音楽に深い情熱を注ぐ若者達のエネルギーが溢れ、読み手が向き合う空間をこれでもかと震わす。この上なく高い熱量を発散する作品だ。
大学時代に組んでいたバンドを離脱し、今は社会の一員として仕事を持つ主人公、莉奈。彼女はギタリストとして活動していた時代に使っていたジャガーを今もクローゼットの奥に仕舞い込んでいる。
彼女が想いを寄せたボーカル・ゲバラは、昔から心にも身体にも音楽のことしかない男だ。莉奈は自分の音楽の才能や情熱がゲバラの求めているものに相応しくないと感じ、かつ彼に対し恋情を抱いている自分自身に苛立つ。ゲバラにとっては音楽が全てだ。恋などという感情を彼に期待することそのものが虚しいと感じている莉奈。自分は彼の音楽の足を引っ張るだけだという思いから、莉奈は再びバンドを一緒にやろうというゲバラの誘いを拒むが——。
音楽への深い情熱。その情熱を消しきれないまま複雑な感情が混じり合い、音楽と恋を切り捨てようとする主人公の苦しみ、迷い。温かな友人の支え。ライブハウス一杯に充満し、溢れ出す音と熱。そして莉奈が選ぶものは。
この作品は、恋愛を扱ってはいるものの、恋愛一色に染まってはいない。まさに一つの音楽のように、様々な感情が様々な音を奏で、絶妙なボリュームとバランスで絡み合い、たっぷりとした存在感のある一つの物語として読み手の心に響いてくる。読み終えた後に、何とも心地よい満足感を味わえる作品である。
他の作家さまからの紹介で読み始めましたが、これはヤバい部類の作品になります。
なにがヤバいのかは、はっきり言って読み手によりますが、誰しもが夢を前にして諦めたことはあると思いますが、その諦めた時のことを強制的に向き合わせにくるということです。
これは、ある種のトラウマを引き出すものであり、ある意味敬遠されかねないものであります。
しかしながら、こちらの作品では、そうしたマイナス部分も含めた上で、「ごちゃごちゃ言わずに読め」と迫ってくる勢いがあります。
この勢いが、久しく忘れていたカタルシスを呼び起こしてくれます。私はこの感動を「撃ち抜かれた!」と表現しました。
あえて内容には触れませんが、最初の一行目からラストまでほとばしる言葉にはならないエネルギーの塊を、ぜひ皆さまも感じてみてください。
社会人ならきっと一度は経験したことがあると思うだけに、ラストのヒロインの選択には胸熱になること必至です!
とかく、アーティストと呼ばれる人たちは馬鹿が多い。しかも「大」がつくほどの馬鹿だ。しかし、現状に不安を抱いたり、踏み出す一歩を躊躇したりすると、彼らは単なる馬鹿に格下げとなる。馬鹿と大馬鹿の違いは、その辺の差にあるのではないかと愛宕は思う。
それはさておき、作中に登場するバンドメンバーは、誰もが大馬鹿だった。しかし、主人公の蒲田さんは、女の子なら誰しもが一度は抱く恋心のせいで、大馬鹿から馬鹿へ変わろうとしていた。欧米と違い、日本人は保守的な国民だ。だからとは言わないが、日本人だったことで国民性マジョリティの波に呑まれ、一度は人生という海原に溺れかけてしまう。個性は残そうと工夫しても、孤独だけが残る結果へと導かれてしまうのだ。
そこに「待った」をかけるのが、彼女を取り巻く数少ない仲間たち(職場の上司含む)だった。時に間接的に、時に直接的に彼女へ寄り添って、恋心から生まれた足枷を外そうと試みる。遂に解放されて、大馬鹿となった彼女の姿を脳内イメージした時は、必ずや読み手の全員が爽快感に包まれることだろう。
音楽のジャンルは好き嫌いの分かれる攻撃的なものだが、作者さまの綴る筆っぷしは優しく繊細で、琴線に触れるような名言も多い。そのギャップもまた魅力の一つ。
才能を発揮しようとしないのは、錆や黴が生えて腐るだけです。是非、この作品を読んで「俺(わたし)のバカヤロー!」と叫んで下さい☆