貫くために回るのか、回り続けるために貫くのか

ドリルとはすなわち、らせん状の構造を回転させて穴を穿つものである。
その構造にはいくつかの見逃せないポイントがある。

工具であるにも関わらず、ドリルにはモノを壊す機能しかない。
穴をあけたのちにそこを固定するのはネジやビス等ほかの工具の仕事だ。
ドリルだけで工事や工作は決してできない……ほかの工具なくしては!
ドリルによって何かが作られることはない。
しかし、何かを作るためには破壊が、ドリルが必要なのだ。

また、ドリルは回転することで前に進むわけだが、何もない空間ではただ回るだけだ。
貫く目標に触れた瞬間に、その抵抗によって前へ進み始める。
それは人間の文明そのものの在り方ともいえる。
腹が減らなければ狩りも農業も必要ないし、工夫なんていらない。
だが、それでも人間は文明を発展させてきた。
なぜか。もちろん、世界には無数の障害があり、それを貫く必要があったからだ。
立ちはだかる壁に触れたとき、はじめて意味を持つ。
すべての技術は、ドリルと同じ特性を持っている。

そして、ドリル自身はその場で回転し続けるだけの動きしかしていないという点も見逃せない。
霊長類が誕生したのはおおよそ7000万年前。
人間一人が生きていられる時間はせいぜい100年というところだろう。
人類の歴史を12時間の工作にたとえるなら、1人の人生は0.06秒ほどに相当する。
なんと、これは偶然にも毎秒1000回転するドリルの1回転に見事に符合する。
(筆者が都合のいい数字を選んだのでは? という感繰りはやめよう)
人の一生は、いわばドリルの1回転のようなもの。
ひとりでは小さな動きでしかないかもしれない。
しかし、それが10回転、100回転と続けば巨大なエネルギーとなり、やがて分厚い鉄板に穴を開けることができるのだ。

賢明なる読者はお気づきだろう。
このレビューでは作品の話を全くしていないことに。
まあ、いいじゃないか。
終わります。

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