第10話 ザビエル
顧問官は外した帽子を手の平で包むように握りこみ、顔を背けた。
俺は言葉を失った。彼の頭の上で生い茂る、実りを迎えた稲穂のような金色の髪の中心に、丸い大きな不毛地帯ができていた。
てっぺんハゲだ。
見事なザビエルカットだ。
癖のある金髪に囲まれた、つむじの青白い肌がやけに眩しい。
まるで盛った太陽が目の前に現れたようだ。
「相談屋、私の悩みは言わずとも分かるだろう。さあ、解決して見せろ」
無理です。
という訳にもいかない。日本から飲み薬か塗り薬を持ってくれば、ある程度は顧問官を満足させられるだろう。しかし、この世界への持ち込みは禁止である。
「どうした、相談屋。私の髪に驚いているのか。それとも笑いでも堪えているのか」
顧問官は横目で睨んできた。
笑うにはあまりに気の毒だった。顔が整っている分、余計に哀れな感じである。
「いっその事、全部剃ってしまった方がいいのでは?」
「私に僧籍に入れとでも言うのか」
なるほど、こっちの坊さんも頭を丸めているのか。
「親族に薄毛で悩んでいる人はいませんか?」
「母方の祖父がそうだ」
完全に遺伝である。生活習慣を変えたところで遺伝子には勝てないだろう。
彼を薄毛から解き放つには、全く別な方面からのアプローチしかない。
「俺の故郷は多毛で悩んでいる人が多いですが、ごく稀に薄毛の者が生まれます。その中の一人、半次郎。彼の偉大な功績と失敗をお話ししましょう」
「話だと。私はそんなものを聞きたいのではない。実践的な方法を知りたいのだ」
「半次郎の生き様には、それが込められています」
顧問官は椅子に深く座り、足を組んだ。
「いいだろう、聞こう」
「半次郎は二十六歳になる語学堪能のバイリンガルで、城で他国の文献を翻訳する職務に就いていました。人柄は温厚で品行法正。一方で思い切りのよさもあり、故郷の島国から十六歳で海を渡り、諸国で学問を学びました」
「若い頃に外の世界を経験するのは大切のことだ」
「ええ、そうです。しかし半次郎には欠点、といっても、これは本人のせいではありませんが、先祖代々、薄毛に悩まされていたのです。年を重ねるごとに薄くなる頭の天辺。それを隠そうと左右から髪を寄せて、鶏のトサカのような髪型。思い切りのいい彼は隠すのを止めて、薄くなった頭頂部の髪を剃って前髪は残す、のちにフランシスコカットと呼ばれる太陽を象徴するような髪型にしました」
「私もその御仁を見習って髪を剃れと」
顧問官は馬鹿馬鹿しいと鼻で笑った。
「違います。周りはそんな髪型の半次郎を笑いました。それも仕方ありません。当時の流行は茶髪のロン毛。彼の髪形は奇抜すぎた。しかし彼は耐えます。隠し続ける苦労よりも笑われた方がマシだったのです。ある日のこと。青い海の向こうから十七隻もの禍々しい漆黒の帆船が、真っ直ぐに向かってきた。近づくにつれ、その巨大さに人々は圧倒されます。黒い城が海の底から顔出しているようでした。それは軍艦。西国と呼ばれる外国の軍艦です。島国には小さな商船が来る程度で、軍艦、それも巨大な船が来航したことなどありません。船は人の顔の大きさ程のある鉄球を打ち出す大砲で武装され、実際にそれを海岸に撃ってさえ見せました」
「私はむしろ、その兵器に興味があるな」
国のお偉方である顧問官らしい発言だった。
「いずれお話ししましょう。慌てたのは城の重鎮。これまで平和であった島国の彼らに、軍艦に立ち向かえるだけの兵力などなかった。すでに戦いは負けていたのです」
「敵はよく分かっているな。兵力とは使うためにあるのではない。使わないためにあるのだ。圧倒的な戦力差を見せ付けて戦わずにして勝つ。時として権力者は戦いたがるものだが、それは愚かな行為と言わざるを得ない」
物知り顔で語る顧問官に、俺はてきとうに聞き流して頷く。
「軍艦に乗っていた西国の王から全権を託された宣教師フランシスコには、二つの目的がありました。一つは軍事力を持って島国を属国とすること。もう一つは彼の信ずる神の教えを布教し、改宗させること。城に迎えられたフランシスコは王より託された親書を差し出した。通訳がそれを受け取り、目を通す。しかし最後まで読み通せませんでした」
「なぜだ?」
「親書の内容があまりに過酷で憤死したのです。国の威厳はおろか、改宗しなければ人としての尊厳さえも失わせる内容に。二人目の通訳も頭の血管が切れて憤死し、そこで呼び出されたのが半次郎です。温厚な彼なら大丈夫だろうと」
「温厚なればこそ、耐えられぬということもあろう」
「彼は緊張の面持ちで、静かに謁見の間の扉を開けました。そして彼は見た。太陽を。宣教師フランシスコの頭頂部で光る眩い太陽を。自分と同じ髪型をした異国の使者を。二人は歩み寄り、固い握手を交わした。フランシスコは神に感謝した。この遠い異国で同士に出会えたことに。彼は、かつて神が被ったとされるイバラの冠に似せて頭頂部を剃り落としていました。彼は思い出す、神の教えを。それは慈愛。人を慈しみ、愛することを。異教徒であっても人なのだと。彼は親書を取り上げて破り捨てた。王の意思に反して、新たな平和的な条約を結ぶために。この一件から、平和に導いた二人の髪型はフランシスコカットと呼ばれ、町場で大いに流行りました」
俺が言葉を切ると、顧問官は首を鳴らした。
「なるほど、故郷を救った髪型を誇れと、お前は言いたいのだな。残念だが、ここはお前の故郷ではない。私が半次郎を真似れば、笑われ続けるだろう」
「まだ話は終わっていません。なぜ、半次郎カットと呼ばれなかったのか。その理由である彼の失敗が残されています。お互いが満足いく条件が定まり、条約に調印。そこで問題が起きました。条約にサインされたフランシスコの本名を誰も読めなかったのです。半次郎はフランシスコに何と読むのか尋ねた。返ってきた答えはフランシスコ・ジャッコア・アスピルクエルタ・イ・エチェベリア」
「それが名前なのか」
顧問官が呆れ顔になった。
「そうです。長すぎて半次郎は覚え切れません。フランシスコ・ジャッコア・アス……あんだって? フランシスコ・ジャッコア・アスピルクエルタ・イ・エチェベリアです、と言ったやり取りが数回続き、ようやく理解した半次郎は城の重鎮たちに言って聞かせます。重鎮たちはフランシスコ・ジャッカルだのフランシスコ・ジャッキイ・チェンベリアだのと一向に覚えられない。半次郎は粘り強く教え込んだ。何度も繰り返される、フランシスコ・ジャッコア・アスピルクエルタ・イ・エチェベリア。ようやく重鎮たちもそらんじれるようになり、半次郎は満足げに宣教師に振り返る。そこで信じられないものを見たのです。先ほどまで自分と同じく一本の毛すらなかった宣教師の頭頂部に、黒々とした剛毛が生い茂っていたのです」
「魔術か」
「違います。フランシスコは薄毛ではなく、剃っていただけだったのです。半次郎と重鎮のやり取りが長すぎて生えてきてしまった。裏切られた、半次郎はそう思った。苦悩の果てに見つけた友だと信じていた分、それは苛烈なものだった。ハゲてねえのかよ、と半次郎は逆上し、刀を抜き放つ。そしてフランシスコの胸を一突き。致命傷でした。自らの行為に驚愕し、後ずさりする半次郎をフランシスコは優しく抱擁した。彼は言う。貴方を許します。私の死が両国の平和を乱さないことを願うと。死の直前でさえも慈愛を忘れなかった彼を島国の人々は聖人と呼び、各地にその功績を称える像が建立され、巷ではロン毛からフランシスコカットへと流行は移り変わっていきました」
「半次郎はどうなったのだ?」
俺は目を瞑って頭を振り、いかにも残念そうに振舞った。
「彼は法に従い、一生を牢屋の中で暮らしました。ただ一度の過ちで、歴史に偉人として名を刻むはずだった半次郎は背徳者として語り継がれ、そして忘れられていった。顧問官殿、あなたの髪は今は人々に奇異に映るかもしれません。しかし後世においてはどうでしょうか?」
顧問官は考え込んだ。それから「なるほど」と言って立ち上がった。
「長々と馬鹿げた話をしたかと思えば、結論がそれか。相談屋、貴様の言いたいことは分かった。私に過ちを犯さず、歴史に名を残すだけの功績を立てよ、そう言うのだな」
「どう考えるかは、顧問官殿次第です」
俺は前かがみになって、顧問官を試すように言った。
「よかろう」顧問官は短くそう言って、帽子を深々と被った。「成して見せよう。私がこの国を偉大な大王国にしてみせる」
「帽子は取らないので?」
「私は半次郎と違って思い切りが悪いからな。事を成した暁まで、それは止めておこう」
顧問官は背中を見せて相談屋を出て行こうとした。
「上手く行ったんですかね?」
ジエリが顧問官の態度を、どう判断していいのか分からずに聞いてきた。
「行ったんじゃないのか、多分」
少なくとも彼に俺たちを牢に入れようとする素振りはない。
扉に手をかけたところで顧問官は鋭く振り返った。
「しかるに、どうしてお前はフランシスコカットにしていないのだ?」
もっともな質問だ。
俺は髪に手をやる。
「あれ、おかしいな。今朝、剃ってきたばかりなんですけどね」
異世界なんでも相談屋~嘘話で世界を救え~ モリモリ @morimori400
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。異世界なんでも相談屋~嘘話で世界を救え~の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます