第11話

 小石や枯れ木の残骸を巻き上げながら、流体型アプサラスは一直線に邁進する。その先端部のすぐ横には、ブラックメイルが張り付くように並走していた。

 そのブラックメイルの中から、アスカは何度も相手の進路と速度を確かめつつ、引き離すように走行速度を引き上げた。そして、わずか10メートルほど先行したところで、すぐさま砂煙を蹴立てながら急制動を掛けた。

 刻一刻と迫り来る黄色の奔流を視界の中央に捉えながら、アスカはポリカーボネート製の盾に取り付けられた二か所のグリップに指を通し、しっかりと握り込んだ。



 ――盾ってのは防御ができて半人前だ。


 いつか聞いたトウカの声が、不意に、脳裏に蘇る。確か、仮想アプサラスの攻撃をどうにか防ぎきれるようになったアスカを一通り褒めた後の言葉だったか。


 ――盾を持てば人間の意識は自然と防御に偏ることになるが、防御と言うのは言わば後手に回るようなものだ。だからこそ、盾を持つ人間はその盾でどう先手を取れるか、優位に立てるかを考えていなくちゃならない。


 当時、この言葉はアスカには実体のないものとしてしか聞くことができなかった。

 しかし、5日前の訓練でトウカが見せた戦いにおいて、打撃を繰り出し、相手の動きを制御するトウカの盾は、立派な武器だった。あの一戦から形作られたイメージが、今アスカの中で確固とした理解へと姿を変えつつあった。

 そしてトウカはこう言葉を結んだ。


 ――だから、盾ってのは攻撃ができて一人前だ。



 地響きのような重低音を振りまきながら進む流体型アプサラスを、アスカは重心を落とし膝を溜めて待ち構える。距離は10メートル、時間にして2秒。

 狙うは直進するアプサラスの側面。先端部がアスカの真横を通過した瞬間に、シールドバッシュを叩き込む。それがアスカの選んだ自分にできる最大限の一手だった。

 そしてやけに長い2秒の後、迷いも恐れも振り切るように、アスカは雄叫びを上げた。

「てやあああああ!」

 同時に、溜めていたブラックメイルの両脚を一気に解放、地面に大穴を開けるほどの勢いで足を後ろへと蹴り出す。

 弾丸のごとく飛び出したブラックメイルは、わずか数メートルの間合いを一瞬でゼロにし、そのまま一切減速することなくアプサラスに飛び込んだ。

 直後、大気を震わせるような破裂音と共に、黄色い飛沫が舞い上がった。



 渾身のシールドバッシュの結果は、失敗ではなかった。

 アスカ自身とブラックメイルの全質量を乗せた全速力の突撃は、確かに流体型アプサラスを捉えていて、それを受けたアプサラスの側面はクレーターさながらに大きく凹み、そして衝撃に耐えきれなかった黄色の細胞がいくつも破れて内容物を飛沫として撒き散らしていた。

 だが、それだけだった。

 少なからぬ衝撃を受けたはずの流体型アプサラスは、しかしそれを一切関知していないかのように直進を続けていた。移動を止めるでも、反撃をするでもなく、依然として同じ進路を同じ速度で進み続けていた。そして側面にできた凹みも、何事もなかったかのように元に戻っていく。


「くっ……効いてない、か」

 アスカは盾を正面に構えたまま一旦後退した。そして改めて敵を見る。

 流体型アプサラスは見上げるアスカの二倍近い高さ、約3メートルもの体高を誇る。そこから考えるに、幅は3メートル以上あるはずだった。それが何百メートルも連なっていると、その総重量はアスカには想像もつかない。

 つまり、そんな巨体に立ち向かうにはこの程度の体当たりでは力不足だったのだろう。

(だったら、どうすればいい……?)


 そうして足を止めたアスカの頭上を、

『待たせたな、アスカ』

 金の輝きを放つブラックメイルが飛び越していった。


   ◆   ◆   ◆


 眼下のブラックメイルへと声をかけながら、ユウは奇妙な安堵を覚えていた。言葉にすれば何のことはない、「ただ生きていた」というそれだけなのに。

(だが、まあ、生きているというのはいいことだ)

 そう胸中で呟いたところで、ユウの視界から完全にブラックメイルが消え去る。今その目に映るのは大蛇のような黄色の巨体だけだった。


 あらかじめ狙った通りの軌道で自分が落ちているのを確認しながら、ユウは片手で握った黒の大剣を振りかぶる。

 高さ10メートル近い跳躍による落下の加速に、振り下ろしの速度を加味したこの一撃は、並のアプサラスならば簡単に断ち切れる威力があり――そして流体型アプサラスもまた、何の抵抗もなく切断されていた。

 切断面は大剣の剣先から鍔までにほぼ等しい1メートル強に及び、鏡のように滑らかな切り口はアプサラスの高さ3メートルの細胞の層だけに留まらず、その下の地面さえも数十センチほど切り裂いていた。


 だが、そんな強烈な斬撃から1秒と経たぬうちに、映像を巻き戻すかのように流体型アプサラスの切断面は閉じ始めた。

「そんなことだろうとは思ってはいたが……。やはり、足止めに徹するしかないようだな」

 ユウはそう吐き捨てると、片手で地面に食い込んだままの剣を引き抜き、アスカの隣まで飛び退った。そしてそのまま進路を90度変更し、なおも侵攻を続ける流体型アプサラスの先頭目掛けてブラックメイルを走らせた。その両手に一本ずつの大剣を携えて。

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