2.強さの形
第5話
重層都市セチエの第五層には、かつての地上の都会の街並みに近いものが並んでいる。
スーパーやデパートのような商業施設や、各種役所やオフィスビル、そして学校や公園などもこの第五層に位置している。これらの施設が第五層に集中している理由としては、日中に人の活動する場所を直接日光の届く最上層に置くことで、重層都市に住む人間の生活リズムを維持させる狙いがあるとされている。
そんな第五層の中心部、隔壁によって物理的に周囲の喧騒から隔離された施設があった。その名は『訓練校』。選ばれた候補生を教育してブラックメイル
その訓練校の一室、トレーニングルームに
「あの、お久しぶりです、トウカさん」
だだっ広い大部屋の中央で、アスカはパイプ椅子に座っていた。その服装はいつものスカート姿の制服でも、青一色のドライスーツでもなく、上下あずき色一色のジャージ姿だった。
「ああ、それほど久しくもないけどね」
そう応じるのは、アスカの正面に座った一人の女性。
トウカと呼ばれた彼女は、格好はアスカと同じあずき色ジャージの上下で、お互いに座っていて分かりづらいが実は背もそれほど違わない。
だが一緒なのはそれくらいで、精悍な顔付きに短く切って後ろで一つに束ねた髪、何よりその
その恐ろしげな雰囲気に初めはひたすらビビってたなぁ、なんてアスカは昔を思い返す。それが実は少し生真面目で少し表情が硬いだけの普通の人だと気付くのに、一体何か月かかったんだっけ……
と記憶の海を漂い始めたアスカを、トウカのハスキーな声が呼び戻した。
「それで、今日は何の用なんだ?」
「あ、あのですね、実はトウカさんに改めて戦い方をレクチャーしてもらいたいなぁって思ってですね」
頬を掻きながら、アスカは少し恥ずかしそうに答える。その答えに、トウカは僅かに首を捻る。
「私にか? まあここ最近暇だから構わんが、お前のとこのベテランは何をしてるんだ?」
「あ、あはは。そのなんか、ずっと一人でやってきた人らしくて、『他人に教える自信がない』らしいんです」
そう答えるアスカの目が瞬間的に暗い色を帯びるのを、トウカは見逃さない。
だが、トウカはそれを問いただすつもりはなかった。乞われた時、乞われた事だけやるのが後輩に接する上での彼女の基本方針だからだ。
「何、怠慢じゃないか。……まあいい、今回だけは私が見てやるか。それで、どういう戦い方を教わりたいんだ?」
アスカは、今度は顔全体を俯かせる。脳裏をよぎるのはつい先日の初陣での苦々しい記憶。
そして、歯の隙間から絞り出すようにアスカは答えた。
「……強く、なりたいんです」
「強くなりたい、かぁ」
そうぼやいたトウカは、見慣れないものでも見るかのように、目を細めていた。その視線が注がれる先には、ブラックメイルを装着したアスカがいた。
右手にジルコニアセラミックスの大剣、左手に強化ポリカーボネートの盾を持ったアスカは、目の前に陣取るアプサラスに向かって果敢に攻撃を仕掛けていた。だが、振り抜かれた剣はアプサラスに効果的なダメージを与えるには至らず、時折思い出したように放たれるアプサラスの反撃は八割がたブラックメイルに直撃していた。
いかなブラックメイルが耐久性に優れるとはいえ、実戦なら穴の三つや四つは空いていてもおかしくない状況だった。
そう、実戦なら。
トウカの視界に映るのはVRグラス越しのいわば仮想空間。アスカの動きこそ本物だが、ブラックメイルも、剣と盾も、そしてもちろんアプサラスも、訓練プログラムの作り出した作り物だ。だからこそ、トウカも無茶苦茶なアスカの戦いぶりを冷静に見ていられるわけだが。
「しっかし、あのアスカがねぇ……」
一人呟くトウカの脳裏には、一年前の訓練生になりたてのアスカの姿が蘇っていた。
あの頃のアスカはこんな焦燥感をにじませた顔を見せたことはなかったが、それ以外は基本的に何も変わってはいない。特に白兵戦のセンスの無さは相変わらずで、両手に武装を持った時のしっちゃかめっちゃか加減は、まさにあの頃と瓜二つだった。
そんなアスカにトウカが仕込んだのは、剣なら剣を一本だけ、盾なら盾を一枚だけ、というように一度に扱う武装を一つに絞っての戦い方だった。
欠点を無理矢理伸ばそうとしたところで、人並み程度にするだけで膨大な時間を食う。だったら欠点など捨て置いて今出来ることを伸ばしてやった方がましだ。
そうしてできることを伸ばしていった結果として、アスカは一年間の訓練期間で同期の平均程度には戦えるようになり、ついには戦闘訓練でも及第点の成果を出せるまでになった。
あの日の喜びを分かち合ったトウカとしては、今日のこのアスカの戦いぶりは当然見ていていい気はしない。だが、アスカの必死の形相を見ていながら叱りつけられるほどの信念も、トウカは持ち合わせていなかった。
(まあ、せっかく人並みにはなったんだから、努力を無駄にしないようにこのやる気もうまく取り込めていければいいよな)
無茶苦茶な戦いぶりで肩で息をするアスカを見ながら、トウカは一人頷く。
息を乱したまま、気力だけで右手を振りかぶって剣を振る。黒の刃は黄色い細胞塊を裂いて進み、通り抜ける。だが、この攻撃もシステムには有効打とは認められず、塊型のアプサラスはゆらゆらと揺れ続けているだけだった。
いい加減、自分を衝き動かしていた気力すらも底をつこうとしているのがアスカには分かる。
(でも、こんなところで諦めてたんじゃ、強くなれないっ……!)
それでもアスカは無理矢理自分を奮い立たせる。助けられるばかりのお荷物でいたくない。この先、別の場所に異動することになっても、今のままじゃ同じことの繰り返しだ。せっかくブラックメイル
「アスカ、選手交代だ!」
仮想の戦場、孤独の空間に割って入る力強いハスキーな声。同時に一機のブラックメイルが飛び込んでくる。
アスカと同じく右手に剣、左手に盾を構えたそれは、瞬く間にアプサラスに肉薄しながら、真正面へと盾を突き出した。接近するブラックメイルの動きを感知したアプサラスは不定形の腕を生やしてこれを迎撃しようとする。だが、盾を正面に構えた突進は生えかけの腕もろともアプサラスを叩き潰し、少ないながらもアプサラスへとダメージを与えていく。
そして受けた衝撃から塊型アプサラスが復帰するより早く、ブラックメイルは左の盾を引き戻し、その動きのまま横薙ぎに剣を振るう。斬撃は深々とアプサラスを捉え、有効打としてシステムに認定された。
「さて、次で終わりだな」
そう宣言しながら、ブラックメイルは軽く飛んで距離を取る。そして少し横にステップし、角度を変えての再突入。地を這うような低い体勢で、もう一度盾での体当たりを敢行した。
だが、今度はアプサラスも無抵抗ではない。衝突の瞬間に破裂したかのようにその黄色い体を上下左右へと伸ばし、衝撃を殺しつつブラックメイルを包み込もうとする。そのまま行けば、ブラックメイルは完全に黄色い細胞に包み込まれてしまう。しかし、その黄色い細胞がブラックメイルに触れることはなかった。
低い体勢で突撃してきたブラックメイル。膝を曲げ、肘を曲げ、身を屈めていた黒い機械が、圧力から解放されたバネのごとく、一気に伸び上がる。突き上げられた強化ポリカーボネートの盾は広がりつつあるアプサラスの大部分を押し上げて地面、ではなく、地表を覆う『黄の海』から引き離す。
アプサラスの本体は地面に広がる『黄の海』。であれば、その最たる弱点は本体との接続部である、根元。
通常であれば一太刀では断ち切れない太さの根元は、ブラックメイルを包み込む方へと回されて細くなり、さらに盾に突き上げられたことで引き伸ばされ、さらに細くなる。
そして、狙ってこの状況を作り上げたトウカが好機を逃すはずはなく――
ズパッという小気味よい音と共に、アプサラスは『黄の海』から切り離された。
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