第6話「冒険者ルシール 女は隙があるくらいが魅力的」
「一応念のために聞いておくけど、それってマティアスのこと?」
「そうだよ。ほかに誰がいる。私のルシールにどうやって取り入ったんだあのいけすかないオカマ野郎め!」
「ちょっと、ちょっと待てよ。おだやかじゃないな。俺が目を離した隙に、プラウドはあいつに靴でも隠されたのか? 尋常じゃない恨みようだな」
「六回だ」
「六回?」
「ルシールがあの野郎に微笑みかけた回数だ! 私には三度しか流し目を送ってくれなかったのにっ」
将真が隣のネネコを見ると「あちゃあ」という顔をして頭の上で指をくるくると回していた。
恋は盲目というがプラウドの場合は度が過ぎている。
この男の頭のなかでは、あの接点のまるでないS級冒険者の女性がどのような位置に収まっているのか本気で知りたくなった。
「待て。待てよプラウド。そら考え過ぎってもんじゃねーの。だいたいさ。おまえと彼女ってばほとんど接点すらないし、元々仲間だったマティ――」
「オカマ野郎だ!」
「……うん。そのオカマちゃんがなんだけど、ルシールとちょっとばっかし仲よくしててもそりゃ当然ってもんじゃないのか」
「接点ならあるっ」
「は?」
「三回だ」
「三回? なんの回数だよ」
「三回私とここに来る道中目が合った。一度目なら偶然かもしれないが、二度目ならほぼ必然。念を入れて三回目なら、もう、これは間違いなく確実だ。彼女は、この男プラウドに対して強い好意を――いいや! 愛を感じているに違いないっ」
プラウドはいつも以上に「イっちゃってる」方特有の濁った瞳で両腕をぶん回しながら力説している。将真は数歩下がってとりあえず安全マージンを取った。
「あー」
「ショーマさん。プラウドさん、なにか悪いものでも食べたんですかね。それとも元々頭に持病をお持ちなのですか」
「黙れ、このロリガキ風情が! 私のいうことは絶対なのだ」
おかしい。いや、プラウドがおかしいのは元々なのだが、このカラカラ迷宮に到着してからおかしさに磨きがかかっているような気がしてならない。
本来プラウドは図々しく無神経であったが、城のメイドに言伝を頼むときですらガッチガチに上がってしまう、どこか女性恐怖症の気がある男なのだ。
なんなんだ。
この自信は一体全体どこからやって来るのだ――?
「うっ酒クセェ! おまえ一杯ひっかけてやがるなっ」
不意に顔を近づけてきたプラウドの口元からあげそうになるほど強烈な酒精の発酵したような強烈な臭いが押し寄せて来た。重たいザックを背負っているので、かがむこともできずに、冷たい岩肌に手をかけて卒倒しそうなほどのショックと嘔吐感をやり過ごした。
「馬鹿な……この私が呑まずに下郎の仕事をやりおおせるとでも? それはおまえの認識不足だショーマ」
酒の力を借りての悪口雑言。見ればプラウドは、ふらーりふらりと右に左に脚をよろめかせていた。
彼の筋力からすれば一〇〇キロを超す荷物は限界突破しているのだろうが、酔いの力はこの背だけは高いひょろのっぽの眠れる力を限界まで引き出しているのだろう。脚の運びはやや危険ながら重みをまるで感じていないように見えた。
「にしても重くないのか。おまえって結構力あるんだな」
「なーにをいっているのか! 騎士たるもの、この程度の荷物も担げずに行軍に耐えうることができようかっ。私は常日頃、この鋼鉄のような肉体をさらに鍛えて鍛えて鍛え抜いて、まさに超人といっていいほどのレベルにまで到達させている。ういーっく」
「ほぉー。じゃあさ、じゃさあ。ちょこっと俺の荷物も頼まれてくんねぇ。なんか寝違えたみたいでさ、昨日っから首が痛くて」
「はっ。なんとなさけないやつ……だ。おまえは。しようのないやつめ。この鉄人プラウドさまの背に荷を分けろ。この程度のもの……なんでもないっ」
「よっしゃネネコ。今のうちこの人間リフトを有効活用しよう」
「あたしの着替えセットもいいですか?」
「水筒もいこう。水が一番重いからな。はは。こりゃ限界にまで挑戦したいな」
「プラウドさんお祭りのツリーみたいで華やかな感じさんですねっ」
将真はプラウドの秘められた力におぶさる格好で、半端なく重たい荷物を彼の背のザックに無理やりくくりつけた。
そうはいってもカラカラ迷宮の第一層は日の一片も入り込まない暗闇に染まった地の底である。
歩を進めるたびに、ゴツゴツと隆起した岩など転がった石くれがゆくてを阻み、容易に一行のスピードを上げさせない。
ポーターたちは日当八〇〇〇ポンドルという高値に釣られて額に汗し、攀じるように一歩一歩背の重みを噛み締めて前へ前へと進んでゆく。
(長期戦になるだろうな。第一キャンプ地はルシールたちが倒した守護獣の住む大部屋の前に設営されている。そこで一旦荷卸しをして、順番にさらに下へと物資を運んでゆく。ま、長引けば長引くほど俺たちにとっちゃありがたい限りであるんだが)
将真たちは無駄にくっちゃべっていたせいで、先頭集団とは大きく離されていた。
まだ落伍したわけではないので、問題はないと思うがこれ以上引き離されれば日当を減らされる可能性もないわけではない。
「ぐうっ。どうしたことだ。私の、荷物。こんなに重かったか?」
酔いが覚めたのかプラウドの足取りがさらにがくんと遅くなった。
このまま過重積載を続けさせれば一番最初にプラウドが沈没しかねない。見かねた将真が荷物の量を元通りに配分し直そうと、背のザックを下ろしたときはるか前方を進んでいた一団から悲鳴と灯火の激しく揺れる動きが見えた。
「なにがあったんでしょうかっ」
「ネネコ。ここでジッとしてろ。俺が様子を見てくる」
将真が警戒センサーを張り巡らせて強張った肩の関節をぐるぐる回していると、プラウドは地面に下ろした荷物の影に隠れながら震えていた。
「なにやってんの?」
「私は、ここで、背後を警戒しているのだっ」
「……ネネコを頼んだぞ」
将真はわずかな前方の灯火を手がかりに洞窟のなかを飛ぶように走った。
魔力を身体中にみなぎらせて全筋力を著しく強化したのだ。
怒号と絶叫の飛びかうなか。
予想通り先頭集団はダンジョンのモンスターと交戦状態に入っていた。
戦闘技術を持たないポーターたちは荷物を放り出して壊乱状態に陥っている。
ゆくてを防ぐようにして正面には巨大な蜘蛛の怪物が四体ほど姿を現わしていた。
キングスパイダー。強力な毒を持つ前爪が恐ろしい地底に棲まう闇の住人である。
「ポーターを優先的に守ってください! 私たちの主目的は物資の搬入です。これ以上の脱落は地下に潜っている先発隊の壊滅を意味します!」
さすがにルシールは堂々と敵の矢面に立つと、巨大蜘蛛を真正面から睨み据え、一歩も引かずに仲間を鼓舞している。
ルシール以下十五名の冒険者たちは、それぞれ得物を抜き連ねると勇敢に巨大蜘蛛へと斬りかかっているがなかなかに苦戦している様子だった。
――なんてことだ。俺はここでこうして指を咥えて見ているだけしかできないのか。
将真は無茶苦茶に悔しいふりをしながら観戦モードに突入した。
彼が冷静に見るに、金の箱舟のメンバーの動きを見れば自分が参戦しなくてもキングスパイダーを撃滅するのにそう時間は必要なかった。
特にマティアスとルシールの働きは著しかった。ふたりはよほど息のあったコンビなのだろうか、仲間をサポートしつつ自ら斬りかかってキングスパイダーたちにダメージを与え続け、体力の損耗を強いた。
「吐き出す糸に気をつけてっ。絡まったら最後ですよ!」
戦闘時とあってはルシールの語調も勢い強くならざるを得ない。
キングスパイダーは斬りつけられた複眼から青黒い血を垂れ流しながら巨大な歩脚を振り下ろして冒険者たちを押し潰そうと暴れまくった。
「くっそ……! なんだって一階層にこんな強力なモンスターがいるんだよっ。聞いてねぇぞ!」
額に真っ赤なバンダナを巻いた小太りの冒険者が息を荒げながら、すぐそばで膝を突いていた。
ひと昔のアキバにいそうなタイプであり、おとなしくフィギュアとかをいじっていれば大過なく人生を過ごせそうなオーラを放っていた。
「あれってそんなにヤバいの?」
「ヤバイもなにも、こんな小規模のダンジョンで出会うはずないレベルだよっ」
だがさすがにルシールはS級といわれる超一流の冒険者だ。危なげなく歩脚の攻撃をよけ続けている。
彼女は大蜘蛛の腹の下を素早く駆け抜け、ばさりばさりと歩脚を切り落とすと地を蹴って飛翔した。
いかなる秘技を使ったのか。背後から斬撃を見舞って大蜘蛛の腹部を真っ二つに切断すると、ついには一番巨大だったボス蜘蛛を絶命させた。
ずうんと地響きを轟かせてキングスパイダーの巨体が地に沈む。
「やるじゃん」
「おまえポーターの分際でなんでそんなに偉そうなんだよ」
「まあいいじゃんかアキバ兄ちゃん。黙っててもルシールがみんな片づけてくれ……おや? なにか様子がヘンだ」
腹部を長々と切り裂かれ絶命したかに見えたキングスパイダーにひとりの女冒険者が不用意に近づいた。
完全に死んだかと思われたキングスパイダーは突如として意識を取り戻すと、鎌状の強靭な上顎で女冒険者を噛み砕かんと襲いかかる――。
さすがに将真の動きは素早かった。彼は地を蹴って疾風のように動くと茫然と突っ立っていた女冒険者を横抱きにして凄まじい速度で再び後退した。
戦っていた冒険者のほとんどが将真の動きを捉えられなかったのだろうか。なにが起こったのかわからずに、幾人かはまばたきを繰り返し棒立ちになっていた。
唯一、マティアスだけが将真の尋常ならざる動きに着目したのか、凍りついたような顔で口を金魚のようにパクパクさせていた。
「君……今の動きはいったい……」
「おいっ。ぼやぼやしてんなっ。横から来るぞ!」
「うおっと!」
マティアスは薙ぎ払われた大蜘蛛の一撃を軽やかにかわすと再び戦いに舞い戻った。
大ボスを倒したのだ。敵がすべて落ちるのは時間の問題だろう。
そう思った最中、残ったキングスパイダーと対峙していた冒険者たちがそろって悲鳴に近い声を上げた。
将真が視線を転じると、あのルシールが一体のキングスパイダーの糸に絡めとられ背中上でぐったりしている。彼女の実力からいってあのように無様なていで一方的にやられるとは考えにくい。
「それが……! ルシールさまは僕たちをかばってっ」
あれよあれよという間にキングスパイダーはルシールをさらって後方の闇に搔き消えていく。
このような暗渠の底で身動きを封じられ巣穴に逃げ込まれれば、どのような凄腕の冒険者であろうと命が永らえるはずもない。
冒険者たちは半狂乱になって戦線離脱したキングスパイダーを追うが、残った二体がそうはさせじと立ちはだかる。
「ざっけんな! このままじゃ誰が俺らの日当払うっていうんだよ!」
冗談じゃない。ルシールがクラン金の箱舟にしてスポンサーから金を引き出したのは明々白々たる事実である。
彼女が死ねば、将真が当てにしている温泉「ゆるり」再興のための資金作り作戦は立ち消えになる公算が高いのだ。
「逃げんなよ、こらっ。俺の飯の種」
将真はキングスパイダーのあとを追って遮二無二闇のなかへと分け入ってゆく。
勇者の称号はある意味無謀と背中合わせでもあった。
誇り高く生きてきたつもりだった。
リーグヒルデ王の娘に生まれ、臣籍であるブラニング家に出されてからも父や王族の名を汚さぬよう精一杯生きてきたつもりだったが、最後はこんな地の底で名も無き怪物に食われて人生を終えようとは情けなくて涙も出ない。
ルシール・ブラニングが四肢を蜘蛛の糸に絡めとられたまま、薄目を開けてジッと闇を見つめていた。
冒険者として生きてきたのだ。本国のギルドでは最上級のSクラスを与えられている。
どんな実力者でも、ちょっとした隙で命を落とすことは誰よりも知っていたつもりであったが、よもや自分が守護獣クラスではなく、この程度のモンスターに不覚を取るとはなんのいいわけもできないだろう。
実力を過信していたわけではない。クランの仲間たちはそれぞれ信頼のおける者を選んでいたし、A級冒険者であるマティアスは単純に剣の腕なら自分よりもはるかに格上の存在だ。
だいたいが、掃討済みの第一階層にあれほど凶暴なキングスパイダーが出現することが想定外であった。
かのモンスターは底が十階層程度のダンジョンに存在していいレベルではない。
このカラカラ迷宮はなにかがおかしい。
だいたいが、自分が三階層程度の守護獣に手間取ることがあり得ないことなのだ。
今になってことを焦り過ぎた、という感が強い。
口の部分が強い粘膜の糸で覆われており、声も上げられない。
大蜘蛛は毒を獲物に注入して動きを麻痺させゆっくりと喰らうと聞く。
ルシールは自分が大の字に腕を脚を広げたまま蜘蛛の巣に捕らえられていることに気づき、今度は情けなさで泣きそうに顔が歪んだ。
胸が痛い。呼吸するたびにズキズキ肺が痛むのは、気づいて遁走しようとしたとき、蜘蛛の脚部で一撃を喰らったからだろう。
どこか身体の一部でもいい。なんとか動かせないと必死でもがくが、やがて蜘蛛の巣の吸着力による凄さを思い知らされただけで、麻痺していた感情が蘇り、それはやがて強い恐怖に変換された。
ジッとしていても冷汗が噴き出して身体が冷たくなっていく。
ずずず
と。巨大ななにかが蜘蛛の巣を張って地上に降り立つ音を耳にした。
いやだ! いやだ! いやだ!
死にたく、ない。
ここ、ここに至ってルシールの全身を強烈な恐怖が蝕みはじめた。
ここがどこだか自分でもわからないのだ。仲間たちの救出の可能性は限りなくゼロに近い。
声を上げたい。泣き叫びたい。ガチガチと歯を噛み合わせているうちに、どうにか口元部分の糸が剥がれ落ち、なんとか声だけが出せるようになった。
「ひ――!」
足下に視点を下ろすと。地上にはちらちらと青白く燃え立つ焔のように光る蜘蛛の複眼が自分をねめつけているのがわかった。
ざざっと重たげなかすれた音が鳴って、びゅっと全身にぬるい湯のような糸が吐きかけられた。
じじじ、と奇妙な音が鳴って革鎧が、衣服が破れていく。
ガワをはずしておいしくいただこうという下準備なのだろうか。
「あ、あは。あはは」
徐々に一流冒険者であり、王族であり、自立した一個の女性であるという皮が剥がれてゆく。
迷宮の風は裸身に近づくルシールの身体を一方的に嬲り、冷え切った肌が小刻みに震え、震えはやがて絶叫に変わった。
ふと。
眼の前に、ちらちらしたひとつの灯火がかすめたような気がする。
それは、自分が望んだ妄想が具現化したのだろうか。ルシールははしたなさや日頃の取り繕ったさまをかなぐり捨てて、自分でも嫌になるくらいキンキンした声で助けを求めた。
――助けに来てくれたのは、マティアスだろうか。それともスパンクか!
今の自分ならば、どちらがこの蜘蛛の巣から救い出してくれても即座に求婚を受けるだろうくらいには追いつめられていた。
それはいくらS級といえども、とことんまで追い詰められたことのないお嬢さま冒険者の限界でもあった。
「ちわ」
だが、ルシールの目の前に現れたのは、クランにいた実力派であった度の冒険者でもなかった。
その男は昨日、戯れで赴いた安酒場で見つけた気まぐれに選んだ荷運びのひとりだった。
ようやく探しあてた気丈な凄腕女冒険者のお姉さんが蜘蛛の巣に張りつけられ半裸状態でM字開脚していただなんて、これなんてエロゲ?
「た、助け……やめて……ダメ、見ないで……っ」
はいごめんなさいよ。
ばっちりくっきり見ちゃいました。
しかも将真は驚異のナチュラルパワーで視力はズールー族もびっくりするほどいい。
魔力によって視界が強化されているので手にした松明程度でも驚くほどよく見えるのだ。
ルシールの白い頬が火照って妙に赤くなっているのもわかった。
なんというか合法的に知人の見てはいけない秘部を直視してしまうほど興奮するものはないだろう。
「お願いです……見ないでくださいっ」
「わ、わかった。なるべく見ないようにして助けるよ」
なにはともあれ彼女が蜘蛛野郎に消化される前に見つけられたのは僥倖だった。
将真がいそいそと腰に差していたナイフを取り出そうとしたところ、サイドから強烈に吹きつけて来る殺意の嵐に身を強張らせたのはほとんど条件反射的なものだった。
キングスパイダーは将真の接近を知って一時的に身を隠していたのだろうが、それほど脅威ではないと判断すると素早く攻勢に出たのだ。
「ショーマ? 大丈夫ですかッ。ショーマ!」
猛烈なぶちかましを喰らって壁にポーンと叩きつけられた。
が、勇者として紋章の恩恵を受け、強化に強化されまくっている彼の身体は微動だにしない。
十トンダンプに体当たりされたようなものではあるが、キングスパイダーの攻撃も将真の背を埃だらけにする程度に留まり、彼の不死身に等しい肉体にはかすり傷ひとつつけられなかった。
「いってーな。いきなりぶちかましなんて、おたく紳士的じゃないよ」
「ショーマ?」
将真はルシールの問いに答えず、袖に着いた土埃をさっさと払った。
「俺、蜘蛛ってさぁ。ゴキブリの次くらいに友だちになれないと思うんだよね。だからさ、悪いけど、このへんでぶっ飛ばす。生活のこともあるしね」
将真はカッコつけて構えたつもりだったが、キングスパイダーはカチカチと前顎を鳴らしながら猛然と襲いかかって来た。
背後にはぶ厚い岩肌が待ち構えている。ルシールがもう意味を判別しにくいくらいの声で喚いているのが分かった。
どんと来い。
一発で決めてやる。
将真は半身に構えて左脚を前に出して、やや前傾姿勢を取りながら右拳を突き出した。
ルシールの声が途切れた。気を失うかそれとも――。
事態は一刻の猶予も許されない。真正面から突っ込んで来たキングスパイダーの顔面へとカチ上げるように右のアッパーを決めた。
魔王ですら悶絶させるとびきりの一撃だ。たかだか重量があるくらいのモンスターでは耐えきれるはずもない。
衝撃波が一瞬で大蜘蛛の巨体を伝播し、力のうねりが内臓をズタズタに引き千切って、ほとんど電子レンジでチンしたような熱を内部で爆発させた。
トラックの巨大タイヤがバーストしたような音が響き渡った。
キングスパイダーの全身は見かけだけなら、平常時と変わらないが、中身は腐ったバナナのようにとろけてグズグズになっている。
そういう種類の人知を超えた攻撃力だった。
将真は行動を停止したキングスパイダーの巨体の横をそおっと触れぬよう通り抜けた。
下手に触ると薄皮がやぶけて水となった内容物の体液が小龍包のようにびゅびゅっと吹き出すからだ。
「で、あとはルシールを助け出さにゃならんわけだが」
頭上を仰ぐと天井の高い場所に張られた蜘蛛の巣の中央でぐったりとしているルシールのあられもない姿が見られた。
ついに精も魂も尽き果てて気を失っているようだった。
どうやら彼女はようやく助けに来たはずの将真が蜘蛛の力で壁際にプッシュされ死んだものと思い込んだらしかった。
「しかし、なんとまぁ、これは気まずいよなぁ」
ルシールはプラウドが一目惚れするほどの超絶美女である。
こうして松明で照らしてみると、鍛え抜かれて均整の取れた美しい肉体は、深層の令嬢にはない機能的に完成されたものがあった。
シミひとつない身体を見るにつけ、欲情よりも美術品を目の当たりにしたような恐れ多い気分が湧き上がってくる。
「と、とにかく下ろしてあげなくちゃね」
将真は蜘蛛の巣をナイフで切ると、自重で落下してきたルシールを受け止めた。
同時にそのショックで申し訳程度に彼女の肉体へとへばりついていた衣服の切れ端がはらはらと剥落する。
将真は安っぽいフリースしか着ていないので、生まれたまんまになっている彼女の肌を覆うことができず、激しく動揺した。
「うーんと。そうだ。ちょうどいいものがあるじゃんか」
落ちていた蜘蛛の糸を器用に使ってルシールの胸と腰のあたりをぐるぐる巻きにした。
「蜘蛛の糸には抗菌作用もあるし、少なくとも裸よりマシだろ」
古代では手術用の縫合糸にも使われていた。そんな話をうろ覚えしていた将真はルシールのいけない部分を覆いつくすと、ようやく一息ついた。
「あとは気がつくまで待つか。落ちてる人間は無理に起こさないほうがいいっていうしね」
直に地面に横たえると身体が冷えるだろう思い、背中の部分に脱いだフリースを敷いて、頭は自分の正座した膝の上に置いてあげた。
こうして眠っているところを見ると、思ったよりもずっと幼い感じがある。実際、彼女は将真より年下なのだ。
無心に寝ているルシールを見ていると、なぜだか城のフライヤを思い出し胸がきゅんと痛くなった。
「なにやってんだろな、俺は」
「……ここは」
「お。気づいたのか。どうだ? 頭痛くないか」
「あ、私は……そうだ、あの蜘蛛はっ!」
「蜘蛛ならもう大丈夫だ。俺がやっつけたし」
「え! あ、これ……」
ルシールはすぐそばにあったキングスパイダーに反応して身体を起こしかけたが、長い間張りつけになっていたせいで筋肉が強張っていたのか腕を押さえて顔を歪めた。
それからすぐに自分の身体に巻きつけられているのが蜘蛛の糸だと理解したのか、全身をカチンコチンにして動かなくなった。
「は、はわ……あなたは……み、見てしまったのか……?」
「ん? あ、ああ。まあな。でも恥じることはないぞ。どうせ誰もが通る道だ。気を落とすなよルシール」
(そうか。彼女、リーグヒルデのS級冒険者なんだもんな。こんな雑魚蜘蛛にいいようにやられて恥ずかしいのだろう。ここは俺が気を使ってさりげなく慰めて、そして好感触で日当アップを狙うぜ)
「で、でも。私は恥ずかしいです。こんなところを見られてしまったのは……たぶん……生まれてはじめてかもしれません。ああ、どうしたらいいのでしょうか、ショーマさま」
(ん? さま……? ま、いいか。気にするな俺)
「いいかルシール。人は誰しもはじめての経験にとまどってしまうもんなんだよ。でもな、それって誰に恥じるもんじゃないよ。人間ってのは今までにない新しいことを経験することで、今までよりも、強く大きく、ワンランク上へと成長していくもんなんだよ。ルシールは、ちょっと人より遅めだけど、でもようやくそのときが来たんだ。機会ってのは、意外とありそうでないもんだ。まあ、そういう俺もそう昔のことでもないんだけどね。ははは」
「! そうですよね。ショーマさまは殿方ですもの。さすがにはじめてはありませんよね」
――将真ははじめての挫折を大学入試の失敗になぞらえてルシールに話していたつもりであった。
事実、彼は一浪中の身でありながら早々に予備校をサボる癖がついており、到底人さまに説教できる立場ではなかった。
「あ、あは。まあ、そのへんはあまり気にしないでもらえるとありがたい」
「でも、想像していたよりは、あまり痛みがありません。ショーマさまがやさしくしてくだすったのですね?」
「は? え、んーと。まあ、そういう感じにしておいてもらえるとありがたい」
「そうですか。私、失ってしまったのですね。でも、はじめてはショーマさまでよかったのかもしれません」
そっとルシールは甘えるような声でいうと、身体を起こし座り直して、下に敷いてあったフリースを見つけて、さらに頬を赤らめた。
「これ……その、ショーマさまの上着ですか。お話には……その……ハンカチとかを敷くと、聞いたことがありますが……我が身になると、妙に恥ずかしいものですね」
「ああ。いや、まあ背中が痛くならないようにって、さ。女の子は身体を冷やしちゃいけないって聞いたことがあるし」
「おやさしいのですね、ショーマさま。私もはじめてがあなたでよかったです」
「は! おいおい、ちょっとっ」
向かい合って座っていたルシールが将真の胸のなかに飛び込んで来た。むっちりとした胸が押しつけられて、むにゅりとした感触をもろに覚えて甚だしくうろたえた。
「殿方は、荒ぶったあとに……そういったことを好むと聞いていましたが……これも運命だと思っておりますゆえ……私は憎んだりなど致しません」
(どうしよう。まったくもっていってる意味が分からない)
将真なりにルシールの感情を分析したところ、彼女は凄腕の冒険者といえど危機に陥ったせいで一時的に恐怖に囚われているのだろうと思った。
第一ここは日本ではないのだ。顔見知り程度であっても、長時間のハグ程度ならば親愛の範疇に入るであろうという間違った認識の下でルシールの行動を受容した。
ふと顔を上げた彼女と視線が合った。童貞の悲しさか、ルシールの涙で濡れた蠱惑的な瞳から目を離すことができない。
――なんだ、これは? もしかしてとうとう俺にもモテ期がいやしかし落ち着くんだ将真この世にそのような都合のいいことがるはずがない起こりうるはずがない。
「ん、んむくっ!」
と、ゴチャゴチャ考えているうちにルシールに唇を奪われた。彼女は将真の頭を押さえながらぐいぐいと唇を押しつけ、ついには押し入るようにして舌まで突っ込んで来た。
ここで引いては男が廃る。将真の妙な負けじ魂に火がついた。見よう見まねでキスの応酬を繰り返す。
どのくらいの時間が経過したのだろうか。ようやくルシールが満足したのか、顔をそっと離した。
ほとんど唇がふやけるくらいの熱いキスに茫然としていると、ルシールはぞくりとするように熱っぽい視線を向けながら、出会ったときとはまったく別人のような甘え声を出した。
「これからもよろしくお願いしますね、ショーマさま」
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