季節のうつろいと共に循環する時間のなかで隣にある過去

田舎の時間は循環し、都会の時間は直線的に発展すると言われることがある。
たしかに、都市部の風景というのは刻一刻と変化している。
それこそ自己増殖しているのではないかというほどに、現在の姿を保つことなく変化し続けている。
その移り変わりを目にすると意識は自然と未来へと向く。
改装中の駅舎を通りながら、建築中のビルを眺めながら、私たちはこれからできあがる景色を想像する。
そして、過去を思う時、かつてそこにあった街並みを思い浮かべる。
発展していくからこそ、失われるものがあり、喧騒の裏にには一抹の寂しさが潜んでいる。
それにたいして、周囲を田んぼに囲まれたような田舎の景色というのは代わり映えがしない。
季節によって見せる顔は違えども、大きな違いもなく毎年同じような光景を私たちの目に見せる。
山は笑い、滴り、粧い、眠る。
けれど、そうして循環しながらもゆっくりと、螺旋を描くように時は流れている。
そして、変化に乏しいからこそ、土地に人々の記憶は息づいている。
もの寂しげに佇む自動販売機。
それは、郷愁を誘う。
しかし、心が懐かしい日々へと還るとき、同時に現在をも強く浮かびあがらせるのだ。
過去は隣にあり、現在は終点ではなく、ゆるやかな流れの先へと続いている。