p7 注釈と参考図書

注釈


当時のポルトガル:

 一時、海洋帝国として隆盛を覇したポルトガルもスペイン、オランダ、イギリスに取って代わられ、停滞した王制が倒れ共和制になった時代であった。ポルトガル第一共和政は、1910年の立憲王政の終焉から1926年5月28日クーデターまで16年間続いたポルトガルの共和政体。この共和政は、ポルトガルが政治的に不安定になった時代だった。16年間のうちに1つの臨時政府と1つの軍事政権が樹立され、大統領は8人、首相は38人も誕生した。

モラエスは友人への手紙でこの事態をいつも憂えていた。東京総領事の声もかかったが、

これを拒否して徳島に隠遁した一因にこの本国の対応のまずさがあげられる。


亜珍と子供について:

 モラエスは戸籍的には生涯独身であったが、マカオの亜珍とのあいだには男の子二人を生している。子供は認知している。上は私の子だが・・二番目は・・と親友への手紙に書いている。亜珍は個性の強い女性であったようである。亜珍の存在はマカオにおけるモラエスの公務の上からも伏せておくべきことであった。

 亜珍との間は冷えていたが、子供を手元で養育したいと考えるモラエスは、母子を日本に連れて来ることを一時は考えたが、モラエスの友人の忠告もあり亜珍の来日を断念している。子供だけをというわけにもいかず、母子をマカオに捨てて来た思いは拭えなかったようである。亜珍の兄が香港の裕福な商人になっていたこともあり、亜珍親子は、経済的に不自由はなかった。日本にも度々保養を兼ねてきている。亜珍は正式な結婚を望んだが、これは拒絶している。徳島に隠遁後は住所も伏せていたが、最後に徳島を訪ねた亜珍に会うことは拒絶することはなかった。


参考図書


おヨネとコハル  岡村多希子訳 彩流社

日本の精神    岡村多希子訳 彩流社

ポルトガルの友へ 岡村多希子訳 彩流社

明治文学全集   唐木順三編  筑摩書房

        (日本の追慕、徳島の盆踊り)


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『神戸を彩った外国人・ヴェンセスラウ・デ・モラエス』 北風 嵐 @masaru2355

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