#5 颪

そして、あたしは

 葵ちゃんが、あたしの衣装を脱がせていた。

 お腹の穴はやっぱりある。

 半裸くらいの状態で葵ちゃんはあたしを抱いて、言う。

「ゆっくり入れるから、力抜いててね」

 そう言われるとかえって緊張してくる。

 葵ちゃんは右手をゆっくりとあたしの下腹部に下ろしていって――

「ん……ぁっ!」

 背筋に電流が走ったような感覚がする。

 葵ちゃんの手が、あたしの中に入っていた。

 あたしの魂をお腹の穴から体の中に入れた葵ちゃんの指先が、肌を越えてあたしの中にあった。

 痛くはなかった。

「あったかい……」

 葵ちゃんは優しく微笑んでいた。

「少し、動かすね」

 言うと同時に、葵ちゃんの指先がクイクイとあたしの中で動く。

 何とも言えない、くすぐったいような気持ちいいような心地がして、あたしは思わず吐息を漏らす。

 葵ちゃんの指の動きに合わせて、自分の中を巡るものを感じる。

 温かくて気持ちいい。上気してきて、何も考えられなくなりそうになって、あたしは葵ちゃんの服を強く握る。

「うん――いい、かな」

 その途端、あたしの中で何かが弾けた。

「あぁ……っ!」

 一瞬頭の中が真っ白になる。

 葵ちゃんが指を抜いた。

 あたしは少し荒い息と虚ろな目で、葵ちゃんを見上げた。

「かなり消費されちゃっててあんなに小さくなってたけど、持ち主の肉体なら、他の魂と補い合えるからね。あんまり心配しなくていいよ」

 葵ちゃんは着物の前をゆるめに合わせてくれて、さらに袴も戻してくれた。

 鬼が消えて、あたしが自分の体を乗っ取っていたものたちを追い出してから、ほとんど時間はたっていない。

 さっきの交差点から穂乃香さんの車に移って、乗ったところで葵ちゃんに脱がされた。

 その途中で穂乃香さんと葵ちゃんに、気絶していた間のことを話した。

 穂乃香さんは車を発進させず、あたしと葵ちゃんがするのを眼鏡越しに優しく見ていた。

「胸に手、当ててみて」

 言われたとおりにする。

 別に何も……葵ちゃんにされたので、まだけど。

 ――えっ?

 あたしは意識を集中して胸の間に触れた。

 小さいけど確かに、トクン、トクン、とあたしの中から響いていた。

 何日ぶりかの、自分の鼓動だった。

 今まで気にしたことなどなかった、当たり前だったこの音がこんなに大きなものだったなんて、消えるまで気付かなかった。

 戻ってくるまで、解らなかった。

「葵ちゃん、穂乃香さん、あたし――っ」

 涙も出てきた。

 血の巡る感覚がして、指先に軽い痺れを残していく。

 うんうん、と葵ちゃんが頷いて、あたしを抱きしめた。

「生き返ったのね、奈々美――よかった、本当によかったわ」

 穂乃香さんは満面の笑みを浮かべて、あたしに頬を寄せてきた。

 生き返った――そう、生き返ったんだ。

 魂を、命を取り戻したんだ。

「あ、ありがとうございますっ!」

「礼なんていいわよ」

 穂乃香さんはふっ、と運転席に戻って、エンジンをかけた。

「帰りましょう」

「「はいっ!」」

 あたしと葵ちゃんの返事が重なった。

 あたしは、頬に残っていた穂乃香さんの涙を、そっと包んでいた。



「――奈々美、あなたは危なっかしくて仕方ないわ」

 ゆっくりと安全運転で神社に向かう車の中、穂乃香さんが言った。

「戦い方もそう、符札に与える力の制御もまだまだ」

 それに、とルームミラーであたしと目を合わせる。

「『神降ろし』だなんて奇跡的にあれで済んだからいいものの、乗っ取られて肉体が飽和してしまうところだったわ」

「でもでもっ、複数柱降ろして御すなんて――」

 葵ちゃんが言う。

「確かに、あれは驚いたわ。二柱降ろした瞬間に崩壊してもおかしくないのに。

 奈々美はそういうキャパシティが人より大きいのかも知れないわね」

 穂乃香さんの目は優しかった。

「そういえば何か言っていたけど奈々美、降ろした神が何者か、解っているの?」

「えっと――『しなつひこ』とか『しなつひめ』って聞いた気が……」

 あたしはお姉さんに言われたのがそうだったのかな、と当てずっぽうで言ってみる。

 と、

「志那都比古っ!?」

 穂乃香さんが急ブレーキを踏んで、あたしと葵ちゃんは前のシートに鼻とおでこをぶつけてしまった。

「知ってるんですか?」

 穂乃香さんは驚きを隠せない表情だった。

 葵ちゃんももともとクリッとした目をもっと丸くして、あたしを見ていた。

「知ってるも何も、神話で、大八洲を生んだ後の伊弉諾尊いざなぎのみこと伊弉冉尊いざなみのみことが生んだ神よ。

 本居宣長は『古事記伝』で男女一対の神だという賀茂真淵の説を挙げているけど――ともかく、風の神。

 男女一対の説では、志那都比古が男神、志那都比売が女神」

 車を停めたまま、穂乃香さんは振り返った。

「物凄いものを降ろしたのね、奈々美。それに何というか――風に愛されていること」

 いまいち、ピンときてなかった。

 イザナギとかイザナミは聞いたことあるけど……。

「風の神様、ってあの風呂敷広げた鬼みたいなのじゃないんですか?」

「俵屋宗達の『風神雷神図』ね。確かにあれは有名だけど、向こうが名乗って、あなたがその名を呼んで、同じものたちが降りてきたのでしょう?

 ならそれが風の神――志那都比古たちよ。

 風、と一口に言っても様々な種類があるし、それぞれを司った『風の神』に分かれていったという説もあるし、色々な姿形のものがあってもおかしくない。

 世界中にもそれぞれ呼び名は違うけど存在している風の神よ。

 でも奈々美、あなたが降ろしたのはその風の神の中でも古く、強大なものよ」

 説明している内に落ち着きを取り戻してきた穂乃香さんは、車を発進させた。

「す……すごいよ、奈々美ちゃん! 穂乃香さんの言うとおり危なかったけど――」

 葵ちゃんがあたしの肩を叩いてきた。

 まだ実感が湧かないけど――

「で、でもっ、結果オーライだからいいよねっ?」

「駄目よ」

 葵ちゃんがしてくれたフォローは、穂乃香さんにピシャッと否定された。

「たまたま上手くいってヤツを倒せたけど、そんなのじゃ駄目よ。

 こんな戦い方をこれからもしていたら、すぐに限界がくるわ」

「え? でもあたし……」

 今回だけなんじゃ? と言いかけたあたしを穂乃香さんはミラー越しに見た。

「術を使いこなすことと、術に頼らないで戦う術をもっと身につけないといけないわ。

 これからも鍛えていくわよ、奈々美」

 大磯神社の鳥居が見えてきた。

 車が少し、スピードを上げる。

 穂乃香さんがあたしから視線を外した。

「奈々美はもう、仲間でしょう?」

 戦力に数えてるのだから、と言った穂乃香さんの微笑みはやっぱり美しく、厳しい言葉とは裏腹に、優しかった。


   ▼△▼△▼△


 結局、あれからあたしは穂乃香さんと葵ちゃんと、『巫女』の修行を続けている。

 例の鬼みたいなのが現れて戦う、なんてのは起こってないけど。

 それでもあたしは体を鍛え、精神を錬えて、『その事態』に備えている。

 お腹の穴は開いたままだ。葵ちゃんが言うには、この状態で安定してしまっているらしい。

 あたしは今まで知らなかった世界を知り、そこに関わり、そして踏み込んだ。

 これから、ここで、戦っていく。

 運命だとか使命だとかそういうことはどうでもいい。

 あたしが、穂乃香さんや葵ちゃんと、そうしていたいんだ。



 そういえば、と、ある時穂乃香さんがあたしに言った。

「あの時の奈々美の術――圧倒的な風の力は『降ろす』なんて威力じゃないわね。

 言うなれば『おろし』だわ」

「颪?」

 空中に字を書いた穂乃香さんにあたしは尋ねた。

「山などから吹き下ろされる強い風のこと。

 奈々美の風は、ただの風と云うにはあまりに強烈すぎるわ。『神降ろし』と云うより――そうね、『神颪』だわ」

 穂乃香さんは、からかうように笑ってそう言った。




 あたしは、こうして『巫女』になった。

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神颪の巫女 あきらつかさ @aqua_hare

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