異世界なんでも相談屋~嘘話で世界を救え~

モリモリ

第1話 いつもの朝

 早朝、四十年前に建てられたオンボロ駅舎で汽車――電車ではない。何しろディーゼル機関車なのだから――を待つのは、学校の制服を着た俺一人。

 いつもと変わりのない朝の光景だ。


 汽車は日に朝と夕方の二本だけ。待合所で人間と出くわすことは稀で、むしろ狐の方が多いくらいである。

 昨夜の雨で綺麗に洗われて澄んだ朝の空気を、警笛が煩く引き裂く。


 汽車の到着だ。

 憂鬱を形にしたような一両編成の汽車を俺は睨む。

 先客は、運転席近くの席に男子学生が一人。ガラガラだというのに、誰に言われたわけでもなく、彼はいつも同じ場所に座っている。

 俺も、いつも通りに入口そばの席に座って手すりに肘をかけた。


 汽車が走り出す直前に彼は席を立ち、俺の目の前に場所を移した。

 吊革の輪に両手首を通して、だらしなく垂れ下がる。やや手の位置が高い古風な幽霊とでも言った風である。

 彼が開口一番に発する言葉は分かっていた。

 もちろん「うらめしや」ではない。


「困ったことがあってさ」


 同級生の沢木は、いつもの決まりきったセリフを口にした。

 高校で一緒になり、同じ汽車に乗るようになって、かれこれ半年。毎朝、欠かすことなく、俺は同じ言葉を聞き続けてきた。

 深刻な内容から、何を困っているか分からなくて困っているレベルのものまで、多種多彩な「困った」を沢木は持ってくる。


 言葉だけではない。

 目ヤニの付いた緩み切った顔と、つねに右側だけが跳ねた寝癖を見続けてきた。


 寝癖に関しては、俺も人のことを言える立場ではない。昨日の寝癖を今日の寝癖で隠しているのだから。

 頭を洗ったぐらいでは、俺の剣山とあだ名する髪の毛は倒れたりしない。お陰で逆立った髪と目つきの悪さも相成って、周りからは戦闘民族と呼ばれている。


「どうしたんだ?」

「実は」と、まるで台本でもあるかのように沢木は言った。「俺、嫌われているみたいなんだ」


 今頃になって気づくとは、ずいぶんと鈍い奴だ。

 それにしても、今日はやや重めの「困った」だった。


「どうして、そう思うんだ」


「だってほら、みんな俺にあんまり話しかけてこないし、チラ見しては爆笑するしさ」


 確かにその通りだった。

 お前ののっぺりとした顔が、朝のミニアニメのお馬鹿キャラ「今日のハンペンたん」にそっくりなんだから。みんなが毎日、アニメの内容から連想して、お前にニックネームを付けている。

 おそらく今日のニックネームは「ターザン」だ。


「気にしすぎだろ」

「そうかなあ。そう言われたらそんな気もするけど。そうじゃない気もするなあ。昨日だって、俺がハンペンチーズ食ってたら、みんな弁当噴出して笑ってたし」


 それは共食いだからだ、と言いかけて口をつぐむ。


「気のせいだよ」

「そうかなあ」


 沢木は首を傾げて不満そうに呟く。

 俺が「そうだ」と声を強めて断言したが、それでも納得しなかった。


「なあ、杞憂って言葉を知っているか?」

「あ、ああ、キユウね。よく知ってるよ」


 沢木のぎこちない口上で、中学で習っているはずの杞憂を覚えていないのが、すぐに分かった。俺はスマホで杞憂と打って表示させ、眼前に突きつけた。


「ああ、それそれ。昔、漢字で書けなくて困ったんだよなあ」


 と、沢木は急に物知り顔になった。仮に俺が示した文字が「奇友」だとしても、彼は何の疑問も抱かなかっただろう。

 誰かこの親友ならぬ奇友をどうにかしてくれ。

 俺には無理だった。

 こうして毎朝、顔を合わせる相手と気まずくなるのは御免だ。


「杞憂ってのは、無駄な心配をすることを言うんだ」

「それが無駄じゃなかったらどうするんだよ」

「そう考えるのが無駄だって言うんだよ。杞憂にはな、ちゃんと語源となった話があるんだ。昔、中国に杞の国というのがあって」

「どうして、ここで中国の話しが出て来るんだよ」


 お前は漢字がどこから生まれたのか知らんのか。

 俺は沢木の空気の読まない、馬鹿を自白したも同然の言葉にうんざりした。


「じゃあ、日本に杞の国ってのがあったらしい。そこに空が落ちて来たらどうしようと、心配で心配でたまらない男がいたんだ。そいつが、ずっと空ばかり見ながら歩いていたら、木こりの友達がやって来て、空が落ちてくることなんてないって忠告するわけだ」


「そりゃそうだ」

「だろ。で、男は次に地面が割れたらどうしようと言って、下ばっかり見ていた。そこでまた友達が、地面が割れることなんてないって教えてやった。男はそれで心配するのをやめた」

「それだけの話か? つまんねえ」


 沢木は鼻で笑った。


「ここからが重要なところだ。そこに賢者と呼ばれる偉い学者の爺さんがやってきて、どうして空が落ち、地面が割れないと断言できると、頼みもしないのにいらんことを言った。友達はもちろん反論したが、男はどっちを信用していいか分からなくなった。どちらかといえば、偉い学者の肩書きに押されて、そっちの意見に傾いていた。友達がそれに気づいて、友達と見ず知らずのポッとでの、モブみたいな爺さんと俺のどっちを信じるんだ、と涙ながらに訴えた。男はそれで今度は友達の方に傾いた」


「友達に泣かれたら、俺でもそうなるわ」


「今度、爺さんは咳き込み始めて、年寄りを苛める友達を信じるのかと攻め立てた。友達が言い返せば、爺さんも言い返す。一進一退。ついに男は何がなんだか分からなくなり、途方にくれた。そこで爺さんは最後の手段に出る。友達を指差して、この木こりの男は空を支えている木を切り倒して落とそうとしている。お前を騙そうとしているのだ、と叫んだ。そして、ついにある一言、これこそ杞憂の語源となった言葉を爺さんが口にした」


 俺がもったいぶって黙ると、沢木は前のめりになった。


「木こりを、YОU殺やっちゃいなよ!」

「まさか、それで男は……」

「ああ、沢木の思っている通り、男は友達を殺してしまった」


 俺は俯いて股の間を覗き込みながら、かぶりを振った。


「その男はどうなったんだ?」

「人殺しだ、当然、死罪。打ち首になって、その生首は晒された。その生首の目は心配そうに地面を眺めていたらしい。もちろん、それから何千年経とうと、空は落ちなかったし、地面は割れなかった」


 沢木は両手を吊り輪から外して、頭を抱えた。

 それから「なんてこった」と悲嘆にくれた。


「友達を信じずに、ありもしないことを心配して身を滅ぼすのを、木YОUと言うようになったんだ」

「悪かった。俺はお前を信じるよ。俺は嫌われてなんかいない」


 顔を上げて、一片の曇りのない瞳で俺を見つめながら、沢木は今にも抱きつかんばかりに言った。


 警笛が鳴った。

 それからお経のような終着を告げるアナウンスが車内に流れた。


 俺と沢木は汽車を降りた。

 彼はこれまで見せたことのない、自信に満ちた歩みで学校に続く坂道を上っていく。

 その背中を眺めながら、俺は味気ない充足感を覚えていた。


「んな、馬鹿な話しがあるわけねえだろ」


 俺の言ったことは全部、何から何までもちろん嘘だ。あの車内で、唯一つ真実があるとすれば、沢木が嫌われていることだけだった。

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