神楽、舞い喚ぶ、颪す風

 踏みとどまって、動かす足がタン、と軽く鳴る。

 鬼は腕を振り回し、それにつられたあたしはたたらを踏む。

「――奈々美!」

 何だろう。

 体が自然に動いていた。

 くるりと体を回し、トントンとステップを刻む。衣装が回り、風が生まれる。

 二度回り、一旦沈んで、ふわりと起きる。

 あたしは舞っていた。

 知らないはずの動きを、滑らかに続けていた。

 誰かに操られてるみたいに――

 左手首に巻き付いていた長い髪が揺れていた。

、っ?」

 あたしの中に声が響いた。

 さっきの白い世界の、お姉さんの声だ。

 お腹の下にずん、とした重みを感じる。

(――ちょぉっとぉ、借りるねぇ)

 あたしにしか聞こえてないらしい。

 あたしの体が両腕を上げた。

 強い風が鬼の体を押し上げる。

(危なっかしいことこの上ないな、まったく)

 また別の声がした。

 オジサンのだ。

(まあ、そこが可愛いとは思うが)

 あたしの腕が動く方向に合わせて、風が鬼の体を振り回す。

(言った手前、助けてやろう)

 今度はエロオヤジの声だった。

「この圧力――神の類!?

 それに、ふたつ――いや、みっつ……!?」

 穂乃香さんが呟いてるのが、遠くに聞こえる。

 あたしの中に、何かが来ていた。

「これ『神降ろし』っ!? まさか……っ」

 葵ちゃんの声もどこか遠かった。

 けど、前に聞いたことを思い出す。


    ――その『巫術』の中でも最たるものが『神降ろし』と呼んでる術でね――


 あたしの意思とは関係なしに体が舞を踊っていた。

(ちょ――なにっ)

 声にならなかった。

 あたしは、体の外から自分を眺めているような気がした。

 さっきの白い『狭間』から、そこにいた『神』たちがあたしの中――こっちの世界にやって来た、と直感的に思った。

 下腹部に感じる重みと、頭に聞こえる声。

 いくつものそれがあたしの意識を押しやって、比喩ではなくあたしの体を操っていた。

(だから、助けてやる、と)

 エロオヤジの声があたしを呼ぶ。

(アレからお前の魂を取ればよいのだろう?

 助けてやるから――)

 背筋――感覚的な意味で――にイヤなものを感じる。

 エロオヤジの声は楽しそうに言った。

(パンツ見せてくれ)

(見せるかっ!)

 あたしは思わず、ツッコんでた。

 そんな漫才とは関係なく、鬼は風に翻弄されていた。

 驚いていただけの鬼の顔に、だんだんと焦りが見えてくる。

 ぐいっ、とあたしの体がもう一度両腕を挙げた。

 鬼の体が浮く。

 あたしの両腕が振り下ろされる。

 鬼が道路に叩き付けられて、鈍い音と振動と、グァオォッ、というダミ汚れた声が上がった。

 道路にヒビが入る。

 舞をやめていたあたしの体は両腕を前に伸ばして広げ、何十センチか浮いていた。あたしの意識は、それを背後の上空から見ている。

 鬼を押さえつけている風は圧倒的な風圧で鬼を大の字にして動けなくしている。その圧力で鬼の筋肉も顔もたわみ、声を出すことさえままならない状態だ。

「――愚かなモノよ。

 こちらに出ることもなければ、こんな目に遭わずにいられたものを」

 あたしの口から、あたしのじゃない声がした。

 ――エロオヤジのだ。うわぁ、気持ち悪っ。

「好き放ぉ題やっちゃってるけどぉ、諦めなさいねぇ」

 今度はお姉さんの声だ。これはまだ許せる。

 あたしの頭が振り返り、葵ちゃんを見た。

「そこの嬢ちゃん、その術――魂に触れるものじゃな」

 オジサンの声がそう言うと、葵ちゃんは緊張した様子で頷いた。

「いっ――行きますっ」

 葵ちゃんはあたしの腕が示した合図で強風の中、鬼に接近した。

 鬼の脇腹に手を押しつける。

 青緑の光が火花のように散って、葵ちゃんの腕は鬼の中にズブッと入っていった。

「アレもなかなかの娘だなあ。助力の礼であの娘の胸、触らせてもらえんものかな」

(ダメだっつてんでしょ! この変態エロオヤジっ!)

 あたしの口で何てコトを言うんだ、まったく。

 ――ていうか、体乗っ取られてる!?

 自分を見下ろしてる。これって幽体離脱? あたしの体は浮いたままでいて、風に巫女衣装がバタバタとはためいている。

 不意にスッと、あたしの表情が変わった。ついさっきまで同じ口から出てた『神』たちの声が止み、凍ったような瞳で葵ちゃんと鬼を見下ろしていた。

 なんだか、さっきまでの漫才してた感じとは違う。

 冷徹で、何か――怖い。

 雰囲気がガラッと変わっていた。

 葵ちゃんの腕は肘まで鬼の体内に入っていて、ウロウロと動いている。

 風は葵ちゃんの髪も服も荒らしている。

 穂乃香さんがあたしの体に向かってきていた。

「あった!」

 葵ちゃんが叫ぶ。

 ずびゃっ、と引き抜かれた葵ちゃんの手に青白い、ピンポン玉くらいの大きさのものがあった。

 ――あれが、あたしの『魂』なんだ。小さいなあ……

 鬼が途端に、もの凄く苦しそうな表情になる。

 あたしの右腕が、すっと挙がった。

 苦悶を浮かべる鬼を冷ややかに見下ろし、葵ちゃんと穂乃香さんに言う。

「娘らは離れておれ。

 禁を破った愚か者に仕打ちを行う」

 お姉さんのじゃない、誰の声かわからないけど女性の、氷のように冷たく尖った調子だった。

 ピンポン玉のようなあたしの魂を持った葵ちゃんは、血の気を失った顔で鬼から数歩離れた。

「奈々美っ!」

 穂乃香さんが強くあたしを呼ぶ。

 あたしは、まだ上空にいた。

 自分の身体なのに、自分で何もできない。指一本動かせない。

「奈々美、しっかりしなさい! 自分の体乗っ取られて、肉体の容量が限界を超えて崩壊するわよっ!」

 ほ、崩壊!?

 穂乃香さんは、あたしを見ていた。体じゃなく、上空に浮いているあたしを。

「戻ってきなさい! 魂も、肉体も、自分を取り戻すのよ!」

「何を言ってるの?」

 さっきの冷たい声が、あたしの口から発せられる。

「私はここにいるじゃない、

 その口調のまま、あたしの体は穂乃香さんに言っていた。

「ふざけないで!」

 穂乃香さんは薙刀の切っ先をあたしの体に向けた。

「奈々美は確かに、妹のように想い、教えてきたわ。でも血は繋がっていないし、あの子は私を姉とは呼ばない。何より今その肉体の中に奈々美はいない。

 奈々美にその体を返しなさいっ!」

(姉、さま――)

 その響きは心地よかった。

 穂乃香さんを慕いはじめているのは確かだし、そう呼んだことはないけど、姉のようだと意識したことは――あるかも知れない。

 穂乃香さんもそう思っていたなんて、嬉しくなる。

「もし返さないなら、、あなたを黄泉へ送るわっ!」

「平坂――そう、姉さまはの縁の者なのね」

 その時、あたしの体が挙げていた右腕を振り下ろした。

 ずどんっ! と激しい衝撃が周囲を震わせた。信号が揺れ、窓がビリビリと鳴る。

 強烈な風が鬼に吹き落ちて、鬼は更に道路に埋まる。

 ついに白目をむき、泡を吹いた鬼の体が――

 その体が指先とか、端の方からボロッと崩れはじめ、それはどんどん速度を増して、一分くらいで鬼だったものはいなくなった。

 あたしの体が道路に降りる。

「さあ、そこの娘、その魂を寄越しなさい」

 葵ちゃんに命令する。

 穂乃香さんがあたしの頬を張った。

を返しなさいっ!」

(穂乃香さん――)

 生きてたら赤面してる、絶対。

 その言葉で、ボケッと浮いていたあたしも目が覚めた。

 ――お姉さんかエロオヤジか誰か判んないけど。

(あたしの中から出ていって!)

 それだけを強く強く、生きてきた中でこれ以上ない強さで思って、自分の身体に向かった。

 スポン、と何かに入る感触がした。

「――やれやれ、調子に乗りすぎたのは良くないなあ」

 あたしの口から、オジサンの声がした。氷みたいな冷たいさっきのじゃない。

「こぉんな大人数でぇ、この子の体借りたからぁ、色々混じっちゃってぇ、変なのが生まれかけたんじゃなぁい。だからアタシだけでいいぃ、って言ったのにぃ」

「若い娘の体を使えるこんな久々の好機、逃せるか」

 あたしの口から色々な声が出て、言い争い始めた。

 ぴくっ、と自分のこめかみが動くのを感じる。

「何にせよ、嬢ちゃんの魂は取り返せたようだし、よかった」

「まぁ~、そうよねぇ」

「そうとなれば、礼をもらおうかな」

 あたしの手が袴の裾にかかった。

 ――キレた。

「出てけ、っつってんでしょ!

 あたしの体から出てけ! 自分たちの世界に帰れ変態っ!」

 あたしは自分の口で思いっきり怒鳴り、両手を振り回した。

 くすくす、と笑い声が頭に響く。

(じゃぁねぇ~)

 と、お姉さんの声がして、自分の中にいた気配はウソみたいに無くなった。

 あたしは、大きく溜め息を吐いて落ち着こうとする。

 毅然とあたしを叩いたはずの穂乃香さんが、その様子を少しぽかんとして見ていた。

 葵ちゃんも目を丸くしている。

「な……奈々美?」

「穂乃香さんっ!」

 あたしは、神たちから取り返した自分の体で、穂乃香さんに抱きついた。

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