第5話「プラウドの恋 温泉は偉大だ」

 ルシール・ブラニングという人物について詳しく述べる前に、まず彼女のような冒険者が大国リーグヒルデの衛星国家であるバーデン・ガーデンにやってきたのかを説明せねばならない。


 フライヤ姫の実父であるプクプク国王が治めるバーデン・ガーデン王国は人口三〇万。


 兵の最大動員能力は三〇〇〇弱という、優に二〇万の兵力を誇るリーグヒルデに長い間庇護されて命脈を保ってきた。


 そもそもが王であるバーデン・ガーデン一族の元をただせば、地方の一豪農に過ぎす、由緒は格別な古さを除けばそれほど誇れるものではなかった。


 近年、この地にいわゆるご当地魔王と呼ばれるイブラヒムという魔族が猖獗を極め、プクプク王が遠国ロムレスから娶った王族の血が混ざり生まれた強固な召喚魔術の使い手であるフライヤ姫が呼び出した、勇者坂崎将真の力によって魔王が討たれたのは民衆の記憶にも新しい。


 将真が魔王を討って半年のち。バーデン・ガーデン王国には、ご当地魔王ほどの脅威ではないが、王族を悩ますちょっとした棘にも似た困難が育ちつつあった。


 トルコン城から歩いて数キロの地点には、昔から「カラカラ迷宮」という小規模なダンジョンが存在していた。


 数百年前、王宮に仕えていた力のある魔術師がこの迷宮に棲まう、いわゆる「ダンジョンマスター」というすべてを統括していた魔族を討ったことによって「カラカラ迷宮」から湧き出し領民を苦しめていたモンスターたちはぱったりと姿を見せなくなっていた。


 だが、将真がご当地魔王を討ったことによって、この地の魔族の勢力図が書き換わり、兵たちも魔王城討伐戦で著しく勢力を減衰させた隙を狙い、なにものかが「カラカラ迷宮」を奪って、虎視眈々と王城を狙うようになっていたのだった。


 ダンジョンはそれほど深いものではない。いにしえの魔術師が書き残した書物によると、最下層までは一〇程度しかないが、それでも各階に存在する守護獣(ガーディアン)を倒さねば湧き出して地上にあふれつつあるモンスターたちのために王国は常に兵力を裂かずにはならなくなり、その出費が永続的に続くとあらば国家としての出血は途方もないものである。


 ならば、将真が魔王を倒したときのように軍の全兵力を差し向け一気に討伐すればいいのだろうかと素人考えには思いつくのだが、第一にバーデン・ガーデンの兵力は半減しており、数は一五〇〇を割るほどになっていた。


 また狭い迷宮内では、隊伍を組んで兵たちが戦えるわけでもない上、どうにも勝手が違い、またそれだけの人数を長い間動かせるほど王国には資金の余裕がなかった。


 量よりも質が試されるダンジョン攻略を任されたのはいくさの専門家ではなく、城下に多数の構成員を抱える冒険者ギルドの受け持ちとなるのは自然な流れであった。


 基本的にバーデン・ガーデン王国の冒険者ギルドは他国と比べれば洗練されているといい難く、また彼らが半年の間に死力を尽して攻略できた階層は、たかだか二階層のみ。


 このままでは、地上にあふれるモンスターの害が日を追うごとに増え、どうにもならなくなるだろうと悟った冒険者ギルドのマスターが助力を乞うたのは、やはり長年庇護を受けて来た親とも思う大国リーグヒルデの冒険者ギルドであった。


 基本的に冒険者ギルドに登録する者は明日をも知れぬ荒くれ者、無法者が多かった。


 しかし数少ないとはいえ、高い戦闘能力・分析能力、クランの構成員を飢えさせず武具や防具をふんだんに用意できる、能力の高い貴族階級のスペシャリスト――いわゆる冒険にすべてを賭けた一流の人間たちが存在することも事実であった。


 わけてもルシール・ブラニングという少女の能力は突出していた。


 リーグヒルデの冒険者ギルドにおいて五人しかいないS級のひとりである。


 筋目も抜群にいい。


 彼女は大貴族ブラニング家に養子に出されたリーグヒルデ王の娘にして第七王女であった。


 年齢は十九。文武にすぐれた彼女は礼儀正しく国民の模範となるべく養育されていたが、ただひとつ悪癖ともいえるものがあった。


 未知なるものへの好奇心がどうにも抑えられないのだ。


 このような娘が、あたりまえのように嫁いでひとつところでおとなしく茶を啜ったり花を眺めたり詩を読んだりしてはいられるはずもない。


 ルシールは川が流れてゆくよう自然な成り行きで冒険者となり、国中に名を馳せるようになった。


「と、まあ、そんな感じなのですよ。新入り冒険者くん」


「あの娘がリーグヒルデの王女さまだって? マジかよっ」


 将真たちはルシールに次の冒険への同行をポーターとして誘われ、判断材料を得るためにギルドの受付嬢からルシールの細かな来歴を聞かされ茫然としていた。


「ま。うちで抱えてる冒険者のなかにはS級はおろかA級すらいないですからね。ルシールさまが率いていらっしゃる金の箱舟にはB級以下はひとりもいないというお話ですしね」


 冒険者たちは自分たちだけの仲までクランを構成し活動している。


 大仰な「金の箱舟」というクラン名もそれほど凄腕なら名前負けはしていないのだろう。


 将真は受付嬢エリーの得意げな顔から視線を切ると突っ立ったままのプラウドを見た。


 見事なまでのアホ面である。


 どうもこの男は分不相応にルシール嬢へと淡い恋心を抱いていたようであったが、今の話を聞いていつものようにあっさりと土性骨をへし折られたのだろうか。それではあまりに情けないというものだ。


 プラウドよ。

 恋には身分差など関係ない。

 考えてはいけない。


 是非とも、そのような些細なことは忘れてガンガンアタックしていってもらいたい。


 もちろんそのほうが面白いからにほかならないからだ。


 あまりにプラウドが微動だにしないので、ネネコが気を使って慰めの言葉を口にした。


「あ、えーと。プラウドさん、気を落とさないでくださいよ。相手がたまたま大国のお姫さまだからって……まだ、その希望が……あ! エルフのことわざにもこんなのがありますよ。えーと、えとえと。すみません、ショーマさん。今、あたしたちなんのお話してましたっけ?」


「わりとどうでもいい話」


「どうでもいいですけど、受付前で無駄に長時間駄弁るのはやめてくださいねー。これでも私、忙しいんですよー。企業人なので」


 エリーは黒檀でできた机の上で神経質そうにネイルの色具合を凝視している。


 将真は美人ではあるが頭カラッポな女の仕草に憤りを感じながら顔を歪めた。


「ルシールの話し出したのはそっちじゃんか。オラ、いくよプラウド。うしろでレンジャー職の娘さんが順番待ちして半泣きになってるから」


「ちゃ」

「ちゃ?」


「チャンスが来た……私とルシールのこれから語り継がれるであろうレジェンドの序章が」


 ネネコとエリーが完全にイってしまわれているものを見る目でプラウドを見つめた。


 将真は両目を寄せたまま人差し指で自分の頭の上をひたすら回転させた。


「あのさープラウド。盛り上がってるところ悪いんだけど、要するに俺らが求められてるものってタダのシェルパだぜ。ポーターだよ、荷物運びだ。


 ルシールが声をかけたのだって、きっと仕事にあぶれた俺らを憐れんで、あってもなくてもいい仕事を割り振ってくれただけじゃねえの」


「なにをいっておるんだこの古生代のゴキブリめ……!」

「あらら。ついに生きてる化石呼ばわりか」


「出発は明日だったな」


「まだ引き受けるとも引き受けないとも返事はしていないのだが」


「じゃあとっととルシールによろこんでお引き受けしますと伝えておけ。さあ、こいつは忙しくなってきたぞ。まさかこんなところで運が巡ってくるとはなっ」


 プラウドはちゃかちゃかと両脚を動かして止める間もなくギルドの事務所から出て行った。


 とりあえずあれ以上事務所にいてもなんの進展もなさそうだったので、将真たちは一旦昨日から泊まっている安宿に帰ることにした。


 まだ日は高い。通りに出ている屋台のサンドイッチを昼食代わりにパクつきながら、日差しの強さにちょっとうんざりしてベンチに並んで座った。


「ところでショーマさん。この依頼引き受けるのですか?」


 ネネコが置き忘れられたプラウドの長剣を抱え上げながらくりくりした瞳を向けて来た。


「んんん。そうだなぁ」


「報酬はひとり頭一日五〇〇〇ポンドルだ。悪くない。つーか、かなりいいと思う。ネネコは重い荷物持てそうにないから、実質俺とプラウドの分しかもらえないだろうけど、戦闘要員じゃなきゃ危険もそれほどないだろうし。ここでガツンと稼いどけば、温泉ゆるり復活のタシになるだろうよ」


 目抜き通りには多数の人たちが忙しそうに行きかっている。


 将真はだらっと身体を伸ばしながら、食い終わったサンドイッチの包みを背後にぽいっと投げた。


「あの、ひとつ前々から聞きたかったんですけど。いいですか?」


「なに」


 ネネコが素早く将真の投げ捨てた包み紙を回収すると、サッと顔を伏せてつらそうな声を出した。


「どうしてここまでしてくれるんですか」

「どうしてって……ンな水臭いこというなよ」


「正直、ショーマさんはうちの温泉よく使ってくれますけど、それだってここ半年くらいのことですよね。あたし、ショーマさんとお喋りはよくしますけど、どこでなにをしている人かどうかも知らない。


 最初は、その、あたしが受け取ったポンペン親分から受け取った一〇万ポンドル目当てかと思ったんですけど、それとも違う。ちゃんと、あたしのこと考えて、親身になって……ゆるりを再建しようと考えてくださってる。なんで? なんでそこまでしてくれるんですか?」


「なんでっていわれてもなぁ……そうだ。ネネコ。俺が半年前、はじめてゆるりに行ったときのこと覚えてるか?」


「ええ。覚えていますよ。ショーマさん、すっごくボロボロで疲れてて。でも、温泉から出たあと、シャキーンってすっごくさっぱりした顔で出て来られて。


 ああ、この人はすごくうちの温泉を楽しんでくれたんだなぁって、うれしくなっちゃいました」


「俺はな。温泉に救われた男なんだよ。あの湯に浸かっているとき、自然とゆらゆら揺れるゆらぎ。湯の香りに、身体を好き放題伸ばせる解放感。すべてが、傷ついた俺という存在をあたたかく受け入れてくれる感覚……温泉は至宝なんだ。世界においてもっとも貴いと断言できる。


 今回はたまたまネネコの実家であるゆらりに関してだったけど、俺はいい温泉をやってるやつが難儀しているのだったら、いつ、いかなるときでも万難を排して危機から救って見せる。それが、俺という男ができる温泉に対しての恩返しだからな」


「でも……でも……あたしはショーマさんになんのご恩返しもできません。おっぱいだって、こんなにちっちゃいから、触っても、その、ショーマさん楽しくないだろうし……あたしはどうやって、ショーマさんを満足させればいいんですかっ」


「うん。ネネコ。とりあえず君の熱い気持ちは分かったから、上着をたくしあげようとするのはやめないかな。真昼間だし、街中だし」


 気づけば将真たちはしかめ面をした見回りの騎士たちに包囲されていた。


 やさしげな若い婦人がネネコを将真から引き剥がすように抱きかかえると「大丈夫?」と心配そうに声をかけ、将真をキッと睨みつけた。


 騎士たちは鎮圧用の長い杖をしごきながら正義の怒りに燃えた瞳で迫って来る。


 将真が長い説得の上騎士団の詰め所を解放されたのは、日が落ちる直前であった。


「で、その後奥さんとの離婚調停は上手くいったのかな」

「ぶっ殺すぞプラウド」


 安宿のテーブルで酒精を呷りながら将真はベッドでひっくり返って口笛を吹いているプラウドを凝視した。


「アーハー。なんで、そんな目で私を見る。まったくおまえという男は、ロリでスケベで間が抜けていて、本当にどうしようもないな。ネネコに捨てられないよう、せいぜい今夜はサービスに努めるんだな」


「だから黙れって」


「ショーマさん、白湯が入りましたよ。あ、もう。飲み過ぎちゃダメだっていったのに」


 下の帳場で沸かした湯をお盆に乗せて入ってきたネネコが恥ずかしそうに頬を赤らめると、自然な感じで将真の隣に椅子を引き寄せ身体をぴっとりと寄せて来た。


「おお、熱い熱い。そういえば結婚式の引き出物を渡していなかったな。夫婦茶碗でいいか?」


「子供をからかうなっての。それよりもおまえは今までどこでなにしてたんだよ」


「子供じゃないですもん」


「私か? もちろん明日の冒険に備えて、入念な下準備を行っていたのだ。恥をかかないように、明日赴くカラカラ迷宮の研究は怠らない。下手を打って我がいとしのルシールに格好悪いところは見せられないからな。当然、パンツも新品だ」


「新品って……そんなもん、彼女が見ること何度生まれ変わってもありえないと思うよ」


「黙りおろうウジ虫め。いざ勝負となったとき、パンツに穴が開いていたら彼女に失礼だろう」


「たった一日でどうやってそこまで仲を進められると思ってんの? 凄いね」


「あの、ショーマさん。プラウドさんの意中のお相手って娼婦さんですか」


 ネネコの無邪気な質問にプラウドが眉根を寄せて下唇をチンパンジーのように突き出した。


 将真はいつになく朗らかな顔になり手にしたグラスを差し上げ、ひと息に呷った。


「なんでおまえたちはそうまで悲観的なんだ! もしかしたら、もしかするかもしれないではないか!」


「そうだねー。一日で鳥が進化して二足歩行のゴリラになるかも。プラウドくん。ちょっとこのトイレを掃除しておいてくれ、わたしは学会の発表で忙しいんだ」


 将真はゴリラを模した野太い声真似でプラウドを虚仮にする仕草をした。


「だからなんで私が類人猿の下男の役どころなんだ……!」


「ゴリラを馬鹿にすんな。彼らは博愛主義者だ。だから絶滅寸前なんだ。プラウドという種といっしょだね」


「それは私の恋が実らないという当てつけか。ふっ、まあいい。明日を見ていろ。ルシールに私という至宝の存在を忘れられないよう刻みつけてやる」


 プラウドはベッドから起き上がると上着に袖を通して部屋を出て行った。


「刻みつけてやるって……どう考えても負のイメージしか思い浮かばないんだが」


 はっきりいってプラウドの能力は未知数だが、今までのヘタレさ加減からいって明日からのダンジョンで活躍できる期待値はゼロに近い。


「つーかさ。俺らポーターなんだけど、あいつどうやってルシールたち一流の冒険者たちに実力を見せつけるつもりなんだろうね」


「さっきは洗面台の前で私のプレゼンスを世に知らしめるとかいってました」


「無理でしょ。さー寝よ寝よ。俺たちはきっちり仕事をこなして、新温泉ゆるり再建に向けてお金溜めなきゃだな」


「ショーマさん……」


 声のした方向を見ると、ネネコが下着姿で毛布を半分かぶりながら手招きをしていた。


 彼女はまだ十三だ。


 気持ちはうれしいが未発達な身体を見て欲情するほど将真は人の道を落ちてはいない。


 落ちてはいないが、美形エルフのネネコには幼いながらにもなんともいえないアンバランスな色香のようなものがあった。断じて欲情するわけがない。するわけはないが、そっと寄り添うくらいはいいのだろうか。


 ふと、後頭部にチクチクしたものを感じ振り返る。扉の隙間には、出て行ったはずのプラウドが見世物を見るような目で興味深げに将真の挙動を観察していた。


「なにしてんだよ」

「観察だ。気分は動物園の飼育員かな」


 プラウドは楽しげにいった。






 早朝――。


 将真たちは夜が明けきるや否やに宿を飛び出して、冒険者ギルドの前であくびを噛み殺していた。


 当然ながら事務所は開いていない。将真は階段に座り込んで、誰も歩いていない通りの風景をジッと眺めていた。


 横では瞳を血走らせたプラウドが元気よく柔軟体操を行っている。


 将真は半分寝こけて肩にもたれかかって来るネネコの重みを感じながら、勢いよく鼻を鳴らした。


「おまえなんでそんなに元気なの? だいたい約束の時間より全然早いじゃん。やってらんないよ、こんなの」


「はっ、ほっ、できる男というのはだなっ。指定された時間に余裕を持って行動するっ。それによってっ、ほっ、万が一の、リスクにっ、備えるのだっ」


「おまえはただルシールちゃんにいいとこ見せようとしてるだけだろ。ほら、ネネコなんてまだ白河夜船だぞ。かわいそうに」


「それはっ、夫であるっ、おまえの領分だっ」

「もういいよ。来たら起こしてね。俺も寝る、ぐう」


「ふんっ。向上心の無いブタは好き放題寝るがいいさ。さ、私は少し身体をあたためておくために、走ってくるぞ。荷物の番くらいは頼めるだろうな」


 プラウドは軽やかな足どりで地を蹴って走り出した。

 みるみるうちに、朝もやのなかへと消えてゆく。


「なーにをかっこつけてんだか。まったくしようのねぇ野郎だよ。あ。また、あいつ得物をほっぽらかしていきやがって。まだローン払い終えてないんだろうに」


 将真は階段に立てかけてあったプラウドの長剣を引き抜くと、しげしげと見つめた。ネネコは身体を横にして寝息を立てている。


 そういえば魔王退治のときにも将真は武器を用いらなかった。彼には腰の手拭いと熱い湯がひと桶あればどのような強敵もへっちゃらへいなのだ。


「でも、こーいうの見るとファンタジー世界に来たって実感するよなぁ。俺、キャラ立て間違っちゃったかなぁ。こういうザ・剣士ってほうが女にももてそうだしなー」


 将真はプラウドの剣をちゃんばらよろしくぶんぶん振りながら遊びはじめた。男という生き物は武器を目にすれば胸を躍らせずにはいられない生きものなのだ。


「とやーっ。塚原卜伝っ!」


 調子に乗って長剣を石壁に真正面から叩きつける。


 カーンと澄み切ったいい音が鳴って、長剣は半ばから真っ二つに割れると虚空にくるくる円を描いて、ざしっと地面に突き刺さった。


「あ、あれれ?」


 サーッと将真の顔色が青くなる。さすがにこれはまずい、というかマズすぎる。


 将真は半ばから折れた剣身を鞘に入れて、元の位置に戻すと、ネネコの隣で両腕を組んで狸寝入りを決め込んだ。






 しばらくしてプラウドが戻り馬鹿騒ぎするので、ようやく今目を覚ましたふりをして、将真は目蓋をゆっくりと開けた。傍らではネネコがくしゃくしゃになった髪を手櫛で整えている。


「き、来たぞ」


 プラウドの上ずった声。将真は視線を通りの先に転ずると、十数人のまとまったグループがこちらに歩み寄って来るのを目にした。


「驚きました。ずいぶん時間より早いではないですか」


 軽装の革鎧を身に着け長剣を佩いたルシールが一団を率いて到着したのだ。


「ルシール。彼らが僕たちの冒険を手伝ってくれる運び屋さんかい?」


 主人を目にした犬のような動きでプラウドが近づこうとした際、ひとりの男がごく自然にルシールの隣に並んで立った。


 プラウドの顔がコーラと間違って麺つゆを飲んだように強張った。なぜなら男はプラウドが逆立ちしても勝てないような美男だったからだ。


「ええと。はじめまして。僕はルシールと同じクランのマティアスだ。ポーターはひとりでも多いほうが助かる。その分探索に集中できるしね」


「むっ、むっ、むぐっ」


 プラウドは顔を信号機のように赤くしたり青くしたりするのに忙しくて、ひとことも気の利いたことをいうことができない。


 後ろ手にした手には小さなメモ帳が握られている。おそらくルシールに再会したとき、なんらかのあいさつを書き留めていたのだろうが、もはやそれを口に出すタイミングは永遠に去ってしまった。南無。


「確か、ショーマだったな。彼は体調でも思わしくないのか?」


「いいえ。悪いのは顔だけです。あ。あと頭も」

「ははっ。なんだか愉快な人たちだね」


 あまり物事を気にしないのか。マティアスはからっと笑って白い歯を輝かせた。


 彼は二十代半ばくらいだろうか。明るい茶色の髪を短く刈り込み真っ赤なバンダナをしている。


 それが嫌みにならないほど整った容貌をしていた。


 甘ったるいようなどこか仔犬を思わせるいかにも女が好みそうなジャニ系とでもいえばいいのだろうか。


 少なくともプラウドのアホを具現化した顔つきでは勝負の土俵にすら登れないだろうと将真は思った。


「……どっち?」

「マティアスさんです」


 ネネコが即答したことで将真は自分の美的感覚が正しいことを補強した。


 それにしても美男美女というものは並んで立つと絵になるものだ。


「その、仲がいいのは結構だが、そろそろ仕事の説明をさせてもらえるとありがたいのだが」


 将真たちが三人でくっついていると、ルシールが困ったように微笑んだ。


 なるほど。いわれてみれば、あたりには明らかにルシール率いる「金の箱舟」以外の人間たちがどこからともなくゾロゾロと集まっていた。


 彼らは将真たちと同じく単なる単純作業労働者であるのは一目見れば違いが分かった。


 見るからに負け犬臭を撒き散らしている者もいれば、住所不定無宿です! と全身から発散するオーラと風貌で自己主張しているどこの国から来たか理解できない終わった人間もいる。将真が素早く数えるとそれらのポーターは少なくとも四十人近くいた。


 身に着けているものや佇まいからすれば、将真たちはかなり程度のいいレベルであるといえた。


「なあ、兄ちゃん。マジでこんなやつらに荷物担がせるか? 速攻で消えんじゃないの」


 将真が耳打ちするとマティアスは困ったように答えた。


「いや……実際カラカラ迷宮はそれなりに危険なんだよ。真っ当なポーターは嫌がってそれほど集まらないし、前回のアレが効いているのかも」


「アレってなに? 妙に気になるから濁さないでくんない」


「いや……実はね。今探索している四階層で、かなり……人が」


「わかった。それ以上いわなくていいから……まった! ネネコ、パニくるなっての!」


「その、そろそろ説明させてもらってもいいでしょうか」


 ルシールがあまりに悲しそうな目をするので将真は黙った。その隣でプラウドは怨嗟の籠った瞳でひたすらマティアスを瞬きもせず凝視していた。


「さて、かなりザックリですが集まった皆様方に軽く自己紹介をしておこうと思います。私はリーグヒルデからバーデン・ガーデンの冒険者ギルドに依頼を受けてカラカラ迷宮の攻略に訪れたクラン金の箱舟の不詳リーダーを務めさせていただいておりますルシールと申すものです。


 現在、かの迷宮は邪悪なるダンジョンマスターの魔力によってモンスターの活動が活発化しており、これは国王及び高貴なる方々にとって看過ならざる事態に陥っております。


 むろん、当地の冒険者の方々も死力を尽くしてことの収拾にかかっているようですが、なにぶん各階層を守る守護獣及び湧き上がるモンスターたちは強力で、大変手を焼いています。


 私どもも、先日この国に来てどうにか第三階層まで攻略しましたが、思った以上に長期戦を強いられることが予想されているのです。貴君らに頼みたいということは、私たちが各階層に設営したキャンプ地への資材の搬入です。食料、医薬品、水、替えの武具、列挙すれば数えきれないほどですが、これらの物資を滞りなく補給し続けることは、探索の効率化及び階層攻略に必ず役立つはずなのです。


 日当はひとり五〇〇〇ポンドルを予定しておりましたが、今回スポンサーがつきましたのでどうにか八〇〇〇ポンドルまで引き上げることに成功しました。もちろん、冒険は危険です。怪我や命を失う危険性も見込んでの価格に設定してあります。それでも構わない、と私たちの義挙に賛同してくれる方がおりましたら是非とも力を貸していただきたい。ご清聴ありがとうございました」


 ルシールの立て板に水を流すがごとき玲瓏たる弁舌にあちこちから拍手が響き渡った。


 それでも命と金の重さの計ってか、バラバラといくらかは帰り出す人間はあったが結局のところポーターとして残った人員は将真たちを合わせて三十三名。


 金の箱舟の人員は十六名。

 総勢四十九名の大所帯に編成された。


 将真たちはその場で巨大な空のザックを手渡されると城外にあるカラカラ迷宮前で再び集合することを指示された。


 物資はそこまで馬車で運んであり、搬入は馬の使えない入り口からはじめられるとのことだった。


「すみません。あまりお役に立てそうにもなくて……」


 ネネコは力仕事は無理そうなので、将真たちの雑多な荷物を小さめのザックで背負ってもらうことにした。


 もっとも歩荷として将真たちが運ぶ荷物はひとり頭一〇〇キロはくだらないだろう。


 将真は隣を歩くうつむきがちのプラウドの様子があきらかにおかしいので無視していたのだが、向こうから声をかけて来た。


「ショーマ、顔を貸せ。作戦会議を開くぞ」

「あーはいはい。無事ダンジョンから生きて帰れたらな」

「ふざけるんじゃない。これは命令だ!」


 前方に勢いよく飛び出したプラウドの両目が一晩中飲み明かしたアル中オヤジのように酷く血走っていた。


 かかわってはいけないと思って、そっとさけて通ろうとするが、そのたびにプラウドは蟹の生霊に憑りつかれたように素早く左右の進行方向をふさぐ。


「あのなー。なんなんだよおまえは。なにが命令だ、いいかげんしつこいよ」


「黙れショーマ! おまえに私の気持ちが、私の怒りがわかってたまるかっ」


「わかんねーよ。ああ、もう、鬱陶しいな。聞いてやるから泣くなよ。もお」


「最初から素直に聞け」


 超然といい放つプラウドの面の皮の厚さに将真は根負けした形となった。


「おまえってば死ぬほどあつかましいのな。で、なに?」


「決まってる。我がいとしのルシールに纏わりつくあのフニャチン野郎をどうやって地獄の底に叩き落すかの相談だ」


 将真は嫉妬に駆られて自己を見失った憐れな男を見つつ深くため息を吐いた。


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