1-3.

 霧が縦に切り開かれた空間で、氷獣の悪魔とルークが極近い間合いで対峙していた。悪魔は呼吸を止めて微動だにせず、ルークは刀を振り下ろした姿勢でやはり一切の動きを禁じていた。

 ルークが悪魔に斬り込んだのだ、と理解するのは難くなかった。しかしその斬撃がいかなる結果を引き起こしたのかはまだわからずにいた。


 あの『刀』は、悪魔を斬れたのか?


 風を切る音。何の音かと見回したセシリーの目の前に、細長い何かが落下し突き刺さった。しゃくり上げたような声を出して後ずさる。それはへし折れた剣の刃だった。セシリーははっとしてひとりと一体の方を顧みた。

 振り下ろされたルークの刀。その刀身が真ん中からきれいに無くなっていたのだ。よくよく見れば氷獣の左右の目の間、眉間と思われる箇所が欠けている。


 ――欠けるだけなのか。


 鉄をも斬り通す『刀』。しかし氷獣の身体を斬り通すことはできず、折れた。

 失望がセシリーに満ちる。駄目なのか。あの悪魔に人間は敵わないのか。

 この世の終わりとまで言われた代理契約戦争ヴァルバニル。このような悪魔が大陸中に群がっていたのだとすれば、その意味も頷けた。場違いな実感にセシリーがうつむいたとき。


「仕方無い。久しぶりにあれをやるか」


 そう言って軽快に飛び退き、ルークは惜しげもなく折れた刀を放り捨てた。焦りも恐れも無い、あまりに普通な彼の口調に意表をつかれ、セシリーはそちらを見やる。


 ルークは不敵に笑っていた。


「リサ!」


「あい!」


 今まで何処に隠れていたのか、セシリーの脇からひょっこりと小さな頭が飛び出した。

リサだ。彼女の作業着はやはり切り裂かれたようにところどころがほつれていたが、彼女自身はぴんぴんしていた。

 ルークは駆け寄ってくるなりリサの首根っこを掴み、軽々と片手で持ち上げた。地べたに這ったまま茫然としているこちらを一瞥し、またふっと笑う。


「報酬は弾めよ」


 それは妙に無邪気な笑顔で、セシリーは図らずも見惚れた。


「ルー――」


「リサ、奴をこっちに引き付けろっ」


「うい!」


 ルークの手に吊られたリサは小気味良く返事をし、セシリーには聞いたことも無い、言葉らしきものを喋り始めた。それは『言葉』と解釈するのも怪しい、獣の唸り声や鳴き声を単音で区切って細切れにしたような、よくわからない音の羅列で成っていた。


 しかし氷獣はリサの声に反応を示す。セシリーの許を離れ森の奥へと駆けていくルークたち。そちらの方角へ頭をもたげると、身体を沈めた。頭上から圧迫されたかのように背中はひしゃげ、軋み、とうとう腹這いになるまでため込んで――一気に解放。氷のつぶてをまき散らしながら氷獣は前方上空へと飛び上がり、放物線を描いた後、四肢の先端で地面を貫きながら接地。進路にあった木の枝は残さず蹴散らしながら、喧しく跳躍と着地を繰り返してルークたちの後を追っていってしまった。


「…………」


 ぽつん、とセシリーはわけもわからぬまま取り残された。


 ――彼には何か策があるのか。


 自信に満ちた笑みを浮かべていた。何処にも負けてやる要素などない、やられるなんて発想すらしない、そういう表情をしていた。


「報酬は弾めよ』


 そしてそんな表情をあっさりと受け入れている自分にも気が付いていた。

 なんとなくあの男は帰ってくるような気がする。無傷とはいかないだろうが、何らかの決着を着けて。そういう説得力が、何故だかあった。

 とにかく自分は生き延びたらしい。セシリーはそのことに気付き、ほっと安堵の息を吐き――


――――「それでいいんですか?』


「……いや」


 首を横に振って立ち上がった。

 血まみれの身体。ぼろぼろの制服。乱れた髪。土埃に汚れた顔。ずいぶんと小汚くなってしまった格好で、彼女は森の奥を見つめる。


「違う」


 足が勝手に進む。行き先はルークや氷獣の消えた森の奥。


「駄目だ」


 くさむらをかき分け、進路を阻む枝を砕け折れた剣で斬り散らし、散乱した枝を踏み砕く。


「いけない」


 関節の節々が軋み、血はなく流れ、歩む振動だけで気が狂いそうな痛みが走る。

覚束ない足取りは夢遊病者のよう。

 しかし着実に前へは進んでいる。


――――「それでいいんですか?』


「良くない」


 そしてきっと許せない――。歩調は徐々に速くなる。ここで黙っていたら、きっと自分は自分を嫌いになる。許せなくなる。

 騎士が市民にすべてを委ねるなどあってはならない。それは職務放棄であり、キャンベル家の名を穢す行為だ。……それに。


「私を見てほしい』


 まだセシリー・キャンベルという人間を見定めてもらっていない。

 森の開けた空間に飛び出した。そこはちょっとした野原だった。あまりに唐突だったため軽く蹴つまずく。力なくよろけ、上目がちに顔を上げると、予想もしていなかった光景がそこにあった。


 


 人間ひとりを丸ごと飲み込めるような巨大な炎球だ。黒い揺らめき。眺めているとそれだけで引きずり込まれそうな不思議な引力を感じる。黒々と球形を描くそれを炎と判別したのは、火の粉を飛ばし、風に揺らぐ焚き火のように淡く揺らめいていたからだ。ただしあんなにも大きな炎の塊にもかかわらず不思議と熱は感じなかった。

 悪魔の存在だけでも気後れしてしまっているのに、今度は何事だ。セシリーはあまりのことに言葉を失った。


――――「っ、お前、なんで」


 炎球のそばにいたルークが、驚いたようにこちらを振り返っていた。彼の隣ではリサがこちらに背中を向けて炎球を見上げている。


 なんで来た――。言葉通りルークは咎めるような顔をしていたが、同時にいたずらを見つかった子どものように、ばつの悪そうな表情もしていた。


 彼の手には刀身の無い、柄だけの刀が握られていた。……刀身が無い? 何故そんな物を? いやそれよりあの炎球は――ひょっとしてルークが作り出したものなのか? 祈祷契約なのか?

 様々な疑問が頭を巡る最中さなか。耳たぶにひんやりと冷気を感じ、セシリーはそちらを振り返る。そこには氷獣がいて、黒い炎球とルークたちに向かって背中を逆立てていた。背には先刻のように無数の氷柱つららがびっしりと生えていた。悪魔はぶるぶると振動していて、今にも氷柱を解き放とうとしている、それが容易に見て取れた。


 途端――セシリーの背中が粟立つ。心臓が高鳴り、膝が笑い出す。あまりの情けなさに泣きたくなった。後ろ向きな気持ちを反映するように全身の傷が激しくうずく――それでも足は勝手に動いていて、むしろ積極的に駆け出していて、そしてルークの許にたどり着いていた。

 ルークには背を、氷獣には体の正面を向ける。両者の間に入るような形でセシリーは立ち止まった。浅く呼吸をして動悸を落ち着ける。


「おい何してるっ、退けろ!!」


 もう遅い。セシリーは振動する悪魔を見つめる。悪魔もセシリーを見ている。


「お前はその辺で黙って見ていればいい!!」


 できることならそうしていたいが。

 残念ながらできない注文だ。


「あなたは私に、指をくわえて見ていろと言うのか」


「あぁ!?」


「何もできず手をこまねき、のうのうと安全圏にいろと言うのか」


「何を言って」


「私は独立交易都市公務員三番街自衛騎士団の一団員だ」


 セシリーは腰の裏に手をやった。そこには剣のつかが鎖で吊るされている。


「そして誇り高きキャンベル家の現当主だ」


 柄を右手に握り、鎖を引き千切った。


 ――父上よ。私に力をください。


「私の仕事は都市を守ること」


 今の自分にできることは少ない。自分にあの悪魔を討ち滅ぼす力は無い。ならば。


市民あなたを守ること」


 せめて彼の盾に。セシリーは四肢を大の字に広げた。


「見届けてくれルーク・エインズワース。これがセシリー・キャンベルだ」


 氷獣の背に生えていた氷柱つららの剣山が、一度大きく震え、そして一斉に連続射出された。

 天高く弾き出されたそれらは頂点に至り、やがて次々とこちらへ落下してきた。セシリーが瞳を閉じた瞬間に衝撃はやって来る。先ほどはただ殴られたとしか感覚できなかったが、二度目の今は研ぎ澄まされた神経が氷柱のひとつひとつを正確に知覚した。どしゃ降りの雨を真正面から受けたかのような奔流。つぶては額を打ち、まぶたを切り裂き、頬を叩き、肩甲骨を削り、手首を弾き、胸を突き、脇腹や太股を抉った。意識を喪失しかけ、仰け反って頭から転倒してしまいそうになる。セシリーは唇を噛んで後ろに反る背中をむしろ前へ前へと傾けた。


こうなれば両脚を踏ん張り瞳を見開く。氷柱が身体に衝突して砕け散りその凍える破片が降り注ぐ。それとは別に熱い液体が迸るのも感じてあぁ出血したのだなと思う。激痛と冷気と貧血がごちゃ混ぜになりとうとう感覚は麻痺してしまう。でも右手に握った柄の感触だけはしっかりと感じていた。氷の雨は終わらない。しかしセシリー・キャンベルもまた終わらない。


 そして彼女は背中で聞く。ルークの声を。


水減しミズベシ小割コワリ選別センベツ積み重ねツミカサネ鍛錬タンレン折り返しオリカエシ折り返しオリカエシ折り返しオリカエシ折り返しオリカエシ折り返しオリカエシ折り返しオリカエシ

――心鉄成形シンカネセイケイ皮鉄成形カワカネセイケイ造り込みツクリコミ素延べスノベ鋒造りキッサキヅクリ火造りヒヅクリ荒仕上げアラシアゲ土置きツチオキ赤めアカメ焼き入れヤキイレ鍛冶押しカジオシ下地研ぎシタジトギ

――備水砥ビンスイド改正砥カイセイド中名倉砥チュウナグラド細名倉砥コマナグラド内曇地砥ウチグモリジド仕上研ぎシアゲトギ

――砕き地艶クダキジヅヤ拭いヌグイ刃取りハトリ磨きミガキ帽子なるめボウシナルメ


 祈祷……ではない。聞き慣れぬ単語の羅列は、祈祷契約で用いられる文言に似ているようでまったく異なっていた。今のセシリーにそれ以上のことはわからない。だが何かを作り出そうとしている――そう察し、ただ盾としての役割に徹した。


――――「柄収めツカオサメ


 ルークのその言葉とほぼ同時に、氷の雨はやんだ。衝撃の消滅。不意に訪れた静寂にセシリーはよろけた。


 セシリーには自分の身体をあらためる余力すら残っていなかった。しかし耐え切ったという、その実感だけは全身の痛みと痺れが教えてくれる。広げていた腕がだらんと下がり、すると右手が妙に軽いことに気付いた。つかを握っていたはずの右手。見下ろすと剣の柄は砕けてほとんど消失していた。喪失感は無い。

 剣は砕けても、セシリーの心は折れていないから。

 これでいい。


 ――ありがとう、父上。


 力が抜けて足元から崩れ落ちる。その肩を後ろから誰かが抱き止めてくれた。


「ルーク……」


「セシリー・キャンベル」


 彼は前だけを見ていた。

 氷の悪魔を睨み据えている。


「お前のおかげで、問題無く完成した」


 彼の左腕はセシリーの肩を抱いていて、逆の手には刀があった。意識の朦朧としていたセシリーには驚く余裕すらなかったが、それは不思議な剣だった。


「刀』自体が目新しいものであることには間違いないのだが、その剣は特に異質だった。

 刀身が赤く変色していたのだ。

 どうやら発熱しているらしく、こうしてそばで見ているだけで素肌に熱を感じる。それだけでなく蒸気を発し、刀身全体からもうもうと白いもやを立ち上げている。

 一体何処にそのような刀を隠し持っていたのだろうか。帯びていた刀は折れてしまったし、先ほど手にしていた柄には刀身は無かったのだが。


「今度こそ俺に任せてもらおうか」


 いずれにせよ瑣末なことだろう。セシリーは力無く微笑み返した。



 電光石火、ルークは鎖から放たれた獣の如く猛進。青年はすり足で地面を穿ちながら疾駆し、またたく間に氷の獣の眼前に到達する。刀の蒸気が長く細く尾を引き、弧を描いた。切っ先が地面の上を滑り、上昇。蒸気は霧の冷気を粉々に粉砕。冷気の膜を失い丸裸にされた悪魔に刀の刃が喰い込んだ。

 今までとは比較にならないほどの、爆発的な蒸気が迸る。


 悪魔の肉体を構成していた氷が刃に触れる先から融解していった。火花のように粒子が飛び散りルークの素肌を焼く。しかし剣筋は一瞬たりともぶれはしない。斬ると言うよりは焼き斬ると言ったように刀身は悪魔の中を奔り、氷獣の右前脚上方から肢体、首、左肩へと抜ける。遂に体外へと飛び出した刀。しかしルークは止まらない。遠心力に任せてルークは身体を回転。剣の軌道は頭上へと至り再び両者が正対したとき、ルークはその軌道を真下へと一度に振り下ろした。刀は獣の眉間から侵入を果たし胸元から外へと脱出を遂げる。


 訪れた沈黙。そして崩壊。

 獣に穿たれた二条の刀傷。そこからひび割れが生じ、見る見るうちに全身に伝染していった。ルークは背中を向ける。同時、氷の獣は粉々に砕け散った。

 悪魔は消え失せた。


「……ふぅ」


 軽く吐息をつき、ルークは肩の力を抜いた。

 セシリーもほっと脱力したが、ふと妙に思って下を見下ろした。後ろから腰に抱きつくようにしてリサが彼女の身体を支えてくれていた。ぎゅっと強い力で、背中に額を押し当てて。セシリーは腹の前で組まれた小さな手にそっと触れた。ウヒ、とくすぐったそうな声が腰の裏を震わせてセシリーは苦笑した。

 ぴし、というひび割れる音に顔を上げる。


「あ……」


 悪魔の後を追うように、ルークの刀にも亀裂が走っていた。かと思うと柄ごと砕けてあっという間に風化し霧散してしまった。茫然としているセシリーに、しようがないさ、とでも言いたげにルークは肩をすくめた。一片の名残り惜しさも無いようだ。


「やれやれ」彼は肩を揉みながらこちらに戻ってくる。「今日は久々に重労働だっ――」


 こちらを見たルークが両鼻からいきなり鼻血を噴き出した。慌てて押さえる後からも指の隙間からぼたぼたと赤い血が溢れ出す。


「る、ルーク!? 大丈夫かっ。まさかあの悪魔に何か」


「っだ、大丈夫だからお前ソレなんとかしろこっちに寄るなっ!」


 ソレ?と首を傾げてから、セシリーはもう一度下を見やった。

 先ほどは血にまみれていたから気付かなかったのだろう。二度にわたる氷の雨によって彼女は満身創痍だった。当然騎士団の制服も無残に切り裂かれ、皮や布などの装甲はあらかた剥がれ落ちていた。……要するに。

 セシリーの豊かな胸は何もかも丸出しになっていた。


――――「!!」


 轟いたのはセシリーの悲鳴。

 ではなく、ルークの悲鳴だった。



「意思疎通の不可能な人外を薬物で使役し、なおかつ大陸法で禁じられている悪魔契約を行った……この盗賊一派には必ず裏がある」


「……」


「都市に戻ったらすぐさま団長に報告しなければならない。捕らえた残党からも話を聞かねば」


「……」


「早急に対策を……いや、まあ、うん。ごほんごほん」


 セシリーはわざとらしく咳を繰り返した。頬が赤い。胸にはルークから『借り受けた』外套を巻いていた。


「と、とにかく御苦労だった。感謝している、ルーク・エインズワース」


 ルークはぶすっとして答えなかった。

 晴天。

 悪魔の消失により霧も溶けるようにして無くなっていた。野原は見違えるように陽射しに満ち、急な温度差に眩暈を覚えてしまうほどだ。

 セシリーはちらちらと横目でルークを窺う。彼は顔中をぼこぼこに腫らしており、まるで暴漢にでもあったような有様だ。セシリーはとうとう頭を下げ、


「その、すまなかった……つい取り乱してしまって……」


「お前は取り乱すと相手を押し倒してタコ殴りにするのか」


「う、あぅ……申し訳ない……」


「まぁまぁ。セシリーさんもこうして謝ってるじゃないですか」


 と、横からなだめたのはリサだ。霧の名残なごりで野原は湿り、そこで運悪く転倒してしまった彼女は泥まみれになっていた。


「でも女性の胸を見ただけで鼻血出しちゃうなんて……ルークって意外にウブだったんですね」


「黙れ。放り出すぞ」


「それにしても、お、おっきかったですよね……」


 無言で鼻を押さえるルーク。セシリーは真っ赤になってリサを取り押さえた。


「憧れます」


「それはもういいからっ。――リサ。君にも礼を言いたい。ありがとう」

 えへへ、とリサは照れたように笑った。しかしその笑顔にふっと影を落とす。


「お父さんの形見の剣……壊れちゃいましたね」


 セシリーは目を細めて微笑み、いいんだ、と頷いた。


「最後に良い働きをしてくれた。悔いは無いよ」


 最後の最後、悪魔と向き合う中、セシリーを支えてくれた。

 父の形見は――キャンベル家の剣は立派にその役目を果たした。

 父と剣に、とむらいと礼の言葉を捧げよう。


「ところでルーク・エインズワース」


「……なんだ」


「昨日の件、考えてもらえないだろうか」


 私を見定めてほしい――。


 ルークはセシリーに右目を向けた。左目は微動だにしない。

 何故ならそれは義眼だから。


 どうやら彼は一介の鍛冶屋ではないようだ。廃れたはずの鍛冶技術。悪魔契約の知識。

 悪魔とさえ渡り合ってみせた剣術。黒い炎球。蒸気を発する『刀』。そして隻眼。いろいろと隠れた事情がありそうだ。


 だがセシリーはあえて追及しない。それは野暮というものだ。

 望むことはただひとつ。

 セシリーは胸に手を当て、浅く頭を下げた。


「私に剣を鍛えてもらえないだろうか」


 セシリー・キャンベルは騎士になり立ての未熟者だ。

 歳も十六とまだ若く、経験も浅い。今回の遠征では粗が多く、感情的に行動し、市民ルークたちの協力無くしてはまともに戦うことすらできなかった。

 そのような自分は、あなたが腕を振るうに値するだろうか?


 長い沈黙。セシリーは頭を下げたまま動かなかった。

 固唾を飲んで待ち続ける。


 ため息が聞こえた。


「……いいだろう」


 がばりと頭を上げたセシリーは、


「約束する!」


 弾けるような、歳相応の笑顔を浮かべていた。


「私はあなたの剣でこの都市を守る。そのために最高の剣を作ってくれ、ルーク・エインズワース!」


 ルークは不意をつかれたように目を見張り、けれど慌てて顔を背けた。


「? どうした」


「……なんでもない。ただ、昔お前と同じことを言った奴がいて。よく似ていて――」


 そこまで言いかけて、ルークは頭を振った。


「いい。忘れてくれ。それより」


 気を取り直すように腕を組む。


「金の話だ」


 ……。


「…………え?」


 セシリーは凍りついた。


「え、じゃない。まさかこの俺が善意でこんなことやったと思ってるのか? 本当におめでたい女だな。まずは今回の遠征の報酬だ。これだけ働いたんだ、それ相応の金を期待していいんだろうな?」


「そ、それはもちろん……団長と市長に報告の上、取り計らうが」


「よし。あとはお前に作る刀の値段だ。俺は素材にただの鉄ではなく玉鋼を使うんだが、

これが第一タタラ工房アトリエの高純度のものでな。俺の刀はそこら辺の剣より滅法めっぽう高い。かかる費用が――」


 指折り数え出すルーク。


「あの……ルーク?」


「刀身の鍛錬料の他に、研ぎとさやつかの代金もいただく。昔は研師とぎしとか鞘師とか専門の人間がいたんだがな、今は俺が兼業でやっている。腕は鍛錬ほどではないから、まあ安く見積もってやるよ。というわけで刀の値段と合わせて――」


 セシリーの背中を嫌な汗がびっしょりと濡らしていた。


「ちょ、ちょっと待ってくれっ。私はその、公務職とはいえ決して高いとは言えない給料で、それもほとんど家に入れていて、つまり貯えも少なくて」


「あ? 知るか」


「ぶ、分割払いは利くのかっ?」


「ほざけ。ウチは一括だ」


「あ、後払いは……?」


「ふざけるな。先払いに決まってるだろう」


「この守銭奴がぁッ!」



 ……セシリー・キャンベルの剣が作られるのは、当分先の話になりそうだ。



(第1話「騎士」了)

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聖剣の刀鍛冶〈ブラックスミス〉/三浦勇雄 MF文庫J編集部 @mfbunkoj

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