最終夜
「大丈夫、イイ子ネェ……」
ガサガサ……。カボチャの葉っぱが、まだぐったりしている少女の霊を優しく包む。
ジャックはひょこひょこと祭壇に上がり、蔓の間からはみ出た、少女の白い手を持った。
「いい子だカラ……戻ッテくるネェ……」
その声にはいつもの死者を送るときや、鞠亜さんのときとは違い、今まで聞いたことの無い、切なく哀しい響きが籠もっていた。
「戻ッテくるネェ……キミに友達ガずっと待ッテいるヨォ……」
「ブニャァァ~ン」
黒ブチ猫が大きく伸びをしながら、祭壇に向かい、訴えるように鳴く。
そうか、私は気付いた。彼はあの写真の中にいた猫だ。友達が悪霊に憑かれて封印されてもなお、彼女を思い、この世に留まったのだろう。
ピクリ、声に気付いたのか、少女の白い指が動く。
「キャアアアアッ!!」
バタバタ暴れ出した彼女を、更に湧き出したカボチャの葉がガサガサと包んだ。
「大丈夫、ココにもうキミのつケタ火は無イネェ」
自分がつけた火が回る、過去の記憶を思い出したのか、もがもがと暴れる少女の手をジャックはしっかり握って、黒ぶち猫を手招いた。
「ブニャァァ~ン」
黒ぶち猫がジャックのカボチャ頭に登り、彼女の顔を覗き込む。
「……オリバー……」
「ブニャァァ~ン」
ジャックが手を伸ばすと、オリバーと呼ばれた彼は淡い光の球になり、少女の胸に吸い込まれた。
「……ずっと……側にいてくれたんだ……」
「もう一人の貴女のお友達も、ずっと貴女を思っていましたよ」
フォトフレームの写真の友達……ジョアンナさんが話したお母さんのことを彼女に告げる。
「……イザベル……」
友人の名を呼ぶ嬉しそうな声が響いた。
「大丈夫、悪霊ニとり憑カレてヤッタことネェ。ウロボロス様ガ、全部、飲ミ干してクレるヨ」
「……本当?」
訝しげな問いに、優しくジャックが答える。
「本当ねェ。ウロボロス様はトテモ優しいカラ。このママ、オリバーと眠ルネェ。冥王様に悪いコト全部忘れサセテ貰うヨォ」
「……うん」
ジャックが少女の手を撫で、離して両手を翳すと、蔓と葉っぱの中で、少女がオリバーと同じ白い光の球になる。
それはゆっくりと緑の間をくぐって、教会の開いた天井から星空へと登っていった。
「ブニャァァ~ン」
穏やかな鳴き声が聞こえる。
登る光から、感謝の声が荒れ野の風に混じって、吹き降りてきた。
「……逝きましたね」
「……逝ッチゃっタネェ」
秋の終わりの星空に消えていく二つの魂を私達はじっと見送っていた。
「……ボクはイツ逝けるノかナァ……」
「……ジャック……」
死者を冥界に送った後、いつも彼が呟く言葉。そしていつもなら、ここで『マぁ、イッかぁ~』と陽気に続く。
が、今夜の彼は、そのままカボチャ頭を巡らせると、床に落ちたままの、ガイ・フォークスのお面に目を向けた。
「……ボクもキミと同じネェ。ズット、許され無イんだヨォ……」
ふらふらとお面に向かってジャックが歩み始める。
「ジャック!?」
「ニャッ!!」
「……カルロス……ナタリー……ジーノ……結局誰も戻ッテ来ナかったネェ……」
短い腕がお面に伸びるのを見て、私とエイミィは目を剥いた。
「触ってはダメです!!」
「ニャアッ!!」
悪霊を祓ったとはいえ、まだそこには奴の穢れが残っている。止めようと飛び出そうとした私達を
「待て」
低い声が止めた。
「……死神さん……」
私達の前を黒いマントを着けた背中が遮る。湾曲した麦刈り鎌を持った、白い頭蓋骨が振り向いた。
「奴は去年のハロウィンで天使に出会ったせいで、この一年で忘れていた記憶が甦り、昔の悪霊に戻り掛けている」
「えっ!?」
思わず息を飲む。
「その天使とは、私ですか?」
「ああ。奴が生前、悪魔を騙すような悪人になった理由には、『神』と『教会』が深く関わっているのだ」
私は背中に残った短い翼を触れた。
『神』に仕えるものの証……これが彼を……。
ジャックの白い手袋の手がお面を掴む。その瞬間、小さな手は鋭い鉤爪の付いた、大きな黒い手に変わった。
ガイ・フォークスの面を黒い手が、カボチャ頭に重ねる。彼の背がぐんと伸び、いつもの黒の上着にベストとズボン、紫の蝶ネクタイを付けた姿が、ボロボロの黒い布を纏った長身の男のものに変わった。
「……戻セ……カルロスヲ……ナタリーヲ……ジーノヲ……オ前を信ジテ消エタ仲間ヲ戻セ……!!」
カン高い男の子の声から、低い地を這うような男の声になったジャックが祭壇に向かって叫ぶ。被った面の開いた細い目と湾曲した口のスリットから黄色い光が漏れ、煌々と光り出した。
……ズ……ズズ……。
「……戻セ……戻セ……戻セ……」
ズリズリと黒いボロ布を引きずりながら、ジャックが祭壇に向かう。怯えて飛びついてきたエイミィを胸にしっかり抱き抱え、私はあまりの変わりようと彼からほとばしる邪気に、ガクガクと震える足を踏みしめた。
……あれが、悪霊としてのジャック……。
カチャリ……。金属音が鳴る。
「死神さんっ!?」
死神さんが鎌を構える。「どうする気ですかっ!?」私の悲鳴に彼は冷静に答えた。
「悪霊に戻った奴が、誰かを傷つけたら、二度と『生き返りの輪』に戻れなくなる。そうなる前に私の手で引導を渡してやる」
「そんなっ!!」
顔からざっと血の気が引く。
つい、さっきまで少女の霊を戻し、冥界に優しく導いていたジャック。それに……。
『私、先に『生き返りの輪』ってところに行っているから。そこで回りながら二人が来るのを待ってるね』
鞠亜さんの最後の言葉を思い出す。彼女のことだ。本当に輪の中で待っているに違いない。
「……わ……私が原因なのですから、私が何とかします。だから、待って下さい!」
「何とかするというのは、どうするんだ」
死神さんの冷たい声が返える。私は息を飲んだ後、天界で習った死者を救う方法を頭に浮かべ、頷いた。
「私の残った天使の羽でジャックの過去の記憶を封印します」
何もない空っぽの祭壇を前にひたすら血を吐くような声で叫んでいるジャックに目を向ける。彼が悪魔を騙すほどの悪人になった切っ掛けの、私のせいで甦ってしまった記憶を再び封印する。そうすれば、彼は元に戻るはず。
「出来るのか?」
「……一度もやったことはありませんが、やり方は覚えています」
「出来るのか、と聞いているんだ」
死神さんが私の震える足を見て、鼻で笑った。ぐっと唇を噛む。
「出来るかどうかは解りません。でも、全力でやります」
「……良いだろう。しかし、失敗したら、そのときは私がジャックを斬る」
「……はい」
「戻セェェェェェ……!!」
ジャックが祭壇に上がり暴れ出す。私はまだ震える足を見下ろすとエイミィに頼んだ。
「エイミィ、私に喝を入れて下さい!」
「ニャッ!!」
パチン、エイミィが私の頬に猫パンチを食らわして、床に降りる。
「行きます!」
私は死神さんの背中から出、祭壇に向かって飛び出した。
「……ジャック……」
祭壇で床を蹴り、壁を殴り、暴れ回るジャックを呼ぶ。
彼は動きを止め、こちらを振り返った。
パサリ……。ガイ・フォークスのお面が落ちる。その下の彼の顔は、いつもの暢気なカボチャ顔で無く、くり抜いた目が高く釣り上がり、口も大きく裂け、歯はギザギザに鋭く尖っていた。それらから全て、彼の怒りを表すかのようにギラギラと内側から光が溢れ出ている。
「……天使……」
私の小さな翼を見たのだろう。ジャックが祭壇から一気にこちらに降りてきた。
「戻セェェェェ!!」
「すみません。ジャック」
背中の翼から羽を一枚抜いて、迫ってくる彼に投げる。伸びてきた鋭い爪が眼前でピタリと止まった。
「天使の羽は悪霊に非常に有効ですから」
もがきつつもこちらまではこれなくなったジャックを見据える。
「貴方の過去の記憶を見せて頂きます」
それは私が生前暮らした教会があった村と同じような貧しい村だった。
聖職者達『祈る者』、貴族達『戦う者』に搾取される『働く者』……農奴の村。自分達が働いて得た収穫は、ほとんど領主や教会に吸い取られ、自分達はカラス麦の粥をすすって日々を暮らすそんな村だった。
そこに彼はいた。農奴の家の三男。ごく潰しとして、ほったらかしで育てられていた彼は、やがて同じような子供達と仲良くなった。
他の三人より身体の大きい、兄貴分のカルロス、夢みがちで可愛らしい女の子ナタリー、そして真面目で信心深いジーノ。四人はいつも腹をすかせながらも、農作業や家事手伝いの合間に野原を駆け回って遊んでいた。
やがて、彼等の村にある噂が流れてくる。
羊飼いの少年が神のお告げを受けて、異教徒に奪われた聖地奪還に向かうと。その行列に加わり、聖地で祈れば全てが許され、神の国に行けると。
親達は厄介払いも兼ねて、彼等を行列に参加させた。
初めて自分達に向けられた親達の期待に満ちた優しい顔。四人は喜んで、行列に加わった。
『今日もたくさん歩くから、オレがお前達の分の水を汲んできてやるよ』
四人分の水袋を持ってカルロスが、まだ眠る行列を離れる。
『……少し、食うもんも採ってくるかな』
行列の人数は日に日に増え、配られる食料も不足し始めていた。
水を汲んだ後、仲間達の口に入るものを探し始める。
彼はこの森は領主の森であり、領主が行列が通るのを許す代わりに、森の物に木の葉一枚、手を付けないと約束したことを知らされてなかった。
そして……カルロスは二度と仲間の元に戻ってくることはなかった。
『お嬢ちゃん、お嬢ちゃん……』
朝靄の中、眠っていたナタリーは、数日前から行列に加わり、親切に自分達に食料を分けてくれていたおじさんに起こされた。
『何? おじさん』
『実はおじさんの食べ物がもう無くなってしまったんだよ』
おじさんが申し訳なさげに告げる。
行列の食料事情はますます悪くなっている。元々規律も何もない行列だ。食べ物がきちんと皆にいき渡るわけもなく、最近では腹をすかせて、座り込んだり、倒れたまま、置いていかれる者も出てきていた。
『そんな……』
『大丈夫だよ。おじさんの知り合いがこの先にいる。そこで食べ物を分けてもらってこよう。一緒に来てくれるかい?』
『うん!』
おじさんの人の良い笑みにナタリーは素直に頷いた。
おじさんと手を繋ぎ、行列を離れる。
そして……彼女はそのまま戻ってくることはなかった。
青い空、初めて見る広い広い海。
しかし、それしか見えない光景に、もうジーノも船に乗った子供達も飽き飽きした頃、ようやく陸地が見えた。
途端に鳴る鞭の音。見せしめに打ち据えられた子供の悲鳴。彼等は狭い船室の一つに詰め込まれた。
誰かが震える声で告げる。自分達は騙されたと。
『異教徒に奴隷として売られるだって……』
絶望した子供達が泣き喚く。
そして……ジーノは二度と生まれ故郷の大陸の地を踏むことはなかった。
場末の酒場に目つきの悪い一人の男が座って、浴びるように酒を飲んでいる。
「……ジーノも……ジーノもかよ……」
酔い据えた目が久し振りに感情に震えていた。
あれから十七年目にしてようやく知った事実。
商人に寄贈され、マルセイヌから出向した七艘の船は、二艘が嵐で海に沈み、残り五艘は船主がアレキサンドリアに運び、子供達を奴隷として売り飛ばしたと。
「……結局、誰も戻って来なかった……」
カルロスは領主の森を荒らした罪で、しばり首にされ、見せしめに森の入り口の木にぶら下げられた。
ナタリーは、あの人が良さそうに見えた男に、娼婦として売られ、そこで病で死んだ。
そして、ジーノも……。
一人、ジーノの勧めで村に帰った彼も、親や村人に散々罵倒されたあげく、神の試練を途中で逃げ出した不信心者として教会から『破門』され、村を追い出された。
「……神様なんて、誰も救いやしねぇ……」
彼は拳を握り、大きく哄笑した。
「だったら、オレは好き勝手に生きてやる。あいつ等の分も、悪魔でも何でも騙して、面白おかしく生きてやる……!!」
「……ジャック……」
私は目の前で必死に私の……天使の縛りを破ろうとあがいている彼を見た。
「……貴方はあの十字軍の生き残りだったのですね……」
私が生まれる三百年前の羊飼いの少年に率いられたという少年達の十字軍。実際には大人も参加した民衆の自発的な十字軍だったらしいが、運命に多くが殉死した悲劇の十字軍だと教えられていた。
「……運命……殉死……ですか……」
苦笑する。美談として散々聞かされていたが、事実は様々な生々しい欲が絡まり、彼等四人はその犠牲になったのだ。
「……貴方は本当に、ただ友達を戻して欲しかっただけ、だったのですね……」
だから悪人になり、悪霊になった後もそれをずっと抱えて、全てを忘れた後に、強い『戻す』力を持った。
床に転がったガイ・フォークスのお面を広い、脇に避ける。彼はこの男のように四百年経った今も許されない存在ではないはず。
暴れる彼に笑い掛けて、背中の翼を全てを抜き、両手に抱える。
「……ジャック、戻りましょう。貴方の友達の為にも。私が彼等の代わりにずっと側にいて、貴方を『生き返りの輪』に戻してあげますから」
私は彼に残る全ての天使としての力を注ぎ込んだ。
ふわりふわりと白い羽が舞う中でジャックは目覚めた。
『ココ……どこネェ……?』
辺りは眩しく光に溢れ、雪のように羽が舞っている。足下にはふわふわと舞い降りた羽が積もっていた。
『……ジャック……』
優しい男の声がして振り向く。そこには白い翼を広げた金髪の痩せた天使が立っていた。
『……ッ!! カルロスとナタリーとジーノを戻すネェ!!』
沸き上がった怒りに、両手を突き出す。だが、いつものように友達のカボチャの精霊の蔓が湧いて来ない。
『アレ?』
首を傾げた後、彼は天使を睨み、ぐっと拳を握り、駆け寄るとぽかぽかと両手で彼を殴った。
『戻すネッ!! 三人ヲ、あの村ニ戻すネッ!!』
ぽかぽか、ぽかぽか。駄々っ子のように、両手をぐるぐる回して殴りまくる。天使はされるがままに、ジャックを見下ろしていた。
『戻すネッ!! 神様の使いナンでしょ!! ドウして三人がアンナ目に合ワナければイケなかったノッ!!』
あの行列に入らなければ、貧しい村で、それでもアレほど苦しい目、辛い目には合わずに暮らせたはずだ。
『戻すネッ!! 戻シテ……! 戻してヨォ……』
ぽかぽか、ぽかぽか。次第にジャックの叫び声は泣き声に変わる。彼は泣きながら必死に天使に訴え、殴り続けた。
天使がぎゅっと彼のカボチャ頭を抱き締める。
『ごめんなさい……。本当に辛かったでしょうね……』
殴られながら天使が謝る。
『戻して……三人ヲ……ボクの友達ヲ……戻シテ……』
『ごめんなさい……。それは出来ません……』
『意地悪言わナイデ……戻しテ……』
『ごめんなさい……』
天使は謝り続ける。
『どうシテ、謝るノ!?』
それに更に腹が立ち、ジャックはぐっと腕を突っ張って身を離し、天使を怒鳴った。だが天使は再び彼を引き寄せると、更にしっかり抱き締めて、また謝る。
『ジャックとジャックの友達を、いっぱい辛い目に遭わせてしまったからです。本当にごめんなさい』
『三人にも謝るノ!?』
『はい。本当にかわいそうなことをしてしまいました』
エグッ……エグ……と啜り上げるような声がして、暖かいものが頭に降り掛かる。
見上げると天使が泣いている。顔をクシャクシャにして、青い双眸から涙が頬を伝い、顎からボタボタ落ちてくる。ジャックは、ようやく手を止めた。
行列の大人達は彼に三人が本当に心から神を信じてなかったから、不幸な目にあったのだと罵った。
教会は三人は神の試練に尊い殉死をしたのだと称えた。
親達は三人は自分達の罪も背負って死んでくれたのだと褒めた。
でも、本当は……。
『たダ、三人は天使ガ泣くほどノ、不幸に合ッテしマッタだけネェ……』
そして……。
『ヤット、ボク以外の人ガ『かわいそう』ッテ三人に泣イテくれたヨォ……』
三人は不信心者でも、尊いわけでも、親達の罪を背負ったわけでもなく、ただの『かわいそう』な子供達だった。そう自分以外の誰かが泣いて、初めて三人を慰めてくれたのだ。
ボロボロ、ボロボロと天使は泣き続ける。ようやくジャックは胸の中に溜まっていた黒いモノが溶けて流れた気がした。
『……三人は……神様が救って……くれました……』
泣きながら震える声で天使が告げる。
その様子にウソかな? と彼はちょっと思った。でも、ふいに冠を被った黒い蛇の神様が頭に浮かぶ。
大人達や教会が言っていた神様とは違うけど、もしかしたら、違う優しい神様が三人を救ってくれたのかもしれない。
『……だから……貴方はもう怒らなくて……良いです……』
涙で顔を更にグチャグチャにしながら天使が言う。
『うン』
ジャックは頷いた。
蛇の神様はつぶらな目で彼を見つめ、にっこり笑っている。
きっと、そうに違いない。
『……辛いことは……また忘れて……元の貴方に戻りましょう……』
蛇の神様の後ろで、三人が手を振って自分に呼び掛けている姿が浮かぶ。
ボク達はもう大丈夫だから、ジャックも、もうボク達の為に怒ったり泣いたりしなくて良いよ。
『ウん』
『……私が……貴方の記憶を……封印しますから……』
泣きながら話続ける天使を見上げ、ジャックはニヘラと笑った。
『うン。頼むネ、イワン』
『へっ!?』
天使がマヌケな声を出す。『ソんな顔グチャぐちゃニして泣ク天使はイワンしかイナいヨォ』
彼の驚いた顔がおかしくて、ケタケタと笑い声を上げる。
『デモ、だから、安心シテ任せラレるネェ』
『はい』
みるみる頬を真っ赤にしたイワンが、袖で涙を吹いて、彼の頭を撫でる。ふわりと舞う、舞い降りた羽が集まってジャックを包み込む。
『……でも、コレで、翼ガ無くナッテしまうネェ』
『良いんです。死神には必要ないですから』
『……そッカァ……イワンはパタぱたがあれば、大丈夫ネェ……』
『はい』
眠くなってきたのか、イワンに身体を預けたまま、ジャックの目がだんだんと細まり、口がむにゅむにゅと動く。
『……ありがとうネェ……イワン……』
『……はい』
ふわり、ふわり、と羽が降り掛かる。やがて、イワンの腕から気持ちよさそうな寝息が聞こえてきた。
「三十点だな」
天使の力を使い切った私の肩を支え、背中に元の小さな男の子の幽霊に戻ったジャックを背負って死神さんが言う。
「途中で気持ちが高ぶって泣き出すわ、正体を見破られるわ、ではな」
ククク……と肩を揺らす。
「ニャァン」
私はよくやったと思うわよ、とでも言うようにエイミィは私の足をぽんぽんと優しく叩いてくれた。
「ありがとう。エイミィ」
彼女に礼を言って、一つ息を付く。
「でも、ジャックに嘘をついてしまいました」
彼の三人の友達が本当に死後、救われたのかは解らない。あれだけの悲惨な目にあったのだ、一人くらいは恨み辛みからジャックのような悪霊になっていても不思議ではない。
「ああ、それなら大丈夫だ」
死神さんがカタリと笑った。
「ジャックをウロボロス様のお屋敷に連れて行った時に、書庫で調べておいた。三人は三人ともウロボロス様によって『生き返りの輪』に戻っている」
お屋敷の奥の書庫の本棚にずらりと並んだ名簿を、お屋敷の者全員で虫干したときのことが浮かぶ。
「……あの分厚い死者名簿を全部調べたのですか……?」
また息をつく。今度は呆れの息だ。
「……よく調べましたねぇ……」
死神さんはニッと歯を剥いた。
「ウロボロス様の御為だ。うろんな輩をウロボロス様のお側に置くわけにはいかん」
「ニャアン」
エイミィがそんな彼に向かってからかうように鳴く
「……エイミィが本当はジャックに同情して調べたのではないか言ってますよ」
「…………」
死神さんが黙り込む。
「ニャアン」
「死神さんもジャックが好きなのねって言ってます」
「…………」
彼は口を閉じたまま、スタスタと足早に歩き始めた。
モゾモゾと背中のジャックが動く。
「……アレ? 旦那、どうシテ照レテるノォ……」
寝ぼけた声が流れる。
「うるさい」
死神さんが鎌をくるりと回して、柄でカボチャ頭をコツンと叩いた。
十月三十一日。ハロウィン当日。すっかり日の落ちたキッチンのオーブンの前には、カボチャ頭と灰色の猫が仲良く並んで座っていた。
「甘イ匂いガしてキタネェ~」
「ニャァ~ン」
二人がふんふんと鼻を鳴らして笑い合う。私はお茶を淹れながら、もう三十分もハロウィンのパンプキンパイの入ったオーブンの前から動こうとしない二人に声を掛けた。
「向こうで待ったらどうですか?」
「ココで焼けルのを待つネェ~」
「ニャァ~ン」
二人の返事に苦笑する。私はお茶をお盆の上に乗せて、隣のリビングに向かった。
リビングには、壁に魔除けが飾られ、暖炉の上ではオレンジのジャック・オ・ランタンの蝋燭がチロチロと燃えている。その前に置かれたソファに夕食を終えた死神さんとジョアンナさんがのんびりとくつろいでいた。
「はい、どうぞ」
二人に食後のお茶を渡して睨む。
「しかし、今回のことは、全部二人の企みたっだのですね」
悪霊に憑かれた少女の霊を助けさせて、私に死神としての力を目覚めさせること。
私と出会ったことで記憶が戻ってしまったジャックを再び私の力で元に戻すこと。
全て、私が死神としてやっていけるかという試しと、ジャックが二度と思い出すことのないよう、彼の記憶を封印する為に、仕組んだことだったのだ。
「あら、私は死神さんに頼まれたとおりにやっただけよ」
ジョアンナさんが暖炉の上のフォトスタンドを見る。
「でも、母もきっと彼女が救われて安堵しているでしょうね」
二人と一匹の写真に彼女は柔らかく微笑んだ。
「それで死神になる決心は着いたのか?」
死神さんがお茶を啜りながら訊く。
「はい」
私はしっかりと頷いた。
「私も死神になって、ジャックが『生き返りの輪』に戻る手伝いをします」
勿論、それだけではない。死神の仕事なら、例え『役立たず』と罵られようとも、私は胸を張って誇りを持って続けていけると思うのだ。
鞠亜さんを、少女の霊を冥界に送ったジャックの姿を思い浮かべて、改めて決心する。
私も彼のようになりたい。
「今のままでは、まだ一人で死者を任すことは出きんからな。しばらくはジャックと一緒に私の助手を務めてもらう。ビシバシ鍛えるから覚悟しろ」
「解りました」
私はハッキリと返事を返した。
「良い顔になってきたわね」
ジョアンナさんに褒められて少し照れる。
「イワン~、パイ焼ケたネェ~」
「ニャァ~ン」
キッチンからジャックの呼ぶ声がする。
「はい、今行きます!」
キッチンに向かう。
そして、いつか、鞠亜さんに約束したように二人で『生き返りの輪』に戻る。
ワクワクしながら覗き込むカボチャ頭を押しのけて、オーブンから焼きたてのパイを出し、そっと崩さないように慎重に切り分ける。
「……私はずっとジャックの側にいますからね」
「ン? なアに?」
「いえ……」
私はジャックの皿に一番大きな一切れを、死神さんの皿に一番小さな一切れを乗せた。
「さあ、皆で食べましょう」
「わァい~」
二人と一匹で、シナモンとバターの香りをさせながら、リビングにパイを運ぶ。
「ジャック」
「ン?」
「Happy Halloween!!」
私の声に、ジャックがニッと大きく口を開けて、白い指を立てクルリと回る。
「Happy Halloween!!」
さまよいジャック ~救いのカボチャの天使~ END
さまよいジャック ~救いのカボチャの天使~ いぐあな @sou_igu
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