第9話 廃業危機
俺が家に辿り着くと、玄関の前にジエリが膝を抱えて座っていた。
ウズウズと落ち着きなく体を揺らして、待ち切れないといわんばかりの様子だった。
俺の存在を見つけ、彼女は目をぎらつかせながら猟犬のごとき素早さで襲いかかってくる。鞄を奪い取って家の中に放り投げ、いつの間にか作られた合鍵で玄関ドアの鍵を閉めた。
そして俺の首根っこを掴んで異世界へと連行した。
落ち着けの一言さえも口にする余裕はなかった。
という訳で、俺はジエリと並んで相談室のボロ家の前に立っている。
壁には「お悩み相談屋」と、白塗りされた木製の浮き文字看板が貼り付けられていた。その下には「基本無料」と「十分解決」のキャッチコピー。
少々、丸文字過ぎるが丁寧な作りだった。
「相談時間は十分とは言ったが、解決とまでは俺は言ってないぞ」
俺は二人で決めたはずのキャッチコピーが変わっていることに抗議した。
「大丈夫ですよ。いけます」
拳をかたく握って自信満々にジエリは言った。
何とも無責任な言い様だった。
相談に乗るのは俺であって彼女ではないし、そもそも俺は沢木の悩みを本質的に解決してきたわけじゃない。誤魔化しているだけだ。
今すぐにでも解決の文字は取り下げるべきだったが、またジエリが不機嫌になってもあれなので、ここは目をつむった。機会を見て早めに外そう。
「中々の力作だ。よく頑張ったな」
俺は子どもをあやすようにジエリの頭を撫ぜる。
彼女は恥ずかしそうに口許を緩めた。
「そう? そうかあ、そうだよねえ。あそこの文字とか結構、大変で」
続けて看板製作の苦労話を語り始めた彼女を無視して、俺は相談屋の中に入った。
男が背中を向けて座っていた。
彼は無駄のない動きで立ち上がる。
「ずいぶんと待たせるのだな、相談屋」
穏やかだったが険のある言い方だった。
「言い忘れていました。お客様第一号が来店しています」
ジエリが俺の肩に顎を乗せて、そう告げる。
まったく、この女は。看板より、こっちが最優先だろうが。
客は若い男だった。二十代の半ば。赤い羊毛のローブで体を包み、水泳キャップに似た帽子で頭をスッポリと覆い、くすんだ金色の前髪がわずかに垂れている。
眉毛がキリッとしたスポーツマン風の美男子で、現代日本に来れば大層に騒がれることだろう。
てきとうな言い訳をしながら俺は椅子に座る。
ジエリは助手か秘書気取りで、すぐ後ろに立った。
「何かお困りで?」
「私は客ではない」男は不機嫌そうに断言した。「相談屋などという得体の知れぬ看板を見かけたのでな。顧問官として検分に来ただけだ」
「顧問官?」
聞きなれない官職に疑問を示すと、ジエリが「城の偉い人ですよ」と俺に耳打ちした。それから「冷やかしですかね?」と続けた。
だといいんだが。
いやな予感がする。
「して、相談屋、国の者ではないな」
顧問官は目を細め、俺を下から上に向かってじっくりと眺めた。その視線は俺の剣山のごとく立ち上がった髪で止まり、しばらく動かなかった。
下手な回答はできないな、と俺が無難な答えを考えている間に、ジエリが一歩前に進み出る。
「この世界の悩める人々を救うために、遠いところから来ました。そりゃもう、遥か遠い世界から」
「東の方からです」
俺はすかさずフォローを入れた。それからジエリの後頭部を掴んで引き寄せ、黙っているように強く念を押した。
彼女は不満そうだった。
「ほう、東から。東には賢者が多く住むと聞く。悩みを解決し、民を救うというのか」
顧問官は正面を見据えていたが、チラチラと目が上に動く。どうも俺の髪が気になるみたいだった。
「結果、そうなればいいかな、という程度のものです。僕ができるのは話を聞くことぐらいですから。そもそも大半の悩みは、それを吐露することで解消します」
「その大半以外のものは?」
「それは相談者次第です」
顧問官は顎を上げて挑戦的な態度を取った。
「では、十分解決の文言は外すべきだな。確約がないのなら、そうすべきだろう?」
「いいえ、解決して見せます!」
ジエリが胸を張って宣言した。
どうして、この女は黙っていられないんだ!
俺はジエリを睨み、それから顧問官に視線を移す。
顧問官は片手で帽子の具合を確かめながら、不敵な笑みを浮かべていた。
「しかと聞いた。基本無料とはどういう意味だ?」
「相談だけなら無料です。ただ、悩みの種類によっては、何かしら必要な物が出てくるかもしれません。希望があれば、こちらで用意します。その実費は相談者に負担してもらう、そういう意味です」
「無料か。タダとは魅力的だが、実際にはこれほど不気味なものはない。詐欺の常套手段でもあるしな。私は顧問官として国の公序良俗を守らなくてはならない。相談屋の業務内容もそうだが、お前たちの素性を審査する必要がありそうだな。事と次第によっては町から退去してもらう」
やれやれ、いきなり廃業の危機とは。部屋に並ぶはずの日本の百景が遠くかすんで見える。
話は変わるが、と顧問官は前置きして俺の髪を指差した。
「東方では、皆がそのような髪型をしているのか?」
これは、いい質問だと俺は思った。顧問官が俺の髪に興味があるなら、それを利用して話題を逸らしてしまおう。
「ええ、そうです。俺の生まれた場所では、親兄弟のみならず、赤の他人も剛毛で困っております。髪を減らす方法を編み出そうとする賢者までいる始末」
「なんだと!」
顧問官は急に声を荒げ、腰を浮かして驚いた。
「それが何か問題でも?」
「いや……。減らすというのは妖術の類ではないのか」
気を取り直して顧問官は言った。
「妖術などではありません。生活習慣を変えていくのです」
「それはどういうものだ」
「まあ色々です」
「ずいぶんと曖昧なのだな、相談屋。私は正確に教えろと言っているのだ。減らす方法があるのなら、増やす方法も当然あるのだろう」
「逆のことをすれば、あるいは。例えば……」
そう言いかけたところでジエリが俺の肩を叩く。
「ねえねえ、これって相談なんじゃないですか?」
言われてみればそうだな。
「顧問官殿、これ以上の内容は相談としてお受けすることになりますが」
顧問官は奥歯を噛み締めて苦々しい表情になった。
「これが相談だと。なるほど、分かった。相談屋、お前に初仕事だ。十分で解決できなければ、虚偽を働いたとして牢に入ってもらうことになるやもしれんぞ」
脅しに近い言葉を受けても、俺もジエリも平然としていた。
世界を移動できる相手に、牢なんぞが何の役に立つ。
「結構です。それでは、お伺いしましょうか、顧問官殿」
「他言無用だな」
「もちろん」
顧問官は一瞬の躊躇の後、被っていた帽子を取った。
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