第4話 相談屋 誕生秘話・開店準備

 ジエリに連れられて、俺は異世界のどっかの町にやって来ていた。


 文明レベルは地球より数百年は遡った時代。

 進化の時計は止まり、おそらくはルネサンスの影も形もなく、近代への扉には三重の鍵がかけられて閉ざされていた暗黒時代のヨーロッパだ。

 蛮族が闊歩し、先人の優れた文明は破壊され、暗雲が空だけでなく人の心を覆った。


 もちろん、この世界がそうなのかは分からない。


 茅葺屋根の土壁の家、舗装もされずに曲がりくねってぬかるんだ道。

 丘にそびえるのは、木造と石造が組み合わさったハイブリットな、こじんまりとした城。

 とてもフリフリのドレスを着た美しい令嬢なんぞが住んでいるとは思えない。


 それでも良いところはある。町には下水路が整備され、町を行く人は、ボロではあっても清潔な長衣を着ていた。


 気になるのは町を行き交う人たちが抱える雰囲気である。

 顔には影が落ち、湿った空気が重く沈み込んで彼らの足に絡みつき、その歩みを鈍らせていた。


 基本的に世界間の物の移動は禁止。この町にあるものだけで、相談室をやっていかなければならない。言葉はジエリの力で自動翻訳される。


 ジエリは一軒の空き家に俺を連れて行った。

 いや、空き家じゃない。ただ留守なだけだ。物凄い生活観が漂っていたのだ。


「おい、ここは人の家だろ。不法侵入だ。出るぞ」


 ジエリは俺の忠告を無視して、鼻歌交じりに部屋を片付けだす。


「ああ、いいんですよ。さっき、お亡くなりになったはずなので」


 ずいぶんとあっさり言うな、お前は。

 この家には居間が一つあるだけで、ジエリは古ぼけた食卓と椅子を部屋の中央より後ろに置いて、さあ座ってください、とでも言うように片手を広げた。


「なに?」


「なにって、決まっているでしょう。ここが相談室になるんですから、主役はここに座って、コーヒーでも飲みつつ、これから広がる輝かしい未来に思いをはせながら感慨に浸って、ゆっくり部屋を見回してくださいよ」


「この世界にコーヒーがあるのか」

「ないです、はい。水でいいですかね?」


 いらない、と俺は断り、とりあえず椅子に座る。


「それで、客はいつ来るんだ?」

「えっ?」

「えっ?」


 長い間、お互い口をポカンと開けて見合った。


「何も準備していなかったのかよ!」


 頭ごなしに怒鳴りはしなかったが、多少、語気を荒げると、ジエリは背中を見せてこちらをチラリと窺いながら怯えて見せた。


「そんなに怒らなくてもいいじゃないですか。二人で宣伝して行こうと思っていたんですから」

「宣伝しなきゃ客が来ないって、困った連中が一杯いるとか何とか言ってなかったか」

「ここの国の人は奥ゆかしいので、こんな小汚い相談室には、そうそうホイホイ来たりしないですよ」


 あはははは……、とジエリは自嘲気味に笑い、途中で空しくなったのか肩を落とし、笑い声は次第にフェードアウトしていった。


「チラシでも刷りましょうか」

「活版印刷できるのか?」

「手書きで、よろしくお願いします」

「一人でやってくれ」


 そうは言ったが、確かに何かしらの宣伝は必要だった。

 相談を開始しなければ、管理員から報酬は出てこない。

 一相談、一万円。

 一万円あれば、俺は……。


「まずは看板かなあ」

「それだ」とジエリが急に元気を取り戻して俺に詰め寄った。「それ作りましょう。私、デザインとかしてみたいと思っていたんですよ。そりゃもう、恋焦がれるように」


 発情した犬のような吐息を漏らしながら、ジエリが目を輝かせた。


 不安だ。物凄い不安だ。

 しかし、やる気のある人間には、それ相応のチャンスが与えられるべきだ。

 彼女が無能な働き者ではない証拠を見せてもらう。


 二人は外に出て、今は名もなき相談室の外観を見回す。

 ジエリの言うとおり、立派ではない。

 小さな平屋で、黒ずんだ壁、ささくれた扉。お世辞にも優良物件とは言いがたい。しかし、この町で絢爛豪華に着飾る必要があるだろうか。


「改めて見るとボロいですね」

「まあいいさ。ボロ家にはなれている。俺には丁度いい」

「名前はどうしますか?」


 ジエリが俺の顔を覗き込んで来た。


「任せる」

「駄目ですよ。この相談室は、世界を良くする為の拠点、私たち二人の大事な場所、いわば子どもも同然。子育ては一人でできても、作るのは二人じゃないとできません」


 ふむ、まるで結婚でも申し込むような言い草だな。

 真剣そのもののといった表情に押されて、俺は了承した。

 俺が中に戻ろうとしても、ジエリはただじっと家を眺めたままで、動こうとしなかった。声をかけても気づかず、三度目でようやく振り向いた。


「よし、やっぱり名前を決めないとイメージが湧いて来ないですね。チャッチャと決めちゃいましょう」


 スキップでリズムを踏むジエリに背中を押されて、俺はまた椅子に戻った。


「うーん、どんな名前にしましょうかねえ」


 上を向き、顎に手を置いてジエリが唸る。


「単純でいいんじゃないのか。お悩み相談室で」

「ええええ、もっとこう、格好が良いやつにしましょうよ」


 ジエリはいくつか候補を挙げたが、どれもパッとしなかった。「ポジティブ・プロダクト」に「蒼穹サプリメント」などなど。


 俺がことごとくダメ出しを続けていると、ついには怒り出す。


「なんですか! やる気あるんですか。私が一生懸命考えているのに。何の案も出さないくせに批判ばかりする奴は、死んでしまえばいいんですよ」


 俺が死んだら、俺も困るし、多分、お前も困るだろ。


「最初に言ったはずだ。単純で分かりやすいのでいいんだよ、名前なんて。ジエリの名前の由来は知らんが、これが痔恵璃とかだったら嫌だろ」


「いいじゃないですか。それ頂きましたよ。お尻が綺麗そうで可愛い、ってみんな言ってくれますよ。さっそく、報告書の名前欄にそう書いてやります」


 俺には尻が痛そうにしか思えないけどな。


「何となくでいいから、看板を、どんな風にしようと考えているか教えてくれ?」

「色彩豊かに、ピカピカ光る、そりゃ素晴らしいものを、貴方の目の前どころか目の中に押し込んで感動で震え殺してあげます」

「そんな派手で趣味の悪いのは勘弁してくれ」

「また批判ですか!」


 ジエリは完全に頭に血が上り、腕組をして俺の顔すら見たくない様子でそっぽを向いた。

 俺がいくら話しかけても一切無視。

 面倒な人だな、こいつは。相方と初っ端から不仲では、もはや他人の相談どころではない。


「フライングディスクで遊んだことはあるか?」


 俺はそう切り出した。

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