第6話 至福の時

 看板に書かれる名前は二人の合意で「お悩み相談屋」に決まった。一緒に決めたキャッチコピーを元に、ジエリはせっせと木を削り、看板作りに熱中した。


 もはや俺の声など届かないぐらいに作業に集中していて、確かに彼女自身が言ったように、この仕事に恋焦がされている様子だった。


 出来については正直、あまり期待はしていないが、それほど変な物もできないだろうと踏んでいる。


 看板が完成するまでの間、俺はいつも通りの生活を過ごした。多少のスパイスがありはしたが。


 祖母の見舞いに行くと、立ち上がれないほどに悪くした両膝には、チタンプレートが埋め込まれているらしく、彼女はそれを指差して「サイボーグばあちゃんになっちまったよ」と笑って見せた。

 これからはリハビリ生活が待っていたが、笑えるだけの余裕があるのなら、家に帰れる日も、そう遠いことではなさそうだ。


 俺は病院を出たその足で、ショッピングモールのおもちゃ屋に向かった。俺の財布の中には、ジエリの手付金である一万円。世間一般ではどうだか知らないが、俺にはそうそう手にすることが叶わない大金だった。


 俺は両替機で一万円をことごとく百円硬貨に替え、それを握り締めて壁のようにそそり立つガチャガチャと睨めっこに興じた。


 至福だ。今だかつて、これほど心躍る瞬間があっただろうか。

 俺は自由だ。

 神より与えられた幸福という名の自由。


 どのガチャガチャに百円を投入しても、金はまだまだある。選り取り見取り。この先、相談屋が軌道に乗れば、諭吉は次々と舞い込む。


 幼少の頃から満たされずに放置された欲望に、身を焦がす日がついにきたのだ。

 俺の狙いはジオラマシリーズだ。日本の百景。実に渋い。だが、それがいい。隣の松崎しげるグッズにも興味をそそられるが、それは後回しだ。


 俺は百円硬貨を投入し、ゆっくりと、だが力強くハンドルを回す。ハンドルがギリギリと音を立てて回転する。手から脳まで素通りで駆け上ってくる手ごたえに酔いしれた。


「なにやってんの、戦闘民族」


 至福の瞬間を邪魔されて、俺は話しかけてきた相手を睨んだ。


「怖い顔」


 女は、ほとんど棒読みで言った。


 伏し目がちに、しゃがみ込んでガチャガチャに興じる俺を見下ろしている女は、同じクラスの女子だった。


 腰まで届く長いくすみの無い黒髪に囲まれた、程よく尖った卵型の顔。鼻が低いのを気にしているらしいが、多分それは嘘だ。気にしてなんかいない。話の流れで、そう言っているだけである。ペチャ鼻程度の欠点があるほうが、彼女の整った顔には丁度いい。


「村岡かよ。お前こそ何やってんだよ」


 俺はガチャガチャから吐き出されたカプセルの中身を素早く確かめ――見事な合掌造りの家屋ではないか――ポケットの中に押し込んだ。


「弟の誕生日プレゼントを買いに来たんだけどさ。玩具って結構な値段するんだ」


 村岡は頬を右に左と交互に膨らませる。飴を舐めているんだ。コロコロと舌で飴を弄びながら、横目で棚に並ぶ玩具に視線を投げた。


「金なら貸さんぞ」


 俺は冷たく言い放つ。


「あれ、私、貸してくれって言ったっけ? まあ、どうでもいいけど」


 村岡は感情の起伏がほとんど感じられない話し方が、俺はどうも苦手だった。相手が何を考えているか想像しながら話す俺には、思考を読み取れない彼女の態度と言動に付き合うのはストレスそのものだった。


 とは言え、俺と村岡に大した接点はない。クラスメイトという事を除けば、それこそ何も。

 あえて着崩れした制服から覗く胸元が、やけに白く眩しく見えた。


「沢木は一緒じゃないの?」

「俺はあいつの保護者じゃないからな」


 ふーん、と興味があるのか無いのか、とんと分からない口調で村岡は言った。


「なんで沢木と仲いいの?」

「汽車が同じだから」

「ハンペンたんって面倒くさくない。あれこれ首を突っ込んでくるし、あんただって毎日、困った困った言われて変な相談されているし」


 意外とよく見ているんだな、この女。


「他人はどうでもよくても、本人が困っているんだから仕方ないだろ」


 本当は村岡の言うとおり面倒だったが、黙れとはっきりと言えない俺には、沢木の相談を受け続けるしかないのだ。


「ああ、あんたって優しいんだね」


 お前が言うと、馬鹿にされている気がするんだが。


「お前が初めてだな、そんなこと言った奴は」

「ああ、本当」と村岡は五世代前のポンコツロボットのように言った。「みんな見る目無いねえ。まあ、私もてっきり戦うことしか頭に無い奴だと思ってたけどさ」

「俺はこの方、一度も喧嘩なんかしたことないぞ」


「それって自慢になんの? どうでもいいけど。修行とか宇宙人との戦いに明け暮れていると思ったら、こんなところでガチャガチャ相手に真剣勝負。あんた本当に戦闘民族なの?」

「お前は俺をなんだと思っているんだ」

「だから戦闘民族」

 ダメだ、まるでペースが掴めない上に、話の脈絡を見通せない。村岡という大海原をイカダでオールも羅針盤も無しに漂っている気分だ。あるいは、こいつがお釈迦様で、俺はその手の上で踊る孫悟空か。


「戦闘民族はガチャガチャと戦わなきゃいけないから、邪魔をしないでもらえるか?」


 俺は苛立ちを隠しきれずに村岡に言った。


「おお、こわー」


 全然、怖がってねえだろ。


「お前だって弟のプレゼントを買わなきゃいけないんだろ」

「ああ、そうなんだけどさー」


 おや、村岡の瞳に微かに宿った愁いを俺は見逃さなかった。


「どうした? 何か気になることでもあるのか」

「弟にはちょっとした癖みたいなもんがあってさ。尖ったりしてない危なくないもので、頑丈で、安くて、単純で、安くて、普通の玩具が欲しいんだけど、中々、見つからなくて」


 安くて、二回言ったぞ、こいつ。いや、重要なのはそこじゃない。もちろん、玩具が見つからないことでもない。愁いの理由は弟か?

 俺は百円玉を財布に戻し、納まらない分はポケットに突っ込んだ。


「しゃあねえな。一緒に探すか?」

「本当に? 助かるわあ」


 村岡は棒読みで言った。

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