第4話

 『黄の海』が外敵を攻撃・排除するために作り出した器官、アプサラス。それは実に多種多様な姿で現れる。

 例えば、トラバサミやハエトリグサを思わせる鋭利な牙と大きな口を持つ『顎型』。

 例えば、土管のような円筒から瓦礫や細胞塊を射出する『砲型』。

 例えば、何本もの細長い触手を伸ばして獲物を絡め取る『複触手型』。

 例えば、金属の粒子を取り込んだこぶで殴りかかる『棍棒型』。

 そんな四体のアプサラスが、アスカの前にいた。

 そしてその間にはユウのブラックメイルが立っていた。



 顎型が地面に潜るようにその形を崩す。その間に右から数本の触手が伸び、左からは叩き付けるように棍棒型の黒ずんだ瘤が振り下ろされる。どちらも正確にユウの位置を照準していた。だが、次の瞬間にはブラックメイルは搔き消えていた。


 輪郭が溶けて見えるほどの速度で、黒の鎧は右に駆けた。一瞬で複触手型の根元まで到達したユウは、両手で握った黒剣で触手の束を斬り払う。

 そのまま反転して右に飛び、棍棒型の腕部に剣を突き立て、ねじりながら振り上げて組織を引きちぎる。

 今度は奥へと走り、ユウがいた場所を照準したままの砲型に肉薄。走った勢いを乗せて刃を振り抜き、砲身を根元まで真っ二つに切り裂く。

 最後に元の位置まで戻り、湧き出るように下から現れた顎型の一対の顎を、串刺しにするように一突き。さらに目にも止まらぬ斬撃の嵐で跡形もなくなるほどに敵を斬り刻んだ。


 神速の、まさに神速としか例えようのない早業で、ユウは四体のアプサラスに修復困難なダメージを与えた。しかも自らは無傷のままで。



 あっという間に四体のアプサラスを倒したユウを、アスカはただ呆然と見つめる事しかできなかった。

 そんなアスカを気にも留めず、あるいは本当に存在を忘れているのか、ユウは淡々とアプサラス達にとどめを刺していく。左前腕に取り付けられた射出機から放たれる注射器型の矢が黄色の細胞塊に突き刺さるたびに、それらは活動を止めて溶けるように死んでいく。


 

 確かに、ブラックメイルは、対アプサラス用に開発された人類の切り札だ。

 生身の人間なら両手でやっと振れるかどうかという刃渡り一メートル超の大剣もブラックメイルならば片手で何の苦もなく振り回せるし、アプサラス戦での耐久性能は既存のどんな兵器よりも優れている。

 だがそれでも、本来ブラックメイルは多対一でアプサラスを駆除することを前提として作られた兵器である。理由は単純で、どれだけ兵器で強化しても人間ではアプサラスを一対一で仕留めることができない――より正確には、高い勝率を維持することができないからだ。

 アスカはそう訓練校で教えられてきたし、映像記録や模擬戦闘でその言葉の意味するところを体感した。


 アプサラスは本体である『黄の海』一個体分の範囲でならまさに神出鬼没で、変幻自在なその姿は次の手を読むことすら困難にする。

 そして例えダメージを与えても少々の傷は何もなかったかのように修復されて、何よりこちらは気を抜いた一瞬で簡単に命を落としかねない。

 要するに、ブラックメイルを装着したとしても、というよりブラックメイルを装着して初めて、人間はアプサラスと戦えるようになる。

 そこに数を揃え、武装を整え、知識と経験を積み重ねて初めて、人類はアプサラスを倒せる。無論、そこまでしても運が悪ければ命を落とすが。


 だが、ユウは違った。一対一どころか一対多でありながらアプサラスを圧倒、倒してのけた。しかも、一対多の戦闘はこれを含めて三回目。もちろん今日アスカが見た限りで、だ。

 そんな圧倒的な強さを目の当たりにして、アスカは先程の言葉――『俺の背中を預かれるとは思わない方がいい』――の意味を今更ながらに理解していた。

 あれは傲慢なまでの自負でも、アスカへの侮蔑でもなく、自らの強さをただただ客観的に判断した結果の、親切心から来る忠告だったのだと。


(……私、なんでこんなところに配属されちゃったんだろうなぁ)



 ユウは四体のアプサラスにとどめを刺し、後方のアスカを振り返った。

 アスカは事前に言いつけた通り、盾を構えて百メートルほど後方で戦闘が終わるまで待機している。


 本当なら、彼女のような新人には比較的安全な任務にベテランを付けて、精神的にも良好に初陣を経験させるべきだろう。だがそれは、ユウには出来ない相談だった。

 ユウに回される任務は、アプサラスが複数体で固まっていたりするような、非常に危険度の高い地域の突破を目的としている。それは、他の誰もが足手まといにしかならない飛び抜けた戦闘能力を持つユウだからこその任務で、そんなところに新人を配属するなんてことは、正直なところ狂気の沙汰にしか思えない。

 さらには、ほぼずっと単独で任務に当たってきたユウに新人を育てる能力があるわけもなく、要するにこの人事はどちらにとっても損しかない、というのがユウの見解だ。


(……まあ、そのうちにどこか別の所へ移されるだろう)

 そう考えながらユウはヘルメット内蔵のマイクで前進を指示、しようとして息を呑んだ。

 アスカのブラックメイルの斜め後方、既に全滅させたはずの一画から触手が一本、立ち上がって鎌首をもたげていた。



 討ち漏らしたか、と思うよりも早く、ブラックメイルは大地を蹴る。

 彼我の距離は百メートル少々。三歩で詰まる間合いだ。

 ならば危険を知らせるより、直接斬った方が早い。


 黒と金の軌跡となって飛ぶユウは瞬く間に棒立ちのアスカの真横まで駆け付け、黒い大剣を斜め上に振り抜く。

 一刀で断ち切られた触手はアスカの顔面、ポリカーボネートの表面を撫でながら、くるくると回転して飛んで行き。


 そこでようやく、アスカは何が起きたのかを知った。

 自分の身一つろくに守れない、戦い通しの仲間に助けられる、ろくでなしの足手まとい。本当に、どうしてこんなところに配属されてしまったのか。

 今すぐに消えてしまいたい気分だった。



 さらに二太刀で単触手型のアプサラスを無力化して、ユウは手早く注射器型の矢を撃ち込む。と、その背に電波越しの声が投げかけられた。

『すみ、ません……』

 蚊の鳴くようなか細く弱々しい声。その声色がどういう種類の感情から来るものなのか、他人との関わりが希薄なユウには分からなかった。

(まあ、命を狙われた実感が恐怖を呼び起こしたとか、そういうことだろう)

 故に、誤った認識のままユウは判断を下す。

「今日はここまでにするか」

 ノルマも今ので達成したしな、と心の中で付け加えながら。

『……はい、すみません』

 答えるアスカの顔を、ユウは見ることはなかった。

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