少年と運命的な出会いを果たすロボット・ファーザーは間違いなくスーパーロボット。
国と国同士が戦う軍事要素はリアルロボット。
どちらの要素も持っていますし、真っ直ぐな力を物語に感じます。
ただし。
読む側のイメージが『ドリル』の三文字でほぼ固定化されてしまいます。
感想を書こうにも、ぱっと頭に浮かぶのは全てドリルになってしまいます。
スーパー、リアルの区分など最早どうでもいいのかもしれません。ドリルの三文字さえあれば。
ええ、もう見事にドリルの術中にはまりドリル以外の語彙力を失ってつまりドリルがドリルでドリルドリルドリルドリリリリリリリリリリリ
印象が強烈な作品ですが、先述の通り物語自体は真っ当にロボット作品をしていて、読んでいて気持ちのいい作品です。
皆さんも良きドリルを。
ドリルとはすなわち、らせん状の構造を回転させて穴を穿つものである。
その構造にはいくつかの見逃せないポイントがある。
工具であるにも関わらず、ドリルにはモノを壊す機能しかない。
穴をあけたのちにそこを固定するのはネジやビス等ほかの工具の仕事だ。
ドリルだけで工事や工作は決してできない……ほかの工具なくしては!
ドリルによって何かが作られることはない。
しかし、何かを作るためには破壊が、ドリルが必要なのだ。
また、ドリルは回転することで前に進むわけだが、何もない空間ではただ回るだけだ。
貫く目標に触れた瞬間に、その抵抗によって前へ進み始める。
それは人間の文明そのものの在り方ともいえる。
腹が減らなければ狩りも農業も必要ないし、工夫なんていらない。
だが、それでも人間は文明を発展させてきた。
なぜか。もちろん、世界には無数の障害があり、それを貫く必要があったからだ。
立ちはだかる壁に触れたとき、はじめて意味を持つ。
すべての技術は、ドリルと同じ特性を持っている。
そして、ドリル自身はその場で回転し続けるだけの動きしかしていないという点も見逃せない。
霊長類が誕生したのはおおよそ7000万年前。
人間一人が生きていられる時間はせいぜい100年というところだろう。
人類の歴史を12時間の工作にたとえるなら、1人の人生は0.06秒ほどに相当する。
なんと、これは偶然にも毎秒1000回転するドリルの1回転に見事に符合する。
(筆者が都合のいい数字を選んだのでは? という感繰りはやめよう)
人の一生は、いわばドリルの1回転のようなもの。
ひとりでは小さな動きでしかないかもしれない。
しかし、それが10回転、100回転と続けば巨大なエネルギーとなり、やがて分厚い鉄板に穴を開けることができるのだ。
賢明なる読者はお気づきだろう。
このレビューでは作品の話を全くしていないことに。
まあ、いいじゃないか。
終わります。
この物語を一言で表すなら、このレビューの題名その物となる。大枠で見れば似たような物語は数多く存在している。しかしそれら偉大なる作品群と同じ様にヴォルテックス・ファーザーは僕らの心を貫き、そして熱くさせてくれた。
ただ個人的にはこの物語はヴォルテ一人だけの物語ではないと思う。その相棒にして、彼が旅立つ物語の最後に立ちふさがった男バンカ。彼もまたこの物語における主人公だと強く思う。
ヴォルテが超人としての主人公であるならば、バンカは凡人の、そしてそれでも前に進んでいくタイプの主人公である。
このタイプの違う2人の主人公が描いた螺旋こそ、ヴォルテックス・ファーザーという物語(ドリル)のエッジなのだと自分は確信している。