第9話

 燦々と照りつける陽光の下、それは静かに姿を現しつつあった。

 黄色の大海に瘤のように盛り上がったその物体は、遠目からでは小さな丘に覆い被さった通常の『黄の海』にしか見えない。

 しかし、一度近付けばその異変――内部に抱え込まれた多数の球体――が見えてくる。それはいくつもの『黄の海』の個体を内包したゆりかご、あるいは、炸裂の時を待つ爆弾の山。

 やがて、黄色の丘から鎌首をもたげるように不定型アプサラスが立ち上がる。その黄色の体の中へと、人の頭ほどもある球体がいくつも吸い上げられていく。

 五メートル程に膨らんだアプサラスはそこで膨張を止め、ゆらり、とその巨体を傾けた。その方向は『黄の海』の果て、未踏の土地。黒々とした重層都市のそびえる、人類最後の安息の地。


 そして今、アプサラスの中に浮かぶ球体全てがその輪郭を弾けさせ、突如発生した内圧によって母体となったアプサラスはバラバラに引き千切られた。

 爆発的膨張を開始した無数の球体は、黄色の濁流となって一直線に陸地を目指す。その様は我先にと獲物を追う大蛇の束が如く。河川を遡行し全てを飲み込む津波が如く。


 全ては大地を奪うため。増殖し繫栄するという本能のままに、『黄の海』の侵攻は始まった。


   ◆   ◆   ◆



 一面の青空に、真上から照り付ける日光。

 何もなければ「穏やかな」と形容するだろう状況なのだが、この現状に、アスカは何か引っかかるものがあった。

(何だろう、この違和感は)

 違和感の元凶を探すべく、アスカはぐっと目を瞠る。が、見た限りでは怪しそうなものはない。

 動いている不審物があれば探すまでもなく目に留まるだろうが、動くものと言えば前方やや左で戦闘を繰り広げている豆粒、いや米粒サイズのユウのブラックメイルと、それに襲い掛かり倒されていくアプサラスくらいなものだった。

 それを別とするならば特に動くものはない……ようにアスカには思えた。ないと断言できないのは、一面に広がる生きた『黄の海』が、常時わずかに蠢いているからだ。

(見た限りは異常はなさそう。なら……)

 と、今度は聴覚に意識を傾ける。風のほとんどない今日、聞こえてくるのはブラックメイル各部に取り付けられたファンの作動音ばかり……だと思っていたのだが、何か様子が違う。

 ブーンと唸るようなファンの音を透かして、何か、別の音が鳴っている……?

 そうと気付いた時点で、アスカは無線越しに問い掛けていた。先のユウの命令もあったし、何より今のアスカが役に立てるとしたらこういう事くらいしかない。

「あの、何か聞こえませんか?」

『ん、どんな音だね?』

 即座に返ってくるドクターの返答が真摯なものであることに安堵しつつ、アスカはもう一度耳に意識を集中させてみる。

「えーと、ゴゴゴというか、ドドドというか……。なんか低い地響きみたいな音なんですけど」

『こちらでは観測されていない、が。……ユウ、そっちはどうだ?』

『雑音が多すぎて分からん。一度離脱すれば確認できるだろうが』

 どうする? とユウは言外に問うが、そこまでではないと判断したか、ドクターはそれを断る。

『いや、いい。ユウはそのまま続けてくれ。それでアスカちゃん、その音の方向とかは分かるかい?』

「方向、ですか」

 そう言って再度耳に意識を向けようとした瞬間、視界の隅に動くものがあった。

 位置は正面よりやや右側。誰もいないはずの場所。

「……なに、あれ」

 知らずに言葉が零れるのさえ意識しないまま、アスカの目はに釘付けになっていた。

 巻き上がる砂煙。その発生源は見慣れた黄色。しかし、それは見たことも聞いたこともない形をしていた。

 高さは3メートルほどだが、長く連なるその細胞塊は優に100メートルを超えていた。しかもその先端は遠く離れていても分かるほどの速度でこちらへ接近してくる。

 アプサラスではありえない規模。そして『黄の海』ではありえない速度。しかし、巨大な大蛇のようなそれは、紛れもなく黄色であった。


『どうした? そこに何かいるのか!?』

 ドクターの声を遠くに感じながら、アスカは声を絞り出した。

「何かがこっちへ、移動してきます……!」

『移動だと? ……まさか。カメラを繋がせてもらうぞ!』

 視野の下部にヘルメット内蔵カメラの映像が共有されている旨が表示される。息を飲む音が、少しずつ大きくなっていく地響きの向こうから聞こえてきた。

『……流体型、アプサラス。これが『決壊』だというのか』

 悪夢でも見たかのようなドクター米良野の声。しかし次の瞬間に、それは怒号に変じた。

『緊急事態だ! 二人とも、何としてもあのアプサラスの進行を食い止めろ!』

 その声が、冷水を浴びせかけたかのようにアスカの意識を覚醒させた。

 現状、あのアプサラスに一番近いのはアスカだった。どう見てもイレギュラーなあれは、飄々としたドクター米良野が血相を変えるほどの脅威で、そして考えるまでもなく危険な存在だった。でも、戦わなくてはならない。

 そのためにアスカはここにいるのだから。


 ギリッと、ブラックメイル越しに握った盾のグリップが音を立てる。

 汗が一筋、頬を伝った。

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