 恐らくこいつは酌婦の男なのであろう。


(自分の女に手ェ出されたら黙ってらんねえってか。さてはてプラウドさんはどう切り抜けますかね)


「ニコラさん? ああ、ニコラさんね。私はさきほど彼女に甘いレモネードを注文しただけですが、なにか行き違いがありましたかな」


 プラウドはびびりまくってオカマちゃんのような甲高い声を上げた。


「嘘よリック! そいつったらしつこいくらに絡んできてあたしのお尻を触ったのっ」


「誤解だっ。私はただ素敵なお嬢さんに一杯つき合っていただけないかと紳士的に誘いをかけただけだ」


「嘘っ。一発いくらだとか聞いてきたのよっ」


 巨漢の額にぷちぷちと太い血管が浮かんだ。太い腕がにゅっと伸びてプラウドの首を片手で掴み上げ、天井に差し上げた。


「誤解があったら謝罪する……! 頼む、侮辱する気はなかったんだ……」


 プラウドが猫に追い詰められたネズミのような目で将真を見た。


 将真はにこやかに笑うと片手で「がんばれ」とばかりに別れのあいさつをした。

「この青瓢箪が。オレのスケに手

 ェ出すとどうなるかってのを骨の髄まで思い知らせてやるぜ……!」


「もう……思い知ってます」


 プラウドが唇を尖がらせて絞め殺される狐のような表情になる。


 さすがの将真もからかうのはこのくらにして、と重い腰を上げて仲裁に入ろうとしたところでカウンターのほうからよく通る涼やかな声が走った。


「相手はもう詫びている。それくらいにしておいたらどうですか」


「なぁにを……?」


 巨漢のリックがプラウドを床に放り捨てて声の主に視線を向けた。そこには今まで将真も気づかなかったが、こんな安酒場には不釣り合いなほど美しい女性が立っていた。


 背はすらりとして女性にしては高めだ。百七十はあるだろう。


 黄金色の髪をねじねじして低めのシニオンにまとめてある。


 やや釣り上がった大きな瞳と整った鼻梁は薄暗い店内でも鮮烈な印象だ。


 動きやすい服装は質のよい布地を使っているが、軽装の革鎧だけは使い込まれ独特の光沢を帯びていた。


 腰にはロングソードを帯びている。


 隙の無い歩法から相当に訓練を積んだ武芸者であることが見て取れた。


「こりゃ、また。こんないい女が……こんな場末にいるとはよ」


 巨漢もポッとして呆気に取られていた。すぐさま酌婦のニコラが悋気を露わにして金属的な声で叫んだ。


「へ。わかっているぜニコラ。オレはおまえが一番だからよう。なあ、姉ちゃん。お節介ってのはときと場合によるもんだ。そうでなきゃ、いらぬ怪我をすることもあるんだぜ。オレにゃあコイツがいるからお相手はできねぇが、オレの子分どもはあんたとじっくりサシで飲みたいとよだれを垂らしていうに違いねぇ。


 さあ、やさしくいってるうちに回れ右してとっとと店を出ていくんだな。世のなかオレのように聞き分けのいい野郎はそれほどいねぇ」


 女はリックを無視すると蹲っているプラウドのすぐそばにしゃがんで呟く。


「わたしのいったことが聞こえなかったのですか。もう許してあげなさいといったのです」


 みるみるうちに巨漢の顔色が真っ赤になってゆく。


 これはあれだ。一瞬で怒りゲージが限界まで達する部類の男だ。


 将真は基本的に美人の味方である。とりあえずこの場をどうにかしようと立ち上がったとき美人と目が合った。


 彼女は器用にウインクすると「来なくてよし」とサインを送って来た。


「ふざけられ、らっちゃれらぁーっ!」


 怒りのあまり舌がもつれたのか、リックが両腕を上げて女に襲いかかっていく。


 女はしゃがんだままの状態でリックに触れたかと思うと、次の瞬間暴風のように荒れ狂った男の巨体が毬のようにポーンと吹き飛んでカウンターに激突した。


 目にも止まらぬ速さで投げを打ったのだ。リックは後頭部で棚に並べてあった酒瓶を薙ぎ倒しながら、狭っ苦しい隙間に落っこちて呻き声を上げる。


「おい、そこの君。友人だろう。介抱くらいはしてやったらどうなのですか」


「あ、ああ。すいませんね」


 将真は目を回しているプラウドを助け起こすと颯爽と立ち上がった女を仰ぎ見た。


 惚れ惚れするような立ち振る舞いだ。自分が女であったのならば、すぐにでも抱かれたいほどである。


 そこまで考えてかなり倒錯しているなと将真はめちゃめちゃになりかけた思考の糸を懸命に解きほぐし出す。


「ざけやがってええええっ!」

「なんですか。結構丈夫なのですね」


 女はふうと長くため息を吐くと身に着けた白い外套を揺らしてけだるげに声の方向に向き直った。


 昏倒していたと思われていたリックが酒でびしょぬれになった身体をぶるんぶるんと左右に振るいながら、再び立ち上がった。


 野次馬たちが騒ぎならけしかけると、リックは諸肌脱ぎになって眼球を真っ赤に血走らせていた。


 女が身構えると同時にリックは真正面から飛びかかって来た。


 将真は手にしていたグラスを素早く投擲するとリックの顔面にぶち当てた。


 残っていた濃い酒精が目に入ったのかリックは叫びながら両手で顔を掻きむしった。


 同時に女は床をすべるように動くとリックの懐に飛び込んで身をかがめ、敵の右腕を引きつけると一本背負いの要領でいとも容易く投げ飛ばした。


 ずうん、と重たげな音で床が鳴ってリックは動かなくなった。


 思いきり頭を打って脳震盪を起こしたのだろう。酌婦のニコラが泣き叫びながらリックに飛びついた。


「手加減はしておいた。その身体だ。しばらくすれば自然に目を覚ますでしょう」


 女はそういうと白い外套を翻して、コツコツ靴音を立て出口に向かってゆく。


「あ、あのっ。お名前をお聞かせ願えませんでしょうかっ」


 いつの間にか目を覚ましていたプラウドが瞳を輝かせて叫んだ。


 というか、普通男と女の役どころが逆なのではないかと将真は思った。


「ルシール・ブラニング。冒険者をやっている。貴殿も酒はほどほどにな」


 将真は腑抜けのようになったプラウドと去ってゆくルシールと名乗った女冒険者の背を交互に眺めた。


 ふと見ると、足元に小さな白いハンカチが落ちていた。


 花の小さな刺繍が入ったなんともかわいらしい女ものだ。


「なんだこれ。あのねーちゃんの落とし物かな」

「貸せ! それは私のだっ」


 横合いから獣ように牙を剥いたプラウドにハンカチを無理やり分捕られた。


「ああ、ルシール。なんという可憐な人だ……」


 プラウドは真白いハンカチを鼻にあてると、その残り香をすんすんと嗅いで、やがては盛りのついた犬のようにふごふごと吸引力を高めて荒ぶった。


「うっわ。すご。それじゃおまえ掃除機だよ」

「なんとでもいえ。私は今、真の愛を見つけたのだ」


 将真は頭がお花畑と化したプラウドから視線を切ると、再びテーブルに戻って酒瓶に残った酒精をグラスにつぐ作業をはじめた。


 翌日――。


 将真とネネコは眠い目をこすりながら、意気揚々と先を進むプラウドに遅れてほとばしる朝日を背に受けていた。


「なあ。どこ行くんだよ。まだ俺たち朝飯も食ってないんだけど」


「眠いですう」


「なにをいっているんだ君たちは。こんな素晴らしい朝に夜の残り香に纏わりつかれていてどうする。先んずれば人を制すというではないか。なにかをなすには、とにかく行動だ」


「で。そのプラウド先生はこんな朝っぱらからどこへ急いでいるんですかねぇ」


 将真は半分寝てしまっているネネコをおんぶすると、異様にハイピッチで進むプラウドの背に問いかけた。


「そんなもの決まっている」


 決まっているのですか。将真は背負ったネネコの重みを感じながら嘆息した。


 そもそもが彼女の心の問題もまったく解決していない上、昨晩はただ荒くれ者に絡まれた上酔っぱらっただけだ。


 復権の道のりはいかようにも遠い。


「一応どこに行くか聞いてもいい」


「頭の回転の鈍いやつだな。私は朝から冴えまくっているぞぉ。自分でも恐ろしいくらいに」


「昨日の酒がまだ残ってんじゃないの?」

「黙っておまえはついて来れんのか、まったく」


「プラウド。俺にはおまえと違って一応もの考えられる機能ってもんがあんのよ」


 将真が片手でトントンと自分の頭を指し示すとプラウドは顔を奇妙に歪ませ、行く手に見える赤レンガで組み上げられた豪勢そうな建物に顎をしゃくった。


「あれって、もしかして」


「そう。冒険者ギルド。私たちはこれからあそこで登録して、一旗揚げるのだ」


 冒険者ギルドとは。


 文字通り国内の冒険者たちを統括する相互扶助会である。


 簡単に説明すれば、ここに登録さえしてあれば、ギルドの掲示板に張り出された依頼を受けて金を稼ぐことができる、いうなれば「人材斡旋業」の元締めみたいなものだった。


 依頼は多岐に渡って人探しから怪物退治までピンキリである。


 基本的に、この国の真っ当な人間からしてみれば各地の食い詰め者が集まって汚れ仕事を行っているというイメージが強い。


 無論、難易度の高い依頼ともなれば真っ当な人々の口の端にのぼることもあるが、平然とイリーガルすれすれの依頼も持ち込まれ、仮にも下級貴族として遇せられてきたプラウドからしてみれば、寄りつくことも予想だにしない場所のはずだ。


「冒険者ギルド? おまえ正気なんか? あんなに嫌ってたじゃん」


「……いいかショーマ。よーく落ち着いて聞くんだ。確かに冒険者ギルドには危険がつきものだ。また、貴族である私からすれば家名を汚し損ねないギリギリのラインをいっている場所であるともいえなくはない。


 だが、王城を追放された私たちがフライヤ姫に対して目覚ましい成果をここぞとばかりに突きつけるには、この場所で牙を研ぎ捲土重来を目指して、いざそのときが来たら乾坤一擲の勝負を賭けるしかないのではないだろうか」


「うっわ。今日に限ってよーく舌が回るね。サラダ油でも塗ったの」


「黙れこのウジ虫野郎。だいたい対案を出せといっていたのはおまえじゃないか」


「昨日の女だろ」

「な、なにをいっているのかな?」


「昨日の女性って、なんのことですか。ショーマさん」


「ロリガキは黙ってろ。いいか。昨晩確かに、冒険者と名乗ったルシール・ブラニングという女性は世にも可憐な方であったが、それこれとはまるっきり関係ない!」


「関係ないもくそもねーだろ。だいたいあれほどコテンパンにのされたところを見られてて。おまえんなかには恥とか屈辱とそういう感情はないの?」


「ないね」


 将真が考えるところ、プラウドの身体は傲慢とか権勢欲と肥大した自意識とかそういった鼻が曲がりそうな腐臭のしそうなものが凝り固まってできあがっていたのだった。


「まあ、おまえにしちゃ悪くないけど、まだネネコにゃなーんも説明してないんだぜ」


「ところでショーマさん。この方誰でしたっけ」


 エルフのネネコはキョトンとした顔でプラウドのことを不思議そうな目で見ていた。


「ああ、えーと、それも含めて説明するから。プラウド。悪い。少しばっか時間ちょーだい」


「一分以内にブリーフィングを終えよ」


 プラウドは制服のポケットから懐中時計を取り出すとわざとらしく眺めた。すでに指揮官気取りである。


「一〇分だよ」


 将真は大通りからはずれて日差しの弱い場所にネネコを連れてゆくと、やわらかそうな芝生に彼女を座らせた。


 しっとりと濡れた朝露が冷たいはずなのに、ネネコの印象的だった瞳の輝きは釣り上げて半日くらい日向に置きっぱなしにしたヘラブナのように濁って白濁していた。


 プラウドの薬をキめたような動物的な暴力性に満ちたきらめきとはまるで違う。


「あのお、ショーマさん。どうかしましたかぁ」


 口調もなんとなくではあるがふわふわとしている。どこか夢見るような地に足のつかない、いうなれば「あたしお金溜めてネイルのお店開くんだぁ」とか夢を語っている脳髄までアルコールで腐れている商売女のように顔をついそむけたくなる部類に近しい。


「ネネコ。ごめんな、昨日は放置するような真似しちゃって。えーとだな。結論からいうと、今のままの俺じゃネネコの力にゃあんまりなれそうもないんだ」


「そ、そですよね。ショーマさん、昼間からぷらっぷらしててウチの温泉にはよく入りに来てくれてたですけど、あきらかに働いてないですもんね」


 無職ですもんね、とネネコはさびしそうに呟いた。以前、将真は自分が救国の勇者であると教えたのだが、街衆は誰ひとりとして自分の言を信じるものはいなかった。


 まあ、あたり前であろう。妙な普段着を身に着け、どことなく垢抜けずに供のひとりも連れずぷらぷらしている若者は、人々の英雄たるイメージとは遥かに遠くかけ離れたものだった。


「ん。まあ、働いてないっていうのは語弊があるが、ともかくも今の俺にはポンペン一家から土地家屋を買い上げる資力はないんだ。そういった意味では、間違ってない。けどな、失ったものをいつまでも思ってるだけじゃダメだ。少しでも前に進まないと。ネネコは知らないだろうが、俺はちっとばっかし腕に自信がある。この腕を生かして、なんとか冒険者ギルドで稼ごうと思うんだ。ネネコにも手伝って欲しいんだが、どうかな?」


「それは……すぐに三〇〇万ポンドルくらい稼げそうですか? ネネコのおうち、温泉、昔みたいに……元通りに……お客さんもいっぱい……お父さんも帰って来てくれます?」


「――」


 常識的に考えて不可能だろうし、もし万が一大ラッキーで数年以内に数百万ポンドルほど稼げても、あの場所には違う店が建っている。


「すぐには無理だ。でも、ネネコにはギルドで保障された温泉権がある。これさえあれば、国内ならばどこでも温泉を開くことができる。まずは、そのために資金稼ぎだ。だいじょぶ。ネネコだけじゃない。俺もその日まで手伝うよ」


「はいっ、はいっ」


 ネネコはぽろぽろと大粒の涙を瞳から流しながら感極まって抱きついて来た。


 トントンと肩を叩いてやると胸のなかでぶっと鼻をかんだ音がした。


 将真は粉石鹸を噛み砕いた室内犬のような顔になった。


「おまたせー。ブリーフィング終了」

「奥さまのご機嫌取りも大変だな。ショーマくん」

「え、えへへ」


 よせよ、といおうと思ったがフリースの裾をネネコが小さな手でギュッと握ってきたのであえて否定はしなかった。


 ちっちゃな子の神経をこれ以上逆撫でしても仕方ない。


「それでは、意思の統一も図られたところで、いざ冒険者ギルドへ出発!」


「ところでショーマさん。この人誰ですか?」


 そういえばプラウドのことは完全に忘れていたなと思う将真であった。






 冒険者ギルドの手続きは思ったよりも簡単であった。将真はともかく、いいだしっぺのプラウドはこの国では下級といえど立派な貴族なのだ。


 身元照会は比較的素早く終わり、将真たち三人はギルドへと正式に登録され冒険者として多岐に渡る便宜を図られることとなった。


「悪いなネネコ。金はちゃんと稼いだら返すよ」


「いいですよ、ショーマさん。これはあたしのためでもあるんですから」


 三人分の登録料(三〇万ポンドル)はネネコに立て替えてもらった。一種の保証金であり、冒険者を引退するときに返してもらえるので、なにかしらギルドに迷惑をかけない限りはそれほど問題ではないといえた。


「ちゅーか、おまえ。さっきからなにしてるの」


「は? な、なにもしてはいないっ。この私に相応しい依頼がないかどうか、クエストボードを眺めていただけだ」


 ギルド内をきょろきょろと眺めまわしていたプラウドはあからさまに動揺すると、うしろ手を組んで口笛を吹きはじめた。


 大方、昨日命を救われた美人の女冒険者の姿でも探しているのだろう。


「なあプラウド。俺はやめといたほうがいいと思うけど」


「なにを抜かすかッ。だいたい、なんで私と彼女が釣り合わないと思うんだ!」


「あれー。俺はただやめといたほうがいいよと、いっただけなのになー」


「なんですか? プラウドさんの彼女さんの話ですか?」


 小さくてもネネコは女性だ。人の恋バナにはやはり強い好奇心を持っているのだろう。ふんふんと鼻息荒く、首を突っ込んで来た。


「だあっ。やかましいおまえら。だいったいネネコのようなガキには大人の複雑な事情は理解できるはずもないだろうっ」


「あれー。わかりますよ。あたし、まだ子供かもですけど女ですし」


「うっ」


 プラウドが気圧されたように呻いた。


 ネネコはふふっと笑って大人びた表情で小指を咥えて見せた。


「女には違いありませんですしねー。これでもモテモテなのですよ、あたし」


「プラウド。ネネコの意見はよく聞いとけ。だいたいおまえ、女に関してからっきしだろ」


「黙りおろう、このへちゃむくれどもが。仕方ない。仕方ないな。そんなに私の気持ちが知りたいのであるならば、とくと聞かせてやろう」


「いや、別にあんまし聞きたくないけど」


「ショーマさん、しっ。いい気分にさせて語らせるのです」


「そう、彼女ルシール・ブラニングこそ、私が長年追い求めていた美しさと強さを兼ね備え持った最高の女性だ……!」


「ショーマさん、ショーマさん。その方はプラウドさんの前からのお知り合いですか?」


「うんにゃ。昨日酒場でボコボコにされてるのを助けてもらっただけ」


「そこの平面顔。あれは、そう、いうなれば演技。演技に過ぎないのだよ。この私が本気になれば、この名剣ゾンリンゲンの錆にしてやったものを……! 


 が、たかが街中の酔漢一匹に貴族たる私が本気を出すのも大人気ないと思い見逃してやっただけっ」


「ショーマさん。プラウドさんは剣の達人だったのですかっ」


「うんにゃ。どうせカッコだけだよ。にしても、剣だけはなかなかいいの持ってるじゃんか」


「私のような騎士たるもの、この程度のものを佩いていて当然ではある」


「んで、おいくら万円したの?」

「ローンで七十二回払い。とてもお得だろう」


「あのぉ、あの。ひとつネネコから意見なのですが」

「いってみろ温泉エルフ」


 プラウドに妙な呼ばれ方をして不服なのだろうか、ネネコのエルフ特有の長耳がむかつきを表してぴこぴこと小刻みに動いた。


「とりあえず早く依頼とを受けちゃいませんと、ゼロになっちゃいますよう」


「あらー」


 将真がクエストボードを見ると、張りつけられていた依頼の反故紙がばりばりと冒険者たちの手でむしり取られていた。


「なんでそれを早くいわないのだ。この駄エルフがっ」

「むーっ」


「いきなり喧嘩はやめろって。とにかく俺たちは初心者同然なんだから、なんでもいいから受けようぜ。冒険者ランクってのも一番下のEってやつみたいだしさ」


 ギルドの冒険者には一応の目安としてそれまでの冒険実績と照らし合わせたランクというものが存在した。


 無論、これは初心者がいきなり高難易度の依頼を受けて無意味に死傷したりすることを防ぐ観点からのものだった。


 冒険者になるようなものは、一部の富裕層を除けば食い詰め者の集まりである。


 従って、山谷のドヤ街に集まる日雇い労働者のようにボヤボヤしていると割りのよい仕事はドンドンかっぱがれて仕事にあぶれることも多々あるのだ。


「んー。どれどれ、どんなのがあるかなー。人探しに、ドブ掃除に、わんこ探してます?」


「私の記念すべき初クエストになるからな! ドラゴン退治くらいでまずはいいかもしれん」


「ンなもんあるわけねーだろ。なんか、冒険者っていうよりただの便利屋だなこりゃ」


「あ、ショーマさん。これなんてどうです? お屋敷のお掃除です。あたしお掃除得意ですよ」


「ふざけるな、この小娘エルフっ。この一流冒険者として輝かしい栄光のロードを歩み出す私がそんなみみっちい依頼など受けていられるかっ」


「それともショーマさん。こっちの猫ちゃん探しはどうですかー。あたし、にゃんこちゃんの鳴き真似得意ですよ。みゃーっ。みゃーっ」


 ネネコは完璧にプラウドを無視しはじめた。


「ぬうっ……いきなり無視とはいい度胸だ、この小娘。いいだろう。そろそろ私の本気を見せてやろうか……あのすいません私が悪かったですこれから口の利き方に気をつけるのでハブはやめてください」


「プラウドおまえ心底情けないのな」

「うるっさいっ」


 ネネコが心底軽蔑したような目でプラウドを見つめている。


 出会って、まだ二十四時間も経過していないのにいきなり底まで見透かされるプラウドの浅さに笑いよりも悲しみが込み上げてくる将真であった。


「しっかし、実際問題カスみたいな依頼しか残ってないなぁ」


 出足は悪くなかったがぼやぼやしているうちに割りのいい依頼はすべて持っていかれたようだ。


「だから私がいっただろうっ。ここは生き馬の目を抜くような場所であると」


 プラウドが自分の顔に平手を伏せて思いきり嘆息する。

 悪いがおまえはそんなことひとこともいってない。


「どうやら仕事にあぶれてしまったようですね」


「ああん? こっちは忙しいんだ。私たちはこれから崇高な天下国家の命題について論じ合わねばならん。暇人は口を挟まないでもらいたいね」


「おやおや。ずいぶんと嫌われてしまったようですね」


 声に気づき将真たちが振り向く。プラウドが豆をもらえると思って近づいた老人から機銃掃射を受けた鳩のような間抜けな顔をして凍りついた。


「君たちも同じく冒険者だったのですか。もし、未だ予定が空いているのならばひとつ仕事を頼みたいのですが」


 そこには昨晩、安酒場で颯爽と酔漢に絡まれたプラウドを助けた美貌の女冒険者ルシール・ブラニングがクエストカードを手にしたまま少し困ったように眉を下げていた。



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