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 いつから、間違ったのだろう。


 幼い頃、彼女から受け取った真っ赤なリンゴに、希望の理由を得た。

 希望を知って、明るい道を知って。

 理不尽を知り、希望を失くしたこともあった。

 それでも、希望を目指して、諦めず歩き続けていた。

 

 だけど。

 今、掌には何もない。

 

 希望の理由はない。

 真っ赤なリンゴは、手をすり抜けて地面に落ちてしまった。

 

 希望を知ったあの日の少女は、その全てを失い、希望も絶望も判別すらつかない、虚無へと還ってしまった。

 

 

 ―――――

 ―――

 ――

 

 

「おい」

「……」

「おーいー」

「……」

 

 頬をつねってみる。ぷにぷにしてみる。

 死んだような表情に全く変化はない。

 

「おいおいこりゃマジで……いやいや……」

 

 ……逡巡の末、頬から指を下に、未だ柔らかさを保っている胸元に。

 

「いだだだだだだ」

 

 持って行こうとして、無言で捻られた。

 

「……もういいでしょ。放っといてよ」

 生気もなく、ただ呟くように言葉を投げつける広瀬涼。

 白だったはずの薄汚れたシャツ、ボロボロのそれは、彼女があからさまに囚人であることを嫌というほど表していて。

 

 あのたった一日の悲劇の直後、由希子の言葉通りの事態が起きた。

 報道機関は即座に、その行動の全てを岩村由希子の犯罪と強調。

 その上、彼女を助け出そうとした広瀬涼を、関与を疑い逮捕するという追撃で、負いようのない責任を負えそうな相手に集中させ、被害を最小限にしようとした。

 

 負傷により俊暁が気絶しており、広瀬涼は突出した。

 誰も止めようがなかったのである。

 

 世界にヒーローなどいない。

 純粋な願いで生まれたヒーローも、遂に社会を追放されてしまった。

 

 それは全て、人間の業である。

 何もかも都合の悪い部分を広瀬涼に押し付けた人間の所業であり、助けた人間に牙をむかれることとなってしまった。

 

 そして、それは何も裏社会云々、というものではない。

 

 無責任に押しつけた悪意。

 何の悪さも感じず、責任を負う必要もないと……たとえば、電子掲示板に書き込んだコメント。顔も見知らぬ相手への悪意、その周知は、原因を造ったと言われても不思議ではない。

 

 が、たった一人の天秤に流れ込み、それを破壊してしまったのである。

 

「何も変えられない。変えられなかった……変わらなかった」

 ヒトは変わらなかった。

 悪意を持って他者を傷つけ、自分の利益を得る。

 それが変わる流れが出来るまで、広瀬涼は戦い続けた。

 

 だが、ヒトは変わらない。

 悪意は他者を追い落とし、遂にその被害は、涼の見知った人物へと及んだ。

 

 しかし、頭を抱えていた手を、俊暁は掴んで優しく引く。

「……ついてこい。許可はもらってある」

 本来、拘留所に現職の警官が居ること自体がおかしい。

 しかし俊暁は、特別に許可を受け、立ち入ることを許された。

 

 公職とはいえ、部外者が入る特例。

 それを示すのは最早、一つしかなかった。

 

 

 ―――――

 ―――

 ――

 

 

 拘留所の扉を出る。

 未だ残暑の残る陽気は、暗所に置かれていた涼が、目を開けるのを阻害して。

 

 ……その光景を見るまで、ずっと空虚な表情をしていた。

 

 目の前には、すごく大勢の人がいた。

 それは、真っ先に目に入った、ポインセチアの人々だけではない。

 

 ファルコーポの、一度顔を見たような人間。

 以前涼に依頼を頼んだ人間や、その関係者。

 依頼の結果、希望を持つことができた人達。

 全くの無関係の人たち。

 

 広瀬涼の姿を見て、口々に騒ぐ人々。

 『おかえりなさい』『Come back』など多数の横断幕。

 

「……どういう、こと?」

ってことだ」

 

 冤罪が晴れた。

 極論を言えば、どうとでもこじつけて、決闘審判デュエルジャッジを行うことで、表舞台から相手を排除できるこの世界で。

 その言葉自体が、あまりにも有り得ないものであった。

 

 今までは、広瀬涼、そしてフランベルジュという絶対的な力があったからこそ、決闘審判によって理不尽に泣く人々は減っていった。

 それでも、根本的にそれがなくなるわけでもない。

 そもそも今回に至っては、広瀬涼自体が生贄に捧げられている。立つ場所が被告側になってしまっては、彼女の力では、彼女を救うことなどできない。

 

「決闘審判は行われなかった。裁判は普通に進行して、お前は無罪。

 ……初めてだよ、あの制度自体が回避された裁判を見たの」

「そういうことじゃあない」

 

 広瀬涼を救う。

 それは、彼女のこれまでの行為全てを、正しいと証明し、理解を得なければならない。今はそれでも、決闘審判が行われなかったのを、素直に『エルヴィンの人間が変わった』と取ることはできない。打算ありき……広瀬涼が救われることの方に利を見出されれば、人々はそちらに流れる。

 

 決闘審判なしに、広瀬涼が救われた。その事実は、決闘審判に縛られていたエルヴィンにとっては、大きなニュースなのかもしれない。

 だが、

 本当に人々が変わるには、これからどこまで、何を積み上げていけばいいのだろう。そしてそれは、ここまで広瀬涼が懸命に生きて、何もかも、何もかも失って……それでも、何も変えられなかったという事実に、他ならない。

 

「もう、放っといてって言ったじゃないの……!」

 

 そして、なおも人々は広瀬涼という力を求める。

 どれだけ彼女が使い潰されたとしても、人々は自分が救われたいと手を伸ばす。

 

 今の広瀬涼には、己を迎えようとする人々が、欲望から手を伸ばしているようにしか見えなかった。

 全てを失った己を、なおも身体だけでも引き込み、使い潰す―――悪意。

 

 泣きたかった。折れたかった。

 無力感が、悲しみがあふれて止まらない。

 これでもまだ、止まることが許されないというのか。

 

「……朝輝さん……なるちゃん、由希子……私、駄目だった……!」

 

 変わることのない、愚鈍なる圧倒的な悪意。

 悉く失われた大事なもの。もう、何も戻らない、戻れない。

 

 力なく頽れ、無遠慮に、溢れる雫を地面に叩き付ける。

 

 かつて失った、大切な人も。

 自分が守ってきた小さな命も。

 己を護るために命を散らした、名も知らぬ彼も。

 

 そして、自身が失った、希望の最たる理由も。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……!!」

 意味もなく消えて、ただ苦しみとして押し潰し、掠れるほどの声が漏れるだけで精一杯だった。

 誰かが救われるわけなんてない。

 これまで生きてきた全てが、間違っていたのだと―――。

 

 

「そうじゃないよ」

 ふいに、言葉が聴こえた。

「広瀬涼は戦った。懸命に、誰かの為に、その存在を賭けて。

 だから、自分を許していいんだよ」


 その言葉は、誰の目線で言ったのだろうか。

 全てを否定され、希望という真っ赤なリンゴを掌から溢してしまった少女に。

 とても残酷で、とても不神経な言葉だと感じた。

「できるわけないでしょうそんなことッ!!」

 自棄になって、いらだって、泣きはらした目で顔を上げて、その言葉の主に怒鳴り散らした。

 

 

 ―――とても残酷で、とても不神経。

 それは、当事者本人の台詞でなければ。

 

 取りこぼしたはずの真っ赤なリンゴは、救われなかった筈の岩村由希子は、そこにあった。

 

 

「……ゆ、きこ?」

「ごめん。驚かせちゃ……」

 言葉を紡ぐ前に、目の前にいた彼女を思いきり抱きしめ、存在を確かめる。

 

「由希子? ……岩村由希子? 嘘じゃないよね?」

「そ、そうだよりょーちゃん、くるし、むぎゅ」

 

 体温を感じる。誰かの特殊メイクでもない。

 嘘偽りに聞こえない。

 

 本物の岩村由希子であると、直感した。

 

「……どうして」

「私だって聞きたいですよそんなの。

 ……でも、誰かさんが、ずっと願ってたんですって」

 

 由希子はあの時、己を傷つけ、炎の海に消えた。

 それを救えるとしたら、涼を導いたアブソリュート・グランバスター……生体金属の束ねた流体の塊、それしかなかった。

 

 角川俊暁は願っていた。

 ずっと、岩村由希子を助けたいと思っていた。

 炎の海の中で、瞬間的に展開し全てを受け止める無敵の流体は、願いに応えて岩村由希子を拾い上げ、流体の中に取り込んだのだ。

 

 そして、悪意の塊を成したD2は、黄金色の流星と化したフランベルジュによって破砕された。

 後に残された由希子は、彼女を苛む悪意の衝動を砕かれ……身体こそ戻らなかったが、今こうして此処に居る。

 

 涼と由希子、付き添った俊暁の三人と、他の人間の間には、ひとつの巨大な『影』があった。

 緑色の装甲を纏い、自由となった翼を得たそれは、今までのSLGとはまた違う。

 『悪魔』アルティマライザーとは違う姿を得たそれ、『フィアーバスター』こそ、由希子が真に救われた証左となる。

 

「……大丈夫? 捕まってない? 訴えられてない?」

「大丈夫だって。ちゃんと異常だったって証明してくれて、私はここにいるから」

 

 当然、涼が次に気になったのは、由希子の社会的な立場。

 ……そんなこと、信じてくれるわけがない。

 本人が散る間際に気にしていた通り、岩村由希子の行動で大量破壊が起きたのを否定できるわけがない。

 

 それでも、由希子は此処にいる。

 誰かが証明してくれたのだ。岩村由希子の異常と、症状、真犯人たる他者の関与という可能性を。

 

 

 ―――――

 ―――

 ――

 

 

「……まったく、苦労したよ」

 広瀬涼と岩村由希子、二人の再会を歓迎する人混みの中に混ざり、エドワードは其処に居た。

 彼の手元にあるデータカード。そこには、由希子が襲われた時の監視カメラの映像が記録されていた。

 

 カストロは、凶行に及んだフォース=プレスティの前に立ちはだかり、レイフォンとひなたを逃がす為に全力を尽くした。

 エドワードはその最中、可能な限りデータを回収し、由希子に起こる事態に備えていた。可能な限り事件後の対策を練り、カストロは望んだエンディングのために全てを捧げたのである。

 

「『僕が死ぬまで、彼女を生かす為に手を貸してくれ』―――だったね。

 まったく奇特な話だよ」

 だからこそ、手を貸した。

 今まで聞いたどの依頼とも違う、それでも本人は本当に真剣だった、ただの願い。

 エドワードはそれに応え、カストロの生涯持ち得た願いの全てを叶えた。

 

「君は居ないだろうけど、せめて後で酒にでも付き合ってもらうよ」

 無縁の墓にはなるだろうが、彼の生きた証明は立てたい。

 願いに全てを費やした、真っ直ぐな存在……エドワードは短い間過ごした者のことを想っていた。

 

 

 ―――――

 ―――

 ――

 

 

「……それと、りょーちゃん。メッセージ、受け取ってるから」

「え……?」

 由希子の言葉に呆気にとられる涼。その前に、タブレット端末が差し出された。

 そこにはひとつの文章が綴られていた……信じられない内容の文章が。

「回収された私と一緒に、最後に残ったデータよ……ただのテキストファイル」

 

 

 ―――これを誰かが見ている時、わたしはもういなくなっているでしょう。

 

 神崎ナルミは、ザイテンゲヴェールの一部でした。

 世界を知り、自らの行動を選択するための端末。

 

 解き放たれたわたしは、広瀬涼を選びました。

 彼女はわたしを助け、ヒトの悪意と戦う姿勢を見せました。

 その姿に、わたしの力であるフランベルジュを託すに足る人物と、はっきり判断しました。

 

 わたしは幼いままだったけど、広瀬涼はわたしのお姉ちゃん代わりとして、わたしと生きてくれました。

 護ってくれて、時に仲間たちと会わせてくれて。

 わたしはただの端末だったけれど、わたしはとても幸せでした。

 

 D2……デビルドロイド。ヒトの悪意。

 ザイテンゲヴェールが侵食されたことで、わたしの身体は消えてしまいました。

 けれど、心は今でも生きて、このエルヴィンという街で生き続けます。

 

 最後に、このメッセージを広瀬涼に伝えてください。

 

 お姉ちゃん。わたしはあなたと一緒に過ごせた数か月間、とても幸せでした。

 ご飯を食べたり、一緒に旅行に行ったり、知らない景色を見せてくれました。

 

 さよならは言いません。

 わたしがもう一度、身体を作って出られるようになった時、また会いましょう。

 

 

「……!」

 それを最後まで読んだ瞬間、迷わずその端末を胸に抱いた。

 今はなきナルミの身体の代わりに。

 

 どれだけ溢れても、涙が止まる気配がない。

 ぐちゃぐちゃの顔をそのままに、ただただ、今まで過ごしていた『少女』の想いを抱いて。

 

 希望は、つながった。

 永遠の別れは、そこにはない。

 いつか残る、そして創るであろう未来に、神崎ナルミは待っている。

 

 だから。

「うん……! なるちゃん、また……!」

 また逢う時まで、『少女』の想いを護るために。

 広瀬涼の想いは固まっていた。

 これからも、大事な人たちを、世界を守り続ける。己の手で。

 だから。

 

「いつか、未来できっと会おう……!!」

 

 その先でいつか、再会できる未来を信じて。



 Flamberge逆転凱歌

  TRUE ENDING 「いつか、未来できっと会おう」

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Flamberge逆転凱歌 高菜 葉 @napateck

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